枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

細殿にびんなき人なむ

 「細殿に通ってくるの、どうなんだかなぁ?っていう男のヒトが暁の頃に傘をさして出てったのよ!」ってみんな言い出したの、よく聞いてみたら、私のコトだったのよね。地下人(じげにん)とかって言っても、見た目は感じよくって、でも(私のお相手として)人に認められるくらいの人でもないもんだから、変だなぁ?って思ってたら、(使いが)定子さまからのお手紙を持って来て、「返事を、今すぐに」っておっしゃったの。何事なんだろ?って見たら、大きな傘の絵が描かれてるんだけど、人の姿は描かれてなくって、ただ手だけで傘を掴ませててその下に、

「山の端明けし朝(あした)より」(山の端が明るくなった朝から)

ってお書きになってるのよね。やっぱりこんなほんのちっちゃなことでも、ただただ素晴らしい!!って思わせられちゃってね、恥ずかしくって納得できないような下の句のお返事は何としても絶対に御覧にいれないように!って思って。こんな根拠のない噂が立つのは心苦しいけど、定子さまのお手紙がいかしてるもんだから、別の紙に、雨をいっぱい降らせた絵を描いて、その下に、

「ならぬ名の立ちにけるかな…さてや、濡れ衣にはなり侍らむ」((雨)じゃなくって噂話が立ってしまいました…これで、濡れ衣(ぬれぎぬ)にはなりますでしょう?)

って、書いて差し上げたら、右近の内侍とかにお話しになって、お笑いになったんですって。


----------訳者の戯言---------

細殿(ほそどの)というのは、殿舎の「廂の間」の中でも、細長いもののことを言ったようです。仕切りをして、女房などの居室(局)として使ったらしいですね。「廂」というのは「ひさし」のことで、廂の間は母屋の外側に付加されてる部屋だということです。

地下(じげ)は、地下人(じげにん)のことです。殿上人に対して、昇殿の許されなかった官人のことをこう言いました。五位以上が殿上人ですから、六位以下の男性のことを言ってるんですね。

大笠。柄の長い大きな傘。特に、儀式の際、先行の貴人に後ろからさしかける柄の長い大きな傘をこう言うそうです。

で、中宮定子から送られてきた「山の端明けし 朝(あした)より」です。
最初読んだ時はわかりづらかったのですが、大きな傘の絵を描いて、その下にこう書いてるので、つまり「大笠の絵(かた)」を「御笠の山」に見立てて「御笠の山 山の端明けし 朝より」という上の句をつくって中宮定子が清少納言に送った、ということなんですね。

で、その意味は何?ってことなんですが、元ネタに藤原義孝という人の詠んだ「あやしくもわれ濡衣を着たるかな 御笠の山を人に借られて」という歌があるようなのです。
意味は「何なんだろ変だね、私、濡れ衣を着てしまってるよ、御笠山の名を誰かに借りられてさ!」という感じでしょうか。
誰かに自分の名を騙られて濡れ衣を着せられちゃったの、なんでやねん、おかしくね?っていうワケですね。そういう歌があったらしいです。
では何故「御笠の山」が藤原義孝の名を騙ることになるのか?っていうと、「天皇の御笠(蓋)として近くでお守りをする」という意味で、近衛の大将、中将、少将をこのように呼んだらしいからなんですね。当時、義孝は近衛少将だったらしいですから。

藤原義孝っていうのは、この枕草子にもよく登場する藤原行成の早逝した父親だそうで、結構な美形だったそうですよ。モテモテなんですね。で、その義孝の名を騙って、致平(むねひら)親王、なんと親王!ですが、その人が、左衛門の命婦という女子のところに行ったっていうんですね。その、行く、というのは、要するに逢いに行ったのです、ムフフな関係になろうと。で、自分は行ってもないのに濡れ衣を着せられたよーという歌を詠んで、送ったのは当の致平親王のところだったそうです。なるほど。ま、そういう戯れ言を言い合う関係だったんですね。陰口ではなくて、本人に「なんてことするんすかー、もうー、やめてくださいよー 笑」的な歌なんです。で、実はその左衛門の命婦という女房?は義孝の彼女だったのではないかという説もあります。

で、余談なんですが、平城京の東にはご存じのとおり春日山があります。その前にある笠(カサ)型の山が御蓋山(みかさやま/おんかさやま/おんふたやま)なんですが、「御笠山」「三笠山」とも書くことが多いです。ていうか、春日山の一部なんですね。で、この段でも「御笠の山」となってます、和歌に出てくるのは。
ご存じのとおり、春日山の西の麓に春日大社があります。
行ったことのある方はおわかりかと思いますが、御笠山(三笠山)というのは、三角おにぎりというか、円錐形と言うか、左右対称のまさに笠みたいな山です。
ただ、「若草山」の呼び方の一つが「三笠山」になってた時期があったので、今もごっちゃになっているようでもあります。あの芝生みたいなのが広がってるのはあくまでも「若草山」で、円錐形のおにぎり山のほうが「御蓋山」「三笠山」「御笠山」と呼ばれる山です。

さて、中宮定子さま、義孝の詠んだあの歌で「御笠山(近衛少将)の名を騙られたっていう、あの「笠」をさして夜明けの山の端を出て行ったのは??」と送って来たわけです。これは、あなたのこと、私は疑ってないわよ、あなたにも言い分があるのでしょ? どうぞ、と、正当な弁明の機会を与えたということなんでしょうね。

これに清少納言が返します。
大雨の絵をかいて、「雨じゃなくって根も葉もない噂が立ってしまいましたよ、これで、濡れ衣(ぬれぎぬ)にはなりますでしょ?」と。
ただ、これも元の藤原義孝の歌を知っていないと、当然のこととしてできないやりとりなんですね。そこが定子と清少納言の阿吽の呼吸と言いますか、定子が「濡れ衣なんでしょ?」と、さらっと問いかけをしているのが、まあすごいというか優しいというかというお話です。

で、右近の内侍(右近内侍)です。ちょいちょい出てくるんですよね。
右近の内侍(右近内侍)は、これまでにも出てきました。内侍というからには、後宮内侍司の女官であろうと考えられます。一条天皇付きのスタッフなのでしょう。定子はこの人を信頼しているというか、気を許しているのでしょうか。いろいろなことを遠慮なく話す関係のようです。

というわけで、この段は先にも書いたとおり、清少納言中宮定子のラブラブっぷりを描いた段です。あたし、定子さまにこんなに愛されてるのだわ♡ぽわ~ん♡って感じです。いいのかそれで。


【原文】

 「細殿に便(びん)なき人なむ、暁に笠さして出でける」と言ひ出でたるを、よく聞けば、わがうえなりけり。地下(ぢげ)など言ひても、目やすく人に許さるばかりの人にもあらざなるを、あやしのことやと思ふほどに、上より御文持て来て、「返りごと、ただ今」と仰せられたり。何事にかとて見れば、大笠の絵(かた)をかきて、人は見えず、ただ手の限り笠を捉へさせて、下(しも)に、

「山の端明けし朝(あした)より」

と書かせ給へり。なほはかなきことにても、ただめでたくのみおぼえさせ給ふに、はづかしく心づきなきことは、いかでか御覧ぜられじと思ふに、かかるそら言の出でくる、苦しけれど、をかしくて、こと紙に、雨をいみじう降らせて、下に、

ならぬ名の立ちにけるかな

さてや、濡れ衣にはなり侍らむ」
と啓したれば、右近の内侍などに語らせ給ひて、笑はせ給ひけり。


検:細殿になき人なむ

 

枕草子 いとめでたし!

枕草子 いとめでたし!

 

 

よろづの事よりも④ ~御輿のわたらせ給へば~

 御輿がお通りになったら、どの車も全部轅(ながえ)を下ろして、御輿が過ぎ去られたら慌てて上げるのもおもしろいわ。見物の桟敷の前に停めてる車っていうのはめちゃくちゃ厳しく制止されるんだけど、「何で停めちゃいけないんだよ?」って強引に停めるもんだから、それ以上言うこともできなくなって、そもそもの主、車に乗ってるオーナーに交渉してるの、おもしろいわよね。停車する場所もなくって車が窮屈に並んで停まってるの、良家の車がたくさんのお供の車を従えてやって来るんだけど、どこに停めるのかな??って見てたら、前駆のスタッフたちもみんな次々と馬から下りて、停めてる車を、どんどんどかせて、お供の車までずらっと並んで停めさせたのは、すごくすばらしいの。
 追って除けさせたたくさんの車が牛をかけて、空いてるところのある方に揺れ動かされながら行くのは、めっちゃ惨めだわね。きらきらと輝いてる身分の高い人の車なんかにはそんな風にプレッシャーをかけるようなことはしないわ。
 ほんとクリーンできれいな感じなんだけど、いかにも田舎者で身分の低い者たちを絶えず呼び寄せて、外に出しては座らせたりしてる車もあるのよね。(んもう!)


----------訳者の戯言---------

轅(ながえ)というのは、牛車の前に長く突き出ている柄の部分です。これを下ろすというのが停車ということなのでしょうね。

きらきらし。「煌煌し」と書きます。「光り輝いている、威容がある」という形容詞ですが、擬態語、オノマトペの「キラキラ」と合致しているというのがここのキモです。

賀茂祭葵祭)の行列。現代は御所を出て下鴨神社上賀茂神社というコースになっています。主役は斎王代です。平安時代は、勅使が宮中を出発した後、途中で斎王と合流して下鴨神社へ向かいました。さらにその後で上賀茂神社に向かいます。
賀茂祭は代表的な勅祭であって、勅使は祭のもう一人の主役と言ってもいいかと思います。

なお、賀茂祭については「見るものは」にも、斎王、斎王代について書いています。よろしければ再読ください。

相変わらず田舎者っぽい人や身分の低い人を最後までdisりまくる清少納言。なんと後味の悪い…。
というわけで、この段はこれにて終わりです。


【原文】

 御輿のわたらせ給へば、轅どもある限りうちおろして、過ぎさせ給ひぬれば、まどひあぐるもをかし。その前に立つる車はいみじう制するを、「などて立つまじき」とて強ひて立つれば、言ひわづらひて、消息などするこそをかしけれ。所もなく立ちかさなりたるに、よきところの御車、副車(ひとだまひ)引きつづきておほく来るを、いづこに立たむとすらむと見るほどに、御前(ごぜん)どもただ下りに下りて、立てる車どもをただ除けに除けさせて、副車まで立てつづけさせつるこそ、いとめでたけれ。追ひさげさせつる車どもの、牛かけて、所あるかたにゆるがし行(ゆ)くこそ、いとわびしげなれ。きらきらしくよきなどをば、いとさしもおしひしがず。いと清げなれど、またひなび、あやしき下衆など絶えず呼び寄せ、出だし据ゑなどしたるもあるぞかし。

 

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よろづの事よりも③ ~物見の所の前に~

 見物のための場所、桟敷の前に車を停めて観覧するのもすごくおもしろいの。殿上人が挨拶に人を寄こしたりしてね。その桟敷の主催者が先払い担当さんたちに水飯(すいはん)を振る舞うっていうから、階段のところに馬を引き寄せたら、エエトコのお子さんなんかには雑務担当のスタッフとかが下りてきて、馬の口取りなんかするのは、いい感じね。でも良家の子じゃない者は見向きもされないのとか、かわいそう。


----------訳者の戯言---------

原文に「物見の所」とあります。これは観覧のために桟敷を架設した所だそうです。
皇族とか摂関家とかの有力者のみなさんは、概ね一条大路に面したいい場所に桟敷をつくって観覧したようですね。一族とか知人を招待したらしいです。

②で私、祭から斎王が斎院に帰還する行列では?とも書きましたが、この部分まで読む限りはどちらかはっきりはわかりません。が、桟敷をセッティングしてるということはメインイベント、祭の正規の行列、斎王渡御とみるほうがいいのかもしれません。

御前(ごぜん)というのは、前駆(さき/ぜんぐ)のことのようです。、③でも出てきましたが、先払い、先追いなどのことだそうです。貴人が道を通ったりする時に担当スタッフが声を上げて、道を空けるために人払いをしたそうで、そのことをこう言ったそうですね。

「水飯(すいはん/みずめし)」というのは、乾し飯(いい)、または普通のご飯を冷水にひたしたものだそうです。賀茂祭葵祭)の頃だとすると初夏ですから、季節的には合致しています。
「湯漬け」というものもあります。これは文字どおり、ご飯にお湯をかけたものです。お茶漬けではなく、白湯(さゆ)をかけたんですね。お茶は平安初期からあるにはあったようですが、まだお茶漬けはポピュラーではなかったようです。お茶漬けが一般化したのは、室町後期らしいですから、かなり後の時代になります。
宮仕人のもとに来などする男の」に「湯漬け」は出てきましたね。

エエトコの出の前駆のコは雑色さんたちが気を利かせて下りてきて、馬をコントロールしてくれるけど、そういう有力者の子弟じゃない前駆のコは雑色もガン無視。前駆の方々は、桟敷で振舞ってもらった水飯を馬に乗ったまま食べるようですが、同じ前駆担当でも落ち着いて食えるのはエエトコの子だけということですね。

なんか、ここでも差別が潜んでるというか、なんだかなーって感じですね。清少納言も問題意識はなし。良家の子弟が優遇されてるのは好ましい、そうじゃないコは見向きもされないでカワイソーよね、って。そりゃないでそ。

と、若干の批判を加えつつ、④に続きます。


【原文】

 物見の所の前に立てて見るも、いとをかし。殿上人物言ひにおこせなどし、所の御前(ごぜん)どもに水飯(すゐはん)食はすとて、階(はし)のもとに馬引き寄するに、おぼえある人の子どもなどは、雑色など下りて馬の口取りなどしてをかし。さらぬ者の見も入れられぬなどぞいとほしげなる。

 

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よろづの事よりも② ~よき所に立てむと~

‭ いい場所に車を停めよう!って急がせたもんだから、朝早く家を出て、行列を待つ間、座り込んだり、立ち上がったりしてて。暑くて苦しくってめちゃ疲れちゃってたら、まさにその時!! 斎院の垣下(えが)に参上なさった殿上人、蔵人所のスタッフ、弁官、少納言なんかが7台、8台連なって斎院の方から走らせてきたから、準備OKなんだわ!ってハッと気づいて、うれしくなるの。


----------訳者の戯言---------

垣下(えが)というのは、斎院の饗宴のお相手役だそうです。賀茂祭から斎王がお帰りになってから、斎院で晩餐会的なことが行われたというんですね。渡御の前にも開催されたのかもしれません。

所の衆(ところのしゅう)というのは、蔵人所に属して雑事をつとめた者のことを言います。スタッフさんですね。六位の人が務めたらしいです。

弁(弁官)というのは、朝廷の最高機関「太政官」の事務官僚で四位五位相当。学識ある有能な人材がこの官に任用されていたらしいです。左右、大中少の弁があり、左中弁以上の経験者には参議に昇進する資格があったそうで、将来三位以上に昇る道が開かれた出世の登竜門でもありました。


やはり清少納言イチ押しの「祭のかへさ」の行列の時のことを書いてるようですね。
どんだけソワソワしてるのでしょうか。夏フェスとかの場所取りの感じですか? 百貨店の福袋とか、ユニクロのコラボ商品発売日とかに朝イチで並ぶ人と同じですか。

前に「祭のかへさ、いとをかし」という段がありましたが、被ってないですかね? 被ってるかどうかは引き続き読まないとわかりませんねー。
というわけで、③に続きます。

祭のかへさ、いとをかし①
https://makuranosoushi.hatenablog.com/entry/2020/10/04/121723


【原文】

 よき所に立てむといそがせば、とく出でて待つほど、ゐ入り、立ち上がりなど、暑く苦しきに困ずるほどに、斎院の垣下(ゑが)に参りける殿上人・所の衆・弁・少納言など、七つ八つと引きつづけて、院の方より走らせてくるこそ、事なりにけりとおどろかれてうれしけれ。

 

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よろづの事よりも①

 ほかのどんなことにも増して、みすぼらしい車にイケてない服装で乗って見物する人って、すごく気に入らないわ。説教なんかを聞く時は全然いいけど。仏罰を無くすためのものだからね。それでもやっぱりあんまり酷いと見苦しいっていうのに、ましてやそれで祭の時なんかは見物しないでもらいたいものよね。車に下簾も無くって、白い単衣の袖なんか垂らしてるようなのよ。私なんかその日のためにって思って、車の簾も新調して、これだったら絶対残念なことにはならないでしょ!って出かけたのに、自分のより立派な車なんかを見つけたら、何のためだったんだろ??って思うくらいなのに、ましてや、いったいどんな気持ちでそんないかさない恰好で見物するのかしら?


----------訳者の戯言---------

例によって、「行列」の見物のようです。清少納言、好きですからねー、これ。

賀茂祭葵祭)の行列はもちろんですが、「見るものは」でもいくつか紹介されていて、帝の行幸賀茂神社の臨時の祭などが挙げられていました。そして清少納言いちばんの押しは「祭のかへさ」、つまり斎王の帰還の行列でしたね。

せっかくのスペシャルなイベントの日には、おしゃれして、車もキメて行かないとだめでしょ! お寺とか行くときはま、そこそこでいいんすけど、ライブとかテーマパークとか行くときはねー、って感じですか。逆にダサい奴、ハァ?って感じ。何考えてんのかしら??という段です。
しかし相変わらずの上からですね。清少納言の本質がよく出ています。

②に続きます。


【原文】

 よろづの事よりも、わびしげなる車に装束わるくて物見る人、いともどかし。説経などはいとよし。罪失ふことなれば。それだになほあながちなるさまにては見苦しきに、まして祭などは見でありぬべし。下簾なくて、白き単衣の袖などうち垂れてあめりかし。ただその日の料と思ひて、車の簾もしたてて、いと口惜しうはあらじと出でたるに、まさる車などを見つけては、何しにとおぼゆるものを、まいて、いかばかりなる心にて、さて見るらむ。

 

枕草子 いとめでたし!

枕草子 いとめでたし!

 

 

ものへ行く路に

 どこかへ行く道の途中で、清潔感があってスリムな男が、立文(たてぶみ)を持って急いで行くのは、どこに行くんだろ?って見ちゃうわ。
 また、キレイな女の子なんかが、袙(あこめ)とか、それもすごく新しくて鮮やかに際立ってるんじゃなくて、着慣れてやわらかくなったのを着て、ツヤツヤしてる屐子(けいし)で歯に土がいっぱいついてるのを履いて、白い紙に包んだ大きな物、もしくは箱の蓋に草子なんかを入れて持って行ってたら、どうしても呼び寄せて中身を見たくなるの。
 門に近いところの前を通るのを呼び入れても、愛想もなく返事もしないで行っちゃう者は、使ってる主人の人間性が推し量られるのよね。


----------訳者の戯言---------

立文(たてぶみ)というのは、書状の形式の一つ。書状(本文を書いた書面)を「礼紙(らいし)」という別の紙で巻き包み、さらに白紙の包み紙で縦に包み、余った上下を裏側に折るものです。正式で儀礼的な書状の包み方らしいんですね。

袙(あこめ)。通常、童女は「袙(あこめ)」という着物の上に「汗衫(かざみ)」という上着を着たらしいです。バキバキの新品よりもちょっと馴染んできたのがいい、というのでしょう。ジーンズとかスニーカーとか、履きならしたのがいい、みたいなものでしょうか。

屐子(けいし)。今で言う下駄みたいなものらしいです。


一応、男前には目が行くんですね、清少納言。けど、身分低い者には大して興味はありません。

でまた、何でお前に呼び止められて入っていかんとあかんねん。って話です。
こっちも忙しいんですわ。えらい上からですなー。という心の声。
ややこしいおばちゃんに呼ばれても行ったらあかんよ、とちゃんと教育できてる主人はなかなか立派です。フフ
何で清少納言に持ってるモノ、いちいち見せなあかんねん。気ぃ悪いわ。あなたにスタッフ教育の云々を言われるのは雇用主としても心外だと思いますね。清少納言、わかってませんな。


【原文】

 ものへ行く路に、清げなる男(をのこ)の細やかなるが、立文持ちて急ぎ行くこそ、いづちならむと見ゆれ。

 また、清げなる童べなどの、袙(あこめ)どものいとあざやかなるにはあらで、なえばみたるに、屐子(けいし)のつややかなるが、歯に土おほく付きたるを履きて、白き紙に大きに包みたる物、もしは箱の蓋に草子どもなど入れて持て行くこそ、いみじう、呼びよせて見まほしけれ。

 門近(かどちか)なる所の前わたりを呼び入るるに、愛敬なく、いらへもせで行く者は、使ふらむ人こそおしはからるれ。

 

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人の家につきづきしきもの

 (それなりの)人の家に似つかわしいものっていうと…。肘を折ったように曲がってる廊下。円座(わらふだ/わろうだ)。三尺の几帳。大柄な童女。品のいい召使いの女。
 侍の控室。折敷(おしき)。懸盤(かけばん)。中の盤。衝立障子。かき板。みごとに装飾がほどこされた餌袋(えぶくろ)。唐傘(からかさ)。棚厨子(たなずし)。


----------訳者の戯言---------

人の家? 家と言えばだいたいは人が住んでるんですが? 時々は、犬さんの家とか、猫さんの家とか、二十日ねずみの家とかあります。プーさんの家とか。ミッキーの家とか。ピーターラビットの家とか、ムーミンの家もありますけど。もういいですか。

清少納言が言う家は「人」の家です。よく読んでみると、(それなりの)人、っていうことみたいですね。いつものやつです。まー言うと、清少納言的な「人」というのは、(レッキとした)人!、(まさに!)人!、(ちゃんとした)人!ってことでしょう? ひとかどの人間というか、出世した人というか、です。

「平家にあらずんば人にあらず」と後に言ったのは平清盛ですが…というのは実は間違いらしいですね。実はこれ言ったのは清盛の義理の弟の平時忠でした。この人のお姉さんというのは平清盛の継室でした。継室っていうのは後妻さんなんですね。でも側室や妾ではなく正式な奥方ですし、たぶんご存じかと思いますが、平時子という人です。さらに、平時忠の妹っていうのが後白河上皇の妃、女御ではありますが、高倉天皇の母となった平滋子(建春門院)なんですね。

てことで、平時忠は当時イケイケだったのでしょう。
「此一門にあらざらむ人は皆人非人なるべし」と言ったと、「平家物語」に書かれています。

今の感覚では「人非人」は「人間じゃねー」です。「てめえら人間じゃねー、叩き斬ってやる!!」と言ったのは破れ傘刀舟ですが(古い!昭和!)、ポケモンのタケシも言いましたよ「お前ら人間じゃねー!」。鬼滅~でも人間じゃない人=鬼、いっぱい出てきますしね。アカザも、もちろん鬼舞辻も、たまよさんもですから。あ、ねづこもですね。

めちゃくちゃ逸れましたが、元に戻ります。
当時の「人非人」は、「宮中で出世できてない人」ぐらいの意味なんですよね、清少納言の言う通り。「平家一門でなかったら、出世はできひんよ!」ぐらいの感じのほうが近いかもしれませんね。東大卒じゃなかったら、財務省では出世できへんよ!!ぐらいの感じですか? なんかヤな感じですが、でもそんなものかもしれません。

というわけで、当時の「人」についてずいぶん行数をかけてしまいましたが、そういうことなんですね。


「肱折りたる廊」っていうのは、文字通り肘を負ったみたいに折れ曲がった廊下のこと。お屋敷の広さにふさわしい廊下ってことでしょう。たしかに私の家にはないですし、曲がった廊下のあるのって豪邸だけですもんね。洋館とかでも階段上ったところからぐるっと一周の回廊をよく見ますし。あの浅野内匠頭が切りつけちゃった松の廊下も折れてます。なんか、走り回ってましたもんね。ま、あれは江戸城ですけどね、家ではないですね、城ですね。

「円座(わらふだ/わろうだ)」というのは敷物の一種だそうで、藁(わら)、がま、すげ、まこもなどを渦巻き状に平らに編んで作ったもの、とのこと。おそらく今の座布団(夏用?)に近いものだと思います。

「几帳」というのは、移動式の布製の衝立(ついたて)です。当時の間仕切り、可動式のパーテーションですね。
細かなところまできっちりしている人を「几帳面な人」と言ったりしますが、この几帳から来てるそうです。元々、几帳の柱が細部まで丁寧に仕上げてある、ということからこう言ったそうですね。
一尺≒30.30303030303…cmなので、三尺は90cmぐらいです。三尺の几帳は、室内用の几帳で、高さ三尺×幅六尺だったらしいですね。

大柄な童女。と言うと、私がすぐにイメージしたのが、ゴルフの天才少女、須藤弥勒ちゃんです。まじ天才だと思います。努力もしている感じです。しかも弥勒ですよ、みろく。名前、菩薩様ですから。昔、「山口百恵は菩薩である」ということを書いた人がいましたが、こっちはまじで菩薩です。よくわからない方はググってください。すみません。

はしたもの(端物)。意味は、中途半端なもの、はんぱもの、です。「端女(はしため)」とも言います。召使いの女性のことなんですね。こういう言葉を何気に、何の疑問もなく使う感覚が私は嫌いなんですね。多くの人は、当時はそれがポピュラーだったんだから理解せよと言いますが、仮にも言葉を生業にしているのであれば、もっとセンシティブに物事を捉え、記述する必要があるでしょう。情感豊かで、雅びやかで、最高位のかな文学? 日本の三大随筆? 稀代の女流文学者? ハァ?って感じですね。聞いて呆れます。

折敷(おしき)というのは食器を載せる四角い縁付きのお盆に脚がついた食台とのこと。お盆そのもののことを言う場合もあります。

懸盤(かけばん)は、こちらは簡単に言うと、明らかに脚付きのお膳です。脚のところがアールのデザインになってて豪華です。

「中の盤」は調べましたが、よくわからなかったです。ミディアムサイズのお膳でしょうか?
「おはらき」もよくわかりませんでした。

かき板。裁縫に使う裁ち板のことだという説があります。引出の側面の板をこう呼ぶこともあるそうです。また、昔は、書いた字を拭き消して何度も使えるようにした黒板状のものを「書き板」とも言ったらしいです。ここではどれのことを言ってるのかはわかりません。

餌袋は、2コ前の段「おほきにてよきもの」でも出てきましたね。大きい方がいいらしいですが、エエトコの家にはさらに装飾がいかしてるのがあるのでしょう。

厨子(たなずし)。厨子(ずし)というのは、仏像・仏舎利・教典・位牌などを中に安置する仏具の一種だそうですが、それが棚の形をしているのでしょうか。もしくは棚のある厨子ですか。よくわかりませんが、そういうのがあったのでしょう。

堤子(ひさげ)は、注ぎ口とつる(持ち手?)のある銀や錫製の小鍋形の器。平たく言えば、口の広いヤカンみたいな感じです。昔のものは蓋が付いてないのが多いようですね。これにお酒とかを入れて温めたりもするようです。

銚子(ちょうし)というのも、お酒などを注ぐ容器です。柄杓(ひしゃく)みたいなものですが、注ぎ口があります。実は本来の銚子というのはこの長柄の銚子というものなのですが、先に書いた平たいヤカンみたいなのを今はお銚子と呼ぶことがい多いようです。神前結婚式で三々九度のお神酒を注ぐアレです。実体は堤子(ひさげ/堤)なんですけどね。

また他方、「お銚子1本!」みたいなのことも言います。実はあれは徳利(とっくり)のことをイメージしているんですね。徳利はご存じのとおり、瓶みたいな容器です。首みたいなところがあります、あれです。だいたい飲み屋さんとかで日本酒(熱燗)を頼むとこれに入れたのが出てきます。お酒を注ぐやつ、ということでごっちゃになったのでしょう。今では徳利のことをお銚子と言っても全然間違いではありません。伝わりゃいいんです、それで。言葉なんてもの共通認識ですからね。細かいことを言ってはいけません。


というわけで、それなりに出世した人の家、っていうかお屋敷に相応しい物、者です。
今で言うなら、プール、エレベーター、吹き抜け、天窓、イームズの椅子、アイランドキッチン、美人秘書、かわいいメイド、イケメン執事、屈強なボディガード、ジャクジーヴァシュロン・コンスタンタンカルティエパテック・フィリップハリーウィンストンバーキン、ケリー、ヘレンド、マイセン、ロイヤルコペンハーゲンetc.みたいなことを書いてるわけですね。
やらしいこと極まりないです。


【原文】

 人の家につきづきしきもの 肱折りたる廊。円座(わらふだ)。三尺の几帳。おほきやかなる童女(どうによ)。よきはしたもの。

 侍の曹司(ざうし)。折敷(をしき)。懸盤。中(ちゆう)の盤。おはらき。衝立障子。かき板。装束よくしたる餌袋。傘(からかさ)。棚厨子。提子(ひさげ)。銚子。

 

まんがで読む 枕草子 (学研まんが日本の古典)

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