枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

宮仕人のもとに来などする男の

 宮中に仕えてる女房のところに来たりする男が、そこで物を食べるのは、すごくみっともないわね。食べさせる女房も全然気に入らないわ。自分を想ってるだろう女子が「やっぱり食べて」なんて気を遣って言うのを、嫌がってるみたいに口をふさいで、顔をそむけるわけにもいかないから、食べてるんでしょうね。
 すごく酔っぱらって、夜が更けて仕方なく泊まったとしても、私は湯漬けだって食べさせないわ。気遣いがないんだね、って来なくなっても、そんならそれでいいわよ。
 田舎の実家に帰ってる時に、北面から食事を出したのはどうかしら? それでもやっぱりみっともないものではあるわね。


----------訳者の戯言---------

「湯漬け」というのは、文字どおり、ご飯にお湯をかけたものです。お茶漬けではなく、白湯(さゆ)をかけたんですね。お茶は平安初期からあるにはあったようですが、まだお茶漬けはポピュラーではなかったようで。お茶漬けが一般化したのは、かなり後、室町後期らしいです。

平安時代に話を戻すと、「湯漬け」は結構手軽な食事としては普通にあったみたいです。米は甑(こしき)という蒸し器みたいなので蒸すものだったらしく、これを「強飯(こわいい)」って言うそうなんですが、硬くて粘り気のないものだったようですね。もちろん、電子炊飯ジャーとかない時代ですから、時間が経つと冷めていくし、さらに硬くなります。それに熱いお湯をかけて食べやすくしたのが、「湯漬け」なんですね。

「北面」(きたおもて)。北向き、北側の部屋のことを言います。奥の部屋ですね。寝殿造りでは、家人、女房などの部屋として使うのだそうです。
北面(ほくめん)と書いて「北面の武士」のことを言う場合もあり、「徒然草」では何度も出てきました。北面の武士というのは、院の御所の北面に詰め、院中の警備にあたった武士のことなんですが、実は白河上皇の時にできたらしいですね。清少納言の時代よりは100年くらい後です。なので、ここではもちろん北面の武士のことではありません。


彼女の家行ったとき、ご飯食べちゃダメ!!
清少納言からすると、女子のところに来てなんか食べたりする男ってどーよ。食べ物出す女もどうかと思うわ。ま、男は出されたら仕方ないから食べるしかないけどな。
という話です。
清少納言的には、湯漬けも食べさせたくないわ!! それでフラれても別にいいわ! 出すって言われても断れよ!ぐらいの勢いですね。


そして京都人の定番、「ぶぶ漬けでもどないどすか?」です。この段の話と関係あるのかどうかわかりませんが、食べてはいけないのでしょうか?ぶぶ漬け。丁重にお断りして帰ったほうがいいんでしょうか?ぶぶ漬け
私は、直接は経験ないですけど、京都でよその家行ったとき「ぶぶ漬け」ならぬ「お茶でも」「コーヒーでも」と言われた、っていう話は何回か聞きました。人からの伝聞で「あの人ほんまに飲んで帰らはったわー」という話も聞いた気が。

「都市伝説みたいなもの」という説もあるんですが、やっぱり実際にあるんでしょうか。
で、京都の人に聞いたところ、まずそもそも今の京都人はお茶漬けのことを「ぶぶ漬け」とは言わない、また、お茶を出してくれるなら、「ありがとう」って飲むらしいです。そりゃそうでしょう。
もちろん「ぶぶ漬けでもどないどすか?」の話は、あったほうがおもしろいんですけどね。しかしやはり、おそらくは京都人の言動が鼻について快く思わない人たち(大阪人?)がdisって言ったのがはじまりではないかと。そういう結論に達しました。

ただ、「外人さんみたいな恰好やね」→「ヘンテコな恰好」、「元気があってよろしね」「ピアノ上手くならはったね」→「お前んとこのガキうるさいねんボケ」というのは、あるらしいです。やっぱ怖いわ。

そういえば「徒然草」でも、「都の人は受け答えだけはいいけど、実体がともなってない」という関東人の評価があって、でも都人たちの実際は「おしなべて心が穏やかで、情深いため、人に言われたことを、きっぱり断れなくて、すべて、断り切れず、弱気に承るしかできなくて」…みたいな記述もありました。

まぁ京都の人は、過去も、そして現代に至ってもそうやって争いを避けるために婉曲な言い方をする傾向にあるのはたしかなのでしょう。ただし、それは心持ち云々ではなく、生きるための知恵、テクニックだと考える方が妥当ではないかと思います。
他者との間の距離を常に測りながら、お互いに刺激し合うことを避け、摩擦を避けるためのコミュニケーション方法を採る、それが京都の一つの文化なのでしょう。
これに加えて、「京都」という老舗ブランドへの誇り、歴史が他とは違うなどという郷土愛も加わって、ついつい態度が上から目線になるものだから、余計ややこしいことになってるんですね。長い歴史があるのは当然の事実で、それは京都にたまたま生まれたあなたの手柄ではないんですけどー…と、他都道府県民は思いますが、そういう理屈は通じません。ま、京都か否かにかかわらず盲目的な郷土愛というのは善し悪しだと思います。

と、今回は京都人分析になってしまいました。本題からかけ離れてしまいましたね。
本当のテーマは、「通ってきた男子にお食事出すのはみっともないキャンペーン」でした。


【原文】

 宮仕人のもとに来などする男の、そこにて物食ふこそいとわろけれ。食はする人も、いとにくし。思はむ人の、「なほ」など心ざしありて言はむを、忌みたらむやうに口をふたぎ、顔をもてのくべきことにもあらねば、食ひをるにこそはあらめ。

 いみじう酔ひて、わりなく夜ふけて泊まりたりとも、さらに湯漬をだに食はせじ。心もなかりけりとて来ずは、さてありなむ。

 里などにて、北面より出だしては、いかがはせむ。それだになほぞある。