枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

ふと心劣りとかするものは

 ふと、劣ってるように感じるものっていうと、男でも女でも、会話の時に下品な言葉遣いをするのは、どんなことよりもいちばんダメなことだわ。たった言葉一つで不思議なことなんだけど、上品にも下品にもなるっていうのは、どういうわけなんでしょ。で、それはそうなんだけど、こう思う私が特別すぐれてるってわけでもないのよね。何をいいとか悪いとか、わかるっていうのかしら? わかんないわよ。とは言っても、人のことはわからないけど、ただ自分の気持ち的にいいとか悪いとかは思うの。

 卑しい言葉も、悪い言葉も、そうだと知りながらあえて使うのは、悪くもないわ。むしろ自分が普段から使い慣れてる言葉を、隠さずにそのまんま言っちゃうのは、みっともないことだわね。また、そんな言葉を使うべきじゃない年老いた人や男性が、わざと取り繕って田舎っぽい感じに言ったのは不愉快。よくない言葉も、卑しい言葉も、年配の人が平気で言っているのを、若い人はすごくいたたまれなくって、身の置き所がなくなっちゃうの、当然よね。

 どんなことを言っても、「それをさせること、と、しましょう」「言うように、と、しましょう」「何々をしよう、と、しましょう」っていう「と」の文字を抜いて、ただ「言おうする」「里へ出ようする」的に言ったりするの、めちゃくちゃダメとしか言いようがないわ。ましてや、手紙に書いたりするのは言うまでもないわね。物語なんかを悪い言葉遣いで書いてあったりしたら、言うのも無駄で、作者までが不憫になるわ。「ひてつ車に」と言っていた人もいたわね。「求む」っていうことを「みとむ」なんて、みんな言うらしいの。


----------訳者の戯言---------

いみじう「かたはらいたき」ことに…と出てきました。「かたはらいたし」というのは、「気の毒」「いたたまれない」「恥ずかしい」「きまりがわるい」というニュアンスです。
かたはらいたきもの」の段をご参照いただくと、わかりやすいかもしれません。

いとほし。「気の毒」「かわいそう」という意味になります。先に出てきた「かたはらいたし」と微妙にニュアンスが違います。
勝手な解釈ですが、「傍ら」という言葉からもわかるように、(横で見てて)いたたまれない感じなのが「かたはらいたし」です。「いとほし」のほうは、そのものに対して(守るようなキモチとして)「かわいそう」「気の毒」転じて「かわいい」「いじらしい」と感じる印象がありますが、いかがでしょうか。


最近、言葉乱れてますねー、いけませんねーという話です。
品のない言葉遣い、やーね、しかもちゃんとしたオトナは言っちゃダメ、と。
といっても、自分も大したことないし、正しいかどうかはわからないけど、私の主観として良し悪しを感じるんだから仕方ないじゃない!!みたいな、言い訳までしてますし。意外と肝が据わってないというか、自信なさげなフリしながら、言いたいことそのまま書いてる感じです。

田舎っぽい言葉をわざと使うのはNGとかですね。あと、卑しい言葉、意図的に使うのはいいけど、自然に素で使うのはアカンよとダメ出し。ら抜き言葉ならぬ、「『と』抜き言葉」言ってるよー、とか。いろいろ文句つけてます。

下品な言葉っていうと、2ちゃんねるとかで、よく、氏ね、とか、バーローとか、言ってましたね。あ、2ちゃんでなくても言いますか。最近の女子高校生は一人称で「ワイ」とか「ワシ」とか言いますしね。そういう感じでしょうかね。そういうのとはちょっと違いますか。
しかし、それ、ある程度いい年齢の大人が言ってるとハズイよ。と言うのでしょうね。あ、ハズイもNGですか?清少納言的には。
失礼しました。

けど、なんか、上げ足取りっていうか、言いがかりっていうか、ですよね。
現代で言うと、「うれしい」を「うれぴ」って言ってたとか、最近だと「泣く」ことを「ぴえん」って言うとか、そういうのを嘆いてるのといっしょな気がします。別にどうってことないですし、残るものは残ります。
面倒くさいBBAになってますよ、清少納言

そういえば、徒然草でも「第二十二段 何事も、古き世のみぞ慕はしき」という段で、最近の言葉はなんだかなー、昔の方が良かったよなーみたいなこと書いていました。よろしければご一読ください。


【原文】

 ふと心劣りとかするものは 男も女も言葉の文字いやしう使ひたるこそ、よろづの事よりまさりてわろけれ。ただ文字一つにあやしう、あてにもいやしうもなるは、いかなるにかあらむ。さるは、かう思ふ人ことにすぐれてもあらじかし。いづれをよしあしと知るにかは。されど、人をば知らじ、ただ心地にさおぼゆるなり。

 いやしき言もわろき言も、さと知りながらことさらに言ひたるはあしうもあらず。わがもてつけたるを、つつみなく言ひたるは、あさましきわざなり。また、さもあるまじき老いたる人、男などの、わざとつくろひ、ひなびたるは、にくし。まさなき言も、あやしき言も、大人なるは、まのもなく言ひたるを、若き人は、いみじうかたはらいたきことに消え入りたるこそ、さるべきことなれ。

 何事を言ひても、「そのことさせむとす」「言はむとす」「何とせむとす」といふ「と」文字を失ひて、ただ「言はむずる」「里へ出でむずる」など言へば、やがていとわろし。まいて、文に書いては言ふべきにもあらず。物語などこそあしう書きなしつれば言ふかひなく、作り人さへこそいとほしけれ。「ひてつ車に」と言ひし人もありき。「求む」といふことを「みとむ」なんどは、みな言ふめり。