枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

ことにきらきらしからぬ男の

 特別キラキラしてもない男で、背の高い人や低い人をたくさん引き連れてる従者よりも、少し乗り馴らした車がすごくツヤツヤしてて、身なりのとても相応しい牛飼童が、牛にすごく勢いがあって、その牛に遅れるように綱に引っ張られて車を進めてるのね。
 で、スレンダ―な男が、裾濃(すそご)っぽい袴で二藍か何かのをはいて、上着はなんてったって掻練(かいねり)、山吹色なんかを着てる者が、沓(くつ)はすごくピッカピカのを履いて、車輪の真ん中近くを走ってるのは、かえって奥ゆかしく見えるわね。


----------訳者の戯言---------

きらきらし。前も書いたんですが、こういう形容詞が昔はよくあるんですよね。漢字では「煌煌し」で、意味は、「光り輝いている」「きらきらしている」です。擬態語、オノマトペと形容詞が合致している語ですね。これについては「えせものの所得る折」にも書きましたので、よろしければご覧くださいね。

裾濃(すそご)も以前、出てきたことがあります。文字どおりなんですが、裾が徐々に濃くなっていくグラデーションです。

二藍(ふたあい)は、藍+紅=つまり紫系の色に染めた生地のことを言うそうですよ。
藍の上に紅花を染め重ねたんですね。二藍という名前も、昔は紅のことを「紅藍」と書いて「くれない」と読んだから、藍+紅藍=二藍なんです。
何回か書きましたが、紫色は希少で高価、高貴な色とされていました。それはやはり希少な紫草の根(紫根)で手間をかけて染めていたからなんですね。
先にも書いたように、この二藍のほうは、紫草を使わずに藍と紅を使った合わせ技ですから、少し安価というかカジュアルだったんでしょうね。とは言いましても、ユニクロのカシミアぐらいには贅沢なんじゃないかな。あるいは、カニカマぐらいには美味しいと思います。例えがわかりにくいですね、すみません。

掻練(かいねり)というのは、掻練襲(かいねりがさね)のことです。砧(きぬた)でよく打って、練ったり、糊を落として柔らかくした絹織物のことなんですが、特に紅色のものについて言うことが多いようですね。並列で「山吹」と書かれてますから、色を表してるのかもしれません。

つまり、スレンダーな従者が、二藍のパープル系のグラデ―ションのボトムスに、紅色か山吹色のトップスを着てて、靴はピカピカ!
私、コーディネート的にはパープル+山吹色のほうがいいですね。ただ、袴がグラデーションですから、紅でもいい感じには決まります。
細身と言うと、生田斗真とか松潤とかですか。もういい歳ですね。伊野尾とかですか。キンプリ永瀬廉かな。いずれにしても、そんなシュッとした男のコがオシャレに決めてる感じでしょうか。

原文にある 「なかなか」というのは、「なかなかいいじゃん」の「なかなか」ではありませんよ。現代語にする時は「かえって」「むしろ」「なまじっか」です。
前に「さうざうし」という言葉が出てきましたが、これも「騒々しい」ことを表すものではありませんでした。「索々し」で、「物足りない」「心寂しい」という語でしたね。これ、試験に出るやつと書きましたが、同じく「なかなか」も要チェックワードです。ひっかからないように。

筒(どう)というのは、こしき(轂)のことです。轂というのは牛車の車輪の中央にある円木。わかりやすく言うと、自転車とかの車輪のハブ(hub)です。円形または放射状の回転部品における軸付近の部位ですね。ややこしいですか? 元々は車輪のスポークを車輪中心で放射状に固定する部品なんですよね。よけいややっこしいかな。
ハブ空港とか言う時の、あのハブですね。それが筒(どう)なのです。一周半ぐらい回った感じの持って回った説明。どーだ。

結局、スマートな男子が、牛車に従って走ってたのが、奥ゆかしく思えたんでしょうかね。前々段から続いてたのか?


【原文】

 ことにきらきらしからぬ男の、高き、短かきあまたつれだちたるよりも、少し乗り馴らしたる車のいとつややかなるに、牛飼童、なりいとつきづきしうて、牛のいたうはやりたるを、童は遅るるやうに綱引かれて遣る。

 細やかなる男の裾濃だちたる袴、二藍か何ぞ、かみはいかにもいかにも、掻練、山吹など着たるが、沓のいとつややかなる、筒(どう)のもと近う走りたるは、なかなか心にくく見ゆ。

 

 

五月の長雨の頃

 五月の長雨の頃、上の御局(みつぼね)の小さい扉の簾に、斉信(ただのぶ)の中将が寄りかかっていらっしゃった、その香りはほんとに素敵だったわ♡ 何の香りかはわからないの。だいたい、雨で湿ってて、艶(なま)めかしい雰囲気っていうのは珍しくもないことなんだけど、でも、どうして言わないでおくことができるかしら?(思わず言っちゃうのよね) 翌日まで御簾に深く染み込んでたのを、若い女房たちが、他とは比べようもないくらい素敵!って思ったのは、当然のことよ。


----------訳者の戯言---------

五月の長雨というのは、ご存じのとおり梅雨のことです。なので、私たちは脳内で、「じめじめ鬱陶しい梅雨」に変換して読まなければいけません。この段、梅雨時の話ですからね、梅雨。
今日は2020年7月20日ですが、旧暦ではまだギリギリ5月です(明日が旧暦6月1日)。最近は7月下旬まで梅雨が続きます。しかも集中豪雨も多い気がしますしね。ちなみに私の住んでいる地域では、梅雨明けはまだ先のようです。

五月が終わると六月(水無月)となります。旧暦の水無月(6月)は、今の暦で言うと7月頃を中心に遅い年は8月の後半にかかる年もあるんですね。梅雨が明けて盛夏となる時期です。今年は8月18日まで旧6月(水無月)です。水無月というから水が無い月なのかというと、そうではありません。むしろ、「水の月」→「水(み)な月」から来ているとする説が強いようです。つまり、田植え後に田に水を張って満たす頃を表しているようなんですね。

ちょっと待てよ。田植えってもっと前でしょ。たしか梅雨よりは前でしょ?と思ったら、今はやはり5月始め頃が主流でした。が、昔はやはり梅雨時期、夏至くらいにしたようですね。
昔は灌漑が十分でなく、水稲栽培においては雨だけが頼りだったようで、梅雨入りして田に水が溜まってくるのが夏至の頃だったわけです。田植えを終えた後、しばらくは田に水を張る時期になります。これが「水無月」の頃だった、ということなのでしょう。

話を戻します。
上の御局(みつぼね)。上局(うへつぼね)とも言います。宮中で、后(きさき)、女御、更衣などが、普段使いの部屋のほかに、天皇の御座所の近くに特別に与えられた部屋だそうですね。清涼殿には弘徽殿と藤壺の二つの上局がありました。

そして、またまた出ました。
斉信(ただのぶ)の中将。藤原斉信です。男前にしてエリート、センスも抜群のモテモテ男子ですね。
そしてさらに。前の段の続きでしょうか。香り? 所謂、お香ネタが混じっています。さすが、斉信サマ、香、薰物(たきもの)に関してもスキがないですね。今で言うなら、つけてる香水とかオーデトワレもいかしてるモテ男ということなのでしょう。
女子たちみんな、どんだけ斉信好きやねん!っていう話です。


【原文】

 五月の長雨の頃、上の御局の小戸の簾に、斉信の中将の寄りゐ給へりし香は、まことにをかしうもありしかな。その物の香ともおぼえず。おほかた雨にもしめりて、艶なるけしきのめづらしげなきことなれど、いかでか言はではあらむ。またの日まで御簾にしみかへりたりしを、若き人などの世に知らず思へる、ことわりなりや。

 

 

心にくきもの④ ~内裏の局などに~

 宮中の局なんかに、打ち解けてるって思われるとマズい男性が来てるから、私の部屋の灯は消してるんだけど、傍らにある灯の光が何かの物の上とかから差し込んで、さすがに物の形はほんのり見えてしまうから、背の低い几帳を引き寄せてね。ホント昼間は絶対に向き合うこともない二人だから、几帳のところに寄り添って横になってうつむいて。傾いた髪形の様子は隠しきれないみたいね。直衣や指貫とかは、几帳にかけてあるの。
 六位の蔵人の青色の袍ならしっくりくるでしょ。でも緑衫(ろうそう)だったら、後ろの方にくるくるっと丸めておいて。未明になっった時、探しあてることができないで戸惑うことになるでしょう!!

 夏も冬も、几帳の片側に着物を掛けて人が寝ているのを奥から突然見てしまった時も、すごくいかした感じに思えるわね。
 薫物(たきもの)の香りは、すごく奥ゆかしいの。


----------訳者の戯言---------

「几帳」また出てきました。毎度のことですが、移動式の布製の間仕切り、パーテーションです。

「六位の蔵人の青色」と出てきました。
蔵人は、青色の服(袍=上着)を着てたらしいです。そのためか、蔵人のことを「青色」と呼ぶこともあったようですね。この「青色」というのは実はブルー系ではないらしいです。「麹塵(きくじん/きじん)」と言われる色で、カーキというか、サンドベージュというか、濁った緑という感じです。
「淵は」という段でも書きましたが、当時は「青」というと白と黒の間の広い範囲の色で、主としては青・緑・藍をさしていたらしいです。

「緑衫(ろうそう/ろくさん)」は六位の役人全般が着ていた着物の色だそうです。こちらは深緑というかビリジアンに近い色です。こっちのほうがキレイな色だと個人的には思いましたし、当時の色の呼び方の定義からすると、青ということにもなりそうなんですけどね。ま、麹塵なんでしょう、ここで言いたい青っていうか、当時のステキな青は。六位の蔵人は、六位の人の中でも出世頭というか、有望というか、名誉な職とされているんですが、普通の六位は下級役人扱いなんですね、同じ六位なのに。

枕草子の中でも清少納言はやたらと「六位の蔵人」やこの「青色」を賞賛するんですよ。はっきり言って特別扱いです。

なお、六位の蔵人(六位蔵人)については、「六位の蔵人などは」にもう少し詳しく書いてあります。よろしければご参照ください。

「かいわぐむ」は「搔い綰む」と漢字で書くらしい。「たぐり寄せて丸める」ことだそうです。

薫物(たきもの)というのは、香をたいてその香烟(香煙)を衣服、頭髪、部屋などにしみこませること、また、その物自体を言います。香のことを指す場合もあるようですね。

心にくきもの=奥ゆかしいもの、の段、④最終回となりました。

昼間は気安く話せないけど、夜には部屋を訪れる関係の男性との「心にくき」逢瀬の様子を隣の部屋から観察する清少納言。外からは見えないようにと少々の気遣いはするけど、自身はきっちり覗き見的行為しているという矛盾。しかも、勝手に男の衣服を取って…いいのか?

女房の局に通ってきた男子は着物を脱いで几帳に掛けておくというのが普通だったようですね。
しかし、やはりと言うか、六位蔵人(の青色の上着)は几帳に掛けててヨイ彼氏だけど、フツ―の六位の下級役人(の緑衫の上着)はクラス的にアカン奴だから、丸めて隠しといてやれー、帰る頃になって慌てるのおもしれーからナー、ってめちゃくちゃ性格悪くないですか?
職業差別というか、階級差別というか、職位で人に対する扱いを変えるという最低な行為に及んでいますよ、清少納言。「下級役人の男にはこれぐらいのことしちゃっても全然おけ」って、ハラスメントを全肯定。しかも自分の彼氏とかでもないのに。コンプライアンス的にいかがかなと思いましたね。

香を焚きしめたのが、奥ゆかしくていかしてるー、とか今さら言われても全然響きませんよ、私は。


【原文】

 内裏の局などに、うちとくまじき人のあれば、こなたの火は消ちたるに、かたはらの光の、ものの上などよりとほりたれば、さすがにもののあやめはほのかに見ゆるに、短かき几帳引き寄せて、いと昼はさしも向かはぬ人なれば、几帳のかたに添ひ臥して、うちかたぶきたる頭つきのよさあしさは隠れざめり。直衣、指貫など几帳にうちかけたり。

 六位の蔵人の青色もあへなむ。緑衫(ろうさう)はしも、あとのかたにかいわぐみて、暁にもえ探りつけでまどはせこそせめ。

 夏も、冬も、几帳の片つ方にうちかけて人の臥したるを、奥のかたよりやをらのぞいたるも、いとをかし。

 薫物の香、いと心にくし。

 

枕草子 いとめでたし!

枕草子 いとめでたし!

 

 

心にくきもの③ ~殿ばらなどには~

 身分の高い男性たちにとってみたら、奥ゆかしく思える新人の女房で、特に目をかけるほどの身分じゃない人なんだけど、やや夜が更けて参上したら、衣擦れの音が心惹かれる感じで、すり膝で進んでって定子さまの御前に侍ってて、定子さまが何か少しだけおっしゃったら…子どもみたいに遠慮がちで、返事の声の感じも聴こえそうもないくらいでね。すごく静かなのよ。
 女房がそこかしこに集まって座って、おしゃべりしてて、定子さまの御前を下がったり参上したりする衣擦れの音なんかはそんなに大きくないけど、あの人なんだね、ってわかるの。すごく奥ゆかしく感じるわね。


----------訳者の戯言---------

「殿ばら」とは、方々。殿たち。殿様方。身分の高い男性たち、また武士たち。をいう尊敬語だそうです。「殿方」って言うと、現代では男性について艶っぽく言う時に使ったりします。初期の壇蜜語ですね。「殿様」と言ってしまうとニュアンスとしては、江戸時代の大名になりますし。「殿」ってやっぱり時代劇なんですよ、現代人からしたら。もっと言うと、バカ殿です、志村の。亡くなりましたけど。
もしくはちょっと前、オフィス北野の頃、軍団とからんでた頃のたけしとかですね。

つまり、壇蜜かバカ殿かたけし。バラエティ色がめちゃくちゃ強い。それか時代劇。松平健とか渡辺謙とかですか。高橋英樹とか。もうちょっと若くて、モックンとかですかね。本田博太郎とかもアリですか。
「殿ばら」ね、なんとなく雰囲気はわかるんですが、訳し方、表現方法には困りますね。

「うちそよめく」の「そよめく」は、風とかが吹いて、さわさわと音がすることを表したようです。もう一つは、衣擦れや人の騒めきなどでかすかな音がするのをこう表しました。「うち」は接頭語です。

「おとなひ」は「音なひ」で、「音」「響き」、「様子」を言うこともあるそうです。「騒ぎ」「評判」を表現する場合もあったり。「訪ひ」の字をあてることもあるようで、これは「訪れ」の意味となるようです。
ここでは「音」のようですね。

なんか、ちょっと飽きてきましたが、「奥ゆかしいもの」あるあるです。
ん?あるあるですか? 全然共感しませんけどね。ま、今とは環境が違いますから、当然です。新人さんが遠慮がちなのもわかりますが、それはいつの世も同様です。そういう人もそうでない人もいるでしょう。

やたら衣擦れが出てきます。たぶん、静かな時に人が行き来すると、それが気になるのでしょう。YouTubeにアップされてるASMRにも「衣擦れの音」っていうのがありました。現代に清少納言がいたら、絶対これ好きでしょうね。というか彼女、ASMRにハマるタイプかもしれません。

というわけで、ひっかかるところもあまりないまま、④に続きます。


【原文】

 殿ばらなどには、心にくき新参(いままゐり)のいと御覧ずる際にはあらぬほど、やや更かしてまうのぼりたるに、うちそよめく衣のおとなひなつかしう、ゐざり出でて御前に候へば、ものなどほのかに仰せられ、子めかしうつつましげに、声のありさま聞こゆべうだにあらぬほどにいと静かなり。女房ここかしこにむれゐつつ、物語うちし、下りのぼる衣のおとなひなど、おどろおどろしからねど、さななりと聞こえたる、いと心にくし。

 

枕草子 (岩波文庫)

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  • 作者:清少納言
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心にくきもの② ~夜いたくふけて~

 夜がとても更けて、定子さまもお休みになられて、女房たちがみんな寝てしまった後、外の方で殿上人なんかがお話をしてたら、奥で碁石を碁笥に入れる音が何回も聴こえるの、すごく奥ゆかしいわ。火箸をそっと灰に突き立てる音をを、まだ起きてたんだわ、って聞くのも、とても素敵な心地がするわね。やっぱり、夜に眠らない人は奥ゆかしいのよ。人が横になってるのを、物を隔ててる時、夜中なんかにふと目を覚まして聞くと、起きてるっぽいわ、ってわかって。でも話してることは聞こえなくって、男性もひっそりと笑ってるものだから、何を話してるのかしら?って、知りたくなるわ。

 また、定子さまもいらっしゃって、女房とかが侍ってるんだけど、殿上人や典侍(ないしのすけ)なんかの、こっちが恥ずかしくなるくらい立派な方たちが参上した時、定子さまの近くでお話などをなさる間は、明かりも消してるんだけど、長炭櫃の火で物の区別もはっきり見分けられるの。


----------訳者の戯言---------

笥(け)というのは、何ぞ?と思い、調べてみました。食べ物を入れる器だそうです。そういえば、「家にあれば笥に盛る飯を草枕旅にしあれば椎の葉に盛る」という歌がありました。たぶん、学生時代の古文の授業で習ったかと。万葉集の歌です。
ですが、食器の意味だけでなく、物を入れる容器のことも「笥」と言うんですね。碁石を入れるものは「碁笥(ごけ)」と言うそうです。奥の方で、誰かが碁を打っているのでしょうか。

夜、眠らない人は奥ゆかしいそうです。ゲームとかYouTubeで夜更かししてもおkですか? なわけないよね。

では、その昔、「夜」というのはいつからいつまでなのでしょう?
前に朝について調べたら、「暁」というのは未明のことでした。
「宵」は日が暮れてから間もない頃、日没後1時間ほど、と以前に書いたこともあります。
もちろん季節によってもかなり違いますから、時刻、時間帯で表すのは難しいんですが、夜について調べてみました。

●暮(17~19時)日没前後のことだと思います。所謂夕暮れです。
●宵(17~21時)日没から1時間ほどを言ったようです。まだまだ宵のうち、ですね。
●夜(21~23時)宵を過ぎたあたりから、夜になるようです。
●真夜(23~1時)読み方としては「まよ」です。岡本真夜と同じですね。TOMORROWの。「涙の数だけ強くなれるよ アスファルトに咲く花のように」の人です。実はGoogleで「真夜」を検索するとやたらと岡本真夜が出てきます。またまた話がそれましたが、夜の真ん中を「真夜」言ったらしいです。0時前後です。
●夜(1~3時)真夜を過ぎると夜に戻ります。っていうか、21時~3時くらいが夜で、その真ん中あたりを「真夜」と言うんですね。
●暁(3~5時)暗いうちの夜明けを言うようですね。夜が終わった後。「あけぼの」よりは前でしょうか。現代語で言うと、未明というニュアンスです。

以上でした。やはり「夜」(3時くらいまで)起きてるのが、清少納言的に奥ゆかしいようですね。私も奥ゆかしく、ドラクエでもやるようにします。

長炭櫃。長い炭櫃です。
床(ゆか)を切って作った四角の炉。囲炉裏でしょうか。もしくは、部屋に据えつけた角火鉢。と言われています。現代で言うところの、ビルトイン、作り付け、ですね。よくインテリアをビルトインにすべきか否かと議論されますが、イニシャルコスト、メンテナンスコストを考えて選びましょう。余計なお世話ですが。

あやめ。漢字では「文目」と書きます。模様、物の形・色の区別、筋道、といった意味があるようです。

PCで「あやめ」と入力して変換すると「菖蒲」と出ます。「しょうぶ」と入力して変換しても「菖蒲」と出ます。では「あやめ」と「しょうぶ」同じものなのでしょうか? 否。全く違います。漢字は同じですが、違うんですね。ややっこしい。
「しょうぶ」はショウブ目ショウブ科のショウブ属の植物。「あやめ」「花菖蒲」「かきつばた」は、キジカクシ目アヤメ科アヤメ属なんです。ね?

ね?って言われてもー。とは思いますが、所謂、五月の節句は菖蒲の節句ですから、花菖蒲やあやめ、かきつばた的な花は、本来の意味からすると登場するものではありません。「菖蒲湯」の菖蒲はショウブ科のショウブです。が、現代はこれを混同するようになっています。端午(菖蒲)の節句に花菖蒲やあやめを飾るというのはポピュラーになりつつありますね。花を咲かせる時季も同じ頃ですし。

で、文目(あやめ)とどう関係があるのかというと、無くはないのです。ショウブ科のショウブの花には模様がしっかりとありますし、そもそも和語で「あやめぐさ」と言われていたのがこの植物だったそうですから。
アヤメ科アヤメ属「あやめ」がなぜ「あやめ」になったのかは諸説あるようですが、名前について言うと結果的には本家を乗っ取った形になっています。「花菖蒲」のほうは、「菖蒲」に葉っぱが似ているけれど美しい花が咲くということでこの名前になったようです。これも本家由来ですね。

言葉もそうですが、文化も時代とともに変わって行くものです。私はそれでいいと思います。
で、あやめと言えば、ZOZOTOWNのあの方のあの人なんですが、ちょっとそこまで書くのはやりすぎですし、書き始めると行数も莫大に費やしてしまいますから、今回はやめておきます。またの機会に。

夜。結構平安貴族の男女は夜更かしのようです。概ね静かなんですが、おしゃべりしたり、なんかゴソゴソやっているようでもあります。
こういうのが、宮中における「奥ゆかしい」感じなんですかね。
今回は、あやめ、菖蒲のことについて書き過ぎました。すみません。
③に続きます。


【原文】

 夜いたくふけて、御前にも大殿籠り、人々みな寝ぬる後、外のかたに殿上人などのものなどいふに、奥に碁石の笥(け)に入るる音あまたたび聞こゆる、いと心にくし。火箸を忍びやかに突い立つるも、まだ起きたりけりと聞くも、いとをかし。なほ寝(い)ねぬ人は心にくし。人の臥したるに、物へだてて聞くに、夜中ばかりなど、うちおどろきて聞けば、起きたるななりと聞こえて、いふことは聞こえず、男も忍びやかにうち笑ひたるこそ、何事ならむとゆかしけれ。

 また、主もおはしまし、女房など候ふに、上人(うへびと)、内侍のすけなど、はづかしげなる、参りたる時、御前近く御物語などあるほどは、大殿油も消ちたるに、長炭櫃(すびつ)の火に、もののあやめもよく見ゆ。

 

まんがで読む 枕草子 (学研まんが日本の古典)

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心にくきもの①

 奥ゆかしいもの。物を隔てて聞いてたら、女房とは思えない手の音が、ひっそりと素敵な風に聴こえたんだけど、答えは若々しい感じで、衣ずれの音をさせて参上する気配。物の後ろや障子とかを隔てて聞いてたら、お食事をなさる頃なのかしら、箸や匙なんかの音が入り混じって鳴ってるの、いい雰囲気あるのよね。提子(ひさげ)の持ち手部分が倒れて横になった音にも、耳がとまっちゃうわ。

 よく打ちならしてツヤを出した衣の上に、邪魔をする感じじゃなく、髪が振りかかったことで、その長さを推し量ることができるわね。すごく調度が整ってる部屋で、明かりは灯さないで、炭櫃(すびつ)なんかにたくさんおこした火の光だけが照り輝いてて、そこに御帳台の紐とかが艶やかに見えてるのは、すごく素晴らしいの。御簾が帽額(もこう)や総角(あげまき)結びなんかのところに巻き上げられて、それを掛けてる鈎(こ)がくっきり際立ってるのが、はっきり見えるわ。立派に拵(こしら)えられた火桶の、灰の縁のところがキレイになってて、おこした火で内側に描いてある絵なんかが見えたのは、すごく素敵。火箸がとてもくっきりと艶やかに光って、斜めに立てられてるのも、すごくいい感じなの。


----------訳者の戯言---------

「心にくし」というのは、「奥ゆかしい」「心が引かれる」ことを形容する言葉だそうです。今は、「心憎い」って言うと、憎ったらしいぐらいイカしてるとか、腹立つぐらいカッコイイとかの感じですけれどね。似ているようですが、微妙にニュアンスが違います。

そよめきたる、と書いてますが、「そよめく」とは?
一つは、風とかが吹いて、さわさわと音がすることを表したようです。もう一つは、衣擦れや人の騒めきなどでかすかな音がするのを、こう表したようですね。

「ひさげ」というのは「提子」と書くそうです。注ぎ口とつる(持ち手?)のある銀や錫製の小鍋形の器だったようですね。平たく言えば、口の広いやかんみたいな感じ。昔のは蓋が付いてないのが多いみたいです。

「打つ」という言葉は、めちゃくちゃ用例があるので、めんどくさいワードだと思いました。
現代でも、柱やドアで頭を打つ、釘を打つ、野球でボールを打つのもそうだし、キーボードも打つですし、博打も打つですからね。
ムチも打ちますし、蕎麦も打ちます。心や胸も打つことがあります。
「打つべし!」と言ったのは、ジョーというボクサーでした。辰吉ではありませんよ。が、調べたら、違いましたね。細かいようですが、丹下段平というおっちゃんがジョーに送ったハガキに書いてあった言葉のようです。フィクションですが。

昔も同様というか、もっとたくさんの用例があったかもしれません。
布とか藁などを叩いて、つやを出したり、やわらかくしたりするのも「打つ」の一つだったというわけですね。

帽額(もこう)というのは、御簾をかける時、上側の長押に沿って横に張った幕のことです。

総角(あげまき)は元々は、髪型です。別名・みずら(角髪/美豆良)で、「御形の宣旨の」という段は、この「みずら」の髪型の子どもの人形をつくって…という話でした。
総角(あげまき)=角髪(みずら)というのは、古代の神様とかが結ってた感じの、あの髪型で、センター分けにして、顔の両側、耳のところに、括った髪を長細い耳みたいにしてセットしたやつですね。

ここで出てきたのは、「総角結び」のことのようです。御簾のところにあるものですから、最初は何で結った髪が出てくるのかわからなかったんですが、そういう飾り結び、装飾結びがあるようですね。
一結びしただけの二つの輪を互いにくぐらせて結んだもので、シンプルだけどきれいな結びです。御簾を巻き上げる紐の飾り、あるいは御簾の上部に垂らす飾りになっていたかなりポピュラーなもののようですね。
で、鈎(こ/かぎ)ですが、御簾っていうのは所謂「すだれ」ですから、開ける時は上にクルクルっと巻き上げます。今の感じで言うと、ロールアップスクリーンですから、そのロールの部分を引っ掛けるのが鈎なんですね。金具ですが、Jの字型をしていて、御簾の上部の左右に1コずつ、計2コ付いてます。

火桶っていうのは火鉢みたいなもんだそうですが、木製だったらしいです。この段に書かれていることからもわかりますが、当時は内側に絵が描かれているものがあったようですね。
火桶については、枕草子で最も有名な、いちばん最初の「春はあけぼの」の段でも、「火桶の火も白き灰がにちに なりてわろし」とありました。

さて今回は、奥ゆかしいもの、というテーマです。
騒々しくなく、ビジュアル的にド派手でもなく、しかし完全にし~んとしているわけではなくて、物静かな感じではあるけれどほんの少し音がしたり、ピンポイントで際立ってくるビジュアル的要素があったりしながら、物事が行われていく感じです。そうですね、たしかに、これを奥ゆかしい、と言うなら、そうなのかもしれません。

さて、この後どう展開していくのでしょうか? ②に続きます。


【原文】

 心にくきもの もの隔てて聞くに、女房とはおぼえぬ手の忍びやかにをかしげに聞こえたるに、答へわかやかにして、うちそよめきて参るけはひ。ものの後ろ、障子などへだてて聞くに、御膳(おもの)参るほどにや、箸・匙(かひ)など、取りまぜて鳴りたる、をかし。ひさげの柄の倒れ伏すも、耳こそとまれ。

 よう打ちたる衣の上に、さわがしうはあらで、髪の振りやられたる、長さおしはからる。いみじうしつらひたる所の、大殿油は参らで、炭櫃などにいと多くおこしたる火の光ばかり照り満ちたるに、御帳の紐などのつややかにうち見えたる、いとめでたし。御簾の帽額・総角(あげまき)などにあげたる鈎(こ)の際やかなるも、けざやかに見ゆ。よく調じたる火桶の、灰の際(きは)清げにて、おこしたる火に、内にかきたる絵などの見えたる、いとをかし。箸のいときはやかにつやめきて、筋交ひ立てるも、いとをかし。

野分のまたの日こそ

 野分(のわき=台風)の翌日はっていうと、すごく風情があっていい感じなの。立蔀(たてじとみ)や透垣(すいがい)なんかは乱れてて、庭の植栽もめちゃくちゃ痛々しい感じ。大きな木々も倒れて、枝とかも風の勢いで折れちゃってるのが、萩や女郎花(おみなえし)なんかの上に横たわってるのは、全然思っても無かったこと。格子のマスなんかに木の葉をわざわざ詰め込んだみたいに、細かく吹き入れてるのは、荒かった風のせいだとはとても思えないほどなの。

 とても濃い紫の衣で光沢がなくなってるのに、黄朽葉の織物や薄物とかの小袿(こうちき)を着てる、ホント綺麗な人が、夜は風が騒がしくて眠れなくって、そのせいでかなり寝坊して起きてきて、母屋からすり膝で出ていく姿ときたら、髪は風に吹き乱されて、少しふくらんでて肩に掛かってるんだけど、それがホントに素敵なのよ!!

 しみじみとした雰囲気で、外を眺めて、「むべ山風を」なんて読み上げたのも、相当センスあるんじゃ?って思うんだけど、17、8歳くらいかしら? お子さまじゃないけど、それほど大人には見えない人が、生絹の単衣で、結構ほころんじゃってて、花色があせて濡れてるような感じの薄い紫色の夜着を着てて、髪は艶がよくって、隅々まで手入れが行き届いててキレイでね。髪の毛先のほうもススキのようで身の丈くらいの長さだから、着物の裾に隠れて、袴のところどころから髪が見えるの。そんな彼女が、童女若い女房たちが根っこごと台風の風で折られた草木をあちこちで拾い集めては、植え直したりしてるのを、うらやましそうに簾を押し出して簾に身体をくっつけて見てるの、その後ろ姿も、素敵だわね。


----------訳者の戯言---------

「立蔀(たてじとみ)」というのは、「縦横に組んだ格子の裏に板を張り衝立(ついたて)のように作って屋外に置いて目隠しや風よけとしたもの」と、コトバンクに書いてありました。透けてないパーテーション的なものです。

「透垣(すいがい)」というのは、板または竹の垣根。間を透かして作った垣根ということになります。

黄朽葉の織物と出てきました。「黄朽葉(きくちば)」ですが、お察しのとおり、黄色く枯れた葉っぱの色です。黄褐色、黄土色ですね。

小袿(こうちき)は、平安時代以降の女房装束で、所謂十二単 (じゅうにひとえ) の略装です。唐衣と裳の代わりに表着 (うわぎ) の上に着たものなんですね。準正装で、日常着でもあったようです。今で言うとスーツではなく、ワンピースみたいな存在でしょうか。

出ました「むべ山風を」。
まさか、ここで出てくるとは! 私、完全にネタかぶりしてるじゃないですか。3コ前の記事「風は」でこのネタ書いてしまってます、どうするんですか。
仕方ないのでもう一回やりますか。せめてもう少し開いてるといいんですが、恥ずかしすぎます。

というわけで、この歌。
「吹くからに 秋の草木の しをるれば むべ山風を 嵐といふらむ」(吹いたらすぐに秋の草木がしおれてしまうから、なるほど、山風を嵐っていうんだろうね)という文屋康秀(ふんやのやすひで)という人の和歌です。
9世紀(800年代)の人だったので、ここでは古歌とされています。小野小町と親しかったらしく、そのことについては「風は」に書きましたのでご覧ください。
山+風だから嵐!! まあ、気が利いてるような、ダジャレというわけではないけど、おー上手いこと言いましたーぐらいの感じです。そんなにおもしろくないけど、平安時代前期のレベルですから。第七世代ならまだしも。で、第七世代って何やねん!

気を取り直して。
若い女の子が着ていた衣の「花」→花色のこと。花の色ですから、ピンクとかを想像しますよね。日本で花、とくに古典では桜ですから。が、しかし、色になると青なのだそうです。「花色」は、もともと鴨頭草(つきくさ/月草=露草の古名)の花の青い汁で染めていたことに由来するそうで。ややっこしいですね。

尾花というのは、ススキ(薄)の別名だそうです。
私が知っている尾花はベイスターズの監督だった人ですが、ここから話を広げ出すとどこに行くかわかりません、どうしましょ、ほどほどにしませんとね。というわけで、別の視点から。尾花監督の娘さんは尾花貴絵っていうオスカー所属の女優さんなんですが、元AKBの倉持明日香と仲がいいらしい。ご存じのとおり、父親が元ロッテの倉持明っていうことで、共通点あるからでしょうか。
たしかに、プロスポーツ選手のお嬢さんが芸能界に入るのはよくある話です。中でも筆頭は、長澤まさみでしょうね。デビューした頃は、「あの長澤監督の娘が女優になったらしい」って言ってましたもの。それが今では、「長澤まさみのお父さんはサッカーの有名な選手だったらしい」ってなってますから。そういえば福山雅治の奥さん、吹石一恵もお父さんが近鉄のコーチでしたね。
結局、どんだけ逸れとるねん!!

戻ります。
薄(すすき)です。髪の裾の様子をススキで表現するというのは珍しい。私には実感が…全然ありませんが、それもまあアリでしょう。感覚的な文章、感覚的文学というのは、そういうものです。

というわけで。
台風の翌日のそこら辺の情景を描いている段です。ま、何とはなしにわかります。風雨は過ぎ去って、何もなかったような天気だけど、あたりは全く違った様子に変わり果てている、というあの感じですね。
後半では、若い、いい感じの、おそらく身分の高いであろう女性の様子を描いています。台風の翌日の風情のある情景の中にいる高貴な女性もまた、よろしいのですわ、というところでしょう。


【原文】

 野分のまたの日こそ、いみじうあはれにをかしけれ。立蔀、透垣などの乱れたるに、前栽どもいと心苦しげなり。大きなる木どもも倒れ、枝など吹き折られたるが、萩・女郎花(をみなへし)などの上によころばひ伏せる、いと思はずなり。格子の壷などに木の葉をことさらにしたらむやうに、こまごまと吹き入れたるこそ、荒かりつる風のしわざとはおぼえね。

 いと濃き衣のうはぐもりたるに、黄朽葉の織物、薄物などの小袿着てまことしう清げなる人の、夜は風の騒ぎに寝られざりければ、久しう寝起きたるままに、母屋(もや)より少しゐざり出でたる、髪は風に吹きまよはされて少しうちふくだみたるが、肩にかかれるほど、まことにめでたし。

 ものあはれなるけしきに、見出だして、「むべ山風を」など言ひたるも心あらむと見ゆるに、十七八ばかりにやあらむ、小さうはあらねど、わざと大人とは見えぬが、生絹の単衣のいみじうほころび絶え、花もかへり濡れなどしたる薄色の宿直物を着て、髪、色に、こまごまとうるはしう、末も尾花のやうにて丈ばかりなりければ、衣の裾にかくれて、袴のそばそばより見ゆるに、童べ・若き人々の、根ごめに吹き折られたる、ここかしこに取り集め、起こし立てなどするを、うらやましげに押し張りて、簾に添ひたる後手も、をかし。

 

枕草子 (岩波文庫)

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  • 作者:清少納言
  • 発売日: 1962/10/16
  • メディア: 文庫