枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

九月つごもり、十月の頃

 9月末から10月にかけての頃、空が曇ってきて、風がすごく騒がしく吹いて、黄色になった葉っぱがひらひらと散って落ちるのは、すごくしみじみと風情を感じるわ。桜の葉、椋(むく)の木の葉は特に早く散ってしまうの。
 10月頃に、木立の多い家の庭は、とてもすばらしいのよ。


----------訳者の戯言---------

旧暦の9月末~10月というと、11月に差しかかりますから、ほぼほぼ冬。初冬です。
「九月つごもり、十月一日の程に」というフレーズが以前出てきました。「あはれなるもの」という段の中ですが、この頃のコオロギの鳴き声が切なくていい、という風に出ています。ご参照ください。

木々が紅葉し、落葉するさまが良いというわけです。私は「落葉」というと、上田敏の「落葉」ですね。ヴェルレーヌのを訳したものですが、好きですね。名作にして名訳です。ちょっと書かせてください。↓

落葉(らくえふ)

秋の日の
ヴィオロン
ためいきの
身にしみて
ひたぶるに
うら悲し。

鐘のおとに
胸ふたぎ
色かへて
涙ぐむ
過ぎし日の
おもひでや。

げにわれは
うらぶれて
こゝかしこ
さだめなく
とび散らふ
落葉かな。

清少納言も、ポール・ヴェルレーヌ上田敏のセンスには、ちょっと届かないですね。上田敏は韻にこだわった詩人だと思いますが、「海潮音」に入ってる訳詩はだいたい文語の五音、七音で作られています。この「落葉」はすべて五音でリズム感がいいのですっと読めるのですが、文言は淋しくて切なすぎるという、相反するイタ気持ち良さが一つの魅力なのだと思います。

さて。清少納言のほうですが、秋の木立の多い庭は、紅葉もきれいだし、落ち葉が敷き詰められて情趣があった、というのでしょう。が、割と普通の感想かなと思いました。
清少納言も一首詠んでくれてたらなーと思います。


【原文】

 九月つごもり・十月の頃、空うち曇りて風のいとさわがしく吹きて、黄なる葉どものほろほろとこぼれ落つる、いとあはれなり。桜の葉、椋(むく)の葉こそ、いととくは落つれ。

 十月ばかりに木立おほかる所の庭は、いとめでたし。


検:九月つごもり十月の頃

八、九月ばかりに

 8月か9月頃に、雨にまじって吹いた風はすごく風情があるわ。雨足が横向きに、騒がしく吹いてるから、夏の間、使ってた綿入りの衣が掛かってるのを、生絹(すずし)の単衣に重ねて着るのも、とてもいい感じなの。この生絹だってめちゃくちゃ窮屈で暑苦しくて、脱ぎ捨てたかったのに、いつの間にこんなに涼しくなったんでしょ?って思うのもおもしろいわね。
 まだ夜が明るくなる前、格子や妻戸を押し開けたら、嵐がさっと冷たく顔に沁みたのは、すごく気分が良かったわ。


----------訳者の戯言---------

旧暦の8~9月。8月は葉月(はづき)、9月は長月と言いますね。イメージとして葉月というと葉っぱが青々としているように思いますが、旧8月は木の葉が紅葉して落ちる月「葉落ち月」→「葉月」なんですね。もちろん、この説も数多くある中の一説ではあるんですが。現代人は8月と聞くだけで条件反射的に「真夏!」ですが、江戸時代以前は八月=葉月は「もう秋ですなぁ」という月だったんですね。
というわけで、現代の暦では、年にもよりますが1カ月ほどずれて9~10月頃ですから、日によってはかなり涼しくなってきてる頃だと思います。

前の段に続いて、風のことを書いています。やはり、強めのが好きなようですね、清少納言
この時季ですから、台風とか、熱帯低気圧温帯低気圧、それによって発達した前線の影響で、強風が吹くことが多いのかと思います。台風も、あまり接近しなければ小さい嵐ぐらいにしか感じないでしょう。今みたいに気象衛星や天気図がないわけですから。

梅雨も、昔は五月雨(さみだれ)と言ったわけで、もちろん梅雨もそうなんですが、断続的な長雨のことなんですよね。ただ、梅雨の後期は集中豪雨になりやすいと言われていまして、まさに今豪雨で、九州でたいへんなことになっています。やはりいくらかは降り方も違ってきているのでしょうか。治水の問題、というか基準を変えないといけないのでしょう。

「五月雨式」という言葉も、あまり使わなくなりましたが、時々は使います。文字通り五月雨=梅雨ですから、物事が断続的に行われることを意味します。一コのことを一回で終わらせず、小分けにして何回もやる、っていうことなんですね。もはやテレビのコメンテーターのおじさんやおばさんしか使わないイメージですが、あえて覚えておきましょう。で、イザという時、「それ、五月雨式にやりましょうか」と、威嚇的に使いましょう。ちょっとはかしこそうに見えますから。ただ、「さつきあめしき」って言うと、墓穴を掘りますから。ちゃんと「さみだれしき」と言うようにしましょう。

と、枕草子と関係ないくだらないことをだらだらと書いてしまいました。
いつもなんですけどね。


【原文】

 八九月ばかりに、雨にまじりて吹きたる風、いとあはれなり。雨の脚(あし)横さまにさわがしう吹きたるに、夏通したる綿衣(わたぎぬ)の掛かりたるを、生絹の単衣かさねて着たるも、いとをかし。この生絹だにいと所せく暑かはしく取り捨てまほしかりしに、いつのほどにかくなりぬるにか、と思ふもをかし。暁に格子、端戸(つまど)をおしあけたれば、嵐のさと顔にしみたるこそ、いみじくをかしけれ。

 

枕草子 いとめでたし!

枕草子 いとめでたし!

 

 

風は

 風は…嵐。3月頃の夕暮れにゆるく吹いた雨風。


----------訳者の戯言---------

嵐。激しい勢いで吹く風を嵐と言います。どの季節でもありますから、嵐だけで季語にはなっていません。
そもそもは山から吹き下ろす強い風のことを言ったようですね。「荒風」で「あらし」とか。山から吹き下ろしてくる風を「あらし」と呼んだそうで、「万葉集」とかでは、「山風」「下風」「山下」などの漢字が当てられていたそうです。私は未読・未確認ですが、そうらしいです。

で、そういえば、と思い出したのが、「吹くからに 秋の草木の しをるれば むべ山風を 嵐といふらむ」という和歌です。誰のだったか忘れたので調べると、文屋康秀(ふんやのやすひで)という人で、六歌仙の一人でした。ただ、官人としての位は低かったらしいです。9世紀(800年代)の人だったそうですね。
かの小野小町と親しかったらしく、三河の掾(じょう=三等官)として赴任する際に、一緒に行きませんか?と誘ったところ、「わびぬれば 身をうき草の 根を絶えて 誘ふ水あらば いなむとぞ思ふ」(こんなに落ちぶれて、我が身がいやになったのですから、根なし草のように、誘いの水さえあれば、どこにでも流れてお供しようと思います)と同意した歌が残っています。が、実際に同行したかどうかは不明のようですね。小野小町自身、実体がよくわからないのと、文屋康秀が下級官吏だったため、詳しい文献が残っていないからのようです。

逸れましたが、嵐のことを書いていたのでした。文屋康秀のは、むしろ、山+風=嵐という言葉遊びで、語源というわけではなさそうですね。

清少納言的には、風は「嵐」よ!!と。一番イケてる風は「嵐」よ!!! ということのようです。嵐、絶賛です。
やっぱ押しは松潤ですか?
ということではないですね。しかし、嵐、年末で活動休止、新型コロナの影響で新国立のコンサートも無くなりましたし、延期か?などと言われていますが、どうなるのでしょうか。
しかし、嵐が活動休止したら、千鳥の「チケットセンター」はどうなるんでしょうか? 紅ズワイガニエビ美のやつ。「桑田真澄ディナーショー」のやつ。結構好きなんですけど、お蔵でしょうか。キンプリとかに変えるんでしょうか。まあ私が心配しても仕方ないんですけど。


ご存じのとおり、三月は、昔は弥生(やよい)と言いました。「木草弥や生ひ月(きくさいやおひづき)」(草木がいよいよ生い茂る月)が詰まって「やよひ」なんですが、今の4月前後頃に当たります。

俳句で使う「季語」というのがありますが、春の季語に「ようず」というのがあり、3、4月頃の夕方に吹く、雨もよいのぬるい南風のことをこう言うらしいです。おそらく、ここで出てきたのはこの風のことだと思いますが、雨は降るし、ぬるい風だし、どこがいいのかはよくわかりません。

そういえば、「雨もよい」という語は今あまり使いませんよね。「雨模様」はそこそこ使いますけど。読みは「あまもよい」で、漢字は「雨催い」です。雨を催す、つまり今にも雨が降りだしそうな空のようすを表す言葉なんですが、死語に近いです。
それはそれでいいんですが、「雨が降りそうだよねー」って言うよりも「雨もよいだよねー」のほうが、言葉短いですし、使えそうな気します。もっと言うと、「エモい」とか「りょ」とか使ってるんですから、「雨もよ」でいんじゃね? 今っぽくね? と思いますが、JKのみなさんいかがでしょう? 昔の言葉を守ろうとかダサいことでなく。ぜひ採用していただけたらと思います。
これが結論?


【原文】

 風は 嵐。三月ばかりの夕暮れにゆるく吹きたる雨風(あまかぜ)。

 

 

宮仕人のもとに来などする男の

 宮中に仕えてる女房のところに来たりする男が、そこで物を食べるのは、すごくみっともないわね。食べさせる女房も全然気に入らないわ。自分を想ってるだろう女子が「やっぱり食べて」なんて気を遣って言うのを、嫌がってるみたいに口をふさいで、顔をそむけるわけにもいかないから、食べてるんでしょうね。
 すごく酔っぱらって、夜が更けて仕方なく泊まったとしても、私は湯漬けだって食べさせないわ。気遣いがないんだね、って来なくなっても、そんならそれでいいわよ。
 田舎の実家に帰ってる時に、北面から食事を出したのはどうかしら? それでもやっぱりみっともないものではあるわね。


----------訳者の戯言---------

「湯漬け」というのは、文字どおり、ご飯にお湯をかけたものです。お茶漬けではなく、白湯(さゆ)をかけたんですね。お茶は平安初期からあるにはあったようですが、まだお茶漬けはポピュラーではなかったようで。お茶漬けが一般化したのは、かなり後、室町後期らしいです。

平安時代に話を戻すと、「湯漬け」は結構手軽な食事としては普通にあったみたいです。米は甑(こしき)という蒸し器みたいなので蒸すものだったらしく、これを「強飯(こわいい)」って言うそうなんですが、硬くて粘り気のないものだったようですね。もちろん、電子炊飯ジャーとかない時代ですから、時間が経つと冷めていくし、さらに硬くなります。それに熱いお湯をかけて食べやすくしたのが、「湯漬け」なんですね。

「北面」(きたおもて)。北向き、北側の部屋のことを言います。奥の部屋ですね。寝殿造りでは、家人、女房などの部屋として使うのだそうです。
北面(ほくめん)と書いて「北面の武士」のことを言う場合もあり、「徒然草」では何度も出てきました。北面の武士というのは、院の御所の北面に詰め、院中の警備にあたった武士のことなんですが、実は白河上皇の時にできたらしいですね。清少納言の時代よりは100年くらい後です。なので、ここではもちろん北面の武士のことではありません。


彼女の家行ったとき、ご飯食べちゃダメ!!
清少納言からすると、女子のところに来てなんか食べたりする男ってどーよ。食べ物出す女もどうかと思うわ。ま、男は出されたら仕方ないから食べるしかないけどな。
という話です。
清少納言的には、湯漬けも食べさせたくないわ!! それでフラれても別にいいわ! 出すって言われても断れよ!ぐらいの勢いですね。


そして京都人の定番、「ぶぶ漬けでもどないどすか?」です。この段の話と関係あるのかどうかわかりませんが、食べてはいけないのでしょうか?ぶぶ漬け。丁重にお断りして帰ったほうがいいんでしょうか?ぶぶ漬け
私は、直接は経験ないですけど、京都でよその家行ったとき「ぶぶ漬け」ならぬ「お茶でも」「コーヒーでも」と言われた、っていう話は何回か聞きました。人からの伝聞で「あの人ほんまに飲んで帰らはったわー」という話も聞いた気が。

「都市伝説みたいなもの」という説もあるんですが、やっぱり実際にあるんでしょうか。
で、京都の人に聞いたところ、まずそもそも今の京都人はお茶漬けのことを「ぶぶ漬け」とは言わない、また、お茶を出してくれるなら、「ありがとう」って飲むらしいです。そりゃそうでしょう。
もちろん「ぶぶ漬けでもどないどすか?」の話は、あったほうがおもしろいんですけどね。しかしやはり、おそらくは京都人の言動が鼻について快く思わない人たち(大阪人?)がdisって言ったのがはじまりではないかと。そういう結論に達しました。

ただ、「外人さんみたいな恰好やね」→「ヘンテコな恰好」、「元気があってよろしね」「ピアノ上手くならはったね」→「お前んとこのガキうるさいねんボケ」というのは、あるらしいです。やっぱ怖いわ。

そういえば「徒然草」でも、「都の人は受け答えだけはいいけど、実体がともなってない」という関東人の評価があって、でも都人たちの実際は「おしなべて心が穏やかで、情深いため、人に言われたことを、きっぱり断れなくて、すべて、断り切れず、弱気に承るしかできなくて」…みたいな記述もありました。

まぁ京都の人は、過去も、そして現代に至ってもそうやって争いを避けるために婉曲な言い方をする傾向にあるのはたしかなのでしょう。ただし、それは心持ち云々ではなく、生きるための知恵、テクニックだと考える方が妥当ではないかと思います。
他者との間の距離を常に測りながら、お互いに刺激し合うことを避け、摩擦を避けるためのコミュニケーション方法を採る、それが京都の一つの文化なのでしょう。
これに加えて、「京都」という老舗ブランドへの誇り、歴史が他とは違うなどという郷土愛も加わって、ついつい態度が上から目線になるものだから、余計ややこしいことになってるんですね。長い歴史があるのは当然の事実で、それは京都にたまたま生まれたあなたの手柄ではないんですけどー…と、他都道府県民は思いますが、そういう理屈は通じません。ま、京都か否かにかかわらず盲目的な郷土愛というのは善し悪しだと思います。

と、今回は京都人分析になってしまいました。本題からかけ離れてしまいましたね。
本当のテーマは、「通ってきた男子にお食事出すのはみっともないキャンペーン」でした。


【原文】

 宮仕人のもとに来などする男の、そこにて物食ふこそいとわろけれ。食はする人も、いとにくし。思はむ人の、「なほ」など心ざしありて言はむを、忌みたらむやうに口をふたぎ、顔をもてのくべきことにもあらねば、食ひをるにこそはあらめ。

 いみじう酔ひて、わりなく夜ふけて泊まりたりとも、さらに湯漬をだに食はせじ。心もなかりけりとて来ずは、さてありなむ。

 里などにて、北面より出だしては、いかがはせむ。それだになほぞある。

 

 

ふと心劣りとかするものは

 ふと、劣ってるように感じるものっていうと、男でも女でも、会話の時に下品な言葉遣いをするのは、どんなことよりもいちばんダメなことだわ。たった言葉一つで不思議なことなんだけど、上品にも下品にもなるっていうのは、どういうわけなんでしょ。で、それはそうなんだけど、こう思う私が特別すぐれてるってわけでもないのよね。何をいいとか悪いとか、わかるっていうのかしら? わかんないわよ。とは言っても、人のことはわからないけど、ただ自分の気持ち的にいいとか悪いとかは思うの。

 卑しい言葉も、悪い言葉も、そうだと知りながらあえて使うのは、悪くもないわ。むしろ自分が普段から使い慣れてる言葉を、隠さずにそのまんま言っちゃうのは、みっともないことだわね。また、そんな言葉を使うべきじゃない年老いた人や男性が、わざと取り繕って田舎っぽい感じに言ったのは不愉快。よくない言葉も、卑しい言葉も、年配の人が平気で言っているのを、若い人はすごくいたたまれなくって、身の置き所がなくなっちゃうの、当然よね。

 どんなことを言っても、「それをさせること、と、しましょう」「言うように、と、しましょう」「何々をしよう、と、しましょう」っていう「と」の文字を抜いて、ただ「言おうする」「里へ出ようする」的に言ったりするの、めちゃくちゃダメとしか言いようがないわ。ましてや、手紙に書いたりするのは言うまでもないわね。物語なんかを悪い言葉遣いで書いてあったりしたら、言うのも無駄で、作者までが不憫になるわ。「ひてつ車に」と言っていた人もいたわね。「求む」っていうことを「みとむ」なんて、みんな言うらしいの。


----------訳者の戯言---------

いみじう「かたはらいたき」ことに…と出てきました。「かたはらいたし」というのは、「気の毒」「いたたまれない」「恥ずかしい」「きまりがわるい」というニュアンスです。
かたはらいたきもの」の段をご参照いただくと、わかりやすいかもしれません。

いとほし。「気の毒」「かわいそう」という意味になります。先に出てきた「かたはらいたし」と微妙にニュアンスが違います。
勝手な解釈ですが、「傍ら」という言葉からもわかるように、(横で見てて)いたたまれない感じなのが「かたはらいたし」です。「いとほし」のほうは、そのものに対して(守るようなキモチとして)「かわいそう」「気の毒」転じて「かわいい」「いじらしい」と感じる印象がありますが、いかがでしょうか。


最近、言葉乱れてますねー、いけませんねーという話です。
品のない言葉遣い、やーね、しかもちゃんとしたオトナは言っちゃダメ、と。
といっても、自分も大したことないし、正しいかどうかはわからないけど、私の主観として良し悪しを感じるんだから仕方ないじゃない!!みたいな、言い訳までしてますし。意外と肝が据わってないというか、自信なさげなフリしながら、言いたいことそのまま書いてる感じです。

田舎っぽい言葉をわざと使うのはNGとかですね。あと、卑しい言葉、意図的に使うのはいいけど、自然に素で使うのはアカンよとダメ出し。ら抜き言葉ならぬ、「『と』抜き言葉」言ってるよー、とか。いろいろ文句つけてます。

下品な言葉っていうと、2ちゃんねるとかで、よく、氏ね、とか、バーローとか、言ってましたね。あ、2ちゃんでなくても言いますか。最近の女子高校生は一人称で「ワイ」とか「ワシ」とか言いますしね。そういう感じでしょうかね。そういうのとはちょっと違いますか。
しかし、それ、ある程度いい年齢の大人が言ってるとハズイよ。と言うのでしょうね。あ、ハズイもNGですか?清少納言的には。
失礼しました。

けど、なんか、上げ足取りっていうか、言いがかりっていうか、ですよね。
現代で言うと、「うれしい」を「うれぴ」って言ってたとか、最近だと「泣く」ことを「ぴえん」って言うとか、そういうのを嘆いてるのといっしょな気がします。別にどうってことないですし、残るものは残ります。
面倒くさいBBAになってますよ、清少納言

そういえば、徒然草でも「第二十二段 何事も、古き世のみぞ慕はしき」という段で、最近の言葉はなんだかなー、昔の方が良かったよなーみたいなこと書いていました。よろしければご一読ください。


【原文】

 ふと心劣りとかするものは 男も女も言葉の文字いやしう使ひたるこそ、よろづの事よりまさりてわろけれ。ただ文字一つにあやしう、あてにもいやしうもなるは、いかなるにかあらむ。さるは、かう思ふ人ことにすぐれてもあらじかし。いづれをよしあしと知るにかは。されど、人をば知らじ、ただ心地にさおぼゆるなり。

 いやしき言もわろき言も、さと知りながらことさらに言ひたるはあしうもあらず。わがもてつけたるを、つつみなく言ひたるは、あさましきわざなり。また、さもあるまじき老いたる人、男などの、わざとつくろひ、ひなびたるは、にくし。まさなき言も、あやしき言も、大人なるは、まのもなく言ひたるを、若き人は、いみじうかたはらいたきことに消え入りたるこそ、さるべきことなれ。

 何事を言ひても、「そのことさせむとす」「言はむとす」「何とせむとす」といふ「と」文字を失ひて、ただ「言はむずる」「里へ出でむずる」など言へば、やがていとわろし。まいて、文に書いては言ふべきにもあらず。物語などこそあしう書きなしつれば言ふかひなく、作り人さへこそいとほしけれ。「ひてつ車に」と言ひし人もありき。「求む」といふことを「みとむ」なんどは、みな言ふめり。

 

 

大路近なる所にて聞けば

 大通りの近くにある家で聞いてると、牛車に乗ってる人が、有明の月が素敵に出てるから簾(すだれ)を上げて、「遊子なほ残りの月に行く」っていう詩を、いい声で朗詠したのもおもしろいわ。
 馬に乗ってても、そういうイカしてる人が通って行くのはいい感じ。そんな家で聞いてたら、泥障(あおり)の音が聞こえるから、どんな人なんだろう?って、やってた仕事の手を止めて見たら、身分が低い者を見つけたの、すごく不愉快だわ。


----------訳者の戯言---------

有明というのは、「まだ月があるうちに夜が明けること」あるいは「夜が明けても月が残ってる朝」のことです。つまり「有明の月」というのは、そんな朝に出ている月のことなのですね。

有明の月は、おおまかに言うと十六日以降~新月までの月とされています。二十六日の月を限定的に言う場合もあるらしいですが、そのセレクトの基準はよくわかりませんでした。
おおむね、二十日過ぎの下弦の月である場合が多く、つまり見た感じは半月。おおよそ深夜0時頃に東の空から上り、太陽が昇る夜明けの時間帯には月が南の空にあるという状態になります。少し明るくなってきても、南から西の空に出ている下弦の白い月、これが「有明の月」です。風情のあるものとされていることは、ごぞんじのとおりです。

「遊子なほ残りの月に行く」と出てきましたが、調べてみたところ、下のような漢詩の一部でした。

佳人尽飾於晨粧
魏宮鐘動
遊子猶行於残月
函谷鶏鳴

書き下すと、

佳人尽(ことごと)く晨粧(しんしょう)を飾る。
魏宮に鐘(しょう)動く。
遊子なほ残月に行く。※この段では「遊子なほ残りの月に行く」
函谷に鶏鳴く。

で、意味としては、

離宮に暁の鐘がなると、美しい人はみんな朝の化粧をする。
函谷関に夜明けを告げる鶏は鳴くが、旅人は残る月の下やはり歩き続ける。

ということのようです。
こういうシーン、つまり有明の月が出ている夜明けに、まさにこの漢詩を吟誦する、というのが、粋というか、いかしたことだったのでしょう。

泥障(あおり/あふり)。鞍の四方手(しおで)というところ、ハーネスみたいな部分ですか?に結び付けて、鞍の下に挟んで馬腹の両脇を覆って、馬の汗や蹴上げる泥を防ぐものだそうです。毛皮や皮革製だとか。「障泥」と字を逆転して書くこともあるようですね。

馬に乗って行くステキな人はどんな人?と思って見てみたら、全然いかしてない身分の低い者だったから、不愉快↓というのですね、この人は。この期に及んでまだ言うか、という感じです。それでも知識階級っすか? 平気で身分差別するようなアンタのほうが、100倍不愉快やねん、って言ってやりたいですね。


【原文】

 大路近(ちか)なる所にて聞けば、車に乗りたる人の有明のをかしきに簾(すだれ)あげて、「遊子(いうし)なほ残りの月に行く」といふ詩を、声よくて誦じたるもをかし。

 馬にても、さやうの人の行くはをかし。さやうの所にて聞くに、泥障(あふり)の音の聞こゆるを、いかなる者ならむと、するわざもうち置きて見るに、あやしの者を見つけたる、いとねたし。

 

枕草子 上 (ちくま学芸文庫)

枕草子 上 (ちくま学芸文庫)

 

 

南ならずは東の廂の板の

 南じゃなかったら、東の廂の間の床板の影が映るくらいのところに、鮮やかな畳を置いて、三尺の几帳の帷子(かたびら)がすごく涼し気に見えてるのを押しやったら、滑ってって。思ってるよりも行き過ぎて立ったところに、白い生絹の単衣、紅色の袴、夜具には濃い紫色の衣で、それほどは萎えて柔らかくなっていないのをちょっと掛けて女性が横になってるの。

 燈籠に火を灯してるんだけど、二間くらい間を開けて、簾を高く上げて、女房二人くらいと童女なんかが長押に寄りかかっててね。また他にも、下ろしてる簾に寄り添って横になってる女房もいるわ。火取香炉にに火を深く埋めてほのかに香の匂いを立たせてるのも、すごくのどかで気がきいてるのよね。

 宵をちょっと過ぎた頃、ひっそりと門を叩く音がしたら、いつもの事情を知っている女房が来て、承知してます♡って表情で、自らの身体で男性を隠して、人目から守りながら招き入れたのは、それはそれでおもしろい感じなの。
 傍らにすごくよく鳴るいい琵琶があるのを、おしゃべりの合間合間に、大きな音は立てないで爪弾きでかき鳴らしたのって、すてきなことだったわ。


----------訳者の戯言---------

またまた夏の季節の、ある日の情景です。今回は夜です。

廂というのは「ひさし」のこと。母屋の周りに廂の付いた廊下みたいなのがあって、そこを「廂の間」と言ったようですね。それを略して「廂」と書いています。
母屋の外側に付加されてる部屋ということですが、これまで私が読んできた中では、「東の廂」「西の廂」「南の廂」というのは見たことがあります。「北の廂」はたぶん日当たりが悪いので無いのでしょう。
殿舎によっても違うのかもしれませんが、いろいろな方角に「廂の間」があったのだと思います。

「几帳」というのは、移動式の布製の衝立。当時の間仕切り、パーテーションです。一尺≒30.30303030303…cmなので、三尺は90cmぐらい。「三尺の几帳」は室内用の几帳で、高さ三尺×幅六尺だったらしいです。

帷子(かたびら)。元々は「片枚(かたびら)」と書いたそうです。裏をつけない衣服の総称、つまり、一枚もの、ひとえもの、のことを言います。お察しのとおり、概ね夏用の着物だったようですね。が、ここでは几帳にかけたカーテンのようなもののことで、これも帷子と言うんですね。

京都に「帷子ノ辻」という地名があって、嵐電京福嵐山本線)の駅名にもあるんですが、元々は「帷子辻(かたびらがつじ)」で、これは着物のほうの帷子に由来するそうです。綺麗な地名、と思いましたが、その起源には、尊いと言うか、ちょっと哀しいと言うか、壮絶と言うか、そういう話があるそうなんですね。
橘嘉智子(たちばなのかちこ)という嵯峨天皇の皇后(別称:檀林皇后)だった人にまつわる逸話ですが、長くなるのでここで紹介することは控えますが、もし興味のある方がいらっしゃいましたら、「帷子ノ辻 橘嘉智子」でググってみてください。もしくは、ウィキペディアなどをご覧いただけばと思います。

生絹(すずし/きぎぬ)というのは、まだ練られていない絹糸、あるいはその絹糸で織った絹織物です。練った(精練した)絹織物(練り絹)はしっとりと柔らかく光沢があるんですが、精練していない「生絹」は、固く張りのある感触で、軽いので夏用の着物にすることが多いよう。ドレスとかに使うシルクオーガンジーも生絹の一種なんですね。なお、この辺の絹の精練について、詳しくは「見苦しきもの」に書きましたので、気になった方はぜひご覧ください。

「宿直物」は「とのいもの」と読むそうです。文字どおり、宿直の時に使った衣服や夜具などのことだそうです。

濃き衣。おおむね、この時代の「濃(こき)」とか「濃色(こきいろ)」とかいうのは、単に濃い色というわけではなく、濃い紫色の糸で織ったものを言ったようですね。濃色←こんな色です。
実は平安時代とかには、「濃色」「薄色」とだけ書いていても、それぞれ「濃い紫色」「薄い紫色」なんですね。
私もこれまでによく書いていますが、紫は古代より特別な色だった、ということが、このことでもよくわかります。紫、侮りがたし。
しかし、そう考えると、紫式部とかって、なかなかな名前ですよ。自分から名乗るって、大したもんだ。

「長押(なげし)」ですが、よく言われるのは引き戸の上の部分、鴨居の上です。そもそも長押というのは、柱に垂直(つまり水平)に渡した構造材、というのが一般的な意味合いですから、上にも下にも、極端な話、地面のすぐ上とかにある場合もあります。ここでは床の上ぐらいに渡された長押だと思われます。

琵琶。やっぱり鳴りのいい楽器はいい楽器なんですね。その辺は、今も変わりません。ギター然り、バイオリン然りです。もちろん弦楽器だけでなく、管楽器、打楽器もそうでしょうけど。
で、さすが、和歌、管弦、書などに堪能であることが上流貴族の証であったというだけあって、爪弾くんですね、彼。要するに、撥(バチ)を使わないんです。何気にギタ―とか弾く現代のモテ男子と同じです。ちょっと恥ずかしい人。ついでに自作のラブソングとか歌ってくれたらいいんですけどね、笑うので。

というわけで、何か、今回はツヤをつけてる文章だなと思いました。かなり気取ってる感じしますけど、どうなんでしょうか。あの、枕草子の冒頭の「春はあけぼの」などもそうですが、あまりよくないですね。実は私、清少納言をそれほど好きというわけではないですが、中でも今回のは、かなりアカンと思います。本人的には、ちょっといかした夏の夜の風情、とでも思っているかもしれませんが、読む側からすると、ちょっと何が言いたいの??と思いました。まさにシナリオ書いてる自分に酔っている北川悦吏子のようです。清少納言ファンのみなさま、北川悦吏子ファンのみなさま、ごめんなさい。

すぐ前の段「いみじう暑き昼中に」はなかなか良かっただけに残念です。
やはり、昼がいいんですね。夜に文章書いたらだめって言うでしょ、手紙とか。夜に書いたかどうか知りませんが、情緒的に過ぎてしまうなら、やめたほうがいいかと思います。


【原文】

 南ならずは、東の廂の板のかげ見ゆばかりなるに、あざやかなる畳をうち置きて、三尺の几帳の帷子(かたびら)いと涼し気に見えたるをおしやれば、流れて思ふほどよりも過ぎて立てるに、白き生絹の単衣、紅の袴、宿直物(とのゐもの)には濃き衣のいたうは萎えぬを、少し引きかけて臥したり。

 灯篭(とうろ)に火ともしたる二間(ふたま)ばかり去りて、簾高うあげて、女房二人ばかり、童など、長押によりかかり、また、おろいたる簾に添ひて臥したるもあり。火取に火深う埋みて、心細げに匂はしたるも、いとのどやかに、心にくし。

 宵うち過ぐるほどに、忍びやかに門叩く音のすれば、例の心知りの人来て、けしきばみ立ち隠し、人まもりて入れたるこそ、さるかたにをかしけれ。

 かたはらにいとよく鳴る琵琶のをかしげなるがあるを、物語のひまひまに、音も立てず、爪弾きにかき鳴らしたるこそをかしけれ。