枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

おぼつかなきもの

 心細くなるものというと…。12年の山籠もりをしている僧侶の母親。知らない人の所へ闇夜に出かけて行った時、「あんまり目立っちゃうのもどうかな」って、明かりも灯さないで、それでも並んで座ってるの。

 最近仕えるようになった者なんだけど、まだ彼の人間性もわかってない頃、貴重な物を持たせて、どこかに使いに遣るんだけど、帰ってくるのが遅い時。それから、言葉もまだしゃべらない幼児が、反り返って、人にも抱かれないで泣いてる様子。


----------訳者の戯言---------

12年の山籠もり。これは比叡山延暦寺の「十二年籠山行」というもののようです。めちゃくちゃハードな修行らしいですね。

この行につく者は12年間比叡山に籠り、一度も山を下りることはないそうです。伝教大師最澄の真影に侍って、最澄が今も生きているように仕え、献膳、勤行、清掃を、浄土院から一歩も出ずに十二年間続けるそうですよ。もちろん選ばれた僧侶がトライしますし、特別の尊敬を集める存在になるようですね。
上人のお世話をし、読経し、その他の時間は清掃を続けます。掃除しても掃除しても生える雑草、落ち葉を一人で取り除きます。これを延々と繰り返すのだそうです。厳しー。
もちろん病気になっても途中でやめることができないため、病死する僧侶もたくさんいたそうですね。それは親御さんからすると、この上なく心配に違いありません。

なので、これと比べると他の「不安」など、はっきり言ってどうってことないです。
あっそ、ぐらいの感じです。


【原文】

 おぼつかなきもの 十二年の山ごもりの法師の女親。知らぬ所に闇なるにいきたるに、「あらはにもぞある」とて、火もともさで、さすがに並みゐたる。

 今出で来たる者の心も知らぬに、やむごとなき物持たせて、人のもとにやりたるに、おそく帰る。物もまだ言はぬ児(ちご)の、反り覆(くつがへ)り、人にも抱かれず泣きたる。

 

 

『枕草子』の歴史学 春は曙の謎を解く (朝日選書)
 

 

歌の題は

 歌の題は、都。葛。三桟草(みくり)。駒。霰(あられ)。


----------訳者の戯言---------

前の段も意図がよくわからなかったんですが、この段もまた別の意味でよくわかりません。どういう趣旨で選んだのか、と思う人がほとんどではないでしょうか。毎度のことなのですが、せめて何か書いておいてくれればと思いますが。

専門的に研究している人の説では、これらの題は、「古今六帖」という歌集で用いられた和歌の題の中から選び出されているものであって、「桜」「郭公(ほととぎす)」「月」「雪」「恋」といった類型的、つまりありきたりな歌題はあえて外していて、したがって「わかる人にはわかる」的なセンスでピックアップしたもの、ということです。

今なら、メインをあえて避けたところで、サブカルの魅力を語る、みたいなことに通じるのかもしれないと。そうですか、ま、仕方ないですね。


【原文】

 歌の題は 都。葛。三桟草(みくり)。駒。霰。

 

枕草子(上) (講談社学術文庫)

枕草子(上) (講談社学術文庫)

 

 

集は

 歌集は、(古)万葉集古今和歌集ですね。


----------訳者の戯言---------

「古万葉」というからには、「新万葉」があるのか?という疑問もおありかと思いますが、実はあります、「新撰万葉集」。これは、かの菅原道真撰の私撰集だそうです。巻数とか収められてる歌数はもちろん全然違いますし、知名度も違いますけど。

が、一般には、万葉集と言えば古万葉、古万葉と言えば万葉集という認識だったのは、間違いないようです。

しかし、そもそもこの時代、まだ歌集がそれほどなくて、万葉集古今和歌集の二つは妥当な線なんだろうと思います。が、そうすると、どこが面白いの?という感じですね。
勅撰和歌集もまだ「古今和歌集」と「後撰和歌集」の二つしかなかったんですから、選択肢が少なすぎませんか?「新撰万葉集」を含めても4つぐらいですからね、分母が少なすぎます。
繰り返して申し訳ないんですが、これ何が面白いんでしょうか? 面白さを求める段ではないんですか、そうですか。スミマセン。


【原文】

 集は 古萬葉。古今。

 

空想片恋枕草子

空想片恋枕草子

 
すらすら読める枕草子

すらすら読める枕草子

 

 

草の花は

 草の花というと、まず撫子。唐のはもちろんだけど、日本のもとっても素晴らしいわね。おみなえし(女郎花)。桔梗。あさがお(朝顔)。かるかや(刈萱)。菊。つぼすみれ(壺菫)。

 竜胆(りんどう)は、枝ぶりなんかは見苦しいんだけど、他の花がみんな霜で枯れてしまっってるのに、すごく華やかな色合いで咲いてるところは、めちゃくちゃいいの。

 また、わざわざ取り上げてヨイショするほどの感じじゃないけど、かまつかの花ってカワイイのよね。名前は異様なんだけどね。でも、「雁の来る花」って漢字では書くの。かにひの花は、色は濃くないけど、藤の花とよく似てて、春と秋に花が咲くのもいい感じだわね。

 萩はとっても色が深くて、枝もしなやかに咲いてるのが、朝露に濡れてなよなよっと広がって伏せてるのがいいの。牡鹿がとりわけ好んでやってくるっていうのも、他の花とは違うところよね。八重山吹もいいわ。

 夕顔は、花の形も朝顔に似てて、朝顔、夕顔って並べて言えるくらいすごく素敵なルックスの花なんだけど、実がカッコ悪いのが、めっちゃ残念なの。どうしてまた、そんな風に実をならすんでしょ。「ぬかずき(ホオズキ)」とかいうものみたいだったらよかったのにね。
 だけど、夕顔っていうネーミングだけはいい感じ。しもつけの花。葦の花もね。

 で、今回のテーマで、薄(すすき)を入れないのは、全然おかしいだろ!って、みんな言うでしょう? そう、だいたい秋の野の風情っていうものは、薄があってこそなんだから。とっても濃い赤みを帯びた穂先が、朝露に濡れて風になびいてるのは、これほどのものが他にある? ないよね!っていうくらい。でも秋の終わりになると全然見どころがないのね。いろんな色に咲き乱れてた花が跡形もなく散ってしまったのに、冬が終わるころまで、頭がとっても白く乱れ広がってるのも知らないで、昔を思い出すかのような顔で、風になびきながらゆらゆらと立っているのは、人間にすごくよく似てるの。こんな風にシンパシーを感じるから、薄に対して、しみじみとしてしまうんでしょうね。


----------訳者の戯言---------

女郎花。女郎と言うと、今は遊女という意味で使うことが多いようですが、古くは貴族の子女、令嬢などのことを指したり、女性一般について言ったようです。「へし」は「圧し」で、「どんな女性も圧倒するほどの花」でしょうか。

かまつか=雁来花?でしょうか。どんな花なのかは不詳です。
実は「雁来紅(がんらいこう)」という花があり、葉鶏頭(はげいとう)のことらしいのですが、これがここで書かれている「かまつか」であるとする説が有力なんです。葉鶏頭の葉の形が鎌の柄に似ているところから、鎌柄(かまつか)といわれた、ということのようでもありますね。

この花とは別に「鎌柄(かまつか)」という木の花もあるそうです。こちらの花は白くてかわいいんですが、明らかに木ですからね。木が硬くて鎌の柄にする材としたのでこの名前が付いたようです。なので、これはないです。

結局は清少納言の感じ方の問題でもあるので、何とも言い難いんですが、実は私は「かまつか」が葉鶏頭ではないような気もしています。原文に「ろうたげ」とあるんですが、「葉鶏頭」がどう見ても、カワイイ、可憐、キュートな感じには見えないんですね。ま、広瀬すずをかわいいという人もいれば渡辺直美をかわいいという人もいますし、マツコ・デラックスをかわいいと言う人もいるでしょう。アーノルド・シュワルツェネッガーをかわいいという人もいるし、松重豊をかわいいという人もいる。で、それを否定することはできませんよ。となると、かまつかが葉鶏頭でもいいということになりますもんね。

「かにひ」は「雁皮」という花と「岩菲」との説があるそうです。どちらも読み方は「ガンピ」です。
「雁皮」は、ジンチョウゲ科の低木で、黄色の小花を咲かせます。形は「藤」の花に似てなくはないですが、低木とは言え木ですから、草花ではないような。
対して「岩菲」は、ナデシコ科の多年草ですから「草花」で、黄赤色(オレンジ色)、白色などの五弁花です。フシグロセンノウという花に似ています。フシグロセンノウは漢字で書くと、節黒仙翁。これを「ふし」の花と表したのではないかというのがもう一つの説です。

しかし、私、底本を直接見たわけではないのですが、三巻本、能因本、堺本のどれも漢字で「藤」の花と書かれているようです。かなで「ふし」と書かれているテキストは、見当たりませんでした。そうなると、疑問符はつくけれど、「雁皮」説のほうが強いかなと思います。

夕顔の実。たしかにデカいです。けど、食べられます。平安時代は食べなかったんでしょうか。冬瓜みたいに煮て食べるとおいしいらしいですね。クックパッドでもいっぱい出てると思いますから、検索してください。
夕顔はかんぴょうの原料として有名で、どっちかというと瓢箪とかヘチマの仲間です。

蘇芳は黒みを帯びた赤なんですが、これまでに衣類の色として何度か出てきました。植物の色の形容として出てきたのは初です。

清少納言、色々書きましたが、最後にススキについて言及します。この部分は、ススキになぞらえて人の生き方、特に人生の後半の在りようを考えさせるという点において、これまでの他の「ものづくし」とは趣がちょっと異なる感じです。新境地でしょうか。

この段は、全般的に当時の植物の呼び名と今のが違っているであろうもの、変わっているようなものもあったりして、調べてもいまいちはっきりしなくて、難しかったです。


【原文】

 草の花は 撫子、唐のはさらなり、大和のもいとめでたし。をみなへし(女郎花)。桔梗。あさがほ。かるかや。菊。つぼすみれ。

 竜胆は、枝ざしなどもむつかしけれど、こと花どものみな霜がれたるに、いとはなやかなる色あひにてさし出でたる、いとをかし。

 また、わざと取りたてて人めかすべくもあらぬさまなれど、かまつかの花らうたげなり。名もうたてあなる。雁の来る花とぞ文字には書きたる。かにひの花、色は濃からねど、藤の花とよく似て、春秋と咲くがをかしきなり。

 萩、いと色ふかう、枝たをやかに咲きたるが、朝露にぬれてなよなよとひろごりふしたる、さ牡鹿のわきて立ち馴らすらむも、心ことなり。八重山吹。

 夕顔は、花の形も朝顔に似て、言ひつづけたるに、いとをかしかりぬべき花の姿に、実のありさまこそ、いと口惜しけれ。などさはた生ひ出でけむ。ぬかづきなどいふもののやうにだにあれかし。

 されど、なほ夕顔といふ名ばかりはをかし。しもつけの花。葦の花。

 これに薄(すすき)を入れぬ、いみじうあやしと人いふめり。秋の野のおしなべたるをかしさは薄こそあれ。穂先の蘇芳にいと濃きが、朝霧にぬれてうちなびきたるは、さばかりの物やはある。秋のはてぞ、いと見どころなき。色々にみだれ咲きたりし花の、形もなく散りたるに、冬の末まで、頭のいと白くおほどれたるも知らず、昔思ひ出顔に、風になびきてかひろぎ立てる、人にこそいみじう似たれ。よそふる心ありて、それをしもこそ、あはれと思ふべけれ。

 

 

草は

 草は、菖蒲、菰。葵はすっごくステキ。神々の御代から葵祭の髪飾りとして使われたんだから、とってもすばらしいものよ。見た目の形もめちゃくちゃいい感じだしね。沢瀉(おもだか/面高)は、名前が面白いわ。(顔が高いトコにある、って)思い上っているんじゃない?って思えるでしょ。

 三稜草(みくり)。蛇床子(ひるむしろ)。苔。雪の間に出てる若草。こだに。酢漿(かたばみ)は、綾織物の紋様にもなってるし、他のよりは素敵かな。

 「あやふ草(危ふ草)」は、岸の額みたいなところに生えてるらしいけど、ホント危なっかしいわね。「いつまで草」は、名前どおりこれまた儚げでしんみりいい感じ。岸の額よりも、こっちのほうが崩れやすいんじゃないかしら。本物の漆喰壁なんかに生えることもできないって思えちゃうのは、ダメなところよね。

 ことなし草(事成し草?)は、願い事を叶えてくれるのかな、って思うとステキだわ。忍ぶ草は、(名前が)すごく感動的。道芝も、とってもいい感じね。茅花(つばな)もいいよね。蓬(よもぎ)もすごくいかしてるわ。山菅、日陰、山藍、浜木綿、葛、笹、青つづら、なづな、苗、浅茅なんかもすごくいいわね。

 蓮の葉は、他のどの草よりもとくに優れて立派よね。「妙法蓮華経」に「蓮」の字が入っててシンボリックだし、花は仏様にお供えするし、蓮の実は数珠になるわけで、念仏を唱えて極楽に往生するための縁にするものなんだから。それに、他の花が咲かない頃、緑色の池の水に紅い花を咲かせるのが、とっても感じいいの。「翠翁紅」って詩にも出てきてるくらいなんだからね。

唐葵は、太陽の動きに従って傾くのが、草木とは言えないほどの心持ち。さしも草。八重葎(むぐら)。つき草は、心変わりしやすいっぽい名前が嫌なところだよね。 


----------訳者の戯言---------

原文にある葵の「挿頭(かざし)」というのは、髪や冠に、花や枝を挿したのを言ったそうです。古くは、生命力を身につける呪術的な意味があったらしいですが、そのうち形式化し、造花を用いることが多くなっていったらしいですね。
冒頭部に出てきた葵は、後で出てくる唐葵(からあおい)=立葵(たちあおい)とは別のもので、こちらは双葉葵(二葉葵/ふたばあおい)と呼ばれるものだそうです。葵祭の時に使われるので、賀茂葵の異名もあるようですね。

三稜草(みくり/実栗)といえば、「逃げ恥」の主人公が「みくり」という名前でした。ガッキーがやってた役ですね。どうやら、原作(コミック)の作者は、この草の名前から付けたようです。みくりの兄は「ちがや」(千萱?)でしたから、こっちも植物名ですね。これ、後のパラグラフで出てくる茅花(つばな)と同じもの、というか、ちがやの花を「茅花」と言うんですね。どうでもいいですか、そうですか。

蛇床子(蛭筵/ひるむしろ)は、水草なんですが、浮葉を蛭が休息するための筵(むしろ)に例えて名付けられたんだそうです。

酢漿(かたばみ/酢漿草/片喰/傍食)ですが、葉っぱがハート型の3枚が尖った先端を寄せ合わせたような形になっていて、これが意匠、文様として優れているということなんでしょう。たしかに、片喰紋(酢漿草紋)という家紋があるようです。
ちなみに、ももクロの家紋(マーク)のまん中部分は4枚葉ですが、やはりこの葉っぱです。クローバーの葉っぱは実はハート形ではないんですね。このカタバミのほうがカワイイので、今もデザイン的にこれが使われやすいんでしょう。

いつまで草(何時迄草/常春藤)。清少納言は「いい」と思いつつ「悪い」という印象もありという微妙な判定。実体を知らず、名前の印象で書いているのでこうなるのもわかるんですが、ちょっとひどいかなと思います。

「いつまで草」については、①キヅタの異名 ②ノキシノブの異名 とコトバンク(出典は大辞林第三版)に出ています。
「キヅタ」というのはツタなんですが、木に近いのでキヅタなんだそうです。
キヅタの枝は気根を出し、岩上や樹上をよじ登る。と示されています。気根というのは、本来地中にある根が地上(空気中)に出ているもので、いろいろなスタイル、機能があるそうですが、前述のとおりキヅタの場合は樹木の表面や壁面などに着生したりするんだそうです。
「ノキシノブ」は、名前の由来として「家の軒先に生育し、土が無くても堪え忍ぶ」という意味で、大樹の樹皮や崖、傾斜が急な場所の地表などに生育するのだそうです。むしろ、ノキシノブが地表に生育するのは、傾斜が急であって、表面に土砂がたまらないような場所らしいです。

つまり、「いつまで草」が「キヅタ」「ノキシノブ」であるとすれば、清少納言の書いてる内容とは真逆な感じですね。ということは「いつまで草」は別の草なのでしょう。謎。

唐葵というのは「立葵(たちあおい)」の古名だそうです。
最初のほうに出てきた「双葉葵」ではなく、「葵」と言うと普通、この「立葵」のことを指すらしいですね。「あおい」は、ここにも書かれているとおり、葉が太陽の方に向かうところから、「あふひ」(仰日)の意味があって、この名(あふひ→あおい)になったようです。
文章だけ見ると、ヒマワリ(向日葵)のようにも思え、最初は私も向日葵の線で調べていたんですが、残念ながら当時はまだ日本に輸入されていませんでした。入って来たのは江戸時代のようです。

葵ですが、だいたい和歌なんかでは、葵=「あふひ」と表記しているのはご存じかと思います。発音としては、「あおい」に近い「あふひ」。なんのこっちゃ。

月草というのは、私たちの知っている露草のことらしい。この花で染めた藍色はたちまち薄くなってしまうことから、心変わりすることを月草の花に例えることが、とくに和歌なんかでは多々あったらしいですね、万葉集の時代から。それで、ちょっとヤだよね、と。

で、この段、名前が面白いのか、色や形なのか、性質、存在が面白いのか、それぐらいは各々書いておいてくれてもいいだろうと思いました。
書いてあるのもあるし、何の説明もないのもありますから、とりあえず全部書いてくれよ―ということです。

今さら言っても1000年遅いですが。草生えますね。


【原文】

 草は 菖蒲。菰(こも)。葵、いとをかし。神代よりしてさる挿頭(かざし)となりけむ、いみじうめでたし。もののさまも、いとをかし。沢瀉(おもだか)は、名のをかしきなり。心あがりしたらむと思ふに。

 三稜草(みくり)。蛇床子(ひるむしろ)。苔。雪間の若草。こだに。酢漿(かたばみ)、綾の紋にてあるも、ことよりはをかし。

 あやふ草は、岸の額に生ふらむも、げにたのもしからず。いつまで草は、またはかなくあはれなり。岸の額よりも、これはくづれやすからむかし。まことの石灰などには、え生ひずやあらむと思ふぞわろき。

 ことなし草は、思ふことを成すにやと思ふもをかし。忍ぶ草、いとあはれなり。道芝、いとをかし。茅花(つばな)もをかし。蓬(よもぎ)、いみじうをかし。山菅。日陰。山藍。浜木綿。葛。笹。青つづら。なづな。苗。浅茅、いとをかし。

 蓮(はちす)葉、よろづの草よりもすぐれてめでたし。妙法蓮華のたとひにも、花は仏に奉り、実は数珠に貫き、念仏して往生極楽の縁とすればよ。また、花なき頃、緑なる池の水に紅に咲きたるも、いとをかし。翠翁紅とも詩に作りたるにこそ。

 唐葵(からあふひ)、日の影にしたがひて傾くこそ草木といふべくもあらぬ心なれ。さしも草。八重葎(むぐら)。つき草、うつろひやすなるこそうたてあれ。

 

マンガでさきどり枕草子 (教科書にでてくる古典)

マンガでさきどり枕草子 (教科書にでてくる古典)

 

 

里は

 里というと…逢坂の里。ながめの里。寝覚めの里。人づまの里。たのめの里。夕日の里。

 つまどりの里は、誰かに取られたんだろうか、自分が奪い取ったんだろうか、どっちにしても面白い名前よね。伏見の里。あさがほの里。

----------訳者の戯言---------

ざっと見てみると、何か面白げかなぁって思うような里の名前を、いろいろと挙げているようですね。ただ、その由来とか内容にまでは言及していないので、消化不良ではあります。コメントしてるのは「つまどりの里」だけですもんね。しかしさすが清少納言、やはりこういう色恋沙汰関連ワードには黙っていられないようです。不倫とか略奪愛とか、結構好きそうですよね。ちょっと前のですけど、上戸彩の「昼顔」とか、絶対好きだと思います。

本題ですが、この段も名前を列挙して、あとは読み手に委ねる、という例のスタイルです。もちろんそれも書き手の自由なんですけど、スルーしてしまいがちですよね。何か解説したり、論評したりしてくれるといいんですけれど。いずれにせよ「あかつきに帰らむ人は」の段とは別の意味で教科書には載らない段だと思います。

【原文】

 里は 逢坂の里。ながめの里。寝覚(いざ)めの里。人づまの里。たのめの里。夕日の里。

 つまどりの里。人に取られたるにやあらむ、我がまうけたるにやあらむとをかし。伏見の里。あさがほの里。

 

枕草子REMIX (新潮文庫)

枕草子REMIX (新潮文庫)

 

 

橋は

 橋っていうと…あさむつの橋。長柄の橋。あまびこの橋。浜名の橋。一つ橋。うたたねの橋。佐野の舟橋。堀江の橋。鵲(かささぎ)の橋。山すげの橋。小津の浮橋。板を一枚架けただけの棚橋、器が小っちゃいんだけど、名前を聞くとおもしろいわね。


----------訳者の戯言---------

橋の名前の羅列です。それぞれ何がいいのかよくわかりません。
全部は調べてないんですが、だいたいは歌枕とかなのでしょう。あと、例によって名前がおもしろいとかでしょうか??

鵲(かささぎ)の橋は、七夕に牽牛星織女星が出会うときには、カササギが翼を並べて天の川に橋を架けて渡すという伝説の橋です。この橋だけは想像上のもの、バーチャルですね、実体は鳥ですから。あ、実体は鳥じゃなくて無ですね。川は星の集合体ですか。

鵲(かささぎ)の橋と言えば、まず思い浮かぶのが、大伴家持のこの歌ですね。百人一首に入ってるやつです。

鵲の渡せる橋に置く霜の白きを見れば夜ぞふけにける
(かささぎが渡したっていう橋に降りた真っ白な霜を見ると、夜もすっかり更けたなぁ、と思うよ)

これ、七夕の時に架かる鵲の橋なんだから、夏じゃないの?と思うんですが、霜が降りてるんですね。おかしいなーと思って調べてみると、宮中にある御殿と御殿との間の橋とか階段なんかを、いつからか天上に例えて「かささぎの橋」とか呼ぶようになったらしいんです。だから、大伴家持がこの歌を詠んだのは冬、宮中に宿直していた夜更けだったのだろうと言われてるらしいですね。

さて。あまりにシンプルすぎて書くことが無いので、せっかくなので、かささぎの橋にちなんで、七夕について日ごろ思っていることを書きます。
七夕の伝説もいくつかあるようですが、メジャーなのはこうですね。

働き者で腕もいい織姫に、せめて幸せになってほしいと、神様がマジメな牛飼いの青年を引き合わせた、と、ところが、この二人、付き合いだしたら毎日イチャイチャしたり遊び呆けたりで全然仕事しなくなったんだ、と。これではイカンなと神様、天の川のこっちと向こう側に二人を引き離して、年1回、7月7日の夜だけ会ってもいいよということになりましたとさ。

七月七日、年1度の逢瀬ですから、ロマンチックな話ですし、そんな二人に思いをはせるとか、あるいは願い事をする行事、それが七夕なんですね。
この「願い事」というのは、織女(織姫)が裁縫とか家事とかに秀でた人だったので、それにあやかろうというのが元々らしいです。で、毎年メディアでも、この伝説の二人のロマンチックな夜…をネタにさまざまな企画などが実施喧伝されています。

しかし、お気づきのとおり、これハッキリ言うと、バカップルの話でしょ。非常にイタいカップルなんよね。なので、自業自得っちゃ自業自得。だいたい、まだ若いのに仕事全然やめちゃって遊びまくる点においてダサい。という風に私、毎年心の中で思っているのです。

短冊に願い事を書いている園児のみなさん、仙台の方々をはじめとする七夕まつりファンのみなさん、ごめんなさい。書いてしまいました。が、そう思ってる人、結構いますよね? なことないですか、そうですか、私ぐらいですか、すみません。

さて、全然話は変わりますが、最後の部分、「棚橋」という名前が、度量が狭いみたいな感じで書かれていますが、それも何だか意味がよくわかりません。その名前の付け方って、面白いですかねぇ。平安時代的なセンスだと面白いんでしょうか。
むしろ棚橋と言えば、何といっても新日の棚橋弘至でしょう。平安時代に新日はないですけどね。

(追記)
七夕の元になったらしい逸話の初出は中国、3世紀頃らしいですから、だいたい1800年ぐらい前でしょうか。
ということで、そろそろ神様(天上の王様?)も、この二人、許してあげていいかなーとも思います。今さら無理だけど。1800年ですからね1800年。ま、半分ぐらい雨だったとしても900回ぐらいは会ってるし、本人たちももう倦怠期をとうに過ぎてるかもしれませんけどね。年1回ぐらいのほうが逆に新鮮でちょうどいい感じかもしれません。
若気の至り、と、我々ももう忘れてあげてもいいくらいなんですが、毎年、私のように「イタい夫婦」「バカップル」とかdisる輩もいるワケで、これも毎年七夕のイベントがあるからこそこうなるわけです。
ちょっとかわいそうな気もしてきましたね。


【原文】

 橋は あさむつの橋。長柄の橋。あまびこの橋。浜名の橋。一つ橋。うたたねの橋。佐野の舟橋。堀江の橋。鵲(かささぎ)の橋。山すげの橋。をつの浮橋。一筋渡したる棚橋、心せばけれど、名を聞くにをかしきなり。

 

編み替え ものがたり枕草子 (大阪弁で七五調)

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