枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

わたりは

 渡し場といえば、志香須賀の渡し、こりずまの渡し場、みづはしの渡しがいいわね。


----------訳者の戯言---------

志香須賀(しかすが)の渡しというのは、愛知県豊川市平井町にあった渡し場らしいです。
他のは場所もよくわかりませんでした。

少し調べると、言葉的には「然すが(しかすが)に」=「そうは言うものの」とか、「懲りずま(こりずま)に」=「しょうこりもなく」といった古語がありました。そういうダブルミーニングのような面白さもあるのでしょうか。
それとも全然関係ないのでしょうか。よくわかりません。

渡し場ねー、それなりに風情もあったんでしょうか。


【原文】

わたりは しかすがのわたり。こりずまのわたり。水はしのわたり。


検:渡りは

みささぎは

 御陵といえば、鴬の御陵、かしはぎの御陵、あめの御陵が素敵。


----------訳者の戯言---------

「みささぎ」は漢字で「陵」とか「御陵」と書きます。天皇や皇后のお墓ということです。

昔はお墓が丘陵になってました。前方後円墳とか。
なので、絶景だったり、いい感じのもあったのでしょうか。私もいくつかは見たことがありますが、古墳というのは小さい山みたいな感じですよね。

で、鴬の御陵というのは、奈良の若草山の山頂にある前方後円墳です。そのほかのは、調べましたが、わかりませんでした。


【原文】

 みささぎは うぐひすのみささぎ。かしはぎのみささぎ。あめのみささぎ。

海は

 海は、水うみ、与謝の海、かはふちの海がいい感じね。


----------訳者の戯言---------

「海は、水海」、って、いきなり湖かい! 海ちゃうんかい!
とツッコミ入れつつ、「湖」と言うと、やはり琵琶湖なんですね。京都ですから近い湖といえば琵琶湖でしょう。近江です。淡海(あふみ/おうみ)なんですね。淡水の海ですから。近江と書いたのは「近つ淡海」ということかららしいです。これに対して浜名湖のあたりを「遠つ淡海」で「遠江(とおとうみ)」と言います。

与謝の海というのは、京都府の北のほうの宮津市というところに宮津湾という湾があって、天橋立という観光地があるんです(日本三景の一つと言われているので有名です)が、天橋立というのは砂嘴(さし)で、その陸側=内海を阿蘇海というらしいんですけど、あのあたりの海を与謝の海とも呼んだらしいですね。

かはふちの海っていうのは、大阪湾とか淀川の河口とかの説がありますが、川はどこでもありますしね。ぼんやりしていますがそういう海があったということですから仕方ないです。


【原文】

海は 水うみ。与謝の海。かはふちの海。

淵は

 淵といえば、「かしこ淵」(おそれ多い淵)っていうのは、この淵のどんな奥深い底の部分を見て、こんな名前をつけたんだろうって考えたら、面白い気がしたわね。「ないりその淵」っていう名前は、誰にどんな人が教えたんでしょう?? 
 青色の淵も素敵。蔵人なんかの衣装にできそうな感じで。あと、かくれの淵、いな淵ね。


----------訳者の戯言---------

「勿入淵」というのは、大阪の大東市あたりの池で「ないりのふち」とか「ないりそのふち」と呼んだらしいです。文字からして「入る勿れ」の「淵」で、「入っちゃダメ」っていう意味ですから、「んなこと、誰にどんな人が教えたんや?」という清少納言のシンプルな疑問があったんでしょうか。

蔵人の衣装については「四月 祭の頃」の段で出てきましたけど、蔵人の衣装「青色」っていうのは、青っぽいけど、ベージュなんですよね。青というのはどうも元々、白と黒の間の広い範囲の色で、主としては青・緑・藍をさしていたらしいです。

今回は淵づくしですが、まだこの後の段も、「〇〇づくし」が続きます。


淵というのは、水を深くたたえているところのことです。渕も同じ意味ですが異字体なんですね。

「かくれの淵」というのは、奈良県桜井市の初瀬とも言われているようです。枕草子にも時々出てきますが、長谷寺のあるところ、「はせ」ですね。
隠口(こもりく)の泊瀬(初瀬/はつせ/はせ)と万葉集にもよく出てくるらしいですが、「こもりくの」が「泊瀬」の枕詞なのだそうです。しらなんだ。
隠口(こもりく)というのは、山に囲まれた隠れたところ、神霊の籠る場所の意味で、外界から遮断された神の支配する聖なる空間であることを表したようです。

おそらくこれが「かくれの淵」の根拠なのでしょう。ただ、これをもってイコールとするのには無理もあるような。一説ということにしておくべきかもしれません。「瀬」はどちらかというと浅瀬、淵は水深のある水場を表しますから、むしろ対義語。一緒にするのもなんだかなーと思います。


「いな淵」。奈良県の明日香村に「稲渕」という地名が見られます。棚田が有名で、秋には彼岸花がきれいなところ、だそうですね。
ここも飛鳥川が流れていますが、現在は淵(渕)と言われるようなところは無さそうです。ただ、飛鳥川は深さの定まらない川として古来から知られていたそうですね。

「世の中は何か常なる飛鳥川 昨日の淵ぞ今日は瀬になる」という歌が古今集にあることからもそれはポピュラーだったことがわかります。
「世の中では何がずっと今のまま続くんだろう。飛鳥川みたいにね、昨日淵だったものが瀬になる。そんな飛鳥川のような世だとしても、私は恋人のことを絶対忘れない」。


「淵瀬」という言葉もあります。直接的には川の深く淀んだところと浅くて流れの速いところ、という意味ですが、「無常」なことのたとえとして使われるワードなんですね。
(2023/8/31追記)


【原文】

淵は かしこ淵は、いかなる底の心を見て、さる名を付けけむとをかし。ないりその淵は、誰にいかなる人の教へけむ。

青色の淵こそをかしけれ。蔵人などの具にしつべくて。かくれの淵。いな淵。

原は

原は、みかの原、あしたの原、その原がいいわね。


----------訳者の戯言---------

今回は「原」ですね。
そろそろ飽きてきましたが、まだ続くんでしょうか。

 

「みかの原」は「瓶原」と書きます。現在は木津川市加茂町瓶原(みかのはら)という地区になりますが、住所としては残っていないようですね。木津川の北側の一部で、昭和26(1951)年の町制移行までは相楽郡瓶原村でした。
聖武天皇の時代にしばらく恭仁京(くにきょう)が置かれた場所でもありますが、今は田畑が広がる農村といった風情です。
美加ノ原カンツリークラブというゴルフ場があったり、みかのはら幼稚園があったりしますし、「みかのはら」という地名は現地では地域の通称として今もポピュラーに使われているようですね。

「あしたの原」は、「朝の原/蘆田の原」と書くようです。現在の奈良県北西部、北葛城郡王寺町から香芝町にかけての丘陵をこう呼んでいたそうですね。

実は枕草子(三巻本)には「原は」という段がもう一つあり、「あしたの原」はそちらにも書かれています。そちらの「原は」に「あしたの原」のことを詳しく書いていますので、そちらもお読みいただければと思います。

「その原=園原」です。古代、都から東国に行くためには、美濃と信濃の間にある難所「神坂峠」を越えて行ったらしいですね。園原というのはその峠の信濃側の麓の山里だそうです。つまり、畿内から行くと神坂峠を越えた東国最初の地ということになるんですね。
神坂峠は標高1500m以上ありますから、当時の旅人は命がけで越えたのでしょう。その向こうにある美しい里は、もしかするとパラダイス的な存在であり、なかなか手が届かない、憧憬の対象でもあったのかもしれません。そのためか、多くの歌人、詩人たちが、都よりはるか遠方の山里「園原」として歌い残したのだそうです。
(2023/8/27追記)


【原文】

原は みかの原。あしたの原。その原。

峰は

峰は、ゆづるはの峰、阿弥陀の峰、弥高の峰がいかしてる。

----------訳者の戯言---------

前段に続き、今回は「峰」です。
何がいいのかも書いてない。名前だけです。
またまた個人的に、ふ~ん、って感じですね。


「ゆづるはの峰」というのは諭鶴羽山(ゆづるはさん)のことのようです。諭鶴羽山兵庫県の淡路島南部をほぼ東西に連なる諭鶴羽山地の西部にある標高607.9mの山で、淡路島の最高峰です。
山頂の南側約400mに位置する諭鶴羽神社は古代からあったとされています。平安時代になるとこの社への「諭鶴羽参り」は大変人気もあり、修験道の一大道場として隆盛を誇ったそうです。

熊野権現英彦山(福岡県と大分県の県境)から石鎚山愛媛県)、諭鶴羽山兵庫県南あわじ市)を経て熊野新宮・神蔵の峯へ渡られたとされるんですね。
熊野権現というのは熊野三山の祭神である神々なんですが、三山にはスサノオイザナギイザナミなどの大物の他いろいろな神様がいるらしいです。権現っていうのは神仏習合の考え方なんですよね、仏様が神様の姿になって現れるという。
ともかく、その熊野権現は当時の日本人にとってはとても重要な神様なんで、その中継地点の社もきっとかなりの重要ポイントで、信仰を集めたのでしょう。

阿弥陀の峰」は京都市東山区にある「阿弥陀ヶ峰」です。東山三十六峰の一つだそうですね。周辺は、古くから都の葬送の地だった「鳥辺野(とりべの)」として有名です。天平年間(729~749年)に行基阿弥陀如来を安置したことからこう呼ばれるようになったらしいです。


近江(現在の滋賀県)、備中(現在の岡山県)、播磨(現在の兵庫県西部)などにその名前を残すところがあるようですね。特定は難しいです。


少し前に「山は」という段がありました。山と峰にはどういう違いがあるのでしょう? 私の感覚から言うと、山はほぼ全体、峰は山頂部の尖った部分、という語感があります。高い山の頂、あるいは鋭角な印象もありますね。そういうことで山と峰を分けて書いたのでしょう。(2023/8/20追記)


【原文】

峰はゆづるはの峰。阿弥陀の峰。弥高の峰。

市は

 市といえば、たつの市、さとの市、つば市がいかしてる。大和エリア(奈良)にたくさんある市の中で、初瀬(の長谷寺)に参詣する人が必ずここに泊まるのは、観音様の縁があるからだって思うと格別なの。その他、をふさの市、飾磨の市、飛鳥の市ね。


----------訳者の戯言---------

たつの市(辰の市)っていうのは、今の奈良市で辰の日に立った市だそうです。
つば市は「海石榴市」と書くそうですね。すみません読めません。で、これは今の奈良県桜井市の金屋というところにあったらしく、現在は静かな住宅地ですが、ここは昔は国内有数の交易の中心地だったそうです。特に市の立つ日はかなり賑わっていたらしいですね。
初瀬は「はせ」と読みます。これも奈良県桜井市で、今も地名に残っています。長谷寺があるところです。初瀬と言えば長谷寺長谷寺と言えば初瀬というのが当時は当たり前の表現だったようです。

「心ことなり/心殊なり」と言うのは、「格別」「並々ではない」ということらしいです。

まあ、簡単に言うとこの段、「市場って言ったら、どこがいいか?」というのを並べて書いて、ちょっとだけコメント入れてるだけです。
全部書いても仕方ないので、詳解しませんが近畿圏で当時あった市ばかりのようですね。
個人的には、ふ~ん、って感じです。


【原文】

市は たつの市。さとの市。つば市。大和にあまたある中に、初瀬に詣づる人の必ずそこに泊まるは、観音の縁のあるにやと心ことなり。をふさの市。飾磨の市。飛鳥の市。