心ときめきするもの
ドキドキするもの。雀のヒナを飼うの。小さな子どもを遊ばせてる所の前を通るとき。いかしたお香を焚いて一人寝っころがってるの。唐鏡が少し曇ってきたのを見たとき。イケてる男性が牛車を停めて、お供の人に訪問してきたことを伝えさせてるとき。
頭を洗って、お化粧をして、いい香りの染み込んだ衣なんかを着るのもね。別に見る人なんていないところでだって、心の中は、なんてったってすごくいい気分なの♪
約束した人を待ってる夜、雨の音がしたり、風が吹いて家が揺れたりしたら、来たの?って心がドキッとするのね。
----------訳者の戯言---------
心がときめくもの、ドキドキするもの、の段です。
期待感、ワクワク感といってもいいかもしれないですね。
ただ、唐鏡のだけはちょっとわかりにくい。唐鏡が少し暗いのを見たら…何で期待感でドキドキするのでしょうか。と思っていろいろネットで調べてみました。
たいていは言及せず、スルーしてるんですが、その理由について書いてあるサイトも少しありました。
やはり私が勝手に解釈しているだけでは及びませんね。以下、その説をまとめてみました。
●そもそも唐鏡というのは当時の中国製。中国の上質な鏡には曇りが生じることがあり、曇ったっていうのは、(逆に)良いモノだから、とドキドキしたという説。
●鏡が曇ることで、自分がきれいに見えて、ドキドキしてるという説。たしかに、くっきり映りすぎてると、アラも目立ちます。
●古代中国に「宝鏡」というスペシャルな鏡があり、これが人の心を映したり、妖怪を見破ったりしたらしく、この鏡は日食や月食が近づくと曇った、っていう言い伝えを書いた書物があるそうで、曇ってきたから自分の唐鏡がその宝鏡かも!?って思えて、ドキドキしちゃったという説。
単なる勘ですが、私は3番目のやつではないかと思います。
「大進生昌が家に①」、「于定国」の「門」のくだりでもあったように、清少納言、ちょいちょい自分の博学自慢を入れてきます。穿った見方ですが、私、これもその可能性あるなと。
もちろん古典の解釈には諸説あるのが当たり前だし、究極、清少納言本人に聞くしかないんですが、これについては専門家の方の腑に落ちる説があれば、ぜひ伺ってみたいと思います。
【原文】
心ときめきするもの 雀の子飼ひ。ちご遊ばする所の前わたる。よき薫き物たきて一人臥したる。唐鏡の少し暗き見たる。よき男の車とどめて案内し、問はせたる。
頭洗ひ、化粧じて、かうばしうしみたる衣など着たる。ことに見る人なき所にても、心のうちは、なほいとをかし。
待つ人などのある夜、雨の音、風の吹きゆるがすも、ふとおどろかる。
検:心ときめきするもの こころときめきするもの
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