枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

うちとくまじきもの

 気が許せないものっていうのは…つまらない者。とは言うものの、善い人!!って人に言われてる人よりかは、裏が無いって思えるのよね。船旅もね。


----------訳者の戯言---------

打ち解けられないだろうもの。=気が許せないもの、ということになるのでしょうか。


えせ者。つまり、つまらない者とか身分が卑しい者とか、毎度どんだけ上からなん?と思いますがいつものことなので…。
そして今回は珍しくというか、身分が低い人のことを、あからさまに良いー!って言われてる人よりは裏が無い、と言ってます。ちょっとは成長したのかもしれません。

そして唐突に船の旅です。以前、「遠くて近きもの」という段で、船の旅は「遠くて近きもの」であると書いてました。が、清少納言的には「気の許せないもの」でもあるようです。
おそらく、遠いところに行くけれど自分の足で移動するわけではないから「遠くて近きもの」としたのでしょうが、これに加えて船旅は予想外のことが起きそう!という懸念もあるようですね。

「気が許せない」というテーマなので、ついでに書いておきますが、「気の置けない」「気が置けない」という表現がありますね。意味は「相手に気づまりや遠慮を感じさせないさまをいう」です。気が置けない店とか、気が置けない友人、とか言いますが、あれですね。
しかし、「気が許せない、油断できない」と、逆の意味で使う人も多く、世論調査などによると半数近くはこっちの意味で使っているそうです。たしかにそんな感じだよなー。

これは「置けない」という表現がcan notであるために否定的なニュアンスのほうが強く捉えられるからでしょうね。仕方ないと思います。
そもそも「気の置ける」というのはどういう状態なのか?てか、そっちのほうが先にあったわけですが、「遠慮がある」という状況を表す語だったんですね。
ま、そもそもややこしい言い方すんな!って話ですが、「気の置ける(遠慮がある)」を「ない」と打ち消してるわけです。品詞分解をして理解すると無理が生じるので、「気の置けない」でむしろ一つの「形容詞」、慣用的な語と捉えて理解すべきなのでしょう。

他方、実際に「気が許せない」「遠慮できない」と使っている人がいるのですから、もっとこれを積極的に使って凌駕してしまうという荒っぽい方法もあるように思います。幸先が悪い、とか、綺羅星のごとく、とかも、もっと新しい(間違いとされている)方を使って正解にしちゃえ!とか思うことがあります。私は恥ずかしいので使いませんけど。


というわけで、内容的にはよくわからない感じの「うちとくまじきもの」でした。実は次の段に続いてたりして。


【原文】

 うちとくまじきもの えせ者。さるは、よしと人に言はるる人よりも、うらなくぞ見ゆる。船の路。