枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

人の顔に

 人の顔で特別いい!って思える部分は、何回見ても、ああ~ステキ、すばらしいわ、って思われるものだわ。絵なんかは何度も見てたら目もひかれなくなるのにね。そのへんに立ててある屏風の絵とかは、すごく素晴らしいけど見向きもされないでしょ。
 人の顔はおもしろいわね。イケてないパーツの中でも、一つでもいいところがあると見つめてしまうものだわ。醜いところも、そんな風に一コでもダメなとこがあったら目をひいちゃうのかな?って思ったらやりきれないけどね。


----------訳者の戯言---------

原文にある「めずらし」は、すばらしい!という意味のようです。新鮮、斬新、清新、という意味にもなるでしょうか。かつてないほどすばらしい、愛すべき、というイメージかと思います。


清少納言、顔のことについて語っています。美人のこと、不美人のこと。特に女性、男性どちらのこととは言ってませんが、概ねこのところ、美人がどうとか、性格がどうとか言ってます。何かあったんでしょうか??

まず美人はどこかいいところが1コあると、何回見てもステキ!!となると。現代で言うと、北川景子であるとか、佐々木希とか、新垣結衣浜辺美波…たしかに、女性が女性を見ても素敵だなと思うのでしょう。
しかし絵は生身の人の顔ほどは興味深くないと。なるほど絵ではだめなんですね。平安時代のあの絵ですからね。今の画像や動画ならまだしも、それはそうでしょう。


で、絵、つまり二次元ではなくてリアル世界の人の顔のほうが興味深いのはわかります。
ここで言及してるのは、イケてないパーツの数々の中でも1つでもいいとこがあったら見ちゃうわ、ってことですね。不美人でもどこかいいところがあるとアピールできてるの! でも1コでも不細工なとこがあると、それも目立つのは同じ。部分的にイケてないとそれも際立っちゃうからやーね。orz
ということです。

清少納言不美人説というのがあり、「職の御曹司の西面の立蔀のもとにて」では若きイケメン貴族、藤原行成に対して「私ブスだから」と自分の容姿にコンプレックスを持っているようでした。何となく文章のキレが悪いのは、そのせいかもしれません。


【原文】

 人の顔に、取り分きてよしと見ゆる所は、たびごとに見れども、あなをかし、めづらし、とこそおぼゆれ。絵など、あまた度(たび)見れば、目も立たずかし。近う立てたる屏風の絵などは、いとめでたけれども、見も入れられず。

 人の形はをかしうこそあれ。憎げなる調度(でうど)の中にも、一つよき所のまもらるるよ。みにくきもさこそはあらめと思ふこそわびしけれ。