枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

古代の人の指貫着たるこそ

 古風な人が指貫をはくのなんて、全然もってのほかだわ。指貫を身体の前面に引き当てて、まず最初に衣の裾を全部押し込んで腰紐はそのまんまにしてて、衣の前をしっかり整え終わってから、腰紐を取ろうって後ろのほうに手を伸ばして、猿が手を縛られてるみたいな恰好で紐を解きながら立ってるのは、急いでる場合、ちゃんと支度ができるとは思えないでしょ。


----------訳者の戯言---------

古代の人、と言いますから、縄文人とかネアンデルタールとか、マチュピチュとかのインカ帝国の人やらの古代人のことかと思いきや「古風な人」のことを言うらしいです。非常にややっこしい。
で、その人が指貫を穿くのですから、さぞやトラディショナルなのだろうなと思いきや、disられてます。
前時代センスの奴の着方を小バカにする清少納言
要領が悪くて、もう、急いでる時、間に合わんだろうがよ、イライラすんじゃボケ!という感じかと思います。

例えて言うと、ネクタイを締めて上着を着てから、ズボンを穿くおじさんですか。ちょっと違いますか、ワンピース着てからレギンス穿く感じでしょうか。一種のエイハラ的要素もあり、またもや炎上ものですね。

服ぐらい自由に着させてあげて、と思うのは私だけでしょうか。


【原文】

 古代(こたい)の人の、指貫着たるこそ、いとたいだいしけれ。前に引き当てて、まづ裾をみな籠め入れて、腰はうち捨てて、衣の前を調(ととの)へはてて、腰をおよびてとるほどに、後ろざまに手をさしやりて、猿の手結はれたるやうにほどき立てるは、とみのことに出でたつべくも見えざめり。