枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

雪のいと高うはあらで

 雪がそんなに高くはなくて、薄っすらと降ってるのは、すごく趣があっていいの。

 また、雪がすごく高く降り積もった夕暮れから、部屋の端近くで、気の合う人2、3人ほどが火桶を真ん中に置いておしゃべりなんかしてたら、暗くなったんだけど、こっち側には灯りをともさないのに、あたり一面の雪の光ですっかり白くなって見えてる時、火箸で灰を何てことなくかき回して、しんみりすることも、すてきなことも、言い合ったりするのは、いい感じよね。

 宵も過ぎた?って思う頃に、靴の音が近くに聞こえたから、変だなって思って外を見たら、時々、こういう時に不意にやって来る人だったの。「今日の雪で、どうしてるかなってご心配申し上げながらも、つまんないことでトラブって、そこで一日過ごしちゃったんですよ」なんて言うのよ。「今日来(こ)む」とかっていう歌の意味で言ってるんでしょうね。昼間にあったことなんかから始まって、色んなことをお話しするの。円座(わらふだ)だけは差し出したんだけど、片方の足は下に下ろしたままで、鐘の音なんかが聞こえる頃まで、部屋の中の女房も外にいる男性にとっても、こういうおしゃべりは、飽きることがないって思えるのよね。

 明け方になって帰る時に、「雪、某(なに)の山に満てり」って詠ったのは、すごく素敵なことだったわ。「女子だけの会だったら、こんなに座ってオールナイトでおしゃべりなんかできないけど、いつもの女子会よりおもしろいわ、で、風流男子のいかしてる様子ったら」とかって後でみんなで話し合ったの。


----------訳者の戯言---------

宵(よい)という言葉はよく使いますが、だいたい何時ころでしょうか?
今は時計の18時~21時くらいと言われてますが、本来の宵は日が暮れてから間もない時間帯、1時間くらいという感じです。夜のはじまった頃、とも言えますね。意外とそれほど遅くない時間帯なのです。
宵闇という言葉がありますが、これも深い夜の真っ暗闇ではなく、「宵」の暗さを言うんですね。ただ、秋から冬の月の出が遅い時期の、二十日とか二十何日とかの宵は、日没が早くてしかも月が出てくるのが遅いですから、暗く感じたでしょう。現代は街灯やお店の看板、照明、住宅の灯りもありますから、全然感じませんが。

今は、夜の9時とか10時でも「まだまだ宵のうち」とか言いますね。元々の意味とは違うんですけど、まだまだ飲みたいおじさんや、まだまだ遊びたい女子たちはそう言います。いや、平成生まれの人はもう「宵」とか言わないよね、ほとんど。おじさん、おばさん語です。

今は新型コロナで、店も早く閉まりますから、そんなことそもそもできないですしね。
しかしま、いずれにしろ「まだ早い夜」と言いたい気分はわかります。

「今日来む」は、平兼盛という人の詠んだ和歌から来ているようですね。

山里は 雪降り積りて 道もなし 今日来む人を あはれとは見む
(山里は雪が降り積もって道も無くなってしまったよ。今日、もし私のところに来る人がいたら、いとおしく思うだろうね。大歓迎ですよ)

というわけで、「こんな大雪だけど、どうしてるか心配だったんだよ、昼間は忙しくて来れなくてね、ごめんごめん」と来た人を、歓迎してる感じです、清少納言

円座(わらふだ)って何やねん。と思って、「円座」をYahoo!で検索したら、出ました。トップにはYahooショッピング、さすが孫正義。円座クッションの人気商品です。低反発のが今人気だそうですよ。妊婦さんの産後に、もちろん痔疾のある方とかにも、そのほか姿勢矯正、腰痛にいろいろメリットがあるようです。

違いますね。
「円座 わらふだ」で再度検索です。
この段で出てきた「円座」というのは、「藁蓋」とも書き、わろうだ(わらふだ)と読むらしいです。元々は、藁(わら)、藺 (い) 、蒲 (がま) 、菅 (すげ) などを縄にない、渦巻き状に編んで作った丸い敷物なので、こう言ったようです。当時の座布団みたいなものなんでしょう。

「雪某(なに)の山に満てり」って何?ですよね。
また調べました。

暁入梁王之苑 雪満群山 夜登庾公之楼 月明千里

どうも晩唐の詩人、謝観という人が作った「白賦」という詩の一部のようです。
訓読すると、「暁(あかつき)梁王(りょうおう)の苑に入れば 雪群山に満てり 夜庾公(ゆうこう)の楼に登れば 月千里に明らかなり」となります。まあ、読み方とか、どうでもいいと言えばいいです。ややっこしいこと言うな、って感じですよね。すみませんすっとばしてください。
で、意味は、(暁に梁王の苑に入ってみれば、雪が山々に降って満ちて真白になってます。夜に庾公の楼に登ったら、月の光が千里も先までも明るく照らしてます~)という感じです。これもまあ、どうでもいいっちゃあ、どうでもいいですね。

正確には「雪、群山に満てり」っていうべきところを「雪、ナントカの山に満てり」と、テキトーに聞いてる清少納言。まあ、いいでしょう。それぐらい適当でいいんです、人間。

ともかく、さすが風流男子。
雪の夜にオールで語り明かして、帰り際にこういう漢詩を何気に朗詠して去っていくの、なかなかの男前っぷりです。
前々段の笛を吹きながら帰って行くナルな彼よりは、かっこはいいですね。笑えるのは、圧倒的に笛吹き男のほうですが。
みなさんは、どちらがいいですか?

答え。どっちもいらん。


【原文】

 雪のいと高うはあらで、うすらかに降りたるなどは、いとこそをかしけれ。

 また、雪のいと高う降り積もりたる夕暮れより、端近う、同じ心なる人二三人ばかり、火桶を中に据ゑて物語などするほどに、暗うなりぬれどこなたには火もともさぬに、おほかたの雪の光いと白う見えたるに、火箸して灰など掻きすさみて、あはれなるもをかしきも言ひ合はせたるこそをかしけれ。

 宵もや過ぎぬらむと思ふほどに、沓の音近う聞こゆれば、あやしと見出だしたるに、時々かやうのをりに、おぼえなく見ゆる人なりけり。「今日の雪を、いかにと思ひやり聞こえながら、なでふことにさはりて、その所に暮らしつる」など言ふ。「今日来む」などやうのすぢをぞ言ふらむかし。昼ありつることどもなどうち始めて、よろづの事を言ふ。円座(わらふだ)ばかりさし出でたれど、片つ方の足は下ながらあるに、鐘の音なども聞こゆるまで、内にも外(と)にも、この言ふことは飽かずぞおぼゆる。

 明けぐれのほどに帰るとて、「雪某(なに)の山に満てり」と誦じたるは、いとをかしきものなり。「女の限りしては、さもえ居明かさざらましを、ただなるよりはをかしう、すきたるありさま」など言ひ合はせたり。

 

枕草子 上 (ちくま学芸文庫)

枕草子 上 (ちくま学芸文庫)