枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

ある所に、なにの君とかや

 「あるところ…ナントカの君とか言った女性のところに、良家の貴公子っていうほどではないけど、当時すごい風流人で抜群にセンスのいい人が、9月頃に訪れて、有明の月がすごく霧が立ち込めてて綺麗だったもんだから、彼が『今宵の名残りを、思い出してくれますように』って言葉を尽くして家を出てったのを、もう帰っちゃったかのなぁ?って、その女性が遠く見送ってる姿といったら、何とも言えないくらい、しっとり美しいの。彼が帰るフリをして引き返して、立蔀(たてじとみ)の間に身をひそめて立ち、やっぱり帰りたくない感じで、もう一回気持ちを伝えておこうって思ってたら、女は『有明の月のありつつも』って、ひっそりした声で言って覗いた、その髪が、頭の動きについてこないで、五寸(約15cm)ほどずれ落ちちゃって。頭が灯火を近くにつきつけたみたいになったんだけど、そこが月の光でいっそう輝いたもんだから、びっくりしちゃって、そそくさと帰ってきたのです」って話をしてくれたの、聞いたのよね。


----------訳者の戯言---------

旧暦9月というのは、今の暦で言えば10月か11月です。秋も深まる頃でしょうか。

立蔀(たてじとみ)というのは、「縦横に組んだ格子の裏に板を張り衝立(ついたて)のように作って屋外に置いて目隠しや風よけとしたもの」と、コトバンクに書いてありました。透けてないパーテーション的なものです。

当時、デートの帰りには、男はお別れを躊躇するっていうか、まだ離れたくない気持ちを態度で表すことが、いかしてると思ってたんでしょう、清少納言的には。気持ちはあるけど、そこはぐっとこらえて潔く去っていく男性、というのもなかなかのものだと思うんですが。

で、有明の月です。有明の月かどうかにかかわらず、昔は月を愛でることがポピュラーでした。今のようにテレビもスマホもパソコンもありませんから、日常的な娯楽の一つは、そういう四季折々の風景を楽しむことだったんですね。もちろん、音楽や和歌、本を読むこともそうなんですが、自然の風景を観賞するという行為の中では、「月を見ること」は風情のあるコンテンツの筆頭だったと言えるでしょう。

有明の月のありつつも」は、柿本人麻呂(660~724)の和歌から来ているようです。作者不詳の相聞歌でもあるようです。どっちだ。

長月の有明の月のありつつも 君し来まさばわれ恋ひめやも
(9月の有明の月が出るように、ずっとあなたが私のところに来て、居てくださるのなら、私はこんなに恋焦がれたりすることもないでしょうに)

前段でも書きましたが、「有明の月」とは、太陽が昇る時間になっても西の空に居続ける月のことを言います。そんな月のようにあなたがずっといてくれるなら…という恋心を詠んだんですね。9月、秋の夜長といいますが、夜が明けて空が明るくなってもまだ出ている有明の月を見て、そういう気持ちになったというのが、このシチュエーションです。

名残惜しくて、もう一言、何か言って帰ろうと戻ってみたら、彼女がこの歌の一節「有明の月のありつつも」と呟いてたと。

ですが、一転、このナントカの君という女性、鬘(かつら)だったということですか。当時の貴族女子はロングヘアでしたから、ウィッグだったんでしょうけど、男からすると、「え、ヅラだったん?」って感じで、しかも月が明るくその頭頂部が際立ったので、興ざめしたんでしょうか。

最後、「とこそ語りしか。」ってありますから、これ、誰かが言ったこの話を聞いたんですね。当事者ではなく、聞いた話を「また聞き」した体(てい)で書いてます。しかも「らしいよw」「ってことだよww」みたいなオモシロ話として書いてしまってます。ポリコレ的にどうよ。

しかし、こうして身体的欠点を嗤うようなことは、最低レベルに下品なことですよ、清少納言さま。
まさか後の世で、私ごとき庶民に下品と言われるとは、思ってもいないでしょうけどね。


【原文】

「ある所になにの君とかや言ひける人(=女)のもとに、君達にはあらねど、その頃いたう好いたる者に言はれ、心ばせなどある人の、九月ばかりに行きて、有明のいみじう霧り満ちておもしろきに、『名残思ひ出でられむ』と言葉をつくして出づるに、今は往ぬらむと遠く見送るほど、えも言はず艶(えん)なり。出づる方を見せてたちかへり、立蔀(たてじとみ)の間(あひだ)に陰(かげ)にそひて立ちて、なほ行きやらぬさまに今一度(ひとたび)言ひ知らせむと思ふに、『有明の月のありつつも』と、忍びやかにうち言ひてさしのぞきたる、髪の頭にもより来ず、五寸ばかり下がりて、火をさしともしたるやうなりけるに、月の光もよほされて、おどろかるる心地のしければ、やをら出でにけり」とこそ語りしか。