枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

正月に寺にこもりたるは④ ~犬防のかたより法師より来て~

 犬防ぎ(いぬふせぎ)の方から僧侶がやって来て、「よくよく願をかけさせていただきました。何日ほどお籠りなさってるのでしょうか。今はこれこれの方がお籠りになってますよ」なんて言って、去っていったかと思うと、すぐに火鉢や果物なんかを次々に持ってきてね、半挿(はんぞう)に手洗い用の水を入れて、取っ手のない盥(たらい)なんかもあるわ。「お供の方はあちらの宿坊にどうぞ」とかって、呼びながら連れてくから、代わる代わる行くのよね。誦経の鐘の音なんかを、あれは自分のための音なんだって聞くのも、願が叶いそうで頼もしい気がするわ。隣の部屋で高貴な男の人が、とても密やかにていねいに礼拝する、その立ったり座ったりの様子からは、分別をわきまえてるようだってことはわかるけど、すごく思いつめた様子で寝ないでお勤めするのには、すごくしみじみとしてしまうわね。休息をとる時には、お経を大きくは聞こえないくらいに読んでいるのも尊い感じがするわ。大きな声を出したいはずなのに、ましてや鼻なんかをはっきり聴こえないようにって、ひっそりとかんでるのは、どんなことを思って祈ってる人なんだろう? その願いを成就させてあげたい、って思うのね。


----------訳者の戯言---------

「犬防ぎ」というのは、仏堂で本尊を安置している「内陣」と、参拝者が入る「外陣(げじん)」との境に仕切りとして立てる、丈の低い格子だそうです。

「菓子」というのは、果物のこと。というよりも、昔は食事以外の食べ物を菓子と言ったんですね。それが主に果物とか木の実だったということなのでしょう。今でも果物のことは水菓子と言いますね。和食屋さんの懐石のコースなんかで、お品書きに水菓子とある、あれです。

ただ、現代は、水ようかん、わらび餅とか、みつ豆とか、くず餅、ゼリーなどのプルプルしたお菓子のことを指して、水菓子と言うことも多くなっています。そのほうがなんとなくイメージに合いますし、これらは間違いで果物こそが正解だと断じるほうがむしろ不自然です。あえて言うなら、「水菓子=果物」とする時代も私はそろそろ終わりだろうと思っています。わざわざ水菓子と言わなくても果物、フルーツで通じる、むしろそのほうがわかりやすいわけですから。「水菓子=プルプル菓子」で十分美味しそうなので、私はそれでいいと思いますよ。

半挿(はんぞう)というのは、湯水を注ぐのに使う器だそうです。柄のある片口の水瓶で、柄の中を湯水が通るようにしてあるらしい。その柄の半分が器の中に挿し込まれているのでこういう名前になったのだそうです。

盥というのは「たらい」なんですね。「たらい」って今はあんまり漢字は使わないんですが、これでタライです。100人のうち99人はこの字を一生のうち一度も書かないでしょうね。いや書く人、もっと少ないかもしれません。何の根拠もない適当な推測ですが、1000人に1人ぐらいでしょう。私も書かないと思います。

原文に「額などつく」とありますが、「額(ぬか)を突く」で、「ひたいを地や床につけるほど丁寧にお辞儀や拝礼をする」ということになります。「額づく」という語は、現在も「ていねいに礼拝すること」の意味で使われたりしますね。

原文にある「けざやかなり」は「はっきりしている。きわだっている。」ということだそうです。

清少納言の大好きな「身分の高い人」が出ては来たんですけど、どえらいコトをしでかすわけでもなく、割と地味です。こうやって結構淡々とレポートする段なのでしょうか。それとも?
⑤に続きます。


【原文】

 犬防のかたより法師より来て、「いとよく申し侍りぬ。幾日(いくか)ばかりこもらせ給ふべきにか。しかじかの人こもり給へり」など言ひ聞かせて往ぬる、すなはち、火桶、菓子などもてつづかせて、半挿(はんざふ)に手水(てうづ)入れて、手もなき盥などあり。「御供の人は、かの坊に」など言ひて呼びもて行けば、かはりがはりぞ行く。誦経の鐘の音など我がななりと聞くも、たのもしうおぼゆ。かたはらによろしき男のいと忍びやかに、額などつく、立居のほども心あらむと聞こえたるが、いたう思ひ入りたるけしきにていも寝ずおこなふこそいとあはれなれ。うちやすむほどは、経を高うは聞こえぬほどに読みたるもたふとげなり。うち出でさせまほしきに、まいて洟(はな)などを、けざやかに聞きにくくはあらで、忍びやかにかみたるは、何事を思ふ人ならむ、かれをなさばやとこそおぼゆれ。