枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

宮仕人の里なども② ~この人の供なる者どもは~

 この客人のお供のスタッフたちは嘆く風でもなくってね、このお客さんもう帰るのかなー、って、何回も何回も絶え間なく覗きに来て様子を伺ってる者たちを、笑ってるみたいなの。彼のお供たちが(この家の者たちの)口真似をしてるのなんか聞かれたりしたら、ましてどれだけ厳しく非難されちゃうかしら?
 それほどハッキリと表立っては言わなくても、想う気持ちのない人がどうして来るっていうの? その気のない人は来ないでしょ! でも、実直な男子は、「夜も更けました。門も危ないみたいだしね」なんて笑って帰って行くケースもあるの。ほんとに想う気持ちが特に強い男子は「早くっ!」なんて、何度も何度も追いやられるんだけど、それでも居座って夜を明かすもんだから、何回も(使用人たちが)見回りに来て、でも夜が明けてしまいそうな感じだから、レア過ぎだろ!こんな奴いねーよ!って思って、「ひどいよねぇ、門を今夜はだらしなく開けっぱなしにしてー」って聞こえるように言って、苦々しく明け方に門を閉めるなんていうの、どんだけ憎ったらしいかしら! 親が同居してたら、やっぱそういうことになるのよねー。ましてや、実の親じゃない場合は、どう思ってるんだろ?って遠慮しちゃうわよ。兄の家なんかでも、気づまりな間柄だったら遠慮もするでしょうしね。


----------訳者の戯言---------

原文に「今宵らいさうとあけひろげて」とあります。「らいさう」というのは、漢字で「懶散(らいさう)」と書くらしいですね。だらけてる、だらだらしている、たるんでる、というような意味だそうです。こんな熟語、一生使いませんけどね。

これまでにも「囂し(かしがまし)」(=やかましい、うるさい)という漢字とか、「盥(たらい)」っていう字とか、「闈(みかど)」(=宮中の門の鍵)とか、見たことのない、一生書くこともないような漢字がちょいちょい出てきましたけど、またかよ。かんべんしてくれよー。という感じです。

この段、原文を読んでいただくとわかるかと思いますが、ものすごく訳しにくいです。
どう解釈したらいいのか、主語が明確に示されてていない箇所も多いですし、誰がどう思って、何言ってるんですか?みたいな感じですよね。ふわーっとしてます。私だけですか。
これ、人によって解釈違ってきそうですね、まじで。間違っているかもしれないので、先に言い訳しておきます。

そんな時は清少納言の気持ちになって読みましょう。
せっかく、めっちゃグイグイ来てる男子(とその人のお供)を、家の者とか使用人とかが、迷惑がって、早く帰らせろー、門閉めろー、みたいな感じになってるの、親と同居してたら、憎たらしいけど、まあ仕方ないか。けど、実の親の家じゃなかったり(親戚とか知り合い?)、兄の家だったりしたら、遠慮もするし、気も遣いますわー。ということでしょうか。

わかったようなわからないようなまま、③に続きます。


【原文】

 この人の供なる者どもはわびぬにやあらむ、この客(かく)今や出づると絶えずさしのぞきて、けしき見る者どもを笑ふべかめり。まねうちするを聞かば、ましていかにきびしく言ひとがめむ。いと色に出でて言はぬも、思ふ心なき人は、必ず来などやはする。されど、すくよかなるは、「夜ふけぬ。御門あやふかなり」など笑ひて出でぬるもあり。まことに心ざしことなる人は「はや」などあまたたび遣(や)らはるれど、なほ居明かせば、たびたび見ありくに、明けぬべきけしきを、いとめづらかに思ひて、「いみじう、御門を今宵らいさうとあけひろげて」と聞こえごちて、あぢきなく暁にぞさすなるは、いかがはにくきを。親添ひぬるは、なほさぞある。まいて、まことのならぬは、いかに思ふらむとさへつつまし。兄人(せうと)の家なども、けにくきはさぞあらむ。