枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、「わかりやすい」「初心者向け」となっているとは思いますがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

かへる年の二月廿余日③ ~御前の梅は~

 梅壺の前庭の梅は、西のは白く東のは紅梅で、少し散りかかってるけど、まだいい風情で。うららかな日差しがのどかで、人に見せたくなるほどなのよね。
 御簾の内側が、もっと若々しい女房なんかが、髪がうるわしくこぼれかかって……なんて物語で語られるような姿で受け答えしてるんだったら、もうちょっとは面白くって見どころもあるんでしょうけど、盛りはとっくに過ぎて古びてしまってる私みたいなのが、髪なんかも自分の髪じゃなくなってる(エクステ??)せいだからかなぁ、ところどころ乱れて絡まって、みんな、いつものみたいに華やかな色の服とは違う(喪服を着てる)時期で、色があるかないかぐらいの薄いグレーの上着に、色合いがはっきりしない着物ばっかりいっぱい重ね着してるんだけど、全然見映えもよくなくって、定子さまもお見えにならないから、裳も付けてないし、袿姿でいたのが、せっかくの雰囲気ぶち壊しで残念なことだったわ。


----------訳者の戯言---------

薄鈍=薄い鈍色、です。鈍色というのはグレーですね。リンク参照ください。

裳(も)というのは、「表着の上で腰に巻いて、後ろに裾を長く引くもの」だそうです。礼装でそういうのがあったらしい。

袿(うちぎ/うちき)というのは、以前、「今内裏の東をば」という段で出てきました。主に女性が着る長い上着で、男性が中着として着用する場合もあるらしいやつです。
私が見た感じ別にラフすぎるようには思えないですが、当時の日常着、普段着という位置づけの装いなのだそうですね。

原文で「おほかた色ことなる頃なれば」(みんな、いつものみたいに華やかな色の服とは違う時期で)とありますが、この時期は前の関白、つまり藤原道隆中宮定子の父が亡くなって1年たっていない頃のようで、つまり喪中であるため、近しい者は派手な着物は避け地味な色を着ていたようです。

というわけで、美男子の頭の中将・藤原斉信に対して、私(清少納言)のほうは、どんなかと言えば、若いコだったらいいんだろうけど、こんなオバサンだし、着てるものも喪中だから地味だし普段着だし、と、清少納言、柄にもなくコンプレックス感じまくり、自嘲気味。藤原行成の時もそうでしたが、颯爽としたエリート美男子の前では、乙女になりがちなのかもしれません。


【原文】

 御前の梅は西は白く東は紅梅にて、少し落ちがたになりたれどなほをかしきに、うらうらと日のけしきのどかにて、人に見せまほし。御簾の内にまいて若やかなる女房などの、髪うるはしくこぼれかかりてなど言ひためるやうにて、もののいらへなどしたらむは、今少しをかしう見所ありぬべきに、いとさだ過ぎふるぶるしき人の、髪などもわがにはあらねばにや、所々わななきちりぼひて、おほかた色ことなる頃なれば、あるかなきかなる薄鈍(うすにび)、あはひも見えぬ<うす>[きは]衣などばかり[など]あまたあれど、つゆの映えも見えぬに、おはしまさねば、裳も着ず、袿(うちき)姿にてゐたるこそ、物ぞこなひにて口惜しけれ。

 

枕草子 (新 日本古典文学大系)

枕草子 (新 日本古典文学大系)