枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

関は

 関っていうと…。逢坂の関、須磨の関、鈴鹿の関、岫田の関、白河の関、衣川の関。ただごえの関(ただそのまま越えるだけの関)は、はばかりの関(躊躇する関)とは、比べようがないなって思うわ。横はしりの関。清見が関。みるめの関。よしよしの関っていうのは、何でその名前に改めて考えて付け直したんだろ?ってすごく知りたいわ。勿来(なこそ)の関はどうして勿来(なこそ=来るなよ)の関っていうのかしら。男女が逢うっていう言われの「逢坂の関」なんかみたいに由来を改めて思い返してみたりしたら、(『勿来の関』の場合は)つらい気持ちになってしまうでしょうね。


----------訳者の戯言---------

逢坂の関はこの前、「はるかなるもの」に詳しく書きました。この辺り畿内周辺では代表的な関です。

須磨の関は、今の神戸市須磨区摂津国播磨国との境に置かれてたらしく、今は関守稲荷神社というところだそうです。

鈴鹿の関は、「三重県亀山市鈴鹿峠の麓にあった関所。美濃の不破(ふわ)の関、越前の愛発(あらち)の関とともに古代三関の一。」と書かれています。(コトバンク/デジタル大辞泉

岫田(くきた)の関は、まったくわかりません。岫田という地名を探したんですが、今は無いんですね。岫という字自体、私知りませんでしたから。山の洞窟っていうか、山の斜面とか崖にある洞穴のことらしいです。ま、どうでもいいですか。

白河の関は、今の福島県白河市にあった関です。鼠ヶ関(ねずがせき)、勿来関(なこそのせき)とともに、奥州三関の一つに数えられたとか。

衣の関は、今の岩手県にあったとされている衣川の関のことらしいです。平安後期、陸奥国の土着で、有力豪族だった安倍氏が設置した、平泉の北西にあった関所と解説されていますが、これは前九年の役(1051~)の頃のことです。当然、枕草子が書かれたのはそれよりも50年も前のことですから、もっと前からあったのだとは思います。一説によると坂上田村麻呂が最初につくったとかいうことですから、まあ、知られた関だったんでしょうね。

また、「衣の関」というのには、「衣服でへだてていること。すぐ身近にいながらも、男女が関係を結ばないことのたとえ」という意味合いもあったらしいです。なるほど、なかなか艶のある言い方ですね。

ただごえの関。わかりませんでした。そんな名前の関がどこかにあったのでしょう。で、「ただごえの関」がどういうところか?という話ではなく、名前の意味、イメージから、あれこれ述べるという清少納言得意のパターンですね。「ただ越える」つまり、「シンプルに越えるだけの関」っていうことなんですね。

これに対して、「はばかりの関」です。
「憚りの関」とネーミングしたというからには、「躊躇する、たじろいじゃう、遠慮してしまう」関ってことですか。現在の宮城県南部柴田郡、韮神山の下にありました、とのこと。この地に赴任した藤原実方が次のような歌を残しています。

やすらはで思ひたちにし東路(あずまじ)にありけるものをはばかりの関
(ためらこともなく思い立って来た東国だけど、やっぱいざ来てみると、名前どおり躊躇しちゃう「はばかりの関」なんだよね)

さて、藤原実方。一時期、清少納言とつきあってたこともあったんじゃないか、とも言われてるプレイボーイですね。もちろん、すでに枕草子には登場済みです。「小白河といふ所は①」「宮の五節いださせ給ふに②」の「訳者の戯言」をご覧ください。

この藤原実方、長徳元年(995年)に突然、陸奥守に左遷されます。この枕草子で頻繁に登場する帝=一条天皇から「みちのくの歌枕を見て参れ」と言われたらしい。ほんまかいな。
実は、この左遷、一条天皇の目の前で藤原行成と和歌について口論になって、怒った実方が行成の冠を奪って投げ捨てるというトンデモ事件が発生。このため実方は天皇の怒りを買って、前述の「歌枕を見て参れ」と命じられたとする逸話があるそうです。おもしれー。
しかし、実方の陸奥行きに際して、一条天皇から多大な餞別を受けたということが、当の藤原行成の日記に書かれてもいるらしく、左遷とは言えないという説もあるそうです。

この実方、ちょっと前に出てきた定子の弟、隆家と友だちだったらしいです。実方はすでに40歳ぐらいのおじさん(たぶん)ですから、結構年の差ありますけどね。

かなり話が逸れました。原文は短いのに。
で、ま、「すんなり越える関」と「ビビっちゃう関」、比べ物にならんでしょ、ってことですね。

横はしり(横走り)の関。駿河国と言いますから、静岡県ですが、御殿場市とか、小山町とか、諸説あるそうです。文字どおり横に走るってことでしょうか。「欽ちゃん走り」的な? まあ、間違いとも正解とも言えませんが、そんな感じですね。転じて、「回り道する」ことらしい。清少納言的に名前が変なので気になったのか、いいところだったのか、わかりませんが。

清見が関も、駿河国です。静岡県静岡市清水区にあった関だそうです。前は清水市だったところですが、今は静岡市清水区なんですね。知りませんでした。エスパルスの本拠地で、ちびまる子ちゃんの舞台、ということくらいは、まあ知ってるんですが。すみません。名前に特徴があるわけではないのでいい感じのところだったんでしょうか。

みるめの関。これはどこなのかわかりませんでした。みるめ=海松布です。食用の海藻をこう言ったそうですね。単に「布(め)」とも言いましたし、「海布/海藻」「海松」(みる)とも言ったようです。海藻に何か関係のある関なのでしょう。
そういえば「里にまかでたるに①」の段で清少納言の元夫・橘則光が海藻をめっちゃ食べる、という描写がありました。

よしよしの関。なんだこの名前。というか、荒川良々ですけどね、よしよしと言えば。まあ、荒川良々の名前をはじめてみた時も「なんだこれ」と思いましたけどね。

勿来関(なこそのせき)は白河の関のところでも書いたように、奥州三関の一つです。「来るな」という意味ですね。

清少納言的に「心にひっかかった関」でしょうか。所謂「歌枕」とされてる雰囲気のいい関、名前がなんか変わってる関、なんじゃこりゃ?っていう関、等々を列挙しています。

それはそうと、これだけの短い段に、時間かけすぎでしょ、私。話は逸れるし。こんなことやってるから、まだ半分も読めてません。読了まであと何年かかるのか、先は長いようです。


【原文】

 関は 逢坂。須磨の関。鈴鹿の関。岫田(くきた)の関。白河の関。衣の関。ただごえの関は、はばかりの関と、たとしへなくこそおぼゆれ。横はしりの関。清見が関。みるめの関。よしよしの関こそ、いかに思ひ返したるならむと、いと知らまほしけれ。それを勿来(なこそ)の関といふにやあらむ。逢坂などを、さて思ひ返したらむは、わびしかりなむかし。