枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、「わかりやすい」「初心者向け」となっているとは思いますがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

里にまかでたるに③ ~さて、のち来て~

 それから後日になって、彼が来て、
「あの日の夜は責め立てられて、何となく適当な所をお連れして歩いたんだ。本気で非難されるもんだから、めちゃくちゃ辛くてさ。ところで、どうしてあの時どうするかご返事がなくって、ワケわかんない布=海藻の切れっ端なんか包んで下さったのかな? 変な包み物だぜ。人にあんな物包んで送るなんてことある? 間違ったんだね」
って言うのよ。全然こっちの気持ちが伝わってないなって思って、憎ったらしいから、硯のとこにある紙の端っこに、

かづきする あまのすみかを そことだに ゆめいふなとや めを食はせけむ
(海に潜る海女のように姿を隠してる私の住みかを、そこだって絶対に言うなって目配せ《布を食わせ》したのに《それに気づかないってどういうこと!》)

って書いて差し出したら、「歌をお詠みになったんだね。絶対に見ないし」って、紙を扇で返して、逃げて帰っちゃったのね。


----------訳者の戯言---------

なるほど、そういうことですか。
しかしまあ、そもそもこの二人、センスが違い過ぎます。どうして結婚したんでしょう?
文学に興味なしバリバリの体育会系現実主義者(実務家と言ってもいいかもしれない)と、すぐに古典を引用してくる知識自慢の超文科系(ロマンチストでもあり)ですからね。お互いに足りないものを持っている、まったく正反対だからこそ惹かれたとも言えますが、結局はこうなるんですね。やっぱりある程度はセンスが似てないとうまくいかないでしょう。
南キャン山里と蒼井優もそんな感じのこと言ってましたっけ。
しかしこれまた、そっくりそのまま全く一緒のセンスでも、それはそれでおもしろくないんですけどね。

というわけで、顛末は? 何となく見えた気がしますが、④ラストに続きます。


【原文】

 さて、のち来て、「一夜はせめたてられて、すずろなる所<々>[から]になむ率てありき奉りし。まめやかにさいなむに、いとからし。さて、などともかくも御返りはなくて、すずろなる布(め)の端をばつつみて賜へりしぞ。あやしのつつみ物や。人のもとにさるものつつみて送るやうやはある。取り違へたる<か>」と[て]いふ。いささか心も得ざりけると見るがにくければ、物も言はで、硯にある紙の端に、

かづきするあまのすみかをそことだにゆめいふなとやめを食はせけむ

と書きてさし出でたれば、「歌よませ給へるか。さらに見侍らじ」とて、あふぎ返して逃げて往ぬ。