枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

かへる年の二月廿余日⑤ ~暮れぬれば参りぬ~

 日が暮れてから、私は御前に参上したの。御前にはすごくたくさんの人がいて、帝付きの女房も来てて、「物語」の良し悪し、嫌いなところなんかを議論したり、批判したりしてるのよね。

 で、源凉(みなもとのすずし)や藤原仲忠(ふじわらのなかただ)なんか(『宇津保物語』の登場人物)について、定子さまに対しても、優劣をあれこれと、お話ししてたの。「まずこれはどうかしら? 早く意見を言って。中宮様は仲忠の幼少時代のみすぼらしさをしきりにおっしゃってるんだけど?」なんて言うんだけど、私は「それがどうしたっていうの? 仲忠がまるでダメなワケ? 彼は琴なんか天人が降りてきたみたいに弾いて、帝のお嬢様をGETしたのよ。凉は帝のお嬢様をめとることができるかしら? できないわけでしょ」って言ったら、仲忠派の女房たちは、味方ができたって勢いづいちゃってね。
 「そうだよねー」なんて言ってたんだけど、定子さまが「そんなことより、お昼に斉信が参上した姿を見たら、どんなに誉めてメロメロになっちゃうんだろうなって思ってたの」っておっしゃると、みんな「そう、ホント、いつもよりもっといかしてたわ…」なんて言うの。
 私は「そう、まずそのことを申し上げようと思って参上したんですが、物語のことに気を取られちゃってて」って言って、さっきあったことをお話ししたら、「みんなお姿は見たけれど、あなたみたいにそこまで着物の縫い糸や針目までは見てたでしょうかねぇ」ってみんな笑うのよ。

 「『西の京っていうところの、風情のあることといったらね、一緒に見る人がいたらなぁ、って思ったもんだよ。垣根なんかもみんな古びて、苔が生えてて』なんて話したら、(女房の)宰相の君が、『瓦に松はありつるや』(瓦に松はありましたか)って答えたのをとっても誉めて、『西の方、都門を去れる事いくばくの地ぞ』(西の方っていうのは都門から離れてどれほど遠い土地なのか)って口ずさんだのよ!」なんて、みんながうるさいくらいに話したのは、おもしろいできごとだったわね。


----------訳者の戯言---------

「宇津保物語」は平安時代中期に成立した日本最古の長編物語。作者未詳。源順(みなもとのしたごう)とする説もあるそうです。この頃に「物語」と言えばまあ「宇津保物語」だったんでしょうね。

あらすじはこうです。

清原俊蔭という人は王族出身の秀才で若年にして遣唐使一行に加わって唐に渡る途上、波斯(はし)国に漂着し、阿修羅に出会って秘曲と霊琴を授けられて帰国、これらを娘に伝授します。俊蔭の死後、家は零落、娘は藤原兼雅との間に儲けた藤原仲忠を伴って山中に入り、杉の大樹の洞で雨露をしのぎ仲忠の孝養とそれに感じた猿の援助によって命をつなぎます。
「うつほ」は空洞の意。この母子が潜んだ大樹の洞にちなみ「うつほ物語」となったようです。
なお、藤原兼雅という人は後世実在しましたが、ここでの登場人物とはまったく違います。

一方、源正頼の娘貴宮(あてみや)が仲忠ら多くの青年貴族の求婚を退け、東宮(皇太子)妃となり、やがて皇位継承争いが生じる過程を描く物語ももう一つの柱となっているようです。

つまり、四代にわたる霊琴にまつわる音楽霊験談と貴宮をめぐる物語。この両者がからみあって展開するお話だそうで、
琴の物語が伝奇的であるのに対し、後半の貴宮の物語は写実的傾向があり、やや統一を欠いているのは否めないようですが、この物語が、後の物語、つまり「源氏物語」などへと続く現存最古の長編小説であるのは確かで、高い評価もあるようです。

波斯国というのはペルシャのことらしいですが、今のイランです。が、「宇津保物語」の波斯国がペルシャ(イラン)かというと、そうではないようですね。遠すぎますし。推察されているのはミクロネシアあたりの小島ではないかということ。ただ、そもそも伝奇的なフィクションですし、架空の国と考えておけばいいでしょう。

源凉というのは、貴宮に求婚する貴族の一人です。仲忠も求婚しますからライバルですね。ただ、最終的には皇太子妃になるそうですから、どっちも敗退します。

とまあ、私、読んだわけでもないのにネットで得た情報でダイジェストしました。なんか、読んだような気がしてきましたね。なわけないですか。

では、現代語訳について。
私が立ち止まってしまったのは「何か。琴なども、天人の下るばかり弾き出で、いとわるき人なり。帝の御娘やは得たる」の部分です。

「天人の下るばかり弾き出で」は誉めています。「いとわるき人なり」は貶しています。いったい誰のことを言っているのか?ということですね。
私の訳は「それがどうしたっていうの? (凉は)琴の弾き様なんか、天人が降りてきたみたいだし、全然よくないの。(凉は仲忠みたいに)帝のお嬢様をめとることができるかしら? できないわけでしょ」としています。

しかし、やはり違和感はありますね。自信はないです。というわけで、ネットでいくつかこの部分の訳を探してきました。が、↓このような訳となっていて、バラバラですね。訳者によって解釈がここまで違うのかという感じです。

・(涼は)琴なども、天人が愛でて降ってくるほどに弾いて、つまらない人~
・(涼は)琴など弾いても天人が降ってきたお話のようなもので、あまり大したことのない人~
・(凉の)琴の腕前は天人が舞い降りてくるほどの名手でもないし、全くつまらない人~
・(仲忠は)琴なども天人が降りるほど弾いたし、そんなに悪い人ではない~
・(仲忠は)琴なども天人が降りてきたみたいに弾くのに~

うーん、どう見ても、違和感は消えません。

で、さらにいろいろ調べたんですが、「いとわるき人」が「いとになき人」の誤写である可能性がある、という説があるらしい、とうことがわかりました。ただ論文はまだ見つけられていないのですが。

ただこの説を採用して「琴なども、天人の下るばかり弾き出で、いとになき人なり」なら、かなり訳しやすくなります。

「になし」は「二つとない、比類ない」ですから、この部分の主語は「仲忠」で、「(仲忠は)琴なんか天人が降りてきたかのように弾いて、まったく他に比べる人なんていないの」となりますから。とても自然な訳になりますね。こっちに変えてもいいくらいです。

で、お願いなんですが、この記事を読んだ方で、「こうではないか」というご意見があれば、ぜひ伺ってみたいと思っています。よろしくお願いします。

さて。
最後のほうで出てきた「宰相の君」は女房の一人のようです。宰相というからには、そのような官にあった人に縁のある女性だと推察されます。宰相というのは「参議」の唐名です。参議というのは納言に次ぐ位置にあります。「四位以上の位階を持つ廷臣の中から、才能のある者を選び、大臣と参会して朝政を参議させたもの」とウィキペディアに書いてありますから、まあまあのクラスの人の娘、妻などだったのでしょう。
「女房名」については、「小白河といふ所は①」や「職の御曹司の西面の立蔀のもとにて②」の解説部分に詳しく書いています。ぜひご参照ください。

 「瓦に松はありつるや」は、「白子文集」にある「牆有衣兮瓦有松」(塀に衣あり、瓦に松あり)というフレーズを出典とした「返し」だそうですね。
さらに、これに続くワンフレーズ「西去部門幾多地」(西の方、都門を去れる事いくばくの地ぞ)と口ずさんだ頭の中将(藤原斉信)、美男子、おしゃれ、知的、アドリブも利きますから、モテる要素満載、女房たちが大騒ぎするのも仕方ありません。

この段では、いかに頭の中将(藤原斉信)がかっこええか、というところに焦点が当たってます。女房たちみんなメロメロっぽいですし、清少納言ももはや陥落寸前。ということでいいのでしょうか? ま、いいですか。

まあまあ面白かったです、私。


【原文】

 暮れぬれば参りぬ。御前(ごぜん)に人々いとおほく、うへ人など候ひて、物語のよきあしき憎き所なんどをぞ定め言ひそしる。

 涼(す<ず>し)、仲忠(なかただ)などがこと、御前にも劣り優りたるほどなど仰せられける。「まづこれはいかに。とくことわれ。仲忠が童生ひのあやしさを、せちに仰せらるるぞ」などいへば、「何か。琴なども、天人の下(お)るばかり弾き出で、いとわるき人なり。帝の御娘やは得たる」といへば、仲忠が方人ども所を得て。「さればよ」などいふに、「このことどもよりは、昼、斉信が参りたりつるを見ましかば、いかにめで惑はましとこそおぼえつれ」と仰せらるるに、「さて、まことに常よりもあらまほしうこそ」などいふ。「まづそのことをこそは啓せ<め>[む]と思ひて参りつるに、物語のことにまぎれて」とて、ありつることども聞こえさすれば、「たれも見つれど、いとかう、縫ひたる糸・針目までやは見とほしつる」とて笑ふ。

 「『西の京といふ所のあはれなりつること、もろともに見る人のあらましかばとなむおぼえつる。垣などもみな古りて、苔生ひてなむ』など語りつれば、宰相の君の『瓦に松はありつ[る]や』といらへたるに、いみじうめでて、『西の方、都門を去れる事いくばくの地ぞ』と口ずさびつること」など、かしがましきまで言ひしこそをかしかりしか。


検:かへる年の二月廿日よ日 返る年の二月二十余日 返る年の二月二十日よ日

 

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