枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

頭の中将の、すずろなるそら言を聞きて③ ~蘭省花時錦帳下と書きて~

蘭省花時錦帳下 

って書いて、「これに続く後の句はどうでしょうか?」と書いてあるんだけど、どうやって返事すべきなんでしょ。中宮さまがいらっしゃったらお見せして相談もするんだけど、これ、いかにも知った風な顔で、下手な漢字を書いたりしても、かなり見苦しいだろうよねーなんて思いめぐらせてる間にも、返事を催促してくるのよね。なもんだから、ただその紙の端っこに、火鉢に消し炭があったのを使って、「草の庵をたれかたづねむ」って書いて使者に渡したんだけど、それっきり返事は来ないの。


----------訳者の戯言---------

「蘭省花時錦帳下」という一節は、「白氏文集」の中にある「蘭省花時錦帳下、廬山雨夜草庵中」から抜粋されているようです。白氏というのはあの白楽天白居易)ですね。
意味は、「あなたたちは花の盛りの季節、錦のとばりの下で華々しく過ごしてるけど、私は廬山という山の中、雨の夜を粗末な庵で寂しく過ごしているのだ」という感じのようです。

で、この漢詩の前半部分の続きを問われた清少納言。そのまんま続きを書いて返したんじゃ芸が無い、と、「草の庵をたれかたづねむ」と和歌の下の句(七七)で応えます。で、実はこの「草の庵をたれかたづねむ」というのにも出典があるようで、当時の公卿の一人で和歌の名人でもあった藤原公任の「大納言公任集」に書かれている「いかなるをりにか『草のいほりをたれかたづねむ』とのたまひければ、いる人たかただ『九重の花の宮こをおきながら』」からのものなのだそうですね。

内容はこうです。
大納言であった藤原公任が、いつの時だかに「草のいほりをたれかたづねむ(粗末な庵を訪ねる者なんか居るのかな? いないよね)」と下の句をおっしゃったので、藤原挙直(たかただ)という人が「九重の花の宮こをおきながら(花の都である宮中をさしおいてね)」と上の句を返した、と。
だとしたら、藤原挙直のほうがセンスある、ということになるんですか? どうなんですか?

否、そもそも白楽天漢詩を知った上で、これを和歌にアレンジしようと試みつつ、ちょっとした問答形式のお遊びにしてしまう、という藤原公任もなかなかのセンスと見るべきかもしれません。

いずれにしても、二重三重に博学の方やら、名歌人やらがバックグラウンドにいて(実際文章には出てきてない隠れキャラも含め)、なんかクイズ&アドリブ合戦みたいになってます。今で言うと、ラッパーがやってるMCバトルみたいなもんですか。違いますか。

というわけで、この段、まだまだ先が長いようです。④へ続きます。


【原文】

蘭省花時錦帳下 

と書きて、「末はいかに、末はいかに」とあるを、いかにかはすべからむ、御前おはしまさば、御覧ぜさすべきを、これが末を知り顔にたどたどしき真名書きたらむもいと見苦しと思ひまはすほどもなく責めまどはせば、ただその奥に炭櫃に消え炭のあるして、

草の庵をたれかたづねむ

と書きつけて取らせつれど、また返りごとも言はず。


検:頭の中将のすずろなるそら言を聞きて

 

こころきらきら枕草子 ~笑って恋して清少納言

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