枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

よき家の中門あけて

 高貴なお屋敷の中門を開けて、白くてキレイな檳榔毛の車に、蘇芳の下簾の色あいが綺麗なのを、榻に立てかけてるのはすばらしいものだわね。五位、六位なんかの人が下襲の裾を帯に挟んで、笏のすごく白いのに扇を置いて、行ったり来たりして。それから、ちゃんと身支度をして、壺胡籙(つぼやなぐい)を背負った随身が出入りしてるのも、立派なお屋敷にふさわしいのよね。お料理担当の女性スタッフのこざっぱりと綺麗な人が出てきて、「誰々様のお供の方はいらっしゃいますか?」なんて言う様子もいい感じ。


----------訳者の戯言---------

中門というのは何かと言いますと、当時のお屋敷(寝殿造)の東西にあった門です。寝殿造りの詳細は省きますが、東西に各々「対屋」という建物があって、そこからそれぞれに南に向かって廊下が出てるんですが、その途中に門があるんですね。その門が、真ん中にある寝殿の南側の庭への出入口となったようです。

檳榔毛(びろうげ)の車については、「檳榔毛はのどかに」の段でも書きました。ビラビラで飾った豪華仕様の大型車ですね。

蘇芳というのは、蘇芳という植物で染めた黒味を帯びた赤色。インド・マレー原産のマメ科の染料植物だそうです。

「匂ひ」というのは、もちろん香りの意味もあるんですが、「色あい、色つや」みたいな意味で使われることも多いようです。前に「木の花は」の段で梨の木の花について「花びらの端に、をかしき匂ひこそ」と書かれていたのも、同様です。

榻(しぢ)は拙ブログ「徒然草を現代語訳したり考えたりしてみる」の「第四十四段 みすぼらしい竹の編戸の中から」に図がありますのでご参照ください。轅(ながえ)という、牛車の前に長く突き出ている柄の部分を置くような台ですね。

下襲というのは、今で言うとシャツ的なものですね。上着の下に着るやつです。裾がまあ長くて、「裾出し」で着こなすわけですが、後年、さらにどんどん長くなっていくようです。

笏(さく/しゃく)はご存じのとおり、束帯のとき威儀を正すために持ってた長さ1尺2寸 (約 40cm) の板状のものです。ドラマとかでもちょいちょい見かけるし、昔の絵とかでも見たことあります。あれですね。「こつ」ともいうらしいです。

胡籙(胡簶/やなぐひ)矢を差し入れて背に負う武具だそうです。壺胡籙は筒形のものだそうです。近衛の武官が儀式の時の警固に用いたそうです。
随身はたびたび出てきます。ボディガード役のスタッフです。

前の段に続いて、ある日ある場所のワンシーンを切り取ってる感じですね。

さて。
新しい元号が令和に決まりました。「初春の令月にして気淑く風和ぎ」という、万葉集の中の序、詞書みたいなのから採ったようです。大伴旅人のらしいですね。「初春のよき月に、風が和らいで」という感じですか。英訳すると「order & harmony」とか言われているそうですが、ちょっとニュアンスが違うような気もします。

で、これにちなんで、全然関係は無いですが、この枕草子が書かれた頃の元号について書いておきますね。時代はおおむね995年頃から1001年頃とされているようですから、長徳、長保(ちょうほう)あたりです。長徳は5年しかありませんでした。
前にも書きましたが、長徳2年、中宮定子の兄・藤原伊周が花山法皇を襲撃した事件がありましたね。それに起因する政変が「長徳の変」と言われています。詳細は「大進生昌が家に①」の解説部分に書いていますので興味があればご覧ください。


【原文】

 よき家の中門あけて、檳榔毛の車の白くきよげなるに、蘇芳の下簾、匂ひいと清らにて、榻にうちかけたるこそめでたけれ。五位、六位などの下襲の裾挟みて、笏のいと白きに、扇うちおきなど行きちがひ、また装束し、壺胡籙負ひたる随身の出で入りしたる、いとつきづきし。厨女の清げなるが、さし出でて、「なにがし殿の人や候ふ」などいふもをかし。

 

リンボウ先生のうふふ枕草子

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