枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

関白殿、二月二十一日に⑰ ~関白殿、その次々の殿ばら~

 関白・道隆さま、その次々の弟さま方々いらっしゃる全員で、女院のお車を大切にお守りしてお供していらっしゃるのはすごくすばらしいわ。このご一行をまず拝見して、ほめたたえて騒いじゃうの。こちらで牛車を20台立て並ばせてるのも、いい感じだな、ってあっちからは見てるんでしょうね。
 早く定子さまが出ていらっしゃったらいいのに…ってお待ち申し上げてるんだけど、すごく長く待ってるの。どうなってるのかしら?って不安になるんだけど、ようやく采女8人を馬に乗せて引いて出たのね。青裾濃(あおすそご)の裳、裙帯(くたい)、領布(ひれ)なんかが風に吹かれてなびいてるのが、すごくいかしてるの。「ふせ」っていう采女典薬寮の頭(長官)・(丹波)重雅が懇意にしている女性なのね。葡萄染め(えびぞめ)の織物の指貫をはいてたから、「重雅は禁色(きんじき)を許されたんだな」なんて言って、山の井の大納言がお笑いになるの。


----------訳者の戯言---------

「からうじて(からうして)」というのは現代も使われる「かろうじて」と同じような意味なんですが、調べてわかったのが漢字で書くと「辛うじて」なんですね。「ようやく」とか「やっとのことで」なんですが、字を見てなるほどなーと思いました。激辛担担麺とか激辛カレーとかを食べきった時の感じですね。違いますか。いや、あの感じでしょ? 蒙古タンメン中本のカップ麺の辛味オイルをすべて入れて食べきった時のあれ。あんな大変なことなのか? 否、あれほどではありません。

青裾濃(あおすそご)は青色で上のほうを薄く、裾のほうになるほど濃く染めたもの。グラデーションですね。ただ、先日も書いたように青色というのはおもに青、緑、藍ではあるんですが、それだけでも特定できないのに、黒と白との中間の範囲を示す広い色名であるわけで、イメージするのがめちゃくちゃ難しいんですよね。

裙帯(くたい)というのは、女子が朝廷に勤める際に裳の腰の上に締めて前側左右に長く垂らした幅の狭い飾り帯。だそうです。采女もこれを着けていたんですね。

領巾(ひれ)。両肩に後ろから掛けて前に垂らす一幅(ひとの)または二幅(ふたの)仕立ての布帛。めっちゃ長いマフラーを巻かずに地面に垂らしてる感じです。イタリアンマフィアの人がマフラーかストールかを掛けてるでしょ。あれの長い版みたいなもののようです。しかし、地面に引きずってますから、汚れるし歩くのにもかなり邪魔だとは思うんですがね。

調べて見ると、ここ(三巻本)では「ふせ」と書かれていますが、能因本では「豊前(ぶぜん)といふ采女」となっています。どちらが正しいのかははっきりとわかりません。「ふせ」は丹波重雅が懇意にしている女性だったようですね。

典薬と出てきましたが、正式には「典薬寮」という機関、というか役所ですね。宮内省に属して医療や調薬を担当する部署だそうです。皇室の医療ではなく、この部署は官人の医療、それと医療従事者の養成、薬園の管理なんかを主にしたらしいです。この段の頃は丹波重雅という人が頭(かみ=長官)をしていたようですね。丹波家というのはこの人の父親の功績により医家となった家系のようで、典薬頭(てんやくのかみ)も世襲的に継いでいったようです。

禁色(きんじき)というのは、朝廷で一定の地位や官位等の人以外には禁じられた服装のことなんですね。今なら立派なパワハラですが。特定の色のほか、生地の質なんか含めて決められてたらしいです。文様のある織物も含まれたり。逆に誰でも使用できる色のことを「ゆるし色」と言ったそうです。禁色が特定の人には許されたり、女房女官にはユルくされたりもしたようです。


「ふせ」さんという采女が馬に乗るために指貫をはいてたんですね。指貫は普通は男性のカジュアル系パンツなんですが、この日は女子だけどはいてたと。葡萄染は典薬寮の頭にとっては禁色だったんでしょうね。「織り」とあるのも綾などの文様のものだったのでしょう。采女にはこの禁色が許されたので「ふせ」ははいてたんでしょうけれど、それを山の井の大納言(藤原道頼)が笑いをとろうとネタにしたんですね。
愛人がいるのを見て「あれれ、典薬の頭は禁色を許されたんだな」って言ったわけです。例えて言えば、山の井取締役が丹波営業部長と社長秘書室のふせさんとデキちゃってるのを知ってて、みんなの見ている場所でふせさんを見て一言。みたいなシチュエーションですから。周りも知っていることとはいえ、いかにも子どもっぽい。「おうおう熱いの~」とか言うてる小学生レベルですよね。

山の井の大納言というのは藤原道頼という人で、伊周や定子の異母兄にあたります。道隆の長子です。年齢は伊周より3つぐらい上らしいですが、やはり道隆は貴子の実家・高階家、そして高階貴子とその実子を重用したようで、この道頼もこの家では傍系の子どもという扱いのようですね。ちなみに藤原道頼は容姿も性格もとても良い人だったそうです。
が、典薬頭丹波重雅のことを揶揄するような言い方はパワーハラスメント的でもあり、プライバシーの秘匿という原則からしてもアウトだと思います。大納言と言えば朝廷の要職です。それが配下の役所のトップとはいえ、部下の愛人をネタに軽口をたたいてウケ狙いというのはあまり品がありませんでしたね。
清少納言もあえてこれ書くべきかな?と思いますが。ちょっと厭らしいです。
⑱に続きます。


【原文】

 関白殿、その次々の殿ばら、おはする限り、もてかしづきわたし奉らせ給ふさま、いみじくぞめでたし。これをまづ見たてまつり、めで騒ぐ。この車どもの二十立て並べたるも、またをかしと見るらむかし。

 いつしか出でさせ給はなむと待ち聞こえさするに、いと久し。いかなるらむと心もとなく思ふに、からうじて采女八人、馬に乗せて引き出づ。青裾濃(すそご)の裳、裙帯(くたい)、領布(ひれ)などの風に吹きやられたる、いとをかし。「ふせ」といふ采女は、典薬の頭(かみ)重雅(しげまさ)が知る人なりけり。葡萄染の織物の指貫を着たれば、「重雅は色許されにけり」など、山の井の大納言笑ひ給ふ。