うつくしきもの
かわいいもの。
瓜に描いた幼児の顔。雀の子が鼠鳴きをして踊りながらやってくるの。2歳か3歳の幼児が急いで這ってくる途中で、すごく小さい塵があるのを目ざとく見つけて、とってもかわいい指で取って、大人たちに見せるのも、すごくかわいらしいわ。ヘアスタイルを尼削ぎにした幼ない子どもが目に髪がかかってるのをかき上げもしないで、首をかしげて物を見てるのもかわいいのよね。
大きくはない殿上童が装束を立派に着せられて歩くのもかわいい。愛らしい幼な子が、ちょっと抱いて遊んでかわいがってたりしたら、すがりついて寝ちゃったのも、すごくかわいらしいの。
人形遊びの道具。蓮の浮葉のとても小さいのを、池から取り上げたもの。葵のすごく小さいの。どれもこれも、小さいものはみんなかわいいわね。
とっても色白で太った2歳ぐらいのお子ちゃまなんだけど、二藍の薄物なんかの丈の長い着物を着て襷(たすき)を結んでる子が這い出てきたのも、また、短い着物で、袖ばっかり目立つのを着て歩くのも、みんなかわいいの。8、9、10歳くらいの男の子が、子どもっぽい声で本を読んでいるのは、すごくかわいらしいわね。
ニワトリのヒナが、足が長くて、白くてかわいくって、丈の短い着物を着てるみたいな恰好をして、ピヨピヨってうるさく鳴きながら、人の前後にきて歩くのもかわいいの。また、親のニワトリが一緒に連れ立って走ってるのも、みんなかわいいわね。水鳥の卵。ガラス製の壺もね。
----------訳者の戯言---------
「うつくし」という言葉は難しいですね。元々は、可憐な感じに使ったようですが、「愛しい」という意味、「かわいい、愛らしい」という意味、「見事、りっぱだ」という意味、連用形で「きれいさっぱりと、スマートに、スムーズに」という使い方もあるようです。もちろん、現代でも使われるのと同様に「美しい、きれいだ」と訳せる場合もあるようです。
人や動物に対してはもちろんですが、それ以外、「モノ」にも使われるようですね。
「をかし」とか「あはれ」とか「めでたし」とかもそうですが、使われ方で微妙なニュアンスの違いがあるんですね。
ここでは、「かわいい」「かわいらしい」という表現になるでしょうか。
この「うつくし」とは別に「らうたし/ろうたし」という言葉があります。これもカワイイといニュアンスの言葉ですが、こちらは原則、人にしか使わないそうです。(猫とか、犬とか、動物には使うかもしれませんが)「モノ」には使わないんだそうです。ややっこしい。
鼠鳴き(ねずなき)というのは、文字どおり、ネズミみたいに鳴くってこと。しかし、雀がネズミみたいに鳴くかなぁ。むしろ雀鳴きだろう、なんていうのは、そりゃ言いがかりだとは思うけど、やっぱり腑には落ちません。
あまそぎ。「尼削ぎ」と書くそうで、少女の髪型の一つらしいです。尼さんのように、垂れ髪を肩のあたりで切りそろえた型だそうです。
殿上童(てんじょうわらわ)というのは、平安時代、10歳くらいから清涼殿の殿上の間に出入りを許された身分の高い朝臣の家の子弟のことを言うそうです。
雛。原文には「雛(ひな)の調度」とありますが、「雛」は小さいもののことを言うようです。後で出てきますが、ニワトリのヒナとかね。あとは、主に人形のことを言います。三月の節句、桃の節句で飾る、所謂ひな祭りの雛人形のことだけを言うわけではなかったんですね。理屈を言うと「雛人形」っていうのは「人形人形」という意味ですから、厳密に言うと変な日本語なわけで。ただ、今はそれで通じますし、言葉として定着しているものですから、これも言いがかりですよね。
「過ぎにし方恋しきもの」という段では、このように書かれていました。
「枯れたる葵。ひひなあそびの調度。二藍、葡萄染めなどのさいでの、おしへされて草子の中などにありける、見つけたる。」
つまり、人形遊びの道具はかわいいだけではなく、過ぎ去った昔を恋しくさせるアイテムでもあるのでした。
二藍(ふたあい)は、枕草子にはすでに何回も出てきたのでおなじみですが、藍の上に紅を重ねた色、つまり紫系の色です。
薄物っていうのは、文字通り薄い絹織物です。また、それで作った夏の衣服のこともこう言うみたいですね。
襷(たすき)というのは、「たすきがけ」の「たすき」なんですが、そもそも袖をたぐり上げて留めておく紐のことなんだそうです。元々古代には、神を祭るとき、袖が供物にかからないように束ねるために肩にかけた紐のことをこう言ったらしいですね。
また出ました「かしがましう」ですね。「かしがまし」ですが、やかましい、うるさい、という意味だそうです。前にも何回か出てきました。漢字では「囂し」と書くんですが、その時も、こんな漢字、一生書くことはないでしょう、と私、書きました。依然としてやっぱり書かないだろうなーと思います。成長がなくてすみません。
瑠璃(るり)ですね。ま、普通に瑠璃色というと、濃い、深味のあるブルーという感じ。瑠璃といえば、ラピスラズリの日本名でもあります。ラピスラズリ、分類からすると半貴石になるかと思います。宝石ではありません。きれいな色ですが。
さて、今回は清少納言に文句があるわけではありません。
内容にあまり関係はないんですが、雛飾りの人形についてちょっと書いておきたいことがあります私。おー、こわ。
ひなまつりの歌では、男雛のことはお内裏様と言ってます。女雛のことはお雛様ですね。一般にはそういうことになってます。
内裏(だいり)っていうのは、平安宮の中にある帝のプライベートスペースのこと、というのが定説です。転じて、皇室のことや帝自身のことを内裏、内裏様と言うようになったのもわかります。お雛様(女雛)は、「雛人形」なので、いつのまにか女雛のことはそう呼ぶようになったんでしょうね。
もちろんそれは言葉の変遷の問題なので、全然問題は無いんです。
で。
雛人形のメインを張ってるのは、つまり、帝と皇后ということです。国中みんなが認め、憧れる、ロイヤルカップル、ベストカップルであり、理想のカップルなのです。だからこそ、現代まで受け継がれてきたわけですね。雛飾りをするようになったのは江戸時代らしいですから、その後延々とです。
しかし。本当にそうなの?
帝ってさー、いっぱい側室とか、妾とかいたわけでしょ、公的に。それ以外にも、花山天皇みたいにレイプする人、そうでなくても、いろいろその、なんというか、お手付きになった女子たちたくさんいるわけで。それ、理想のカップルか?と思ったりする私。ほー、帝だったら、他に女何人いてもいいんだ、表向きさえ理想を演じとけばいいんだー、おかしくね?というのが、私の意見。
つまり雛人形って、なんか表向きのキレイキレイな部分ばかりを見せられてる感じがするんですよね。
いいんですよ、側室いても。側室がいたから、いままで皇室は存続したんだろうし。昨今のように女帝の是非であるとか、皇位継承問題とか、悩まなくて済んだのも側室というシステムが支えた部分はあったと思いますよ。
でも、あそこまで、美化しなくてもいんじゃね、と。
今回は「七夕」の時にした例のバカップル批判に続いてひどいこと書きましたでしょうか。でも、アクセス数からして、この程度で炎上はしないので結構安心はしている私なのです。合掌
【原文】
うつくしきもの 瓜にかきたるちごの顔。雀の子の、ねず鳴きするにをどり来る。二つ三つばかりなるちごの、急ぎてはひ来る道に、いと小さき塵のありけるを目ざとに見つけて、いとをかしげなるおよびにとらへて、大人などに見せたる、いとうつくし。頭はあまそぎなるちごの、目に髪のおほへるをかきはやらで、うちかたぶきて物など見たるも、うつくし。
大きにはあらぬ殿上童の、さうぞきたてられてありくもうつくし。をかしげなるちごの、あからさまにいだきて遊ばしうつくしむほどに、かいつきて寝たる、いとらうたし。
雛の調度。蓮(はちす)の浮葉のいと小さきを、池より取りあげたる。葵のいと小さき。何も何も、小さきものはみなうつくし。
いみじう白く肥えたるちごの二つばかりなるが、二藍のうすものなど、衣長(きぬなが)にて襷(たすき)結ひたるがはひ出でたるも、また、短かきが袖がちなる着てありくも、みなうつくし。八つ、九つ、十ばかりなどの男児(をのこご)の、声はをさなげにてふみ読みたる、いとうつくし。
にはとりのひなの、足高に、白うをかしげに衣短かなるさまして、ひよひよとかしがましう鳴きて、人のしりさきに立ちてありくもをかし。また親の、ともにつれてたちて走るも、みなうつくし。かりのこ。瑠璃の壺。