枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

雨のうちはへ降る頃

 雨が毎日降り続く頃、今日も降ってるんだけど、お使いとして式部省の丞(じょう)の藤原信経が定子さまのところに参上したの。例によって敷物を差し出したら、普段よりも遠くに押しやって座ってたから、「誰のためのもの?」って言ったら、笑って、「こんな雨の日に敷物の上に上がったら、足形が付いて、すごくみっともなく、汚れちゃいますから」って言うから、「なんで? センゾク(洗足)用にはなるでしょうに」って言ったの、そしたら、「そのシャレはあなたが単独で上手くおっしゃたんじゃないですよ。私、信経が足形のことを申し上げなかったら、おっしゃることもできなかったでしょうからね」って、何べんも何べんも言ってたのは可笑しかったわ。

 「昔、中后(なかきさい)の宮に『ゑぬたき』って言う有名な下仕(しもづかへ)の者がいたのね。美濃守の時に亡くなった藤原時柄が蔵人だった時、下仕たちのいるところに立ち寄って、『これがあの有名なゑぬたきか! でもそんな風に見えないよね』って言ったの。で、その返事に、『それは時柄(時節柄)だから、そう見えるんでしょう』って(名前の“時柄”と時節柄の“時柄”をカケて)言ったんだけど、『相手を選んだとしたって、こんなに上手いこと言えたもんかなー? いやいやできないよね!』って上達部や殿上人まで、面白いことだって感心しておっしゃったの。ま、実際面白かったんでしょう。今日までこんな風に言い伝えられてるんですからね」ってお話ししたの。
 「でもそれだって、時柄が言わせたんでしょ? 何だってお題が良ければ、詩でも歌でもいいのができるんです」って彼が言うから、私、「たしかにそれはあるわね。じゃあ、お題を出すから、歌を詠んでくださいね」って言ったのね。
 すると彼、「それはすごいグッドアイデア!」って言うから、「じゃあ一つじゃつまんないから、どうせならいっぱい詠みましょうよ」とかって言ってるうちに、定子さまからお使いのご返事が出てきて。「ああ、コワイ。逃げ帰らせていただきます」って、彼は帰って行ったんだけど、「あの方は漢字もかな文字もすごく悪筆なので、人が笑ったりするから、それを隠してるんですよね」って女房たちが言うの、面白いわよね。

 信経が作物所(つくもどころ)の別当をしてた頃、誰のところにやったものかは知らないんだけど、何かの絵みたいなものを持って行かせて、「これがやうにつかうまつるべし」(これと同じように作りなさい)って書いた字の有様が、この世にありえないくらいイケてないのを見つけちゃったもんだから、私、「これがままにつかうまつらば、ことやうにこそあべけれ」(これのとおりに作ったら、異様な物ができるに違いない)って書き添えて殿上の間に持ってかせたら、人々が手に取って見て、めちゃくちゃ笑ったもんだから、彼、すごく腹を立てて私を憎んだことがあったのよね。


----------訳者の戯言---------

雨が「うちはへ降る」って言うんですが、ずっと長く降り続けるということなんですね。っていうことは、梅雨時なのでしょう。

丞(じょう)。
律令制における四等官制の等級ですね。丞は3番目です。
たぶん、みなさんご存じだと思いますが、長官(かみ)・次官(すけ)・判官(じょう)・主典(さかん)というのが基本です。実は用字は官司によって違っていて、省は卿(かみ)・輔(すけ)・丞(じょう)・録(さかん)、寮は頭(かみ)・助(すけ)・允(じょう)・属(さかん)、坊と職は大夫(かみ)・亮(すけ)・進(じょう)・属(さかん)と書くそうです。国司は守(かみ)・介(すけ)・掾(じょう)・目(さかん)とまあ、このほかにもいろいろ書き方はあったみたいですね。こんなになくてもいいと思いますが、まあ、そういうもんだったのでしょう。

長官(かみ)はその官司の事務を統轄し、次官(すけ)は長官を輔佐、判官(じょう)は組織のマネジメント、公文書のチェック等、主典(さかん)は公文書の作成、上申などの仕事をしたそうです。

で、その当時の式部省の丞の一人が、この段の主人公・藤原信経です。関係ないかもしれませんが、実はこの人、紫式部の従兄にあたります(それぞれの父親が兄弟)。紫式部よりも4歳ほど年上だそうですね。
で、清少納言からすると、3歳ぐらい年下です。またもや僕チン扱いでしょうか。

氈褥(せんぞく)というのは毛織りの敷物のことを言うのだそうです。ここでは「足を洗う」の「洗足」とかけたシャレのようです。全然おもしろくないですけどね。

信経的には、「俺のボケがあったから、上手いことつっこめたんやで」とでも言いたげな感じです。これまた違いますけどね。

「中后の宮」というのは、村上天皇中宮、藤原安子のことだそうです。こんな書き方でわかるんですか。そうですか。

「ゑぬたき」っていう下仕の人。有名人らしいです。どんな? 何が? 興味ありますが、彼女はそんなに詳しくは書いてくれません。身分の卑しい者にはあんまり深くは興味なしのようです、この人たち。

私はむしろエミネムみたいな存在だとイメージしました。語感だけで。そんなメジャーではないですかね。むしろ今で言うとサブカル的な存在でしょうか。それもまたかっこいいですけどね。「Nタキ」鉄オタの方が好きそうです。「N-taki」だとラッパーかYouTuberですかね。

作物所(つくもどころ)というのは天皇・皇后、東宮などが宮中で用いる調度品(銀器、木器など)を製作する部署で、蔵人所の管轄下にあったそうです。「別当は対外的な責任者で所の内部に関わる事はほとんどなかったが、作物所の別当は宮中の行事・儀式で用いられる調度品に関わる事から、直接作物所に製作の指示を出したり、行事・儀式に用いられる調度品の搬入や天皇への献上を行ったりした」とウィキペディアにありました。

何となくコケにしてる感じですね。藤原信経を。というか、あからさまです。この前、「五月の御精進のほど」でほととぎすを聴きに行った帰り道における藤原公信と同様の扱いです。

これだけが要因ではないのかもしれませんが、従兄についてこういう扱いをしたことも、紫式部清少納言を快く思ってなかった理由の一つかもしれないという説もあるようですね。
毎度のことながら、清少納言、身分、官位の低い人、教養が低そうな人に厳し過ぎです。たしかに感じ悪いわ。

私は自分が悪筆ですから、文字は最低限情報が伝わればいんじゃね?と思っています。東大生のほとんどが悪筆、頭良すぎる人はだいたい字がへたであると林先生も言ってましたし。

ただ、御祝儀袋とか書く時はトホホとなることハンパないですけどね。


【原文】

 雨のうちはへ降る頃、今日も降るに、御使にて、式部の丞信経(のぶつね)参りたり。例のごと褥(しとね)さし出でたるを、常よりも遠くおしやりてゐたれば、「誰が料ぞ」といへば、笑ひて、「かかる雨にのぼり侍らば、足がたつきて、いと不便(ふびん)に、きたなくなり侍りなむ」といへば、「など。せんぞく料にこそはならめ」といふを、「これは御前にかしこう仰せらるるにあらず。信経が足がたのことを申しざらましかば、えのたまはざらまし」と、かへすがへす言ひしこそをかしかりしか。

 「はやう、中后(なかきさい)の宮にゑぬたきと言ひて名高き下仕(しもづかへ)なむありける。美濃の守にてうせにける藤原の時柄、蔵人なりける折に、下仕どものある所にたちよりて、『これやこの高名のゑぬたき、などさも見えぬ』と言ひける、いらへに、『それは、時柄にさも見ゆるならむ』と言ひたりけるなむ、『かたきに選りても、さることはいかでからむ』と上達部・殿上人まで興あることにのたまひける。またさりけるなめり、今日までかく言ひ伝ふるは」と聞こえたり。「それまた時柄が言はせたるなめり。すべてただ題がらなむ、文も歌もかしこき」といへば、「げにさもあることなり。さは、題出ださむ。歌よみ給へ」といふ。

 「いとよきこと」といへば、「御前(ごぜん)に同じくは、あまたをつかうまつらむ」なんどいふほどに、御返し出で来ぬれば、「あな、おそろし。まかり逃ぐ」と言ひて出でぬるを、「いみじう真名(まな)も仮名(かんな)もあしう書くを、人笑ひなどする、かくしてなむある」といふもをかし。

 作物所(つくもどころ)の別当する頃、誰がもとにやりたりけるにかあらむ、ものの絵やうやるとて、「これがやうにつかうまつるべし」と書きたる真名(まんな)のやう、文字の世に知らずあやしきを見つけて、そのかたはらに、「これがままにつかうまつらば、ことやうにこそあべけれ」とて殿上にやりたれば、人々取りて見ていみじう笑ひけるに、おほきに腹立ちてこそにくみしか。

 

枕草子 (岩波文庫)

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