枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

しのびたる所にありては

 人目を忍ぶところでは、夏がいちばんいい感じ。とっても短い夜が明けていくんだから、結局一睡もしないでね。そのままどの部屋も全部開けっ放しにして過ごしてたから、一面涼しく見渡せるのよ。それでもやっぱり、もうちょっとお話ししたいことがあって、おしゃべりを続けてたら、座ってる上を烏(からす)が大きな声で鳴いて飛んでくのが、二人のことを全部見られてしまったみたいな気がして、うれしはずかし、何ともステキな気分になるの。

 また、とっても寒い冬の夜、夜具に埋もれて寝たまま聴いてたら、鐘の音が何かの「物の底」で聴くみたいに聴こえるのは、すごくいい感じなの。鶏の声もはじめは羽の中で口ごもったように鳴くから、とっても奥深く遠かったのが、夜が明けてきたら近くに聴こえようになるっていうのも、すごく素敵なのよね。


----------訳者の戯言---------

前半部分は、所謂「逢引き」の場所での夏のある夜の事。体験談なのでしょう、なかなかリアルです。
前半最後の部分の「をかしけれ」というのは、素敵、素晴らしい、面白い、趣がある、などとはまた異なって、「気恥ずかしいけどうれしいようないい気分」だと考えられます。複雑な感情ですね。
たしかドリカムの初期に「うれしはずかし朝帰り」というのがありましたが、たぶんそんな感じなのでしょう。

後半は一転して冬です。主に聴覚で捉え、主知的に「をかし」と表現するという手法で、これは私は嫌いではありません。


【原文】

 忍びたる所にありては夏こそをかしけれ。いみじく短かき夜の明けぬるに、つゆ寝ずなりぬ。やがてよろづの所あけながらあれば、凉しく見えわたされたる。なほ今少しいふべきことのあれば、かたみにいらへなどするほどに、ただゐたる上より、烏の高く鳴きていくこそ、顕証なる心地してをかしけれ。

 また、冬の夜いみじう寒きに、うづもれ臥して聞くに、鐘の音のただ物の底なるやうに聞こゆる、いとをかし。鳥の声もはじめは羽のうちに鳴くが、口を籠めながら鳴けば、いみじう物深く遠きが、明くるままに近く聞こゆるもをかし。


検:忍びたる所にありては

 

新潮日本古典集成〈新装版〉 枕草子 上

新潮日本古典集成〈新装版〉 枕草子 上