しのびたる所にありては
人目を忍ぶところでは、夏がいちばんいい感じ。とっても短い夜が明けていくんだから、結局一睡もしないでね。そのままどの部屋も全部開けっ放しにして過ごしてたから、一面涼しく見渡せるのよ。それでもやっぱり、もうちょっとお話ししたいことがあって、おしゃべりを続けてたら、座ってる上を烏(からす)が大きな声で鳴いて飛んでくのが、二人のことを全部見られてしまったみたいな気がして、うれしはずかし、何ともステキな気分になるの。
また、とっても寒い冬の夜、夜具に埋もれて寝たまま聴いてたら、鐘の音が何かの「物の底」で聴くみたいに聴こえるのは、すごくいい感じなの。鶏の声もはじめは羽の中で口ごもったように鳴くから、とっても奥深く遠かったのが、夜が明けてきたら近くに聴こえようになるっていうのも、すごく素敵なのよね。
----------訳者の戯言---------
前半部分は、所謂「逢引き」の場所での夏のある夜の事。体験談なのでしょう、なかなかリアルです。
前半最後の部分の「をかしけれ」というのは、素敵、素晴らしい、面白い、趣がある、などとはまた異なって、「気恥ずかしいけどうれしいようないい気分」だと考えられます。複雑な感情ですね。
たしかドリカムの初期に「うれしはずかし朝帰り」というのがありましたが、たぶんそんな感じなのでしょう。
後半は一転して冬です。主に聴覚で捉え、主知的に「をかし」と表現するという手法で、これは私は嫌いではありません。
【原文】
忍びたる所にありては夏こそをかしけれ。いみじく短かき夜の明けぬるに、つゆ寝ずなりぬ。やがてよろづの所あけながらあれば、凉しく見えわたされたる。なほ今少しいふべきことのあれば、かたみにいらへなどするほどに、ただゐたる上より、烏の高く鳴きていくこそ、顕証なる心地してをかしけれ。
また、冬の夜いみじう寒きに、うづもれ臥して聞くに、鐘の音のただ物の底なるやうに聞こゆる、いとをかし。鳥の声もはじめは羽のうちに鳴くが、口を籠めながら鳴けば、いみじう物深く遠きが、明くるままに近く聞こゆるもをかし。
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