枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

ありがたきもの

 めったにないものっていうと…。
 舅にほめられる婿。それと、姑に好意をもってもらえるお嫁さん。毛がよく抜ける銀製の毛抜き。主人のことを悪く言わない従者。

 それから、全然欠点の無い人も。ルックスも気持ちもとってもきれいで、世間とのかかわりを続けてても、少しも悪いトコの出ない人ね。同じところに住む人が、お互いに恥ずかしがり合って、少しのスキも見せないよう気配りしようと思ってても、最後までボロを出さずにおくのは難しいコトですもの。

 物語や歌集なんかを書き写す時、本に墨を落とさないこともね。貴重な書物なんか、すごく慎重に書くんだけど、必ずと言っていいくらい汚しちゃうみたいなんだから。

 男女間のことは今さら言うまでもないけれど、女同士でも、ずっと仲良くしようね、って約束しあってても、最後まで仲良くし続けられる二人ってなかなかいないものなのよ。


----------訳者の戯言---------

銀製の毛抜きとかいうと、結構な高級品かと思ってしまいますが、当時は普通に銀製品だったのでしょうか。毛抜き自体はかなり古くからあったようですが、現存しているものは13世紀~14世紀のもので、やはり銀らしいです。10世紀当時、すぐれモノは少なかったという事でしょうか。ま、ティファニーにだって銀製の分度器とか栓抜きとかありますからね。実際使うのかそれ、と思いましたが。いえ、ティファニーのがダメという意味ではないですよもちろん。

つゆの癖なき。ここで出てきた「癖」は、「欠点」というニュアンスが強いようです。
「クセがすごい」(強い、ではなく、すごい)といえば千鳥のノブですが、ノブの言う「クセ」とはちょっと違う感じですね。千鳥ノブに「クセがすごい」は言われたいですけどね。そんなことないですか?

ありがたき=存在しにくい=めったにない、ということは、ごくごく稀にある貴重なもの、なわけで、これが現代の「ありがたい」「ありがとう」に通じているのは、ご存じのとおりです。

けど、まあ、現実はなかなか難しいよね、理想どおりにはいかないよね、って話です。どのネタもかなりネガティブな書き方です。
何せこの人、「クセがすごい」ですからね。


【原文】

 ありがたきもの 舅にほめらるる婿。また、姑に思はるる嫁の君。毛のよく抜くる銀(しろがね)の毛抜き。主そしらぬ従者。

 つゆの癖なき。形・心・ありさますぐれ、世に経るほど、いささかのきずなき。同じ所に住む人の、かたみに恥ぢかはし、いささかの隙なく用意したりと思ふが、つひに見えぬこそ難けれ。

 物語・集など書き写すに、本に墨つけぬ。よき草子などは、いみじう心して書けど、必ずこそきたなげになるめれ。

 男・女をば言はじ、女とぢも契り深くて語らふ人の末まで仲よき人難し。

 

まんがで読む古典 1 枕草子 (ホーム社漫画文庫)

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懸想人にて来たるは

 恋人として来るのは言うまでもなく、単におしゃべりをするだけの人でも、また、そんなでもなく、ただたまたま来ただけの人であっても、簾の中に他の女子たちもいっぱいいておしゃべりしてるところに入ってきて、座って、すぐには帰りそうもないとき、お供の男の子なんかが、「どうなってるんだろ?」って、覗き込んで様子を見て、「斧の柄もボロボロになって無くなっちゃうぐらい(時間かかるん)じゃね?」なんて、めっちゃ面倒臭そうに言って、大あくびをしてね、バレないと思って言ったつもりなんだろうけど、「あぁ、つれぇなー。煩悩苦悩だわ。『夜』が『夜中』になっちゃうじゃんよー」って言うの、ホントめちゃくちゃ憎ったらしいわね。で、そんなこと言う本人のことは、別に何とも思わないんだけど、中に入って座ってる主人のほうを、今までステキだなって、見たり、聞いたりしてた気持ちが無くなっちゃうような気がするの。

 また、それとはっきり言葉を口には出さないで、「あーあぁ」ってカン高くうめき声を上げるのも、「下行く水の」っていう気持ちなんかなー、ってお気の毒orz
 衝立や垣根のところで、「雨降るんだろうかなぁ」なんて、聞えよがしに言うのもすっごく気分悪いわね。

 でも、すごく身分の高い人のお供なんかはそんなことはなくて。名家の若君たちなんかのお供の人はいいの。でもそれより下の場合はみんな、あんな風に、問題アリなのよ。大勢いるスタッフの中からは、従者マインドをしっかり見極めて、連れて行きたいものだわね。


----------訳者の戯言---------

「下行く水の」というのは、「古今和歌六帖」という歌集にある次の和歌からとっています。

心には下行く水のわきかへり 言はで思ふぞ言ふにまされる
(私の心の中には、表面からは見えない地下水がわき返ってて、口に出さないけど、あなたのことを思ってるの。その思いは口に出して言うよりずっと優っているんですよ)

なかなか優美な、奥ゆかしい雰囲気の歌ですが、今回はあえてこれを出してきたわけですね。

「透垣(すいがい)」というのは、板または竹で、間を透かして作った垣根のこと、だそうです。

本題はスタッフ教育の問題でしょうか。
ビジネスシーンに例えるとスタッフの教育がうまくできていないマネージャー、あるいは経営者への苦言と提言のようなものとも取れます。

突き詰めると、こういう問題は、主従間、あるいは上司部下の間であれ同僚であれ、信頼関係が構築できているかどうかという点に帰結します。
が、その一方で、そうした信頼関係構築のベースには、ワークスタイルや賃金、もちろんコンプライアンス教育等も含め、結局は各々の資質だけでなく雇用環境、労働環境が重要な要素となることがわかります。ですから、清少納言がそのへんのことを心得て、「いとよき人の御供人などはさもなし」と、高貴な家=一流組織たる環境にいるスタッフはしっかりしてる、と述べているのだとしたら、ゼネラリストとしてかなり秀逸だと言えるでしょう。

くら寿司セブンイレブンすき家ビッグエコーetc.最近のSNS炎上についても、バイトテロとかバカッターなどというワードが先行してしまいがちですが、「最低賃金に近い時給で雇用していること」のリスクを踏まえた上でのマネージメントを含め、より良い労働環境をアグレッシブに構築すべきところにきているのは間違いありません。とまでは、清少納言も思ってはいないでしょうけどね。

ま、この問題、もっと考えると、AIやらロボットやら外国人労働者やら産業構造の変化やら、とてつもないことになるので、これ以上、ここでは考えないことにしましょう。難しいことは、政治家や学者に任せて、私などは平安時代のことで、あれやこれや言ってる方が幸せなのかもしれません。


【原文】

 懸想人にて来たるはいふべきにもあらず、ただうち語らふも、またさしもあらねど、おのづから来などもする人の、簾(す)の内に人々あまたありて物などいふに、ゐ入りてとみも帰りげもなきを、供なる男童(をのこわらは)など、とかくさしのぞき、けしき見るに、「斧の柄も朽ちぬべきなめり」と、いとむつかしかめれば、長やかにうちあくびて、ひそかに思ひていふらめど、「あな、わびし。煩悩苦悩かな。夜は夜中になりぬらむかし」と言ひたる、いみじう心づきなし。かのいふ者は、ともかくもおぼえず、このゐたる人こそ、をかしと見え聞こえつることも失するやうにおぼゆれ。

 また、さいと色に出でてはえ言はず、「あな」と高やかにうち言ひ、うめきたるも、「下行く水の」といとほし。

 立蔀、透垣などのもとにて、「雨降りぬべし」など聞こえごつも、いとにくし。いとよき人の御供人などはさもなし。君達などのほどはよろし。それより下れる際はみなさやうにぞある。あまたあらむ中にも、心ばへ見てぞ率てありかまほしき。

 

枕草子 ─まんがで読破─

枕草子 ─まんがで読破─

 

 

しのびたる所にありては

 人目を忍ぶところでは、夏がいちばんいい感じ。とっても短い夜が明けていくんだから、結局一睡もしないでね。そのままどの部屋も全部開けっ放しにして過ごしてたから、一面涼しく見渡せるのよ。それでもやっぱり、もうちょっとお話ししたいことがあって、おしゃべりを続けてたら、座ってる上を烏(からす)が大きな声で鳴いて飛んでくのが、二人のことを全部見られてしまったみたいな気がして、うれしはずかし、何ともステキな気分になるの。

 また、とっても寒い冬の夜、夜具に埋もれて寝たまま聴いてたら、鐘の音が何かの「物の底」で聴くみたいに聴こえるのは、すごくいい感じなの。鶏の声もはじめは羽の中で口ごもったように鳴くから、とっても奥深く遠かったのが、夜が明けてきたら近くに聴こえようになるっていうのも、すごく素敵なのよね。


----------訳者の戯言---------

前半部分は、所謂「逢引き」の場所での夏のある夜の事。体験談なのでしょう、なかなかリアルです。
前半最後の部分の「をかしけれ」というのは、素敵、素晴らしい、面白い、趣がある、などとはまた異なって、「気恥ずかしいけどうれしいようないい気分」だと考えられます。複雑な感情ですね。
たしかドリカムの初期に「うれしはずかし朝帰り」というのがありましたが、たぶんそんな感じなのでしょう。

後半は一転して冬です。主に聴覚で捉え、主知的に「をかし」と表現するという手法で、これは私は嫌いではありません。


【原文】

 忍びたる所にありては夏こそをかしけれ。いみじく短かき夜の明けぬるに、つゆ寝ずなりぬ。やがてよろづの所あけながらあれば、凉しく見えわたされたる。なほ今少しいふべきことのあれば、かたみにいらへなどするほどに、ただゐたる上より、烏の高く鳴きていくこそ、顕証なる心地してをかしけれ。

 また、冬の夜いみじう寒きに、うづもれ臥して聞くに、鐘の音のただ物の底なるやうに聞こゆる、いとをかし。鳥の声もはじめは羽のうちに鳴くが、口を籠めながら鳴けば、いみじう物深く遠きが、明くるままに近く聞こゆるもをかし。


検:忍びたる所にありては

 

新潮日本古典集成〈新装版〉 枕草子 上

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夜烏どものゐて

 夜烏たちが木にとまってて、夜中頃に寝ぼけて騒いでるの。木から落ちそうになって慌てて、枝づたいに歩いて、寝起きの声で鳴くのは、昼間の様子とは違ってて面白いわね。


----------訳者の戯言---------

私だけの感想に違いないんですが、これはイーハトーブの風景、だと思いました。
まさか、枕草子を読んで宮沢賢治を思い出すとは意外でしたね。

全然関係ありませんが、私、明治(~昭和)時代の作家の中では、宮沢賢治をかなり好きでして、クリエイターとして稀有な天才の一人だとも思っています。
また「慾ハナク決シテ瞋ラズ」や「ホメラレモセズクニモサレズ」を理想とした迷いのない清廉な在りように柄にもなく共感したり、意外にも心を洗われたりしているのでございます。生き方に迷ったら「雨ニモマケズ」を読むのですよ。なーんてね。


【原文】

 夜烏(よがらす)どものゐて夜中ばかりにいね騒ぐ。落ちまどひ、木づたひて寝起きたる声に鳴きたるこそ、昼の目にたがひてをかしけれ。

 

 

雨ニモマケズ (ポプラポケット文庫 (351-5))

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たとしへなきもの

 比べようのないもの。夏と冬。夜と昼。雨が降る日と晴れてる日と。人が笑うのと腹立つのと。老人と若者。白いのと黒いのと。
 好意を持ってる人と憎ったらしい人と。同じ人でも、自分に愛情がある時と心変わりした時とでは、ホント別人だって思うわ。
 火と水。太ってる人、痩せてる人。髪が長い人と短い人と。


----------訳者の戯言---------

手抜きじゃないのか。疲れてるのか。大丈夫か。
怒らないから言い訳があるなら言ってみなさい。


【原文】

 たとしへなきもの 夏と冬と。夜と昼と。雨降る日と照る日と。人の笑ふと腹立つと。老いたると若きと。白きと黒きと。思ふ人とにくむ人と。同じ人ながらも、心ざしあるをりと変はりたるをりは、まことにこと人とぞおぼゆる。

 火と水と。肥えたる人、痩せたる人。髪長き人と短き人と。

 

 

おぼつかなきもの

 心細くなるものというと…。12年の山籠もりをしている僧侶の母親。知らない人の所へ闇夜に出かけて行った時、「あんまり目立っちゃうのもどうかな」って、明かりも灯さないで、それでも並んで座ってるの。

 最近仕えるようになった者なんだけど、まだ彼の人間性もわかってない頃、貴重な物を持たせて、どこかに使いに遣るんだけど、帰ってくるのが遅い時。それから、言葉もまだしゃべらない幼児が、反り返って、人にも抱かれないで泣いてる様子。


----------訳者の戯言---------

12年の山籠もり。これは比叡山延暦寺の「十二年籠山行」というもののようです。めちゃくちゃハードな修行らしいですね。

この行につく者は12年間比叡山に籠り、一度も山を下りることはないそうです。伝教大師最澄の真影に侍って、最澄が今も生きているように仕え、献膳、勤行、清掃を、浄土院から一歩も出ずに十二年間続けるそうですよ。もちろん選ばれた僧侶がトライしますし、特別の尊敬を集める存在になるようですね。
上人のお世話をし、読経し、その他の時間は清掃を続けます。掃除しても掃除しても生える雑草、落ち葉を一人で取り除きます。これを延々と繰り返すのだそうです。厳しー。
もちろん病気になっても途中でやめることができないため、病死する僧侶もたくさんいたそうですね。それは親御さんからすると、この上なく心配に違いありません。

なので、これと比べると他の「不安」など、はっきり言ってどうってことないです。
あっそ、ぐらいの感じです。


【原文】

 おぼつかなきもの 十二年の山ごもりの法師の女親。知らぬ所に闇なるにいきたるに、「あらはにもぞある」とて、火もともさで、さすがに並みゐたる。

 今出で来たる者の心も知らぬに、やむごとなき物持たせて、人のもとにやりたるに、おそく帰る。物もまだ言はぬ児(ちご)の、反り覆(くつがへ)り、人にも抱かれず泣きたる。

 

 

『枕草子』の歴史学 春は曙の謎を解く (朝日選書)
 

 

歌の題は

 歌の題は、都。葛。三桟草(みくり)。駒。霰(あられ)。


----------訳者の戯言---------

前の段も意図がよくわからなかったんですが、この段もまた別の意味でよくわかりません。どういう趣旨で選んだのか、と思う人がほとんどではないでしょうか。毎度のことなのですが、せめて何か書いておいてくれればと思いますが。

専門的に研究している人の説では、これらの題は、「古今六帖」という歌集で用いられた和歌の題の中から選び出されているものであって、「桜」「郭公(ほととぎす)」「月」「雪」「恋」といった類型的、つまりありきたりな歌題はあえて外していて、したがって「わかる人にはわかる」的なセンスでピックアップしたもの、ということです。

今なら、メインをあえて避けたところで、サブカルの魅力を語る、みたいなことに通じるのかもしれないと。そうですか、ま、仕方ないですね。


【原文】

 歌の題は 都。葛。三桟草(みくり)。駒。霰。

 

枕草子(上) (講談社学術文庫)

枕草子(上) (講談社学術文庫)