枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

時奏する、いみじうをかし

 時を奏するのはすごくおもしろいわ。すごく寒い夜中なんかに、ゴホゴホって音を立てて靴を引きずって来て弓の弦を鳴らして、「何の誰々、時刻、丑三つ、子四つ」とかって遠くの方で言って、時の杭を差す音なんか、めちゃくちゃいい感じなの。
 「子九つ、丑八つ」とかって田舎っぽい人は言うわ。で、全部どの時もいつも「四つ」の時だけ杭に挿すものなのよね。


----------訳者の戯言---------

時奏=時の奏、時奏する=時を奏する、などと言いました。宮中で時刻を奏上したということですね。もちろん時計はなかった時代。今は腕時計があるし、スマホもありますから要らないですが。昔は、夜間はこの段のように報せていたようです。亥の刻のはじまりから寅の刻の終わりまでということですから、21時から5時の間くらいにこういうのをやってたんですね。
ごぞんじのとおり、かつて時刻は十二支で表しました(十二時辰)。子丑寅…っていうやつですね。で、たとえば深夜0時を中心に前1時間後1時間を合わせて子の刻としました。計2時間なんですが、それをさらに四つに分け、30分ごとに一つ(一刻)、二つ(二刻)、三つ(三刻)、四つ(四刻)としたわけです。23:00~23:30は子一つ、0:00~0:30は子三つ、0:30~1:00が子四つという具合です。この際10分とか25分とか38分とかはありません。ざっくりとしていますが、昔ですからね。それでいいのでしょう。そして、その時刻の元になったのは陰陽寮にあった水時計(漏刻)なのだそうです。
具体的には宿直の内豎(ないじゅ)あるいは蔵人などの官人が、亥の一刻から寅の四刻まで一刻ごとに時刻を唱え、清涼殿の殿上の間の小庭に「時の杙(杭/くい)」を差し「時の簡(ふだ)」を掲出しました。
これらが時計の役割をしたというわけです。
内豎(ないじゅ)というのは宮中の行事や日常の雑事を行うために召し使われたスタッフで、少年が多いそうですね。


さとぶる人。とありますが、「さとぶ」という動詞の連体形です。「里ぶ」「俚ぶ」で「田舎じみる、田舎っぽくある」という意味になるでしょうか。洗練されてない状態になる、という感じでもあるようです。つまり、ダサくなる。つまり「さとぶる人」というのは「宮中のことを知らない」「ダッセー奴」っていうことでしょうか。酷い言い方だな。


ではダサい民間人が言う「子九つ」とか「丑八つ」とは何か?
先ほど書いたように各々の刻、つまり子の刻や丑の刻はそれぞれ4つに細分されています。ですから八つや九つがあるわけがありません。
実は、ここで出てきた八つや九つはお寺で正刻に打つ鐘の数なのです。正刻の鐘と言うそうですね。子の正刻には九つ、丑の正刻には八つ、という具合に鐘が撞かれました。そのため、宮中以外ではこういう言い方をしたのでしょうね。

「四つのみぞ杭にはさしける」の「四つ」というのは、現代なら偶数時30分。十二支で表す十二時辰で各刻の最後の30分です。
民間のダサい時計?では省略して「四つ」の時だけ杭を差して時刻表示するみたいね??(ダサくね?)
と、下々の者を馬鹿にするテイで清少納言は書いてます。相変わらずです。


【原文】

 時奏(ときさう)する、いみじうをかし。いみじう寒き夜中ばかりなど、ごほごほとごほめき、沓すり来て、弦(つる)うち鳴らしてなむ、「何(な)の某(なにがし)、刻(とき)丑三つ、子四つ」など、はるかなる声に言ひて、時の杭(くひ)さす音など、いみじうをかし。「子九つ、丑八つ」などぞ、さとびたる人はいふ。すべて、何も何も、ただ四つのみぞ杭にはさしける。