枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

さわがしきもの

 騒がしいものっていうと…。跳ねる火の粉。板葺き屋根の上でカラスが斎(とき)の生飯(さば)を食べるの。十八日に、清水寺に籠り合ってるの。
 暗くなって、まだ火を灯さない頃に、よそから人が来あわせた時。まして遠いところにある地方の国から家の主人が上京してきた時はすごく騒がしいわ。
 近いところで火事になった、っていうの。でも燃え尽きはしなかったわ。


----------訳者の戯言---------

斎(とき)というのは、一般に僧侶の食事のことを言います。葬式とか法事の後で出される食事を「お斎(とき)」と言ったりもしますね。

そもそも小乗仏教の僧侶は正午以前に食事を摂り、それ以後は摂らないとされていました。食事をしない時間、つまり午後を非時(ひじ)と言い、食すべき時、つまり午前を正時と言ったそうです。食べ過ぎないように正しい時間帯に食事をとることが大切、という事ですから、多少極端ながらも理には適っています。
「斎」という言葉には「正しい」とか「慎み」という意味があり、正しく慎み深い僧侶の食事を「斎=正時=とき」という言葉で表したんですね。
後世には、この意味が転化して肉食をしないこと、つまり精進料理を斎(とき)と言ったり、さらには先ほど書いたように仏事の食事を一般に指すようになって、法事の後の会食=お斎(とき)、と意味が変化していったと考えるのが自然です。

「生飯」と書いて「さば」と読みます。中国語の読み方「さんぱん」が由来のようですね。
これは仏教や修験道でみられる食事作法で、餓鬼に施すため、食べる前に自分の飯椀の中からご飯を少し取り分け、それを集めて屋根などに供えて、結果、鳥獣に施すことになるという作法なんです。で、これをカラスが食べてると。

ご存じの方も多いと思いますが、餓鬼というのは「このガキしばきまわすどゴルァ」のガキの語源となったものです。「ガキ使」のガキも同様ですね。元々仏教で六道(りくどう)つまり、天道、人間道、修羅道畜生道、餓鬼道、地獄道、というのがありますが、この餓鬼道は「生前に嫉妬深かったり物惜しみやむさぼる行為をした人の赴(おもむ)く所」とされています。餓鬼の悲惨な状況は種々描写されていて、不浄のところにおり、常に飢えと渇きに苦しむ飢餓状況にあることが知られています。

生飯というのは、自分たちだけで食べるのでなく、他に施しをする心、思いやりの心を持つ為の作法であり、常に餓えに苦しむ世界に堕ちた衆生(餓鬼)に飲食を施して救い、その功徳を先祖供養のために振り向けるというものと考えられます。実はカラスが食べたりするんですが。


18日に清水に…というのは何?かというと、観音菩薩の縁日なんですね。功徳日というか。三十日秘仏というのがそもそもあって、18日は観世音菩薩の日なんだそうです。8日が薬師如来で、15日が阿弥陀仏で、25日が文殊菩薩。28日が大日如来とかそういうのが決まってるらしいですね。で18日は観音さまの日なので、その日が混雑するんでしょう、やはり。清水寺の公式ウェブサイトをみると、今も毎月17~18日は信仰篤い多くの参詣者で境内が賑わう、とのことです。タイムリーな言い方だと、密になる状況ですね。


さて。
来客があるとなぜ騒がしいのかわかりませんが、清少納言周辺はそうだったのでしょう。昔は携帯もLINEもなかったですから、急に来たりするんでしょうか。だとすると迷惑極まりないです。騒ぎたくもなりますよ。
夜逢った男が明け方に帰って、すぐに手紙を寄越したりするんだから、事前に手紙ぐらい書いとけよ!と思うんですけどね。なんか、色恋にはマメなんですよね、平安貴族たちって。
単身赴任とかしてる主人が急に帰ってきたのか、それとも借家のオーナーが突然来たのかわかりませんけど、どっちにしても大騒ぎですよね。サプライズのつもりなんでしょうか? 私、フラッシュモブとかもどうなんかなーと思う派ですし、まじそういうサプライズとかやめてほしいっす。
たぶん、誰かキレてるでしょうね? 違いますか。


そして、近所で火事? たしかに騒がしいです。たぶん近所の人がわいわい言うのでしょう。所謂、野次馬です。

ところで野次馬という言葉ですが、語源は「親父馬(おやじうま)」つまり「年老いた馬」のことらしいです。馬は集団で行動する動物なんですが、体力、権力がなくなった老馬は、若い馬のあとばっかりついて歩くようになって、その様子から、人の後にぞろぞろついてまわる人々のことを指すようになったという説が有力だそうですね。
また、親父馬すなわち老馬が仕事に使えないことから「うるさいだけで何の役にも立たない」人たちのことを「やじ馬」と呼ぶようになったという説もあるようで。野次というのは当て字なんですね。

ということですから、スポーツの観客とかが選手とか審判とかを「野次る」「野次を飛ばす」とか言いますけど、「野次馬」のほうが先だったんですね、私、「野次る馬」→「野次馬」だとばかり思っていましたから意外でした。

火事はあったけど全焼は免れたということなんですね。火事自体は悲惨なことなので、それを騒がしい云々と言うのもどうだかなーとは思いますが。


と、何の話かよくわからなくなりましたが、どっちかと言うと私も騒がしいのは嫌いな方です。
今はお酒をともなう会食などもってのほかですが、大人数でのカラオケとか、アウトドアでバーベキューとかも苦手ですね。静かに一人遊びするのもいいものですよ。


【原文】

 さわがしきもの 走り火。板屋の上にて烏の斎(とき)の生飯(さば)食ふ。十八日に、清水にこもりあひたる。

 暗うなりて、まだ火もともさぬほどに、ほかより人の来あひたる。まいて、遠き所の人の国などより、家の主(あるじ)の上りたる、いとさわがし。

 近きほどに火出で来ぬといふ。されど、燃えはつかざりけり。

 

現代語訳 枕草子 (岩波現代文庫)

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