枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

宮にはじめて参りたるころ⑧ ~物など仰せられて~

 お話なんかをなさって、「私のことを想ってくれるかしら?」ってお尋ねになったの。その返事に、「もちろんです」って申し上げるのに合わせて、台盤所のほうで誰かが大きなくしゃみをしたから、「あら、いやだ。嘘を言ったのね。もういいわ、いいんです」っておっしゃって、奥に入ってしまわれたの。どうして嘘なもんでしょう? 定子さまをお思い申し上げる気持ちは並大抵じゃないのに!! あきれたことだわ、くしゃみのほうが嘘だったのにって思うわ! それにしても誰がこんな憎ったらしいことしたんでしょう?? だいたい、くしゃみって不愉快なものって思ってるから、くしゃみが出そうな時だって、その都度押し殺すものなのに、ましてやあんな大きなの、憎ったらしいって思うけど、まだお仕えして間がないから、とにかく申し上げ返すこともできないで、夜が明けたから部屋に戻って。で、すぐ、浅緑色の薄様の紙でオシャレなお手紙を、使いの者が「これを」って持って来たの。

 開けて見たら、
「『いかにしていかに知らまし偽りを空にただすの神なかりせば』(どんな方法で、どう知るっていうの? 偽りを天空で糺(ただ)すっていう糺すの神がいらっしゃらないのなら―――どのようにすればあなたの心をわかるっていうの?)というご様子です」
って書いてあるから、すばらしいって思ったけど、悔しくて気持ちも乱れて、やっぱり昨夜くしゃみをした人はムカつくし憎みたくなっちゃうわ。

「うすさ濃さそれにもよらぬはなゆゑにうき身のほどを見るぞわびしき(薄い濃いとかとは関係ない『はな=鼻』のせいで こんなつらい目にあうのが苦しくてなりません) やはりこれだけはどうかよろしくお願いします。式の神も自然とご覧になってるでしょう。とても畏れ多いです」って、差し上げた後にも、よりによってあのタイミングで、何でくしゃみなんかしたのよ??って、すごく嘆かわしいわ。


----------訳者の戯言---------

台盤所(だいばんどころ)というのは、台盤を置いておく所だそうです。宮中の清涼殿内の一室で、女房の詰め所にもなっていたんだとか。台盤っていうのは、公家の調度の一つで、食器や食物をのせる台だそうで、つまり食卓、お膳みたいなやつです。

「鼻ひたる」という語が出てきました。徒然草の「第四十七段 ある人清水へ参りけるに」にも「やゝ、鼻ひたる時」という記述が見られました。「鼻ふ」で「くしゃみをする」ということのようです。

くしゃみをするのは、昔は良からぬ事が起こる前ぶれとか言われていたらしいですね。逆に良いこと、たとえば誰かに思われてるとか、恋人が来る前触れとか、そういう場合もあったみたいです。
くしゃみは、自分でコントロールできないので、何者かのせいで出る、と考えられたんでしょう。しかも、どっちかというと悪いこと、と考えるほうが多かったようです。

ウィキペディアによると、くしゃみは「一回ないし数回けいれん状の吸気を行った後に強い呼気をされること。不随意運動であり『自力で抑制』することはできない」と書かれています。「体温を上げるための生理現象と、鼻腔内の埃、異物を体外に排出するための噴出機能」の二つの機能があるとされています。
つまり、鼻から魂が抜けるとか、そういうものではないですが、風邪の前触れになることはありますから、悪いことが起きる前兆というのも全くのデタラメ、オカルトというわけではないのでしょう。万が一、新型コロナ陽性であったら、飛沫感染させてしまいますし、まさに凶兆になってしまいます。今はしっかりマスク着用で、飛沫を防止しなければいけません。

で、徒然草に戻りますが、くしゃみをした(鼻ひった)時に「くさめ、くさめ」とまじないを唱えたんですね。つまり、そのまじないの文言「くさめ」が、くしゃみの語源というわけなんですよ。

糺(ただす)の神というのは、京都の糺の森に鎮座する神で、下鴨神社やその摂社の河合神社などの祭神とされています。偽りを糺(ただ)す神とされたそうです。
糺の森下鴨神社に通じる広大な森で、周辺は今は高級住宅街なのだそうですね。

式の神。所謂、式神です。陰陽師の命令で、いろいろやってくれます。陰陽師のドラマとか映画でも出てきましたね。人心から起こる悪行や善行を見定め、変幻自在に不思議なわざをなします。擬人式神といって、紙で人形を作り、そこに陰陽師が霊力を込めるらしいです。で、それがリアルな人間の形になったりもします。野村萬斎の「陰陽師」では今井絵理子がやってました、式神。今は「一線は越えてません」国会議員ですが。

それにしても長い段でした。
最初はモジモジしてて、お近くにまみえることすらためらっていた清少納言、大納言伊周も素敵だし、その後に来た人もこの世の者とは思えないような風情だし。で、最後は定子さまと歌のやりとりをしましたわ。やっぱり素敵♡ だけど、それでも、んもう、くしゃみをした人!腹立つわーというお話です。
で、面白いかと言えば、それほどではありません。なるほどねー、やっぱそうですかー、ぐらいの感じです。

知らなかった(忘れていた?)んですが、この段は、高校の古文のテキストに採用されてることが多いみたいですね。けど、枕草子にももうちょい面白い話あると思いますよ。高校生の子たちに古典に興味持ってもらいたかったら、もっと面白い話をテキストにしたほうがいいと思うんですけどね私は。


【原文】

 物など仰せられて、「我をば思ふや」と問はせ給ふ。御いらへに、「いかがは」と啓するにあはせて、台盤所の方に、鼻をいと高くひたれば、「あな心憂。そら言を言ふなりけり。よし、よし」とて、奥へ入らせ給ひぬ。いかでか、そら言にはあらむ。よろしうだに思ひ聞こえさすべきことかは。あさましう、鼻こそはそら言しけれと思ふ。さても誰か、かく憎きわざはしつらむ。おほかた心づきなしとおぼゆれば、さるをりも、おしひしぎつつあるものを、まいていみじ、にくしと思へど、まだうひうひしければ、ともかくもえ啓しかへさで、明けぬれば、下りたる、すなはち、浅緑なる薄様に艶なる文を「これ」とて来たる。あけて見れば、

 「『いかにしていかに知らまし偽りを空にただすの神なかりせば』

となむ御けしきは」とあるに、めでたくも口惜しうも思ひ乱るるにも、なほ昨夜(よべ)の人ぞ、ねたくにくままほしき。

 「うすさ濃さそれにもよらぬはなゆゑにうき身のほどを見るぞわびしき

なほこればかり啓しなほさせ給へ。式の神もおぼづから。いとかしこし」とて、参らせて後にも、うたてをりしも、などてさはたありけむと、いと嘆かし。


検:宮に初めて参りたるころ