枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

宮にはじめて参りたるころ⑤ ~御帳の後ろなるは~

 「御几帳の後ろにいるのは誰なの?」って、大納言さま、お尋ねになったみたいで。興味をそそられるようなことを言われたに違いないわね、立ってらっしゃるから他に行くの行くのかしら?って思ってたら、すごく近いところにお座りになって、話しかけてこられるの。まだ定子さまにお仕えしてなかった頃から聞いていらっしゃったお話なんかについて、「ほんとに? そうだったの!?」なんておっしゃるから、御几帳越しに遠くから拝見してるのでさえ恥ずかしかったのに、すごくあきれちゃうくらい、向かい合ってお話しする気持ちっていったらとても現実のこととは思えなかったわ。
 行幸(ぎょうこう)なんかを見る時、あの方がこちらの車の方をちょっとでもご覧になったら、車の下簾を引いてふさいで、影が透けて見えたりもしないかなって扇で隠すほどだったのにね、やっぱりホント自分の本意ではあるけど、でも身分不相応だから、どうして宮仕えになんか出てきちゃったんだろ?って汗がしたたり落ちて、ハンパないから、いったい何をどうやってお答え申し上げたらいいんでしょ? お答えできるわけないわよね!

 頼りになる存在!と思ってかざしてた扇までお取り上げなさったから、振りかけて隠す髪の感じだってみっともなく思えて、すべてこういう私の様子が見透かされちゃう?? 早くお立ち去りいただきたいわ、って思うんだけど、扇を手でもてあそびながら、「この絵は誰が描かせたの?」なんておっしゃって、すぐにお返し下さらないから、袖を顔に押し当ててうつむいてたんだけど、裳と唐衣にお化粧の白いのが付いちゃって、顔、まだらになってるんじゃないかしら?


----------訳者の戯言---------

さかす。漢字では「栄す」「盛す」と書くらしい言葉です。となると、文字どおり「栄えさせる」「盛んにさせる」という感じでしょうか。何かをプッシュするんでしょう、近年、背中を押される、とか言うのもこれですね、たぶん。
では、何を盛んにさせるのだろうか? と、普通に考えたところ、ここでは気持ち、興味、なのだと思いました。この言葉もその都度目的語が変わるのだと思います。古語の難しいところです。

行幸というのは天皇が外出することです。これを見物するのも一種のレジャーだったのでしょうね。たしかに、今も天皇皇后両陛下がお通りになる時、国民が沿道でお迎えしたりします。あんな感じですか。ちょっと違いますか。
で、大納言・伊周が帝に随行してる時があったんでしょう。遠くから行列を見る一般ピープルであった頃のことを思い出して、その本人が目の前に来てる!どうしましょ??っていう感じです、清少納言

ちなみに下簾(したすだれ)というのは、牛車の前後の窓に掛けた簾のさらに内側に掛けた布。女性や貴人が乗る場合に、内部が見えないようにしたというカーテン的なものです。

「汗あえて」という言葉が出てきました。これ、「汗+あゆ」という動詞的表現なんですね。「あゆ」という動詞が「したたり落ちる」「したたり流れる」の意味になります。
古文の授業のようになりますが、品詞分解すると、汗(名詞)+あえ(あゆの連用形)+て(接続助詞)ということです。

いみじ。「はなはだしい、並じゃない」ことを言うんですが、これ、「すばらしい」時にも使うし、「恐ろしい」的な時にも使います。今の「ヤバい」とかに近いですね。
ちなみに、「ヤバい」は元は「厄場(やば)い」だったそうです。「厄場」というのは江戸時代の頃には牢屋のことをこう言ってたらしいんですね。で、盗人とかの犯罪者が、牢屋に入らなければならないようなことを、隠語として「厄場い」という形容詞で表したのが起源のようです。出川はしょっちゅう言ってますが。江戸時代はまじ実刑になるかもしれない犯罪スレスレの状況を表したんですね。ま、たしかにスカイダイビングやバンジーもヤバいですけどね。命かかってますから。

いや、そういうことを語ろうと思ったのではなく、「ヤバい」も「いみじ」と同様に、本当に「キケン」「コワイ」だけでなく「美味すぎる」「かっこよすぎる」「可愛すぎる」等々、何でも表せるということです。
ここで出てきた「いみじき」も「ヤバい」「ヤベー」と現代語訳してもいいくらいなんですが、私は「ハンパない」という感じに近いかなと思いました。もっと言うと「パネェ」ですね。浜田ブリトニーかよ。

裳(も)というのは、表着の上で腰に巻くもので、後ろに裾を長く引くらしい。唐衣(からぎぬ)は十二単の一番上に着る丈の短い上着です。どちらも、衣装な中でもいちばん表に見える部分に着るやつですね。これに顔の白粉(おしろい)付いちゃったわ、と。

清少納言、伊周に直で話しかけられて、焦ってますの巻。
しかし大納言とは言えまだ20歳のお兄ちゃんですよ。対して新人とはいえ27歳のオトナ女子であるはずの清少納言、ちょっとキョドりすぎ。パニクってます。まるでキンプリに遭った女子のようです、「モニタリング」とかで。
もちろんこの後、キャリアを積んで堂々としていく清少納言ですが。

さて、「キョドる」「パニクる」という語を出してしまったので、近年生まれたカタカナ動詞について少し。

比較的新しい動詞には「サボる」「パクる」などがありますが、それでももはや古いというか、定着した感があります。その次あたりに来たのが「パニクる」「キョドる」「コクる」「キモい」あたりだろうと思います。しかしこの辺ももう安定ですね。

で、私見ですが、所謂若者言葉とか言われている語の中でも「ググる」「ハブる」「ディスる」あたりは、今後おそらくかなり一般化していくだろうと思います。
形容詞で注目するのは「エモい」です。これは「ヤバい」とか、先ほど出てきた古語の「いみじ」にも似た印象がありますね。良い意味にも悪い意味にも使うという点では。ただ、こういう語を頻繁に使い出すと、文脈から読み取る受け手側の感性が問われます。受け取る方が混乱することもありますね。センスのない使い手が無闇に使って受け手もピンと来ないと、感情表現が乏しくなるデメリットはあるでしょう。

話がそれましたが、大納言伊周とのコミュニケーションに焦りまくる清少納言
⑥に続きます。


【原文】

 「御帳の後ろなるは、たれぞ」と問ひ給ふなるべし、さかすにこそはあらめ、立ちておはするを、なほほかへにやと思ふに、いと近うゐ給ひて、ものなどのたまふ。まだ参らざりしより聞きおき給ひけることなど、「まことにや、さありし」などのたまふに、御几帳隔てて、よそに見やりて参りつるだにはづかしかりつるに、いとあさましう、さし向かひ聞こえたる心地、うつつともおぼえず。行幸など見るをり、車の方にいささかも見おこせ給へば、下簾引きふたぎて、透影もやと扇をさしかくすに、なほいとわが心ながらもおほけなく、いかで立ち出でしにかと、汗あえていみじきには、何事をかは、いらへも聞こえむ。

 かしこき陰とささげたる扇をさへ取り給へるに、振りかくべき髪のおぼえさへあやしからむと思ふに、すべて、さるけしきもこそは見ゆらめ。とく立ち給はなむと思へど、扇を手まさぐりにして、「絵のこと、誰がかかせたるぞ」などのたまひて、とみにもたまはねば、袖をおしあててうつぶしゐたる、裳、唐衣に白いものうつりて、まだらならむかし。

 

検:宮に初めて参りたるころ