虫は
虫は、鈴虫、ひぐらし、蝶、松虫、コオロギ、キリギリス、われから、蜻蛉、蛍なんかが、いいわね。
ミノムシはとっても哀愁があるの。鬼が産んだから、親に似てこの子も恐ろしい心を持っているんじゃないかって、親がみすぼらしい衣を着せて「もうすぐ秋風が吹く頃がやってくるから。待ってなさい」って言い残して逃げ去っていったことも知らないで。風の音を聞いて、八月くらいになると、「父よ、父よ」と儚げに鳴くのには、すごくしんみりしちゃうんだよね。
額づき虫(=コメツキムシ)にもまた、しみじみ感動。その心の内に仏教の信仰心をおこして、頭を下げて歩くのよ。思いがけず、暗い所なんかを、ホトホトと足音を響かせるかのように歩く姿はカワイイと思うの。
蝿こそは、憎いものの中に入れるべきで、こんなに可愛げのないものはないわね。人と同じように扱って、目の敵にするほどの大きさではないけど、秋なんかには、どんどん何にでもとまるし、顔なんかにも湿った足でとまるのよ。人の名前に蝿って付いてるのも、すごくヤな感じ。
夏の虫は、すごく風情があって可愛いの。灯火を近くに寄せて物語本とかを読んでたら、本の上なんかを飛び回ってるのがいい感じだわ。
蟻は、とっても憎ったらしいけど、身軽さがハンパなくって、水の上なんかを、ただただ、どんどん歩いてくのは、興味を惹かれるところよね。
----------訳者の戯言---------
古代においては、きりぎりす=現代の「コオロギ」、はたおりむし(機織虫)=現代の「キリギリス」だったそうです。松虫は今の鈴虫で、鈴虫は今の松虫、とも言われています。ま、この二つは両方出てきているので、順番が違うだけでどっちでもいいんですが。
「われから」は、海の中で海藻や海草などの上で暮らしている小さな虫ですが、分類上は甲殻類端脚目に属します。つまり、エビやカニの仲間。どっちかと言うと、エビに近い動物だそうです。
「ひを虫」は、朝に生まれて夕方には死ぬ虫らしく、「かげろう(蜻蛉)」の類ではないかとのこと。はかないものを「ひを虫」にたとえることもあったそうです。
額づき虫(ぬかづきむし/叩頭虫)というのは、コメツキムシのことと言われていますが、その、コメツキムシ自体がわかりません。
で、調べてみました。
ウィキペディアによると、「比較的硬い体の甲虫。昆虫綱コウチュウ目に属するコメツキムシ科に属する昆虫の総称である。仰向けにすると、自ら跳ねて元に戻る能力がある小型甲虫。米をつく動作に似ていることからこの名前がある。」などと書かれています。外見的にはタマムシ類にも似ている、そうです。
というわけで、額づき虫=コメツキムシ、とする説が主流ではありますが、私にはまだちょっと疑問があります。
よく、ペコペコする人のことを「コメツキバッタみたい」と言いますね。上司とか、偉い人にへつらうヤな人の例えです。このバッタは正しくは「ショウリョウバッタ」だと言われます。「コメツキムシ」とは違いますが、これを額づき虫と思っていたのか? しかし否です。ショウリョウバッタは、両足を固定するとペコペコ頭を上下させるのです。ペコペコしながら歩くということはありません。
もう一度立ち返って、コメツキムシの生態を調べてみたところ、ショウリョウバッタと同様に、両足を固定すると頭を上下させることがわかりました。こちらもこの動きが「米搗き虫」の名前の由来になったようです。しかし、ショウリョウバッタとは異なり、そのまま歩かせると、頭(実際には胸の部分)が大きいので、頭(胸の部分)を上下に振りながらよちよち歩いているように見えるらしい、ということもわかってきました。これですね。ただ、「ほとめきありく(ほとほとと音をたてて歩く)」とは書かれてますが、実際に「音」を出して歩いたわけではなさそうですが。
人の名前に蝿がつくというのは、どういうことですか? 蝿山さんとか、蝿通とか蝿家とか実蝿とか蝿子とか。そんな人いました? と思うんですが…ま、いたんでしょうね。いたのなら仕方ないです、はい。
前の段は結構いい感じに思えたんですが、この段は私的には今一つでした。ウケるように、あるいは気の利いたことを書こうとして、失敗している気がしますね。ミノムシのとか、額づき虫とか、考えて書いたであろう清少納言には申し訳ないけど、そんなに面白くはなかったです。
【原文】
虫は、鈴虫。ひぐらし。蝶。松虫。きりぎりす。はたおり。われから。ひを虫。蛍。
蓑虫、いとあはれなり。鬼の生みたりければ、親に似てこれも恐ろしき心あらむとて、親のあやしき衣ひき着せて、「今秋風吹かむをりぞ来むとする。待てよ」と言ひおきて、逃げて往にけるも知らず、風の音を聞き知りて、八月ばかりになれば、「ちちよ、ちちよ」とはかなげに鳴く、いみじうあはれなり。
額づき虫、またあはれなり。さるここちに道心おこしてつきありくらむよ。思ひかけず、暗き所などに、ほとめきありきたるこそをかしけれ。
蝿こそ、憎きもののうちにいれつべく、愛敬なきものはあれ。人々しう、かたきなどにすべきものの大きさにはあらねど、秋など、ただよろづのものにゐ、顔などに濡れ足してゐるなどよ。人の名につきたる、いとうとまし。
夏虫、いとをかしうらうたげなり。火近う取り寄せて物語など見るに、草子の上などに飛びありく、いとをかし。
蟻は、いとにくけれど、軽びいみじうて、水の上などを、ただ歩みに歩みありくこそをかしけれ。