枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

小白河といふ所は② ~少し日たくるほどに~

 少し日が昇ってきた頃、三位の中将、っていうのは後の関白殿(藤原道隆)のことなんだけど、香色を使った薄手の二藍の直衣、同じく二藍の織物の指貫、濃い蘇芳の下袴、張りのある白い単衣のとっても鮮やかなのをお召しになって、歩いて入られたのは、こんなに軽やかで涼しげな人たちの中だと、暑苦しい感じではあるんだけど、すごくすごく素晴らしく見えたのです。
 朴(ほう)の木、塗骨など、骨の種類は変わってても、赤い紙を張ったのを、みんな一様に使ってらっしゃるのは、撫子がたくさん咲いてるのにすごくよく似てるの。
 まだ講師も参上してないうちに、懸盤を持ってきて、何かしら載っけてるのかな、お食事をするんでしょうね。

 中納言藤原義懐(よしちか)さまのお姿は、いつもよりいっそう素敵でいらっしゃるの、この上なくって。みんな色合いも華やかで、とっても香り立ってて、どの方が上回ってるとも言えない中、帷子を中に着てはいるんだけど、それをまるで、ただ直衣一枚だけを着てるかのように着こなしてて、ずっと停まっている牛車の方を見つめてて、何か話しかけてらっしゃるのを、いかしてると思わない人はいなかったでしょうね。


----------訳者の戯言---------

藤原道隆というのは、言うまでもなく中宮定子の父です。が、定子はこの時はまだ一条天皇に入内はしていません、ていうか、天皇はまだ花山天皇の時代です。ですので、「後の関白殿」なわけですね。これ書いたのはたぶん、10年以上後でしょうから、道隆は関白となり、その後すでに亡くなっていたのではないでしょうか。それでも、さすが、定子様に仕える身、道隆をヨイショしておくことは忘れません。というか、清少納言は定子様大好き!ですから、これが結構自然なのかもしれないんですがね。

香色というのは、今で言うベージュ系の色です。丁子や香料の煮汁で染めた色なのだそうです。そんなベージュの薄い生地の、二藍の色の直衣?ということでしょうか。何だそれ。どっちの色?

そもそも二藍というのは、藍の上に紅花を染め重ねた青紫です。二藍という名前も、昔は紅のことを「紅藍」と書いて「くれない」と読んだから、藍+紅藍=二藍なんですね。なるほど。

そこであくまで私の推論ですが、「香のうすものの二藍の御直衣」は「香色(または丁子)を使った薄手の二藍色の生地の直衣」となります。つまり、紅花単色の代わりに香色を使って二藍にしたのではないかと思うのです。省きますが、私の検証の結果、C80+M70+Y40くらいの紫です。ほんまかいな。

蘇芳。これは簡単です。蘇芳という植物で染めた黒味を帯びた赤色です。インド・マレー原産のマメ科の染料植物とか。

さて、塗骨というのは、漆塗りをした扇などの骨のことだそうです。朴木の自然木のまんまのやつとか、この漆を塗ったやつとか、各種あったのですね。

「懸盤」。はじめて見ましたよこんな単語。「かけばん」と読むそうです。「食器をのせる膳の一種。入角折敷(いりずみおしき)形の盤に,畳ずりのある四脚置台をとりつけるのが通形。脚間を格狭間(こうざま)形に大きくくり抜いた四脚が,弧を描いて盤面より外に大きく張り出し,安定した形姿を示すのが特徴的である」とコトバンク(出典は世界大百科事典)に出ていました。いろいろ小難しいのでごくごく簡単に言ってしまうと脚付きのお膳ですね。簡単すぎますか。すみません。
雛飾りのセットにもついているらしく、ググって、画像を見るといっぱい出てきます。

中納言藤原義懐という人が登場しました。どうやらこの人がこの段の主人公らしいです。
調べてみると、藤原伊尹という人の子ども(5男)で、姉が花山天皇の母、ということは、天皇外戚関係にある家の人です。花山天皇の伯父さんにあたる人ですね。
当然、出世もとんとん拍子で、蔵人頭→参議→権中納言となっています。中納言と紹介されていますから、この八講は986年のことのようですね。
この時、義懐は27、8歳です。生まれ育ちもよく、エリートで、センスがいい、年格好もいちばんいい時かもしれません。
ちなみに清少納言はこの時二十歳前後でしょうか。

権官。権中納言、とか、中納言やら大納言やらの官職名に「権」が付いたりします。これ、「仮」という意味らしいですね。各々定員が決まってるんだけれど、各種大人の事情によって増やさないといけない場合に「権」の付いたポジションを設けたということです。ただ、権が付いてる人は実権が無いのかというと、そうでもなく、付いてない方が実は「名前だけの人」の場合もあったりして、どっちが実力者なのかは、権の有無で判断はできない、ということです。

この枕草子の原稿が書かれたの、いつなのか、よくはわかりませんが、たぶん西暦1000年前後でしょう。
しかし、そんな前(986年)のこと、細部にわたってよく覚えているなーと思います。清少納言、侮りがたし。目の前で起きていることみたいに書いているのは、結構すごいです。今だったら動画撮っとくんですけどね、当時はスマホ無いですからね。

……。

次に続きます。


【原文】

 少し日たくるほどに、三位の中将とは、関白殿とぞきこえし、香(かう)のうすものの二藍の御直衣、二藍の織物の指貫、濃き蘇芳の下の御袴に、はりたる白き単衣のいみじうあざやかなるを着給ひて、あゆみ入り給へる、さばかりかろび涼しげなる御中に、暑かはしげなるべけれど、いといみじうめでたしとぞ見え給ふ。朴、塗骨など、骨は変はれど、ただ赤き紙を、おしなべてうち使ひ持(も)たまへるは、撫子(なでしこ)のいみじう咲きたるにぞいとよく似たる。まだ講師ものぼらぬほど、懸盤して、何にかあらむ、もの参るなるべし。

 義懐の中納言の御さま、常よりもまさりておはするぞ限りなきや。色あひのはなばなと、いみじう匂ひあざやかなるに、いづれともなき中の帷子を、これはまことにすべて、ただ直衣一つを着たるやうにて、常に車どものかたを見おこせつつ、ものなど言ひかけ給ふ、をかしと見ぬ人なかりけむ。


検:小白河といふ所は

 

学びなおしの古典 うつくしきもの枕草子: 学び直しの古典

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