枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

扇の骨は

 扇の骨は、朴(ほお)の木。色は赤いの。紫。緑。


----------訳者の戯言---------

扇は朴木の自然木のまんまのやつが良い、ってことでしょうか。他には塗骨と言って、漆塗りをしたものなんかもありました。

小白河といふ所は② ~少し日たくるほどに~」では、赤い紙の扇がフィーチャーされてましたね。みんな赤いのを持ってて撫子みたいだと。
中納言殿まゐり給ひて」という段で、すごくいい扇の骨のことを話してて、どんな骨?って聞いたら、「見たこともない骨」だって言うもんだから、「それは扇の骨ではなくてクラゲの骨じゃない??」と清少納言がうまいこと言ったという自慢話もありましたね。

扇の骨と色の話です。よくわからないですが、赤、紫、緑が良かったようですね。一応書いとけ、ぐらいの短さ、内容の無さです。


【原文】

 扇の骨は 朴。色は赤き。紫。緑。

 

 

下襲は

 下襲(したがさね)は、冬は躑躅(つつじ)。桜。掻練襲。蘇芳襲。夏は二藍。白襲。


----------訳者の戯言---------

下襲(したがさね)です。今で言うとシャツ的なものですね。上着の下に着るやつで、絵とか見ても後ろがすごく長いです。ただ、枕草子が書かれた頃はまだそんなに長くはなかったらしいんですね。位が上の人ほど長かったみたいで、大臣クラスでも33cmとかだったのが13世紀頃には3mくらいになったらしいです。


躑躅(つつじ)。あの花のツツジです。しかしこれまた「躑躅」というのは難しい漢字ですね。はじめて見ましたよ。もちろん書いたこともありません。一瞬、髑髏(どくろ)かと思いましたが違いましたね。しかし、花の名前で髑髏はないでしょうけど、せめて草かんむりにしてくれないと、イメージも湧かないです。

で、「躑躅」というのが何なのか調べたところ、「テキチャク」と読むことがわかりました。意味は「足で地をうつ」「行きつもどりつする」「躍(おど)りあがる」などで、さすが足ヘンだけあってですね。しかしなぜこれが「ツツジ」なんですかね。
で、よくよく読んでいると、これは羊がツツジの葉を食べると「躑躅(てきちゃく)」して死ぬ、とか、食べれば死ぬので羊たちはこの葉を見ると「躑躅」して散り散りになってしまう、とからしいです。真偽のほどはわかりませんが、そういう説があるらしいです。何故羊はこれを食べる? 死んじゃうのに。

とまぁ、難しい漢字のツツジです。忘れるところでしたが、本題は躑躅色ですね。鮮やかな赤紫色です。


掻練襲(かいねりがさね)です。表裏ともに紅で、冬から春までのものらしいです。


蘇芳襲(すおうがさね)。蘇芳という色は前にも出てきました。で、表は蘇芳、裏は濃蘇芳、というのが蘇芳襲だそうです。どんだけ赤いねん。


二藍(ふたあい)は、枕草子にはよく出てくる色で、紫系の色です。

白襲(しらがさね)は、表裏とも白です。真っ白??


というわけで、下襲の色ですが、寒い時期は濃い赤っぽい色、夏場は薄紫、ピンク、白という涼しい感じがよろしいようです。そらそうやろな~ぐらいの感想しかありません。


【原文】

 下襲(したがさね)は 冬は躑躅(つつじ)。桜。掻練襲。蘇芳襲。夏は二藍。白襲。

単衣は

 単衣は、白いの。束帯の時に紅色の単衣の袙(あこめ)なんかを仮にワンポイントで着てるのはOK。でもやっぱり白いのをね。黄ばんだ単衣なんかを着てる人はすごく気にくわないわ。
 練色(ねりいろ)の衣なんかを着ることもあるけど、やっぱ単衣は白いのじゃないとね。


----------訳者の戯言---------

単衣(ひとえ)というのは、一枚ものの着物です。
今の着物で言うと「袷(あわせ)」の対義語になりますね。 袷は裏地がついているので透け感がありません。単衣は今の着物なら浴衣とかですね、肌着みたいなものです。
平安装束ではニュアンスが少し違いますが、裏地のない着物である点では同じです。本来肌着でしたから、ま、今で言うTシャツとかそういう感じのものと思っておいていいように思います。いや、形とかではないですよ。もちろんプルオーバーじゃないですからね。衣類としての位置づけと言うか、表現が難しいですけどね。違いますか?
と、このように元々は肌着であったようですが、院政末期にになると肌小袖というものが発明され、この小袖や袴を着た上に羽織るものとなっていったようです。Tシャツの上にジャケット着てるIT企業の社長みたいなものです。全然違うと思いますが。

日の装束(そうぞく)というのは、「束帯(そくたい)」のことで、公家の正装のことをこう言いました。スーツみたいなものでしょうかね。

袙(衵/あこめ)というのは男子が束帯をつけるとき、下襲の下、単衣の上に着るものとされていて、 表は綾、裏は平絹のものなんだとか。けれど、ここでは「単衣の袙」となっていますから、そういうものもあったのでしょう。

練色です。黄色味のあるベージュというかアイボリーというか、って色ですね。


清少納言的には、単衣はなんたって白!のようです。正装の時に紅色の単衣をちょこっと着るのなら許すけど~って感じですね。スクエアなスタイルの中にちょっとした遊び心というか。ドレスダウンというやつでしょうか。
でも、ま、とにかく白です。所ジョージ的な感じでしょうか。


【原文】

 単衣(ひとへ)は 白き。日(ひ)の装束の、紅の単衣の袙など、かりそめに着たるはよし。されど、なほ白きを。黄ばみたる単衣など着たる人は、いみじう心づきなし。

 練色(ねりいろ)の衣どもなど着たれど、なほ単衣は白うてこそ。

狩衣は

 狩衣(かりぎぬ)は、香染(こうぞめ)の薄いもの。白いふくさ。赤色の。松の葉色。青葉の色。桜襲のもの。柳色のもの。藤色。男はどんな色の衣でも着てるわ。


----------訳者の戯言---------

狩衣(かりぎぬ)は文字通り「狩り」をするときに使っていた衣服です。動きやすいので、これが平安貴族たちの普段着となりました。スポーツウェアとかワークウェア起源のカジュアル服、インフォーマルな服という感じですね。今で言うと、ポロシャツとかトレーナーとかスニーカー、ジーンズなんかの感じでしょうか。
近年はドレスコードを無くして、クールビズだけでなく通年カジュアルという会社が増えてきました。お堅いと言われる銀行などの金融機関でもそうなっていますね。狩衣のいでたちもそれに近いものがあるかもしれません。
ただ、ちょっと無理をしている感じがイタい人もいるのはたしかで、急にTシャツを着てきたり、なぜかフード付きのパーカーを着てきたりします。完全自由化なのでいいのですが、パーカーを着たおじさんが課長席にいるのですから。何と言ったらいいのでしょうか。


香染」は丁子で染めたもので、薄い茶色です。カフェラテの色ぐらいの感じでしょうか。落ち着いた色合いです。
香色という染色もあります。見たところ香染よりは淡いです。そもそも丁子で染めた香色(香染)というのは色相が広くて、平安時代は色の濃淡で、淡香(うすきこう)、中香(なかのこう)、濃香(こきこう)と呼び分けていたそうですから、「香染の薄き」というのは「淡香」だったのかもしれないですね。そうするとミルクティーぐらいの色でしょうか。ベージュと言ってもいいかもしれません。

「ふくさ」というのは、糊を引いていない絹、やわらかい絹を指して言ったようですね。当時はカジュアルウェアに使ったようです。

袱紗(ふくさ)というと、祝儀袋や不祝儀袋を包むあれで、掛け袱紗とか包み袱紗とか言われるものですね、今は。絹織物とかで一重か二重に作っていて、柄は無地のもありますが、おめでたい柄だったり刺繍をしてあるのもあります。本来、進物の上に掛けたり、物を包んだりするもので30~40cmぐらいの正方形に近い形なんですが、ちょうど祝儀袋とかがおさまるようなケースになったのもありますよね。私が持っているのもそれです。

赤色(あか)というのは赤系統の色の総称なんですが、日本最古の色名の一つでもあります。明(アケ、アカ)が語源、つまりそもそもは光の明暗を指す言葉だったんですね。「赤」ではなく「朱」「緋(あけ)」の表記が用いられることもあったようです。平安時代には禁色(きんじき)と呼ばれる高貴な身分のみに着用が許された特別な色としても扱われました。
逆に誰でも使用できる色のことを「ゆるし色」などと言ったそうです。また、禁色が特定の人には許されたり、女房女官には緩くされたりもしたようですね。

松の葉色=松葉色です。文字どおり松の葉のような深みのある渋い青緑色ですね。

青葉という色は、調べたのですが見つかりませんでした。ま、青葉ですからね。青葉の色に違いない。そうだそうだ。

桜=桜襲(さくらがさね)は、表が白、裏が赤か葡萄染(えびぞめ)で、見た目が桜色になる生地です。

柳色はこういう色です。表が白、裏が淡青で柳襲という色目も出しているそうです。

藤色は文字通り藤の花からきた色名。淡い青みのある紫色です。「若紫」とも呼ばれるそうです。


読んでると、清少納言的に押しの狩衣の色というのが次々に出てきてまして、これだけの色をピックアップするならもう狩衣なんて何色でもアリではないのか?と思ってました。が、最後まで読んでみるとまさにそのとおりで。結局、男はどんな色の衣でも着るよ…という結論。え? こ、こんなでいいのですか…?


【原文】

 狩衣(かりぎぬ)は 香染の薄き。白きふくさ。赤色。松の葉色。青葉。桜。柳。また青き。藤。男は 何の色の衣をも着たれ。

 

 

指貫は

 指貫(さしぬき)は、紫の濃いの。萌黄(もえぎ)。夏は、二藍(ふたあい)。すごく暑い頃、夏虫の色をしたのも涼しげだわ。


----------訳者の戯言---------

指貫(さしぬき)いうのは今でいうところの袴です。ボトムスですね。括り緒の袴(くくりおのはかま)というものの一種です。裾を紐で引っ張って絞れるようになってるので、現代のファッションで言うと、ドローコードの付いたカーゴパンツみたいな感じ。袴ですからかなり幅は広いですが。

紫色は希少で高価、高貴な色とされていました。希少な紫草の根(紫根)で手間をかけて染めていたからという理由もあるようですね。さらに濃い紫色はより手間のかかった色ということになります。濃い紫を濃色(こきいろ)と言い、こんな色だそうです。

萌黄色はこんな色。春先に萌え出る若葉の色なんですね。明るめの黄緑色。平安時代には若者向けの色として好まれたらしいです。

二藍(ふたあい)は、藍+紅=つまり紫系の色に染めた生地のことを言うそうです。藍の上に紅花を染め重ねたんですね。二藍という名前も、昔は紅のことを「紅藍」と書いて「くれない」と読んだから、藍+紅藍=二藍なんです。結構幅があって、赤紫~薄めの青紫まであるみたいです。着る人の年代によって色調を変えたらしいですね。若い人はピンクっぽいのとか。
二藍は紫草を使わずに藍と紅を使った合わせ技という考え方ですが、見ただけでわかるのか?というのが素朴な疑問です。


夏虫色という染色の色があるらしいです。夏虫とは青蛾のことであるとか、瑠璃色のことだと書いている辞書もあるようです。一説には蝉の羽の色とも。
で、現代において夏虫色はこういう色です。結構涼し気といえば涼し気です。

青蛾というのがどういう蛾なのか、ちょっと調べたのですがよくわかりませんでした。日本では青というのが曖昧であるとこれまでにも何回か書きましたしね。ちょっと別の話として、こういう言葉↓があります。

「紅粉青蛾」。
「こうふんせいが」と読み、美人のことをこう言うらしいですね。「紅粉」は口紅と白粉のことで、「青蛾」は眉を蛾の触角みたいに、細長く三日月形に青い色で描くことなのだそうです。化粧美人ですね。

夏虫色が瑠璃色ではないか?という説もあると書きました。たしかに蛾の中にはきれいな瑠璃色のような羽を持ったものもありますね。ただ、一般に言われている夏虫色とはずいぶん違います。瑠璃というのは宝石のラピスラズリと言われています。紫がかった青色の半貴石です。ただ、二藍に近い色なので、ここでは夏虫色≠瑠璃色のような気はします。
そういえば松田聖子の歌で瑠璃色の地球という曲がありましたね。関係ないですが。


【原文】

 指貫は 紫の濃き。萌黄(もえぎ)。夏は二藍(ふたあゐ)。いと暑きころ、夏虫の色したるも涼しげなり。

 

 

歌は

 歌はっていうと…風俗歌。その中でも「杉立てる門」ね。神楽歌もおもしろいわ。今様歌は長くて節回しが変わってるわね。


----------訳者の戯言---------

風俗というと、すぐにキャバクラとかヘルスとかを思い浮かべてしまいますが、違います。現代じゃないんだから。

風俗歌(ふぞくうた)というのは、地方の国々に伝承されていた歌だそうで、平安時代になると宮廷や貴族社会に取り入れられ、宴遊などに歌われたようです。その中で特筆すべきが「杉立てる門」という風俗歌だと書いてます。

わが庵は三輪の山もと恋しくはとぶらひ来ませ杉立てる門
(私の粗末な家は三輪山の麓なの。恋しいのなら訪ねて来てくださいよね、杉の立ってる門を目印に)

というのが古今集にあったのですが、古今集の中でも最古の歌の部類に入るらしいです。たとえば「とぶらひ来ませ」の「ませ」は、万葉集でよく見られた技法みたいです。で、この歌は「三輪の神の作った歌」という伝説もあるそうですね。
三輪山伝説」とか「箸墓伝説」などの伝説は、三輪山の神が女性のところにやってきて契りを交わすという「妻問婚」と呼ばれるものの起源みたいなものです。なんか風俗っぽいけど風俗ではありません。神様ですからね。で、三輪山御神体は「蛇」と言われているんですね。その辺もあまり関係ないですが。

「俊頼髄脳」という源俊頼という人によって書かれた歌論書の中にも「三輪の山伝説」というのがありまして。こちらでは、

恋しくはとぶらひ来ませちはやぶる三輪の山もと杉立てる門

となっていました。構成は違いますが、内容はほぼ同じです。

と、逸れてしまいましたが、風俗歌というのは地方の古い歌謡曲的なものというか、ローカルヒットしたものというか。それが都の貴族たちの間で流行って来たと。今で言うなら、たとえばネットカルチャーってか、ボカロやSNS発の音楽とかがメインカルチャーになるイメージかと思います。まふまふとかadoとか。


神楽歌はそもそもは神事のときに謡われた歌みたいですね。洋楽で言うと、ゴスペルです。教会で歌われた讃美歌、つまりゴスペルから、ポップミュージック化してソウル、R&Bになっていった感じに似ているかもしれません。レイ・チャールズです。ほんまか? 


で、今様です。先日、アニメの「平家物語」を見ていたら、後白河法皇って今様が好きだったんですね。今様に合わせて白拍子を舞っていたのです。白拍子の女性たちは貴人のところに通う遊女でもありましたが、専属になって所謂妾として寵愛されるということもありました。ごぞんじのとおり、この平家物語の時代には、清盛の妾の祇王とか、義経の妾の静御前とか、白拍子の女性たちのサイドストーリーも垣間見えてきます。

で、全然関係ない感じですが、そのアニメ「平家物語」のエンディングがヒップホップなんですよ。劇伴をテクノ系牛尾憲輔という人(agraph)がやってるんですが、スチャダラのANIがラップをやってます。
ということで、HIPHOP的なんですよね、今様って(たぶん)。だから破格の節回しなのでしょう。これまたほんまか?

具体的には1コーラスを7・5・7・5・7・5・7・5の七五調で四句の歌われ方をしていたらしいです。というと案外単調ですね。でも、清少納言は、歌が長くて、節回しが独特な気がしたのでしょう。


【原文】

 歌は 風俗(ふぞく)。中にも、杉立てる門。神楽歌もをかし。今様歌は長うてくせづいたり。

 

 

たふときこと

尊いこと。
九条の錫杖(しゃくじょう)。念仏の回向(えこう)。 


----------訳者の戯言---------

九条の錫杖(しゃくじょう)。聞いたことがありません。九条というと京都の九条、あとは大阪の九条とか。地名ぐらいしかわからないですね。地名ならほかにもあるかもしれません。

錫杖というのは、お坊さんとかが行脚の時に持って歩く杖ですね。上部の枠に何個か輪っかが掛けてあって、振ると鳴るやつです。時代劇とかでは山伏がよく持ってます。ほら貝とこの錫杖は山伏の必須アイテムでもあります。ドラクエの勇者における盾と剣みたいなものですね。

錫杖は行脚のとき振って音を出して、獣とかヘビとか虫とかを避けるためのものであり、托鉢の時には門前で来たことを知らせる役目もあったみたいです。玄関チャイムは昔はないですしね。あってもわざわざ呼び出すのは気が引けます。つまり、何気に来訪を気付かせるというなかなか頭脳的なシステムでもあるのです。そして、煩悩を除去し智慧を得る効果があるともされていました。

というわけで、「九条の錫杖」に戻りますが、この錫杖を振って唱える「偈(げ)」で九節からなるものを「九条錫杖経」などと言いました。え?何それ?そして「偈(げ)」って?
偈というのは、経典の中で詩句の形式で教理や仏・菩薩をほめたたえた言葉です。声明(しょうみょう)とも言えるでしょうかね。4字か5字か7字で1句として、4句から成るものが多いらしく、平等施会条、信発願条、六道智識条、三諦修習条、六道化生条、六捨悪持善条、邪類遠離条、三道消滅条、回向発願条の九つなので「九条」なんですね。内容はさっぱりわかりませんが。

何せ一条唱えるごとに錫杖を振るそうです。こういう唱和の時に振るのは、それ用の短いサイズの錫杖らしいですね。で、そのようにして密教系や修験道などで唱えられるのだとか。最初の三条だけを唱えるものを三条錫杖と言うらしいです。

なんかわけが解らなさ過ぎるんですが、清少納言的にはこれ、尊いことらしいです。「こと」と書いてますから、それをやってる行為が尊く感じられたのでしょう。

そういうわけで、私もYouTubeでいくつか九条錫杖経を見てみました。リズムもメロディ?も違うんですね。同じ宗派でも。所謂お経みたいなのもありますし、まさに謡ってるようなのもあります。で、錫杖の使い方も違います。上に書いたように一条ごとに鳴らしてるのもあるし、リズム楽器的に使ってるようなのもあります。概ねシャカシャカシャカシャカ~とトレモロで鳴らすのが多いように思いました。


日常の勤行や法要の終りに、僧侶や自分が修得した善行とか功徳を他のものに回し向けることを言います。それを願って唱える声明を回向、回向文と言うそうですね。
宗派によって異なるようですが、密教系の宗派では下記です。文字で書くとこうなります。

願以此功徳 普及於一切 我等与衆生 皆共成仏道

唱えるとするとこうなります。↓

願わくは此の功徳を以て
普(あまね)く一切に及ぼし
我等と衆生
皆共に仏道を成(じょう)ぜん

意味は、
私の願いっていうのは、私の行った善い行いの結果生まれる恵みとか幸福が、ありとあらゆるもの全部に行きわたって、
私とかその他全ての人々と生きものが全員で一緒にお互い深い慈しみの心を持って勤め励む仏道を毎日進んで行けますように。ってことなのだ~。

という感じでしょうか。これを唱えてるのも、尊いわ。と清少納言は思ったのでしょう。


さて昨今はネットスラングの側面から「尊い」という言葉が見直されたりしてましたね。神、ネ申、押し、~しか勝たん、などと同系列の言葉になるかもしれません。

ネット界隈や若者言葉的に使われる「尊い」が、ここで清少納言が書いたとおり、崇高で近寄りがたい、神聖である、非常に貴重である、という意味から派生したのはもちろんですが、昨今日常的にかなり使われるようになりました。すごく素晴らしい、完璧、最高すぎる的なものに「尊い」と言いますし、「わかってる感」があった時なんかにも使います。「好き」の最上級的にも使われますね。所謂「押し」のことが好き過ぎて「尊い」となったりします。
最近では、アニメやコミックなどの2次元から、アイドルや俳優などの3次元キャラクターに対しても使われることが多いです。すとぷりなんかにも使われがちですね。
変化系では「尊み」があります。「わかりみが深い」の「わかりみ」と同じような語形変化です。

今、清少納言がいたら、

尊み~。すとぷりのライブ~。なにわ男子の新曲~。

ぐらいのこと書いてたかもしれません。いやそんなことはないだろう。


【原文】

 たふときこと 九条の錫杖(さくぢやう)。念仏の回向(ゑかう)。