枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。

今内裏の東をば

 今内裏の東の門を「北の陣」と言います。で、そこの楢(なら)の木がすごく高いので「何メートルぐらいあるんだろうね!」なんて言ってるのね。
 右近衛権中将の源成信が「根元から切り倒して、定澄僧都の枝扇にしたらいいよね」とおっしゃったんだけど、定澄僧都山階寺興福寺)の別当に任命されて朝廷にお礼に参上する日、近衛府の代表として成信が出席されてて。定澄僧都は高い屐子(けいし)を履いてたから、さらにめちゃくちゃ背が高かったのよね。で、セレモニー終了後、「どうして、あの『枝扇』をお持たせにならなかったんです?」って言ったら、「忘れてないんですね」とお笑いになったのです。

 「定澄僧都に袿(うちき)なし。すくせ君に袙(あこめ)なし」(定澄僧都に合う袿はない。すくせ君に合う袙はないよ)って言った人、うまいこと言うもんだよね。


----------訳者の戯言---------

定澄僧都という人、めちゃくちゃ背が高かったらしい。
現代、ちょっと前なら、馬場さんとか和田アキ子のやつです。ボブ・サップとか篠原とか。「デカさ」ネタですね。
で、この方、興福寺山階寺)の別当に選任されます。別当っていうのは長官として寺務をつかさどる僧職、つまりトップですね。

さて、最初に出てきた北の陣の楢の木ですが、一説には梨の木とも言われています。これ、おそらく原文がひらがなで書かれてるために、「ら」と「し」のどちらにも読めたからでしょう。
ま、私はどっちでもいいんですけどね。

原文に出てくる「いく尋(ひろ)」の「尋」っていうのは、慣習的な長さの単位ということです。両手を左右に伸ばした時の、指先から指先までの長さを基準にしたらしい。ということは、1尋=150cmくらいでしょうか。

で、ナラの木というのは小さいやつでも15mほどはあったらしいです。まあまあ高い。大きいのは35mにもなるんですって。梨の木も15mくらいにはなるらしいです。

権中将の源成信という人は、ルックスも性格もいいということで当時、一世を風靡したらしいです。当然、宮中の女子たちの間でも相当人気があったようですね。そういう人です。
近衛府というのは、宮中の警備や行幸時の警護を担当した役所ですね。当時は左右の近衛府があったらしく、右近衛府の権中将というと、だいたいナンバー4くらい。そこそこのポジションです。
ただ、このお話の頃、彼はまだ20歳過ぎくらいなんですね。大人ぶってますねー、すかしてますねー。エエトコのボンボン(親王の子、つまり天皇の孫、しかも藤原道長の養子になっている)ですから、仕方ないんでしょうか。

屐子(けいし)というのは木製の履物らしいです。下駄みたいなものですか。
「枝扇」といって、葉のついた枝を扇みたいに使うことがあったらしいんです。なるほど。

袿(うちき)というのは「主に女性の衣だが、男性が中着として着用する場合もある」とウィキペディアに書いてありました。
まあ、そういうものなのでしょう。長いやつですね。
袙(あこめ)は、「男性が束帯装束に着用するもの」「宮中に仕える少女が成人用の袿の代用として用いた」と書かれています。たぶん短めの着物なんでしょう。

「すくせ君」は調べてみても、どこにも載ってないんです。詳細不明とか書いてるのもありますが。
そういう人ですから、素人の私に知りようもないんですけど、小さい人だったのは間違いないですね。
身体的な特徴を嗤う、というのは、現代のセンスからすると、あまりいい趣味ではないと思います。このエッセイ、私的にはアウト!ですね。


【原文】

今内裏(いまだいり)の東をば北の陣といふ。なら(なし)の木のはるかに高きを、「いく尋(ひろ)あらむ」などいふ。権中将、「もとよりうち切りて、定澄僧都の枝扇にせばや」とのたまひしを、山階寺別当になりてよろこび申す日、近衛づかさにてこの君の出で給へるに、高き屐子をさへはきたれば、ゆゆしう高し。出でぬる後に、「などその枝扇をばもたせ給はぬ」といへば、「物忘れせぬ」と笑ひ給ふ。

「定澄僧都に袿(うちき)なし。すくせ君に袙(あこめ)なし」と言ひけむ人こそをかしけれ。


検:今内裏のひむがしをば