枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

ふみは

 文は、白氏文集。文選(もんぜん)。新賦。史記。五帝本紀。願文(がんもん)。表。博士の書いた申文(もうしぶみ)。


----------訳者の戯言---------

「文集(もんじゅう)」というのは一般的に詩文集のことを指しますが、「白氏文集」を指すことが多いようです。「白氏文集」は、中国唐の文学者、 白居易漢詩集。白居易といえば字は楽天ですね。と言っても三木谷の楽天とは違いますよ。もちろんイーグルスとも違います。白楽天、ですね。文集の中の文集、文集を代表する文集だったんでしょうね。


「文選(もんぜん)」というのは、中国南北朝時代の蕭統(昭明太子)という人によって編纂された漢詩文集だそうです。有名らしいですよ。


「新賦」というのは、「新しい賦」なのだと思われますが、「新賦」という書物はどうやら無いようです。「賦」というのは、漢文の文体の一種だそうですが、古代中国――戦国時代に起源を持ち、前漢後漢から六朝時代あたりまでは「古賦」と言ったそうです。が、唐の時代に新しいスタイルの賦(律賦)ができました。この「律賦」を「新賦」として解釈するという説が強いようです。
そのほかにも、「文選」の中に「新賦」があるという説もあるんですが、私が調べた限りではその根拠がよくわかりませんでした。


史記」は、中国前漢武帝の時代に司馬遷によって編纂された中国の歴史書だそうです。何か聞いたことありますよね。いろいろと何らかの出典とかになっていたような気がします。何だったかな? 故事成語とか。元号とか。だったと思います。ありすぎて、説明しきれません。すみません。

 

「五帝本紀」はすぐ前に紹介された「史記」の記念すべき第一巻だそうです。パチパチ。誰も記念していないと思いますが。
三皇五帝というのは古代中国の神話伝説時代の8人の帝王のことを言うそうですね。三皇は神、五帝は聖人としての性格を持つとされ、理想の君主とされたらしいです。「五帝」のほうが先に出てますが、後から「三皇本紀」と「序」も書かれたそうです。


「願文」というのは、「発願(ほつがん)の文」のことです。神仏に祈願の意を伝えるための文書なんですね。お寺や仏塔、仏像を造る時、写経や埋経(後世に伝えるため経文などを経筒に入れ、地中に埋めること)や 法会、仏事などに際して、その趣旨や願意を申し述べる文が作られたらしいですが、その文のことです。
華麗な字句で飾られることが多く、漢文学作品としても注目されたようですね。


表? あの表ですか? エクセルで作るやつ?と一瞬思いましたが、そんなワケがありません。
漢文としては、臣下が君主に上奏した文書を「表」と言いました。今も「辞表」とか言いますでしょ。あれも表の一種なんですけどね。

たしかにドラマで「辞表」って出てきますよね。辞表を内ポケットに忍ばせて、上司の命令に背いた捜査をする刑事。それから、不満が一気に爆発し義憤に駆られて上司の机に辞表を叩けつける熱い社員とか。
しかし現実にはそんなものを出す人はほとんどいません。一般には「退職願」か「退職届」ですよね。公務員は「辞表」を出すのである、と言う人もいますが、公務員も普通は「退職願」ですよ。そもそも「辞表」など出す人は現代社会にはいません。ドラマを見て勘違いした人ぐらいでしょうね。
会社の取締役が務めている役職を辞める時に「辞表」を出すのである、と言う人もいますが、それもまずありません。会社役員を辞める時は一般的に「辞任届」ですね。まれに「辞任届」を提出して取締役を外れた後、一般社員として勤務を続ける場合もあります。

いかんいかん、「表」の話でしたね。
表、の中でも臣下が出陣する際に君主に奉る文書のことを「出師表(すいしのひょう)」と言ったらしいですが、特に注釈なく「出師表」と言う場合は、諸葛亮(字は孔明)が魏への遠征の前に皇帝に述べたものを指すらしいんです。
この時諸葛亮は、自分を登用してくれた先帝劉備に対する恩義を述べ、 若き現皇帝の劉禅を我が子のように諭し、自らの報恩の決意を述べました。格調高い名文と言われていて、内容もなかなかのものだと思います。私はそれほどでもないとは思いますが、感動的とさえ言う人もいます。
いずれにしてもこの「出師表」が「表」の代表格と言えるでしょうね。


平安時代、官人が、叙任や官位の昇進を望むとき、その理由を書いて朝廷に上奏した文書のことを「申文(もうしぶみ)」と言ったらしいです。で、そのころ、学生に教える立場の教官で、令制の官職として「博士」というポジションの人がいたそうなんですね。各分野の最高の専門家、今で言えば教授、プロフェッサーです。

紀伝(中国史)、文章(文学)、明経(儒教)、明法(法律)、算道とかの道(学部みたいなものか?)があって、後に紀伝と文章は統合されたらしいですが、そこにそれぞれ1~2名の博士がいたらしいですね。特に文章博士は大学寮における教授、試験などの業務の他に、天皇や摂関、公卿の侍読(じとう=学問を教える人)を務めたり、依頼を受けて漢詩を作ったり、で、申文を書く(代筆?)することもあったらしいですね。
そりゃ、その分野のプロフェッサーですから、さぞかし名文を書いたんでしょう。
清少納言も感心してるとおりです。ま、このため、権力者との距離が近くなり、彼らの推挙を受けて公卿まで昇る者も少なくはなかったらしいんですね。芸は身を助くと。否、学問ですね、身を助けるのは。何とも、やらしい世界ですが、そういうのはあったようです。


というわけで、「良い文と言えばコレよ!!」という段でした。ふみ(文/書)というと、漢文なんですね、当時は。漢字のことは真名(まな)と言いました。「仮名(かな)」の反対語ですね。

実は、当時は女性が漢字(真名)を使ったり、漢詩漢文に通じてるということは、必ずしも好意的にはとらえられてませんでした。
知識はあっても隠しているのが美徳、っていうのはやはりあったみたいですね。清少納言はまあ、言いたがりですから。紫式部とかにはそういうところを、後に非難されたりしてるんですよね。
そういう段です。


【原文】

 書(ふみ)は 文集。文選。新賦。史記。五帝本紀。願文(ぐわんもん)。表。博士の申文(まをしぶみ)。


検:書は

 

桃尻語訳 枕草子〈上〉 (河出文庫)

桃尻語訳 枕草子〈上〉 (河出文庫)

  • 作者:橋本 治
  • 発売日: 1998/04/01
  • メディア: 文庫