枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

関白殿、二月二十一日に①

 関白の藤原道隆さまが2月21日に法興院(ほこいん/ほこのいん)の積善寺(しゃくぜんじ)っていう御堂で一切経の供養をなさるってことで、女院東三条院詮子=一条帝の生母)さまもいらっしゃるっていうから、定子さまが2月1日頃に二条の宮にお出になったの。私は眠くなったから、その様子は何も見えなかったのだけどね。
 翌朝、日がうららかに射し出した頃に起きたら、白く新しくいい感じに造った上には御簾をはじめとして、昨日新しく調度を掛けたみたい。部屋の設えも獅子や狛犬なんかがいつの間に入ってきて座ってるんだろ??っていう感じでおもしろく思うの。桜が一丈(約3.3m)ほどの高さで、すごくたくさん咲いてるみたいに階段の所にあるもんだから、ホント早く咲いたのね! 梅のほうが今盛りの時季なんじゃ?って思ってたけど、造花だったのよ。花の色艶なんか、全部まじ正真正銘本物に劣らないのよね。どんだけキツイ仕事で作ったのかしら?? 雨が降ったらしぼんじゃうんじゃないかな?って思ったら悔しいわ。小さな家が建ってたところとかを、新しくお造り直しなさったから、木立ちなんかの見どころがあるってこともないの。ただ御殿の様子は親しみやすくって、趣があるのよ。


----------訳者の戯言---------

法興院(ほこいん/ほこのいん)というのは当時、現在の京都市中京区河原町通二条上る清水町にあったという寺院。藤原兼家が別邸・二条京極邸を寺院としたものだそうです。跡地、法興院の南側にあった庭園の池の跡には法雲寺というお寺が建てられているようですね。そしてその法興院の中に積善寺という御堂があったのだそうです。

釈迦の説いた教えを文字としたものを「経蔵」、教団の規律を「律蔵」、後世の仏教徒が演繹 (えんえき) 注解したものを「論蔵」といい、この三蔵の総称を「一切経」と言うそうです。
この時は994年で、関白・藤原道隆が父・兼家を弔う法要をしたらしいです。兼家は990年に亡くなったようですが。実は道隆もこの次の年、995年に亡くなるのです。

女院(にょいん/にょういん)というのは、天皇の母や皇后、後宮、女御や内親王などに授ける尊称だそうです。かなりハイクラスというか、最上級といってもいいぐらいの女性です。
ここでは、東三条院詮子(藤原詮子)という人で、一条天皇の生母です。つまり一条天皇の父である円融天皇の女御であり、元々は道隆や道長の父であった藤原兼家の娘です。ということは、道隆の妹で道長の姉なわけです。定子からすると叔母であり義理の母ということになりますね。ややこしい。

だから、中宮定子というのは叔母さんの息子つまり従弟(一条天皇)に嫁いでいるということになるんですね。現代の法律でも従兄弟と従姉妹の結婚はもちろん可能です。
注目なのは当時、東三条院詮子が4歳年下の弟・道長を可愛がって強力に推したらしいということですね。甥の伊周よりも弟。そんなものなんですかね。そりゃそうか。
その辺のことはこの話に関係があるのでしょうか、ないのでしょうか。読み進めないとわかりません。


実家の父が主催する法要があるっていうので、寺がある二条の実家の新しい邸宅に行くという中宮・定子。なかなかいいところらしいです。しかし20日も前に行く必要ある?

さて、調べてみたところ、この年(正暦5年)の旧暦2月1日は3月15日、旧暦2月21日は4月4日です。旧2月1日(新3/15)だと桜には少し早いかもしれません。梅が見ごろか、早く咲いてたらもう散ってしまったかも?というタイミングですね。
月齢にもとづく旧暦は年によって時期が変わりますし、気象条件もその年ごとに違いますから、こういうのって読み方が難しいですね。

めっちゃ咲いてると思ったら、桜は造花でした、ということなんですか。


というわけで、先に申し上げておきますと、この段、めちゃくちゃ長いです。読み終えるのに4~5カ月ほど(もっと?)かかりそうな気がするのですね。でも少しずつですが、やっていきます。
②へ続きます。


【原文】

 関白殿、二月二十一日に法興院の積善寺といふ御堂にて一切経供養せさせ給ふに、女院もおはしますべければ、二月一日のほどに、二条の宮へ出でさせ給ふ。ねぶたくなりにしかば、何事も見入れず。

 つとめて、日のうららかにさし出でたるほどに起きたれば、白う新らしうをかしげに造りたるに、御簾よりはじめて、昨日掛けたるなめり。御しつらひ、獅子・狛犬など、いつのほどにか入りゐけむとぞをかしき。桜の一丈ばかりにて、いみじう咲きたるやうにて、御階のもとにあれば、いととく咲きにけるかな、梅こそただ今はさかりなれ、と見ゆるは、造りたるなりけり。すべて、花の匂ひなどつゆまことにおとらず。いかにうるかさりけむ。雨降らばしぼみなむかしと思ふぞ口惜しき。小家などいふもの多かりける所を、今造らせ給へれば、木立など見所あることもなし。ただ、宮のさまぞ、けぢかうをかしげなる。