枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

うらやましげなるもの② ~稲荷に思ひおこして詣でたるに~

 伏見稲荷大社に思い切って参詣した時、中の御社のあたりでやたら苦しいのを我慢して登ってったんだけど、少しも苦しそうじゃなくって、遅れてやって来るかな?って思ってた人たちが、どんどん先に行ってお参りするのは、めちゃすごいわ。二月の午(うま)の日の朝早く、まだ暗いうちから急いで行ったんだけど、坂の半分ほど登ったところで10時くらいになったの。だんだん暑くもなってきて、ホント情けなくって、どうしてこんな日じゃなくってもっといい日もあるでしょうに、何だってお参りに来たんだろ?っていうぐらい、涙もこぼれて疲れきって休んでたら、40歳過ぎくらいの女で、壺装束なんかじゃなくて、ただ着物の裾をたくし上げてるだけなんだけど、「私は七度詣でをいたします。三度はもうお参りを済ませました。あと四度くらいは大したことではありません。午後2時頃にはもう家に帰ります」って、道で会った人に話しては、下りていったのは、普通の場所では目にも留まらないのに、この女性の身に、この時ばかりは代わりたいもんだわ、って思ったものよ。


----------訳者の戯言---------

暁(あかつき)。久々に出ましたが、これはまだ暗いうちの夜明け。「あけぼの」よりは前だと考えられます。未明と言ってもいいかもしれません。朝方を表す言葉については「木の花は」の段の解説部分に書いてありますので、ご参照ください。

巳の時=巳の刻は、今の午前10時です。

平安宮から伏見稲荷まではGoogle Mapを見ると、直線距離で8~9kmという感じでしょうか。3~4時に宮中を出たとするとゆっくり歩いても7~8時時頃には伏見に着くかと思います。休憩を取りながら、伏見稲荷の坂を上り始めて、その途中で10時くらいになったというのは理解できます。が、かなりのスローペースではありますね。

壺装束(つぼしょうぞく)というのは、平安時代の女性の外出や、旅に出る場合の姿、衣装のことだそうで、つまり、衣服の裾を引上げて腰のあたりに紐で結んで歩きやすくしたスタイル、ということらしいです。上流、中流の女子が徒歩で出かける時の服装のようですから、これでない女性はすなわち、それほど身分の高くない人ということだと思われます。

未(ひつじ)というのは未の刻のことで、午後2時頃です。

七度詣というのは、神社に一日に七度参詣することらしいです。特に、京都の伏見稲荷神社に一日七度参拝することをこう言うことが多かったみたいですね。

今回のこの部分は、伏見稲荷への登山です。稲荷山という山ですから、登山でいいでしょう、もはや。
で、清少納言、生粋の文化系ですから、そこに、スイスイ登る女の人が登場で、思わず、ゴイゴイスー、って、言ってます。いやむしろ、スーを差し上げますー、レベルですね。違いますね。それ、ダイアン津田でしたわ。
いずれにしても、清少納言のヘタレっぷり、ハンパなし。どんだけ体力ないねん、って話です。
そして③に続きます。


【原文】

 稲荷に思ひおこして詣でたるに、中の御社のほどのわりなう苦しきを、念じのぼるに、いささか苦しげもなく、遅れて来と見る者どものただ行きに先に立ちて詣づる、いとめでたし。二月午の日の暁に急ぎしかど、坂のなからばかりあゆみしかば、巳の時ばかりになりにけり。やうやう暑くさへなりて、まことにわびしくて、など、かからでよき日もあらむものを、何しに詣でつらむとまで、涙も落ちてやすみ困ずるに、四十余ばかりなる女の、壺装束などにはあらで、ただ引きはこへたるが、「まろは七度詣でし侍るぞ。三度は詣でぬ。今四度はことにもあらず。まだ未に下向しぬべし」と、道に会ひたる人にうち言ひて下り行きしこそ、ただなるところには目にもとまるまじきに、これが身にただ今ならばやとおぼえしか。

 

新編日本古典文学全集 (18) 枕草子

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  • 発売日: 1997/10/24
  • メディア: 単行本