枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

なほめでたきこと② ~承香殿の前のほどに~

 承香殿の前の辺りで、笛を吹いて、拍子を打って演奏するのを、早く出てきたらいいのになぁって待ってたら、「有度浜(うどはま)」を謡って、竹の植え込みのところに歩いてきて、御琴をかき鳴らした時は、ただもう感動で、どうしたらいいのかしら~?って思えたわ。一の舞を舞う舞人がとてもきちんと袖を合わせて、二人ほど出てきて、西に寄って向き合って立ったの。舞人が次々に出てくるんだけど、足踏みを音楽のリズムに合わせて、半臂の緒を直したり、冠、衣の襟なんかも手を休めずにまず整えて、「あやもなきこま山」なんかを謡って舞うのは、何から何まで、ホントとってもすばらしいのよね。


----------訳者の戯言---------

承香殿(じょうきょうでん/しょうきょうでん)は後宮にある七殿五舎のうちの一つだそうです。弘徽殿についで格式の高い殿舎とされてたとか。

有度浜(うどはま)。静岡市駿河湾に面する海岸で、三保ノ松原から南西に延びる海浜ということです。歌枕らしいですね。
で、どうも「有度浜」という歌があるらしいですね、この文面から考えると。

雅楽の一種で東遊(あずまあそび)というものがあったようなんですが、これは元々東国の地方芸能であったらしいものが奈良時代から平安時代にかけて近畿でも行われるようになったものなんだそうです。
その、東遊の一つに駿河舞というのがあり、有度浜に天人が下って舞ったと伝えらるものなんですが、その歌でしょう。

竹の笆(ませ)というのが、原文に出てきますが、ここでは清涼殿の東庭の北寄りの、呉竹を植えた所を指すようですね。呉竹(=ハチク)を井桁のような四角の籬垣(ませがき)の中に植え込んだのがあったらしいです。籬というのは竹や木などで作った低く目のあらい垣なのだとか。

一の舞というのは、全部の舞の中でも最初に舞うのをこう言うらしいです。で、上手い人がこの一の舞を舞ったそうなので、一の舞を舞うような上級者も、「一の舞」と呼んだみたいですね。

半臂(はんぴ)の緒を直したり、冠や衣の襟を直したりするのは、その踊りの所作なんでしょうね。
私の勝手なイメージですが、マイケル・ジャクソンがジャケットとかパンツを指先でピッとやったりしてキメる、ああいう感じ。もしくは。かのオードリー・ヘップバーンが主演したミュージカル映画「パリの恋人」で、相手役のフレッド・アステアという俳優さんが、キレッキレのダンスを踊ってた、あの感じです。
違いますか。そうですか。
見ていない方、興味の無い方には、どれもさっぱりわからないと思いますが。

「あやもなきこま山」というのも、なんか舞楽の一つだと思われますが、一応いろいろ調べたもののよくわかりませんでした。どなたか、おわかりの方はご教授いただけたらと思います。
すみません、今のところ、そういう歌があった、ということで。

さて。
いよいよ舞踊のリハがはじまったようで。清少納言的には結構テンション上がってきてる感じです。
さてどうなるのでしょうか。③に続きます。


【原文】

 承香殿(しようきやうでん)の前のほどに、笛吹き立て拍子(はうし)うちて遊ぶを、とく出で来なむと待つに、有度浜(うどはま)うたひて、竹の笆(ませ)のもとにあゆみ出でて、御琴(みこと)うちたるほど、ただいかにせむとぞおぼゆるや。一の舞の、いとうるはしう袖をあはせて、二人ばかり出で来て、西によりて向かひて立ちぬ。つぎつぎ出づるに、足踏みを拍子にあはせて、半臂の緒つくろひ、冠・袍(きぬ)の領(くび)など、手もやまずつくろひて、「あやもなきこま山」などうたひて舞ひたるは、すべて、まことにいみじうめでたし。