枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

五月の御精進のほど⑤ ~二日ばかりありて~

 二日ほど経って、その日のことなんかを話し出したら、宰相の君が「どうだったのよ、『自分で摘んできた』っていう下蕨は」っておっしゃるのを定子さまがお聞きになってて、「思い出すことがそれ?」ってお笑いになって、散らかってた紙に

下蕨こそ恋しかりけれ(ふるまっていただいた下蕨が恋しいなあ)

とお書きになって、「上の句を詠んでみて」っておっしゃったのも、何だかすごく素敵だったわ。

ほととぎすたづねて聞きし声よりも(わざわざ出向いて行って聴いたほととぎすの声よりも)

って書いて差し上げたら、「すごく堂々としてるじゃないの! 何であえてほととぎすのことを書くのかしら?」ってお笑いになるから、恥ずかしくなったけど、「どうしてでしょう。歌はもう詠まないと思ってますが、何かの折、誰かが詠む時に、私にも『詠め』とおっしゃるなら、お仕えすることもできないような気持ちさえしています。和歌の文字数もわからず、春に冬の歌を詠み、秋に梅の花の歌なんかを詠むようなことをどうしてするでしょう? できませんわよね! でも、『歌をうまく詠む』って言われた家系の子は、少々他の人よりは優れてるからって『あの時の歌は、こんなでした。さすが、あの家の子孫ですもの』なんて言われたら、歌の詠み甲斐も感じるでしょうけど、全然出来がよくもないのに、それでもすばらしい歌であるかの体(てい)で、私ってすごいのよ!的な感じで、真っ先に詠んだりしたら、亡き父に対しても気の毒な気持ちになっちゃいますわ」って、真面目に申し上げたら、定子さま、お笑いになって、「それなら、あなたの思うようにしなさい。私は詠めとはもう言わないようにしますから」っておっしゃって、「すごく気持ちが楽になりました。もう歌のことは気にしないです」なんて言ったりしてる時、その日は定子さまが庚申(の徹夜)をなさるということで、内大臣様(藤原伊周)がとっても気合いを入れて準備していらっしゃったの。


----------訳者の戯言---------

「庚申(こうしん)」というのは「庚申=かのえさる」の日のことです。この日は、眠ってしまうと、人の体内にひそむ「三尸虫(さんしちゅう)」が体から抜け出して、その人が行なった悪事を天帝に報告してしまうので、寿命が縮む、とされていたそうで、それを防ぐために一晩中眠らない風習があったらしいですね。

ほととぎすを聴きに行って歌を詠まなかったのを中宮定子に叱られ、さらに今度はお題を出されて、「ほととぎす返し」をしたら、「あんなに拒否ってたのに、ちゃんとバッチリほととぎすで詠むんだ!?」と笑われたちゃった、ということでしょうか。

清少納言的には、もう、へこんでしまって「今後は歌なんか詠まないです、著名な歌人だった清原元輔の娘ですから、私なんかホントはダメなのに、いかにも凄そうな感じで期待されたり、ま、やりがいもあるのかもしれないけど、逆に亡き父とかに対して気の毒にもなったり、、、とワケのわかったようなわからんようなことをぐだぐだ言って、最後には「好きなようにしなさい」と、定子に言わせてしまいます。結果的には、してやったりということですか、清少納言

というわけで、この段の最終回⑥に続きます。私、ほんとうにまだ読んでいないので顛末がわかりません。
どのように結ぶのでしょうか? 


【原文】

 二日ばかりありて、その日のことなど言ひ出づるに、宰相の君、「いかにぞ、『手づから折りたり』と言ひし下蕨は」とのたまふを、聞かせ給ひて、「思ひ出づる事のさまよ」と笑はせ給ひて、紙の散りたるに、

下蕨こそ恋しかりけれ

と書かせ給ひて、「本(もと)言へ」と仰せらるるも、いとをかし。

ほととぎすたづねて聞きし声よりも

と書きて参らせたれば、「いみじう受けばりたり。かうだに、いかで、ほととぎすのことを書つらむ」とて、笑はせ給ふもはづかしながら、「何か。この歌よみ侍らじとなむ思ひ侍るを。ものの折など、人のよみ侍らむにも、『よめ』など仰せらるれば、えさぶらふまじき心地なむし侍る。いと、いかがは、文字の数知らず、春は冬の歌、秋は梅の花の歌などをよむやうは侍らむ。なれど、歌よむと言はれし末々は、少し人よりまさりて、『その折の歌はこれこそありけれ。さは言へど、それが子なれば』など言はればこそ、かひある心地もし侍らめ、つゆ取り分きたる方もなくて、さすがに歌がましう、我はと思へるさまに、最初(さいそ)によみ出で侍らむ、亡き人のためにもいとほしう侍る」と、まめやかに啓すれば、笑はせ給ひて、「さらば、ただ心にまかせ<よ>。我[ら]はよめとも言はじ」とのたまはすれば、「いと心やすくなり侍りぬ。今は、歌のこと思ひかけじ」など言ひてある頃、庚申(かうじん)せさせ給ふとて、内(うち)の大殿(おほいどの)、いみじう心まうけせさせ給へり。

 

日本の古典をよむ(8) 枕草子

日本の古典をよむ(8) 枕草子