職の御曹司におはします頃、西の廂にて⑦ ~さて、その山作りたる日~
で、その雪山を作った日、お遣いとして式部省の丞の源忠隆が参上してきたから、座布団を差し出して話してたんだけど、「今日は雪の山を作らせてらっしゃらないところはありません。帝のいらっしゃる清涼殿の壺庭でも作らせておられましたし。皇太子の東宮にも、弘徽殿にも作られました。京極殿にも作らせていらっしゃいましたよ」なんて言うから、
ここにのみ めづらしと見る 雪の山 ところどころに 降りにけるかな
(ここだけで、珍しいと思って見る雪の山、だけど、この雪、実は方々に降っちゃってるのよね)
って詠んで、近くにいた女房を介して言わせたら、何度も何度も首を傾げて、「返歌をしたら、あなたの歌をけがすことになっちゃいます。この歌、オシャレですよー。御簾の前でみんなに披露しましょうよ」って立ち上がったの。歌がとっても好きだって聞いてたのに、変だわね。定子さまにこのことをお話ししたら、「あなたの歌にふさわしい、すごく良い歌を詠んで返さなきゃって思ったんでしょうね」って、おっしゃったの。
----------訳者の戯言---------
式部省というのは、朝廷の人事と大学寮を司る役所だそうです。「丞」(じょう)というのは、律令制では省の補佐官ではあるんですが、四等官の第3位のポストです。守(カミ)=長官、介(スケ)=次官に次いでの官ということになるでしょうか。
源忠隆は、「うへに候ふ御猫は①~③」にも登場していましたね。その時は蔵人の一人でした。なんか、犬を叩いたり、かと思えば、探したり、何かうろうろしてる奴、みたいな役どころの人でした。
「褥」は「しとね」と読みます。敷物のことで、概ね、座布団、敷き布団等々。
「御前の壺」というのは帝のいらっしゃる清涼殿と後凉殿との間にある壺庭のことを指すようです。
「春宮」は「とうぐう」と読みます。「東宮」とも書きます。読み方「しゅんぐう」ではないとか。皇太子の住む宮殿のことを言いますが、転じて皇太子自身のこともこう言ったりします。この段のお話では本来の意、皇太子の住む御殿のことですね。
「弘徽殿」も殿舎の一つです。后妃が賜って居住したということで、当時は藤原義子という人が入内していて、この方は「弘徽殿女御(こきでんのにょうご)」と呼ばれていたそうです。
一条天皇の后妃としては、この枕草子に登場する中宮・定子、そのライバルと言われている中宮・彰子が有名ですが、側室として3人の女御(藤原義子=弘徽殿女御、藤原元子=承香殿女御、藤原尊子=暗戸屋女御=前御匣殿女御)がいたそうです。所謂歴史の授業とかにはあまり登場はしませんが、実はこうして天皇の側室はいっぱいるんですね。
なお、源氏物語に「弘徽殿女御」という女御が登場しますが、当然これはフィクションで、架空の人物です。
で、「京極殿」です。読みは「きょうごくどの」。こちらは、平安京の東京極大路に面した殿舎。藤原道長の邸宅の一つのようです。
とまあ、あちこちで雪山作りをしたらしい。この頃の皇族やら貴族ってのは、何やっとるんだか。というのが私の感想ですね。こんな人たちに政治を任せていていいのでしょうか。ブラックだし。
で、お話としては、またもやネタがコロコロ変わり、清少納言の自作和歌自慢コーナーになりました。
収拾はつくのか? ⑧に続きます。
【原文】
<さて、>その山作りたる日、御使に式部丞忠隆参りたれば、褥さし出だしてものなどいふに、「今日雪の山作らせ給はぬところなむなき。御前の壺にも作らせ給へり。春宮にも弘徽殿にも作られたり。京極殿にも作らせ給へりけり」などいへば、
ここにのみめづらしとみる雪の山所々にふりにけるかな
と、かたはらなる人して言はすれば、度々かたぶきて、「返しはつかうまつりけ<が>[る]さじ。あされたり。御簾の前にて人にを語り侍らむ」とて立ちにき。歌いみじうこのむと聞くものをあやし。御前にきこしめして「いみじうよくとぞ思ひつらむ」とぞのたまはする。
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