枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

日のいとうららかなるに③ ~屋形といふものの方にて~

 屋形っていうものの方で櫓を押すの。だけど、奥にいる者は安心。端に立ってる者は目が眩むような気分になるでしょうね。早緒(はやお)って名付けて、櫓とかに結んだものの弱そうな感じといったら!! それがもし切れてしまったら何にもならない、すぐに落とし込んでしまうんでしょうけど、それなのに太かったりもしないの。
 私が乗った舟は、きれいに作ってあって、妻戸(つまど)を開けたり、格子を上げたりしてそんなに水と同じ高さにいるような感じはしないから、まるで小さな家の中にいるみたいなの。
 小舟を見るのはめちゃくちゃコワいのよ! 遠くのはマジ、笹の葉で作って散らかしたのにすごくよく似てる!
 停泊してるところで、舟ごとに灯してる火は、これはまたすごくいかしてる感じに見えるわ。


----------訳者の戯言---------

早緒(はやお)というのは、舟を漕ぐ時に櫓(ろ)につける綱のことを言うそうです。櫓綱(ろづな)。
はやおといえば宮崎です。前の記事もアニメネタでしたが、「早緒」と「駿」は残念ながら同語源ではありません。全然関係はなさそうです。

妻戸(つまど)というのは両開きの扉のことです。観音開きの戸、という言い方もできますね。寝殿造では寝殿の「妻」、つまり長方形の短い辺の両脇に付くのが一般的であることから「妻戸」と呼んだそうです。
これに対し、時々出てくる「遣戸(やりど)」は引き違い戸ということになります。


清少納言が乗ってるのは比較的大型の舟のようですね。小さい舟は海が荒れると、遠くから見たら笹舟を浮かせたようになる、と。かと思ってたら停泊所ではなかなかいい雰囲気でしたわ。って話です、ここまでは。
後で書いてる文章だから、いろんな情景が思い出されるのか、とっ散らかってます。④に続きます。


【原文】

 屋形といふものの方にて押す。されど、奥なるはたのもし。端(はた)にて立てる者こそ目くるる心地すれ。早緒とつけて、櫓とかにすげたるものの弱げさよ。かれが絶えば、何にかならむ。ふと落ち入りなむを。それだに太くなどもあらず。わが乗りたるは、清げに造り、端戸(つまど)あけ、格子あげなどして、さ水とひとしう下りげになどあらねば、ただ家の小さきにてあり。

 小舟を見やるこそいみじけれ。遠きはまことに笹の葉を作りてうち散らしたるにこそいとよう似たれ。泊まりたる所にて、船ごとにともしたる火は、またいとをかしう見ゆ。

 

 

日のいとうららかなるに② ~思へば船に乗りてありく人ばかり~

 思ってみたら、船に乗って移動する人ほどあきれるくらい恐ろしい(思いをする)者はないわ。適度な深さであっても、そんな頼りないものに乗って漕ぎ出していけるものじゃないわよ! ましてや底もわからずにもの凄く深いっていうのにね。荷物をすごくたくさん積み込んでるから、水際はたった一尺(約30cm)くらいしかないのに船のスタッフたちは全然怖いとも思わないで走り回ってて、ちょっとでも荒っぽいことをしたら沈んじゃうんじゃないかな?って思うんだけど、大きい松の木とかで2~3尺(約60~90cm)の丸太を5つ6つぽんぽんと投げ入れたりするのは恐ろしいわ!


----------訳者の戯言---------

「ありく」というのは、「歩く」と書いたんですけど、今よりは広い意味だったようですね。
外出する。訪問する。動きまわる。行き来する。といったいろいろな使われ方をしたようです。
広域に移動することを表し、人以外に動物、車、舟などでの移動にも用いられました。
では、一歩一歩、脚で歩くのはどう言うのか? これは「あゆむ」らしいです。
昔は「ありく(あるく)」と「あゆむ」が別々の意味で割ときっちりと分けられていたんですね。

「よろし」は、まずまずだ。まあよい。悪くない。適当。というぐらいのニュアンス。現代の「良い!」っていうのとは少し違うんですね。

千尋ちひろ)というのは「長さ・遠さ・深さが甚だしいこと」を言うそうです。
千尋と言えば、「千と千尋の神隠し」です。「鬼滅の刃」無限列車編が抜くまでは日本映画の1番だった映画ですね。湯婆婆(ゆばーば)が夏木マリだったり、かまじいが菅原文太というのは良く知られていますが、坊(ぼう)が神木クンだということは案外言われませんね。他にもいろいろやってるからでしょうか。声優としての神木龍之介はやはり「サマ―ウォーズ」です。「君の名は。」も主役でしたが「サマーウォーズ」ですね。夏になったら観たくなる。また全然関係のない話をしてしまいました。
「ぼうぼうと」っていうのはポンポンと、っていう感じですかね? 「ぼう」繋がりですね。違うかー。

下衆(げす)というのは、身分の低い者や卑しい者という意味で使いますが、場面によっては「使用人、下僕」のニュアンスも出てきます。ここでは船のスタッフたちのことでしょうか。


でっかい丸太を船の中に投げ入れるのは危ないのでやめてほしいですね。さすがに清少納言に同意。まじ怖いです。③に続きます。


【原文】

 思へば、船に乗りてありく人ばかり、あさましう、ゆゆしきものこそなけれ。よろしき深さなどにてだに、さるはかなきものに乗りて漕ぎ出づべきにもあらぬや。まいて、そこひも知らず、千尋などあらむよ。ものをいと多く積み入れたれば、水際はただ一尺ばかりだになきに、下衆どものいささかおそろしとも思はで走りありき、つゆ荒うもせば、沈みやせむと思ふを、大きなる松の木などの二三尺にてまろなる、五つ六つ、ぼうぼうと投げ入れなどするこそいみじけれ。

 

 

日のいとうららかなるに①

 日差しがすごくうららかで、海面がとてものどかでね、砧で打って光沢を出してる浅緑色の衣を引き延ばした感じで、全然怖ろしい様子もなくって、若い女なんかが袙(あこめ)や袴とかを着てる姿や、若々しい侍とかが櫓(ろ)というものを押して歌をやたらと歌ってるのはすごく面白くって、高貴な人なんかにもお見せしたいわ!!って思って行ってたら、風がものすごく吹いて風がただただ荒れに荒れてきたもんだから、何も考えられなくなっちゃって。泊まるはずのところに漕ぎ着けるまでの間、舟に波がかかる様子なんかは、一瞬にしてあれほど穏やかだった海だとも思えなくなるの。


----------訳者の戯言---------

うららか。今も「うららか(麗らか)」という言い方をしますが、「空がよく晴れてのどかに照っているさま」を言うんですね。

櫓(ろ)というのは舟を漕ぐ道具の櫓です。


穏やかだった海が一転して荒れ狂ってきて…というのは、前段の「うちとくまじきもの(気を許せないもの)」の一つ、「船の旅」からの続きなんですね。というわけで、また少し長い段です。
②に続きます。


【原文】

 日のいとうららかなるに、海の面のいみじうのどかに、浅緑の打ちたるを引き渡したるやうにて、いささかおそろしきけしきもなきに、若き女などの袙(あこめ)、袴など着たる、侍の者の若やかなるなど、櫓(ろ)といふもの押して、歌をいみじう歌ひたるは、いとをかしう、やむごとなき人などにも見せ奉らまほしう思ひ行くに、風いたう吹き、海の面ただあしにあしうなるに、ものもおぼえず、泊まるべき所に漕ぎ着くるほどに、船に波のかけたるさまなど、片時にさばかりなごかりつる海とも見えずかし。

 

枕草子
枕草子

枕草子

  • 折鶴レコード
Amazon

 

うちとくまじきもの

 気が許せないものっていうのは…つまらない者。とは言うものの、善い人!!って人に言われてる人よりかは、裏が無いって思えるのよね。船旅もね。


----------訳者の戯言---------

打ち解けられないだろうもの。=気が許せないもの、ということになるのでしょうか。


えせ者。つまり、つまらない者とか身分が卑しい者とか、毎度どんだけ上からなん?と思いますがいつものことなので…。
そして今回は珍しくというか、身分が低い人のことを、あからさまに良いー!って言われてる人よりは裏が無い、と言ってます。ちょっとは成長したのかもしれません。

そして唐突に船の旅です。以前、「遠くて近きもの」という段で、船の旅は「遠くて近きもの」であると書いてました。が、清少納言的には「気の許せないもの」でもあるようです。
おそらく、遠いところに行くけれど自分の足で移動するわけではないから「遠くて近きもの」としたのでしょうが、これに加えて船旅は予想外のことが起きそう!という懸念もあるようですね。

「気が許せない」というテーマなので、ついでに書いておきますが、「気の置けない」「気が置けない」という表現がありますね。意味は「相手に気づまりや遠慮を感じさせないさまをいう」です。気が置けない店とか、気が置けない友人、とか言いますが、あれですね。
しかし、「気が許せない、油断できない」と、逆の意味で使う人も多く、世論調査などによると半数近くはこっちの意味で使っているそうです。たしかにそんな感じだよなー。

これは「置けない」という表現がcan notであるために否定的なニュアンスのほうが強く捉えられるからでしょうね。仕方ないと思います。
そもそも「気の置ける」というのはどういう状態なのか?てか、そっちのほうが先にあったわけですが、「遠慮がある」という状況を表す語だったんですね。
ま、そもそもややこしい言い方すんな!って話ですが、「気の置ける(遠慮がある)」を「ない」と打ち消してるわけです。品詞分解をして理解すると無理が生じるので、「気の置けない」でむしろ一つの「形容詞」、慣用的な語と捉えて理解すべきなのでしょう。

他方、実際に「気が許せない」「遠慮できない」と使っている人がいるのですから、もっとこれを積極的に使って凌駕してしまうという荒っぽい方法もあるように思います。幸先が悪い、とか、綺羅星のごとく、とかも、もっと新しい(間違いとされている)方を使って正解にしちゃえ!とか思うことがあります。私は恥ずかしいので使いませんけど。


というわけで、内容的にはよくわからない感じの「うちとくまじきもの」でした。実は次の段に続いてたりして。


【原文】

 うちとくまじきもの えせ者。さるは、よしと人に言はるる人よりも、うらなくぞ見ゆる。船の路。

 

 

見ならひするもの

 見て真似しちゃうもの。あくび。幼児たち。


----------訳者の戯言---------

真似しちゃうもの。
キムタク、出川、武田鉄矢桑田佳祐和田アキ子、森進一、田中角栄


あくびの伝染現象については、1980年代頃から科学的な研究も進められているそうです。他者の行動に影響を受けて同じ行動をとってしまう行動誘発現象。諸説あるけれど、中でも最も有力なのは「共感説」だそうです。その相手に感心や共感があることがベースにあるらしいですね。

幼児のマネ。そうでちゅかー。おいちかったでちゅねー。指舐め。奇声上げ。的な。清少納言もそういうことやるのだとしたら、それはそれで見直したいと思います。


【原文】

 見ならひするもの 欠伸(あくび)。ちごども。

 

 

宮仕へする人々の出で集まりて

 宮仕えしてる女房たちが退出して集まってきて、それぞれが仕える主のことをお褒め申し上げて、中宮の御殿の様子や高貴な殿方のことなんかを互いに語り合っているのを、その家の主人として聞くのは面白いわ。
 家が広く、きれいにしてあって、自分の親族はもちろん、語り合って仲の良い人とかも、宮仕えしてる人をそれぞれの部屋に住まわせておきたいって思われるの。
 何かの折には一カ所に集まって座って、おしゃべりをして、誰かの詠んだ歌についてあれこれ話し合って、誰かが手紙なんかを持って来たらみんなで一緒に見て返事を書き、また、親しくやって来る男の人もある時には、こざっぱりと部屋の飾りつけをして、雨なんかが降って帰れなかった場合もいかしたおもてなしをして、女房たちが宮中に参上する時にはそのためにお世話をして、思うようにいい感じにして出仕させたいものだわ。
 高貴なお方がいらっしゃるご様子なんかがすごく知りたくなってしまうのは、よからぬ気持ちなのかしらね。


----------訳者の戯言---------

前段とはうって変わって、単語や出典や有職故実やら人名やら、調べるものがあまりなく、私にとっては珍しい章段です。


宮仕えをしている女房たちが里帰りするというか、暇を貰って宮中から下って集まる、ということをしていたようですね。清少納言の家にも集まってくることがあったのでしょう。

やはり自分が仕えてる主君は褒めるんですね。本心かどうかはわかりませんけど。
愚痴も言いたいところでしょうけど、そこまでは言わないんでしょう。情報交換や意見交換をしたり。手紙の返事を一緒に考えるなどというのは余計なお世話だと思うんですけどね。
男が通って来たらもてなすんですね、もはや秘め事ではないのでしょうか。
で、また出仕するときはフォローしてあげるという、相互扶助というか、そういうことがあったんですね。

高貴な人がどういう様子なのか知りたいのは、悪いことではないと思いますよ。皇室のこととか英王室のこととか。みんな興味ありますものね。普段何着ているのだろうとか、何を食べていらっしゃるのだろうとか。
それとは全然関係ないけど、「やんごとなき一族」はツッコミどころ多かったなぁ。


【原文】

 宮仕へする人々の出で集まりて、おのが君々の御ことめできこえ、宮の内、殿ばらの事ども、かたみに語りあはせたるを、その家主(あるじ)にて聞くこそをかしけれ。

 家ひろく、清げにて、わが親族(しぞく)はさらなり、うち語らひなどする人も、宮仕へ人を方々に据ゑてこそあらせまほしけれ。さべき折はひとところに集まりゐて、物語し、人のよみたりし歌、何くれと語りあはせて、人の文など持て来るも、もろともに見、返りごと書き、またむつましう来る人もあるは、清げにうちしつらひて、雨など降りてえ帰らぬも、をかしうもてなし、参らむ折は、そのこと見入れ、思はむさまにして出だし出でなどせばや。

 よき人のおはしますありさまなどのいとゆかしきこそ、けしからぬ心にや。

 

 

十二月二十四日

 十二月二十四日、中宮さまの御仏名の半夜(はんや)の導師の読経を聞いてから退出する人は、もう真夜中の時間帯を過ぎてたでしょうね。
 何日も降ってた雪が今日は止んで、風とか激しく吹いたもんだから、氷柱(つらら)がいっぱい長く垂れさがってて、地面なんかはまだらに白い所が多くなりがちで、屋根の上はただ一面に白くって。変テコなみすぼらしい民家も雪で全部隠してて、有明の月が翳りもなく明るく照らして、すごくいかしてるの。屋根は白銀を葺いたみたいで、氷柱は「水晶の滝」とかって言いたいような、長かったり短かったり、わざわざかけ渡してる風に見えて、言葉では言い尽くせないくらい素晴らしくって、下簾(したすだれ)もかけない車が、簾をすごく高く巻き上げてるもんだから、奥まで差し込んだ月の光に、薄紫、白いの、紅梅とかを7、8枚ほど着てる上に濃い紫の衣のすごく鮮やかな光沢なんか月光に映えて、情緒深く見えるの、その傍らに葡萄染(えびぞめ)の固紋(かたもん)の指貫に、白い単衣なんかをたくさん重ね着して、山吹色や紅色の衣とかを外に出して着て、とても白い直衣の紐を解いてるもんだから、直衣がはだけて垂れて車からこぼれ出てるのね。指貫の片方の脚は、車の軾(とじきみ)の所に踏み出してるとか、行く道の途中で誰か人と出会ったら、いかしてるなって見ることでしょう。
 月が明るくてきまり悪いものだから、(女子は)奥の方にすべりこむのだけど、(男は)ずっとそばに引き寄せ続けて、露わにされて女子が嫌がってるのもおもしろいわ。「凛々として氷(こおり)鋪(し)けり」っていう詩を繰り返し繰り返し吟じていらっしゃるのは、すごくおもしろくって、一晩中でもこうして車に乗っていたいのに、目的地が近くなるのは残念ね。


----------訳者の戯言---------

御仏名(おぶつみょう/みぶつみょう)というのは、宮中の清涼殿で、陰暦十二月十九日から三日間行われた行事だそうです。高僧に「仏名経」という諸仏の名を称えた経典を読経させて罪の消滅を祈るというものです。

半夜(はんや)というのは真夜中のことです。およそ、子(ね) の刻から丑(うし) の刻までくらいを言う場合もあるそうですね。0時前後から2時、3時って感じでしょうか。

垂氷(たるひ)というのは、氷柱(つらら)のことだそうです。

葡萄染(えびぞめ)の固紋(かたもん)の指貫。
葡萄染は赤みがかった紫です。固紋は織物の紋様を、糸を浮かさないで、 固く締めて織り出したものを言うらしいです。カッチリと模様が織り込んであるイメージでしょうかね。指貫はこれまでに何度も何度も出てきましたが、男性が穿くカジュアル系のボトムスです。

軾(とじきみ)。牛車の前後の口に張り渡した低い仕切りの横木のこと、だそうです。

「凛々として氷鋪けり」は、「和漢朗詠集」(十五夜の句)から。です。この詩をイカした男が詠ったのでしょう。「秦甸(しんでん)ノ一千余里 凛々トシテ氷鋪ケリ」(中国の秦の王都の咸陽近辺の広大な地、寒気が身にしみ氷が敷きつめられたように美しい)みたいな。

秦甸というのは秦の都・咸陽近辺に広がる土地のことのようです。ちなみに咸陽は、漢の都・長安とは位置的に少しずれているんですね。秦が滅亡した後で郊外に新しい都をつくったというイメージかと思います。


というところで、はて? 宮中では陰暦十二月十九日から三日間行われる御仏名のはずなのに何故十二月二十四日なの?とシンプルな疑問が出てきました。
原文には「宮の御仏名」と書かれていますから、中宮主催の「御仏名」のようです。宮中のオフィシャルな「御仏名」は19日からだけど、中宮主催のものはズレるのか?

ということでLINEオプチャと知恵袋で聞いてみたところ、まず、「御仏名」については、「例文 仏教語大辞典」(小学館)に、室町時代末期成立の「塵添壒囊鈔(じんてんあいのうしょう)」を紹介して「御仏名の事。十二月十九日・廿日・廿一日の間に、吉日を択て行るゝ也」とあることがわかりました。つまり19日~21日の中から吉日を選んでそれから連続3日間の日程で行われた、というのが正しいようです。そのため21~23日など、多少ズレが出る場合がある可能性が出てきました。
しかし、それでも1日及ばず、24日には届きません…。

もう一つ、Yahoo!知恵袋で得た手がかりを元に「日本紀略」を調べました。「日本紀略」は「国立国会図書館デジタルコレクション」で見ることができます。
すると、「日本紀略」の八巻(一条天皇)、長徳二年の十二月二十二日に「御仏名」の文字があることが確認できました。だとすれば、正式な宮中行事として22~24日に御仏名が実施された可能性もわずかながらありそうです。ただし中宮主催のものが同時に行われたのかどうかは依然不明です。

もちろん推論に過ぎませんし、詳しい日程、その理由はわからずじまい。この12月24日の「宮の御仏名」は、やはり最初に私が考えたとおり、本来の宮中で行われた「御仏名」が終わった後に、ずらして24日に実施していたという可能性が高い気がします。
クリスマスイブですしね。いやいやそれはこれは絶対違う~。キリスト教の行事だし。第一、陰暦ですしね。グレゴリオ暦とは根本的に違います。

ちなみに「枕草子」(新編日本古典文学全集)の校訂者である松尾聰は、「通例十二月十九日から三夜連続で行われ、これは二十二日から行われた三夜目か」と注釈をつけています。が、やはり詳細な理由は不明なのです。


さてそれくらいにして。
内容は例によって、その深夜の情景を描きつつ、12月24日の御仏名イベントのアフターはいかした男女のドライブ。ってことで、清少納言はどこにいるのか?? 本人なのか?というのは不明ながら、これではまるでバブル時代のクリスマスイブじゃん。


と、そういうわけで、私が十二月二十四日の日程についてこだわりすぎたせいで、時間がかかりすぎてしまったこの段。
ま、そういうこともあります。気を取り直して次の段に進みます。


【原文】

 十二月二十四日、宮の御仏名の半夜の導師聞きて出づる人は、夜中ばかりも過ぎにけむかし。

 日頃降りつる雪の今日はやみて、風などいたう吹きつれば、垂氷(たるひ)いみじうしだり、地(つち)などこそむらむら白き所がちなれ、屋の上はただおしなべて白きに、あやしき賤(しづ)の屋も雪にみな面(おも)隠しして、有明の月のくまなきに、いみじうをかし。白銀(しろがね)などを葺きたるやうなるに、水晶の滝など言はましやうにて、長く、短く、ことさらにかけわたしたると見えて、言ふにもあまりてめでたきに、下簾もかけぬ車の、簾をいと高うあげたれば、奥までさし入りたる月に、薄色、白き、紅梅など、七つ八つばかり着たるうへに、濃き衣のいとあざやかなるつやなど月にはえて、をかしう見ゆる、かたはらに、葡萄染の固紋の指貫、白き衣どもあまた、山吹、紅など着こぼして、直衣のいと白き、紐を解きたれば、脱ぎ垂れられて、いみじうこぼれ出でたり。指貫の片つ方は軾(とじきみ)のもとに踏み出だしたるなど、道に人会ひたらば、をかしと見つべし。

 月の影のはしたなさに、後ろざまにすべり入るを、常に引きよせ、あらはになされてわぶるもをかし。「凛々(りんりん)として氷鋪(し)けり」といふことを、返す返す誦じておはするは、いみじうをかしうて、夜一夜もありかまほしきに、行く所の近うなるも口惜し。