枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

今朝はさしも見えざりつる空の

 今朝はそんなふうに見えなかった空が真っ暗にかき曇って、雪が辺りを暗くして降るもんだから、すごく心細く外を見てるうちに白く雪が積もって、さらにどんどん激しく降るんだけど、随身らしいほっそりした男が傘をさして横の方にある塀の戸から入って、手紙を差し入れた、なんていうのはいかしてるわね。
 とても白い陸奥紙か白い色紙を結んでる上に引きわたした封じ目の墨が書いてすぐ凍ったみたいで、下の方が薄くなってるのを開けたら、すごく細く巻いて結んでるその巻き目は、細かく窪んでるのに墨の色はとても黒かったり、また薄かったり、行間も狭く裏にも表にも書き散らかしてあるのを何度も繰り返しながら時間をかけて読んでるのを、どういうことなんだろうかな?って傍から眺めてるのも面白いもんだわ。ましてや読みながら思わず笑っちゃったところはその内容をすごく知りたいけど、遠くに座っている者にとっては黒い文字とかのあたりがそれなんだろうな?って思われるだけなの。
 額髪が長くて顔のキレイな人が暗い時間帯に手紙を受け取って、灯火をともすのも待ち遠しいのかしら?? 火桶の火を挟みあげてたどたどしげに手紙を見てるのはいい感じだわね。 


----------訳者の戯言---------

随身(ずいじん)というのは、貴族の外出時に警護のために随従した近衛府の武官です。いまで言うとSPみたいなのですね。民間ならキムタクのやってたBGです。ボディガード。古いけどケビン・コスナーとかのやつです。 

陸奥国紙(みちのくにがみ/陸奥紙/みちのくがみ)。檀紙というもののようです。当時から高級だったらしいですが、今も高級和紙として一般的なもののようですね。


他人の情事?というほどではないにしても、手紙を受け取って読んでいる様子を盗み見するという清少納言
もちろん、情緒ある雪の日、文を交わす男女の心の機微を「いとをかし」な情景を瑞々しく描くことによって表現…とかいう読み方もできそうではありますが、私はこの人どんだけ他所の男女のやり取りに興味あんねん。とシンプルに思いましたよ。それが清少納言清少納言たる所以であるのだけど。


【原文】

 今朝はさしも見えざりつる空の、いと暗うかき曇りて、雪のかきくらし降るに、いと心細く見出だすほどもなく、白う積もりて、なほいみじう降るに、随身めきて細やかなる男(をのこ)の、笠さして、そばの方なる塀の戸より入りて、文をさし入れたるこそをかしけれ。いと白き陸奥国紙・白き色紙の結びたる、上に引きわたしける墨のふと凍りにければ、裾薄(すそうす)になりたるを、あけたれば、いと細く巻きて結びたる、巻目はこまごまとくぼみたるに、墨のいと黒う、薄く、行(くだ)り狭(せ)ばに、裏(うらうへ)表書き乱りたるを、うち返し久しう見るこそ、何事ならむと、よそに見やりたるもをかしけれ。まいて、うちほほゑむ所はいとゆかしけれど、遠うゐたるは、黒き文字などばかりぞ、さなめりとおぼゆるかし。

 額髪長やかに、面様(おもやう)よき人の、暗きほどに文を得て、火ともすほども心もとなきにや、火桶の火を挟(はさ)みあげて、たどたどしげに見ゐたるこそをかしけれ。

 

 

つねに文おこする人の

 いつも手紙を送ってくる人が、「どういうことかな? 何か言ってもどうにもならないよ、今は」って言って次の日も音沙汰が無いから、さすがに夜が明けると差し出される手紙が見当たらないっていうのは寂しいなって思ってね、「それにしても、はっきりした性格だなぁ」って言って、その日は暮れたの。
 そのまた翌日、雨がひどく降る昼まで音沙汰も無かったから、「完全に思う気持ちが無くなったんだわ」なんて言って、端っこのほうに座ってた夕暮れに傘をさした者が持ってきた手紙をいつもより急いで開けて見たら、ただ「水増す雨の」と書いてるのは、すごくたくさん詠まれたどの歌よりもいかしてるわ。


----------訳者の戯言---------

いつも手紙を送ってくるとありますが、これは「後朝(きぬぎぬ)の文」です。
後朝の文」というのは、枕草子でもこれまでに時々出てきたことがありますが、夜に女子の元を訪れた男性が朝方、女子のところから家に帰ってすぐ手紙とか歌を送るやつですね。当時はそういうのが礼儀っていうか、愛の証というか、男女の営みのレギュラーアクションだったわけです。

がしかし、いつもは送ってくるのにそれを送って来ない男。というのも、「何なん? 言ってもどーにもならんよ、今はよー」と怒って帰ったらしい。「手紙ないじゃんよー、ガッカリだわ。もうだめぽ」と諦めがちの翌日の夕方になって送ってきたのが「水増す雨の」という一言だったわけで。これがイケてると思った清少納言

「水増す雨の」は歌の一節のようなのですが、元ネタはよくわかりませんでした。一説には紀貫之のではないかとのことですが、いずれにしても誰かが詠んだ和歌だと思います。当時はポピュラーだったのかもしれませんね。前段で「忘れめや」「あらずとも」というのが出てきたのと同様です。

「水増す雨の」=「雨が降ると水が増すように、あなたへの思いも増すんだよお」という意味のようで、喧嘩をした時に「ごめんね」と言うよりも「愛してるよ」と言う。しかもこのように和歌の中にあるワンフレーズだけ抜き出して書いて寄越すというのが粋だし、好感度アップということなんですね。
めんどくせーっちゃあ、めんどくせー女。それが清少納言


【原文】

 常に文おこする人の「何かは。言ふにもかひなし。今は」と言ひて、またの日音(おと)もせねば、さすがに明けたてば、さし出づる文の見えぬこそさうざうしけれと思ひて、「さても、きはぎはしかりける心かな」と言ひて暮らしつ。

 またの日、雨のいたく降る、昼まで音もせねば、「むげに思ひ絶えにけり」など言ひて、端のかたにゐたる夕暮れに、笠さしたる者の持て来たる文を、常よりもとくあけて見れば、ただ「水増す雨の」とある、いと多くよみ出だしつる歌どもよりもをかし。

 

 

成信の中将は⑥ ~雪こそめでたけれ~

 雪はなんたってすばらしいわ。「忘れめや」なんてひとりごとを言って、人目を忍んで逢うのはもちろんのこと、全然そんなことない女性のところも、直衣なんかは言うまでもなく、袍(ほう)も蔵人の青色とかがすごく冷たく濡れているようなのは、すごくイカしてるでしょう。緑衫(ろうそう)であっても、雪にさえ濡れてれば、不愉快ではないわ。
 昔の蔵人は夜なんかに女子の家に行く時にもいつもの青色の袍だけを着て雨に濡れても、それを絞ったりしたそうなの。今は昼間でも着ないようなのよ。ただ緑衫だけを引きかぶってるみたいね。衛府の役人なんかが青色の袍を着た姿は、まして、すごくおしゃれだったのになぁ。こんなこと聞いて、雨の夜に女性のところに歩いて行かない男も出てくるかもしれないんだけどね。
 月がめちゃくちゃ明るい夜、紙のまたすごく赤いのに、ただ「あらずとも」って書いただけのものを、廂に差しこんだ月の光に当てて人が見てたのはおもしろかったわ。雨が降っている時には、そんなことがあるかしら? 無いわよね。


----------訳者の戯言---------

「忘れめや」というのはどういう意味なのか?
このような歌を見つけました。万葉集に収められている笠郎女(かさのいらつめ)という人の歌です。大伴家持の彼女の一人と言われているそうですね。大伴家持っていうのは、大伴旅人の子どもです。元号・令和に決まった時にちょっと話題になりましたね。あの大伴旅人です。
逸れましたが、笠郎女の歌↓ですね。

わが命の全けむかぎり忘れめや いや日にけには思ひ益すとも
(私の命が無事である間は絶対に忘れられないわ! 逆にどんどん日が経つにつれて、募る思いが増え続けることはあってもね)

この歌ももしかすると家持に送ったのかもしれません。
こういう趣旨の歌のワンフレーズ「忘れめや」=「(思いがどんどん募ることはあっても)絶対忘れたりなんかしないのだからね」と言いながら、女子のところに行ったというわけですね、この男は。なかなかパッションがあってよろしい。


直衣(なほし/のうし)は何回も出てきました。当時の男性のカジュアルウェアです。オフィシャルではない上着ですが、ビジネスウェアの「衣冠」の袍とさほど変わりません。たぶん作りは多少違うのでしょうけど、私の素人目で見ると、どちらも平安時代の貴族が着ている衣服でしかなく、似たようなものです。今で言うと、テーラードジャケットだけどスーツではない、くらいのオフィスカジュアル的なスタイルと言っていいかもしれないですね。

袍(ほう/うへのきぬ)。上着のことです。直衣も袍の一種なのですが、ここでは衣冠の袍と解釈すべきでしょう。

蔵人の青色。
蔵人は青色の袍を着てたらしいですね。そのため、蔵人のことを「青色」と呼ぶこともあったようです。この「青色」というのは実はブルー系ではなく、「麹塵(きくじん/きじん)」と言われる色で、カーキ色というか、濁った緑という感じの色でした。蔵人(特に六位の蔵人)は前途有望な職でもありましたから、いかしてる色だったのかもしれません。
これに対して「緑衫(ろうそう/ろくさん)」は六位の役人全般が着ていた着物だそうです。こちらは深緑色。「深緑の袍」とも呼ばれたそうです。こっちのほうがキレイな色だと個人的には思いました。蔵人ではない普通の六位は下級役人扱いなので、「緑衫なりとも~~」と、ちょっと見下した感じの書かれ方をされています。六位ではあるけど、これならまぁ良し。ぐらいの感じでしょうか。
もしくは、蔵人でも青色だと堅苦しいから、わざと緑衫を着る、というようなことをしてる蔵人がいることを嘆きつつ、といった感情のようにも見受けられます。

「あらずとも」というのは何ぞ?ということで、源信明(みなもとのさねあきら)という人が詠んだ歌にこういうのがありました。

恋しさはおなじ心にあらずとも 今宵の月を君みざらめや
(恋しく思う気持ちは同じではないかもしれないけれど、今夜の月をあなたも見てるんだろうかなぁ…)

離れていても同じ月を見る、ということで恋情、熱い想いを表したのですね。自分の想いが募るあまり、もしかすると気持ちがアンバランスな状態にあるかもしれない…「あらずとも」というのはこういう想いなんですね。
これに対して、当時の恋人の中務(なかつかさ)という女流歌人が返します。

さやかにも見るべき月を我はたゞ 涙にくもる折ぞおほかる
(はっきりと見えるはずの月なんだけど、私はただひたすらに(あなたを想って流す)涙で曇る時が多いのですよ)

女のことが恋しくてならない男は、私が思うのと同じ位あなたが私のことを想っていなくても、今夜の月を私が見ているように、あなたもきっと見るには見るだろう。恋心が募るのは私ばかりだけど、せめて今夜の月に惹かれて眺める心は、あなたと重なっていたい、きっとそうなっているはずだけど。どうなんだろう?あなたは…
女は答えます。ええそうなの、今夜の月は明るいからはっきり見えるはずなのに、でもただただあなたが恋しくて涙が溢れてきて曇ってばかりなの。こんなにも私はあなたを思っているのですよ。
私の想いはあなたより強い。いいえ私の方が涙が出るくらいなのに…。めちゃくちゃ両想いじゃん。というか、切ないぐらい熱いです。


というわけで、月の明るい夜は良い、雨はダメ、でも雪はなかなか良いかな、というのが清少納言の言いたいことのようです。
しかし、すべて「男が通ってくる時」を想定しているというのが肝ですね。
この段は成信の変な行動から始まり、雨の時にやってくる男の話となり…でした。わかったようなわからんような、まとまりのない段でしたね。


とは言え、あえて真面目に書いておきますと、この段のこれらのエピソードやら何やらがあったのは長保二(1000)年。長保元(999)年に内裏が火災で焼失して、ここ一条院(大宮院)を「今内裏」として一条天皇が仮にお住いになった頃のことでした。中宮・定子も第一皇子敦康親王を出産し、長保二(1000)年の2月、二月十二日から三月二十七日まで、および八月八日から二十七日までの二度にわたって、一条院・今内裏で過ごします。
ちょうど定子が中宮から皇后になる前後の話ですね。定子が皇后になり、藤原道長の娘・彰子が一条天皇中宮に入内した頃。定子の実家・中関白家が衰退し、定子の不遇な時代が訪れている。そういった今内裏の日々は定子が一条天皇とともに過ごした最後の日々でもありました。
清少納言も機嫌がよくないことがあったのでしょう。特にこの日は雨に対する不満が沸々と現れた日だったのかもしれませんね。もちろん後に述懐しているわけですが、清少納言の鬱な気分が漏れ出たような印象もあります。

 

【原文】

 雪こそめでたけれ。「忘れめや」など一人ごちて、忍びたることはさらなり、いとさあらぬ所も、直衣などはさらにも言はず、袍(うへのきぬ)、蔵人の青色などの、いとひややかに濡れたらむは、いみじうをかしかべし。緑衫(ろうさう)なりとも、雪にだに濡れなば、にくかるまじ。昔の蔵人は、夜など人のもとにも、ただ青色を着て、雨に濡れても、しぼりなどしけるとか。今は昼だに着ざめり。ただ緑衫のみうちかづきてこそあめれ。衛府などの着たるは、まいていみじうをかしかりしものを。かく聞きて、雨にありかぬ人やあらむとすらむ。

 月のいみじう明かき夜、紙のまたいみじう赤きに、ただ「あらずとも」と書きたるを廂にさし入りたる月にあてて、人の見しこそをかしかりしか。雨降らむ折は、さはありなむや。

 

 

成信の中将は⑤ ~雨は心もなきものと~

 雨は風情の無いものと思いこんでしまってるからかしら? ほんの少しの時間降るだけでも憎ったらしく思えるわ。高貴な宮中行事や面白いだろうなっていうイベント、尊くてすばらしいはずのことも、雨が降ってしまうとどうにも言いようがなく悔しいのに、何でその濡れて愚痴を言いながら男が来るのがすばらしいってことになるワケ??
 交野の少将を非難した落窪の少将なんかはいかしてるわね。昨夜、一昨夜と続けて通ってきてたからこそ、雨の夜でもいい感じなのよ。でも足を洗ったのは気に入らないわ。汚かったのかしら??
 風なんかが吹いて、すごく荒れ模様の夜に来たのは、頼もしくってうれしくもあるでしょうね。 


----------訳者の戯言---------

「交野の少将」というのは、④で出てきた「狛野物語(こま野物語)」と同じく現存する写本はなく、逸書となっている「交野の少将」「交野少将物語」という物語の主人公だそうです。
交野は今の大阪府交野市のことで、ここに住んでいた少将は、右近衛少将だった藤原季縄(すえただ/すえなわ)という人、 また季縄と交友関係にあった稀代の色男・在原業平もミックスした形でモデルにされたそうですね。
フィクションにおいては、「源氏物語」の光源氏が登場するまではこの「交野の少将」が美男子の代名詞的な存在であったようです。

「落窪の少将」というのは、「落窪物語」の主人公の姫君の相手役(夫)です。この人も右近の少将なのですが、後に三位の中将、中納言兼衛門督、大納言兼左大将、左大臣太政大臣と昇進していきます。高貴でエリート。ってか太政大臣って帝を別にすると朝廷のナンバー1ですからね。
落窪の姫以外に妻も恋人も持たず、彼女だけを一生愛し続けたそうで、これだけの家格、官位のある男性としては当時には非常に珍しいタイプの人です。

落窪物語」は継子いじめのお話の代表作で、いじめられた継子が幸せを勝ち取るというシンデレラストーリーとなっています。似たようなのに「住吉物語」というのがありましたね。
落窪物語」は中納言の屋敷の落ち窪んだ部屋で継母からの虐待に耐えながらひっそりと暮らしている「落窪の姫君」と呼ばれる美しく心優しい姫君がいて…って言う話です。姫君は継母にめちゃくちゃいじめられますが、一転して夫の右近の少将が継母にこれまためちゃくちゃ復讐するという話…らしいです。

一説にはこの右近の少将、モデルとされているのは、実在の藤原道頼です。この枕草子でも何度か登場しました、道隆の長子ですね。伊周や定子の母違いの兄です。山の井の大納言(山井大納言)と言われた人で、ルックス、性格共にすばらしい人であったとのことでした。


説明が長かったですが、その女性には一途な「落窪の少将」が、色好み=プレイボーイとして有名な「交野の少将」を非難したらしいですね、「落窪物語」の中で。それがなんか趣があってよろしい、ってことみたいです。連夜通って雨の日も厭わずに来るのですから。が、足元が悪くて足が汚れたのを洗ったのはいただけませんわ、と。でも風が強い荒天の時には頼もしいわ~。どないせーっちゅうねん!って話です。
この段もいよいよ次の⑥にて完結。結局、天気と男の話なの??


【原文】

 雨は心もなきものと思ひしみたればにや、片時降るもいとにくくぞある。やむごとなき事、おもしろかるべき事、たふとうめでたかべい事も、雨だに降れば言ふかひなく、口惜しきに、何かその濡れてかこち来たらむが、めでたからむ。

 交野の少将もどきたる落窪の少将などはをかし。昨夜(よべ)、一昨日(をととひ)の夜もありしかばこそ、それもをかしけれ。足洗ひたるぞにくき。きたなかりけむ。

 風などの吹き、荒々らしき夜来たるは、たのもしくて、うれしうもありなむ。

 

 

成信の中将は④ ~さて月の明かきはしも~

 さて、月の明るい時には、過去のことも将来のことまでも、思い残すようなこともなくって、心もさまようくらい素晴らしくてしみじみとするのは、他のこととは比べものが無いくらいだわって思うわね。そんな月の夜に来た人は、十日、二十日、一カ月、もしくは一年でも、まして七、八年経ってからでも思い出して訪れて来たら、すごくいい感じに思えて、とても会えないような場所でも、人目を避けなければならない事情があったとしても、絶対立ったままでも話をして帰し、また泊まっていけそうだったら引き止めたりもするでしょうね。
 月の明るいのを見るぐらい、遥か遠くに思いを馳せて、過ぎてしまった嫌なことも、うれしかったことも、おもしろいって思ったことも、たった今起きたことみたい思えることって他にある? 「狛野(こまの)物語」は、全然面白くもなくって、言葉づかいも古臭くって見どころも多くないんだけど、月に昔のことを思い出して虫の食ってる蝙蝠扇(かわほりおうぎ)を取り出して「もと見しこまに」って言って女の元を訪ねたのがしみじみと趣深いのよね。


----------訳者の戯言---------

月が明るい夜は清少納言的には高評価ですね。
特に月の明るい時に来た男性の評価が異常なほど高いです。7、8年も忘れられてたのに月の明るい日に来ればこれだけ誉められる? さすがに、んなわけないやろうと思うのですが、清少納言はそれでOKのようです。なんかチョロいというか、単純~だと思いました。
ま、彼女が言いたいのは、まじタイミングって大事ですね~ということなのでしょう。


狛野物語(こま野物語)は逸書(かつて存在していたが、現在は伝わらない書物)です。写本が現存していないとのこと。作者もストーリーも不詳です。以前、「物語は」という段でも「古い蝙蝠(かはほり=扇)を探し出して持って行ったのがおもしろい」とは書いてました。よほどその部分が良かったのでしょうね。

そのご無沙汰だった女子を男性が訪れるというシーンで「もと見しこまに」とか言いながら行ったったようですが、元ネタになったのがこの歌↓のようです。詠み人知らずで、「後撰和歌集」に載っています。

夕闇は道も見みえねどふるさとは もと来(こ)し駒に任せてぞ来る
(夕闇で道も見えないんだけど、通い慣れたあなたの家は、以前から来てた馬の歩みに任せて訪れて来たんだよ)

おそらく清少納言は「もと来し駒」を「もと見し駒」と間違えた、ってか勘違いだと思いますが…。
男は、久しぶりだなぁという感じで女の元を訪ねて来たのでしょうか。以前にもよく通ったから安心してやって来たよ、と女に親しみを表現した挨拶のつもりで詠んだのでしょうね。これに対して女性が返したのがこの歌↓です。

駒にこそ任せたりけれあやなくも 心の来ると思ひけるかな
(あなたは馬に任せてたのね、むなしいもんだわね、私を想う気持ちがあるからやって来るんだと思ってたのになぁ」

「あやなし」というのは、ものごとの筋の通らないさま、むなしいさまを言う形容詞です。
久しぶりに来たかと思えば、馬に任せて来たよなどというのは、パッションが無さ過ぎですね。私を想う気持ちから来たんじゃねーの?そんなもんかよ、ガッカリだよ、という返しです。あほらし、というか、ハァ~、というか。


というわけで、雨嫌いの清少納言、転じて月の明るい夜のことを語っています。もはや成信も兵部もすっかりいなくなりました。伏線ではなかったのか?
⑤に続きます。


【原文】

 をかしき事、あはれなる事もなきものを。さて、月の明かきはしも、過ぎにし方、行く末まで、思ひ残さるることなく、心もあくがれ、めでたく、あはれなる事、たぐひなくおぼゆ。それに来たらむ人は、十日、二十日、一月もしは一年(ひととせ)も、まいて七、八年ありて思ひ出でたらむは、いみじうをかしとおぼえて、えあるまじうわりなき所、人目つつむべきやうありとも、必ず立ちながらも、物言ひて帰し、また、泊まるべからむは、とどめなどもしつべし。

 月の明かき見るばかり、ものの遠く思ひやられて、過ぎにし事の憂かりしも、うれしかりしも、をかしとおぼえしも、ただ今のやうにおぼゆる折やはある。こま野の物語は、何ばかりをかしき事もなく、ことばも古めき、見所多からぬも、月に昔を思ひ出でて、虫ばみたる蝙蝠(かはほり)取り出でて、「もと見しこまに」と言ひて尋ねたるが、あはれなるなり。

 

 

成信の中将は③ ~つとめて例の廂に~

 翌朝早く例の廂の間で女房たちが話しているのを聞いたら、「雨が土砂降りの時にやってきた男性には感動しちゃうわね。何日も待ち遠しくって、つらいことがあっても、そんなふうに濡れてまで来てくれたら、つらいこともみんな忘れちゃう!」っていうんだけど、何ゆえそんな風に言うのかしら? そういうこともあるのかしらね?昨晩も、一昨日の夜も、その前の夜も、とにかくこの頃ずっとしきりに訪れて来る男が今夜もひどい雨をものともせず来たのなら、やっぱり一夜も離れてたくない、って思ってんだろうかな?ってしみじみとした気持ちになるわよね。
 でもそうじゃなくって、普段は来ないで音沙汰もなく過ごしてるような男がそんな雨降りに限って来たからっていっても、絶対に想いがある!ってことじゃないと思うわ。人それぞれ考え方の違いによるものなのかしら?
 それなりの経験があって心の機微も理解できてて風流もわかってると思う女子と関係ができちゃって、他にもいっぱい通う女子がいて、元々妻なんかもいるもんだからしょっちゅうは来ないんだけど、やっぱりでもあんなすごい雨の時に来た!なんて、人にも語り継がせて褒められようと思う男の仕業なのかしらね?? それでも全然愛情なんかなかったら、実際なんでそんな作り事までして会おうなんて思うかしら? 思わないよね。

 でも、雨の降る時には、私はただただ鬱陶しくて、今朝まで晴れ晴れとしてた空だとも思えなくって、腹立たしくて。ハンパないくらい素敵な細殿なのに立派な所とも思えない。ましてや、全然そんなふうじゃない(フツ―の、立派じゃない)家なんかだと、早く止んでくれればいいのに!!って思ってしまうだけだわね。おもしろいことも、しみじみとしたこともないのだから。


----------訳者の戯言---------

変人・成信と兵部の長話しのオチもないまま、一転して、昨晩入って来た兵部なのか、他の女房かはわかりませんが、何やらひどい雨降りの夜にやって来る男の話に。清少納言、話が飛びまくってます。展開が下手すぎる…。文章家としてはどうなの??

たしかに、当時は車といっても牛車だし、もちろん徒歩でも土砂降りの雨では女子のところに行くなど、かなりの想いがなければ遠慮したいところでしょう。次の日行けばいいだけだし。今なら車かタクシーで行けばいいですし、事情はかなり違います。雨の日のメンタリティも違ってたわけですね。
そして。雨降りは嫌いな私、を演出する清少納言

成信も平姓に変わった女房(兵部)も清少納言にスルーされ、いったいどういう話になるのか、先行き不透明なまま④に続きます。


【原文】

 つとめて、例の廂に、人の物言ふを聞けば、「雨いみじう降る折に来たる人なむ、あはれなる。日頃おぼつかなく、つらき事もありとも、さて濡れて来たらむは、憂き事もみな忘れぬべし」とは、などて言ふにかあらむ。さあらむを、昨夜(よべ)も、昨日の夜も、そがあなたの夜も、すべて、このごろ、うちしきり見ゆる人の、今宵いみじからむ雨にさはらで来たらむは、なほ一夜(ひとよ)もへだてじと思ふなめりと、あはれになりなむ。さらで、日頃も見ず、おぼつかなくて過ぐさむ人の、かかる折にしも来むは、さらに心ざしのあるにはせじとこそおぼゆれ。人の心々なるものなればにや。物見知り、思ひ知りたる女の、心ありと見ゆるなどを語らひて、あまた行く所もあり、もとよりのよすがなどもあれば、しげくも見えぬを、なほさるいみじかりし折に来たりし、など、人にも語りつがせ、ほめられむと思ふ人のしわざにや。それも、むげに心ざしなからむには、げに何しにかは、作り事にても見えむとも思はむ。されど、雨のふる時に、ただむつかしう、今朝まで晴れ晴れしかりつる空ともおぼえず、にくくて、いみじき細殿、めでたき所ともおぼえず。まいて、いとさらぬ家などは、とく降りやみねかしとこそおぼゆれ。
 をかしき事、あはれなる事もなきものを。

 

 

成信の中将は② ~一条の院に作らせ給ひたる~

 一条の院にお造りになった一間所には、嫌な人はまったく寄せ付けないの。東の御門に向かい合っててすごくいい感じの小廂に、式部のおもとと一緒になって夜も昼もいるもんだから、帝もいつもご見物に入って来られるのよ。「今夜は中で寝ましょうかね」って言って、南の廂の間に二人で寝た後で、しきりに呼ぶ人がいるのを、うるさいわね~なんて申し合わせて寝たふりをしてたら、やっぱりさらにうるさい声で呼んでくるの、「それ、起こしなさい、寝たふりしてるんでしょ?」って定子さまもおっしゃったもんだから、あの兵部(平の姓になった人)が来て起こすんだけど、ぐっすり眠りに入ってるっぽい感じだから、「やっぱりお起きにならないみたいですね」ってうるさい人のところに言いに行って。そのままそこに座りこんでお話をしてるのね。少しの間かと思ってたら、夜がすごく更けて。「権中将(成信)でしょ? これはいったい何をそんなに座り込んで話してるのかしら?」って言って、こっそりと、でもめちゃくちゃ笑ってるんだけど、彼らも何でなのかはわかってないのね。権中将は夜明け前まで話し続けて帰ったの。「中将の君(成信)ってすごく変な人だったのね!? もう絶対近くにいらっしゃっても話さないわ! いったい何をあんな夜通し話すのかしら??」なんて言って笑ってたら、引き戸を開けて例の女子が入って来たのよ。


----------訳者の戯言---------

一条院というのは、大宮院とも言われていたらしいですね。当時の皇居スペース=大内裏の北端は一条通(一条大路)で、東の端は大宮通(大宮大路)です。その二つの道路の交わるあたり、大内裏の外側北東部にあった邸宅ですね。だから一条院とか大宮院と言われたのでしょう。一条天皇の邸宅だから一条院というわけではありません。地名です。で、この一条院という邸宅を今内裏(いまだいり)として使いました。
今内裏というのは里内裏と言ったりもしたもので、平安宮の大内裏の外の街に設けられた皇居という意味です。

一間の所=一間所(ひとまどころ)とは、柱と柱との間が一つの部屋のことを言います。お屋敷の中に小さな部屋をつくっていたのでしょう。

「式部のおもと」いうのは清少納言の同僚女房です。「職の御曹司の西面の立蔀のもとにて②」でも清少納言と一緒に寝ていました。仲が良かったのでしょうか。おもとというのは漢字で「御許」と書き、ご婦人とかお方を指すようですね。「~のおもと」で「~の方、~さま」というニュアンスになります。なので、「式部のおもと」だと、「式部の方」「式部さま」ぐらいの感じでしょうか。式部省の高官、官僚であった家族や親戚がいたからこういう呼び方をしたのかもしれません。

源成信が何やら寝ている清少納言たちを起こそうとしています。眠っている(ふりをしている)二人を起こすのは中宮定子も公認?で、①で出てきた兵部(平の姓になった女房)が来て起こすけれど清少納言は無視。仕方ない、と、兵部はあの源成信のところに行って二人で話し込んでる模様です。え??あれだけ兵部を差別してたのに!!!と笑う清少納言たち。そのまま夜明け前まで話し続けて帰った成信クンときたら何やってんでしょ?? 変人? もう口聞かない、一体何を話してたの??とまぁ、清少納言たちがさんざん彼をdisっていると…なんと女性のほう(兵部)が入ってきました!!
どうなる??
③に続きます。


【原文】

 一条の院に作らせ給ひたる一間の所には、にくき人はさらに寄せず。東の御門につと向かひて、いとをかしき小廂に、式部のおもとと諸共に、夜も昼もあれば、上も常にもの御覧じに入らせ給ふ。「今宵は内に寝なむ」とて、南の廂に二人臥しぬるのちに、いみじう呼ぶ人のあるを、うるさしなど言ひ合はせて、寝たるやうにてあれば、なほいみじうかしがましう呼ぶを、「それ起こせ。空寝ならむ」と仰せられければ、この兵部来て起こせど、いみじう寝入りたるさまなれば、「さらに起き給はざめり」と言ひに行きたるに、やがてゐつきて、物言ふなり。しばしかと思ふに、夜いたうふけぬ。「権中将にこそあなれ。こは何事を、かくゐては言ふぞ」とて、みそかに、ただいみじう笑ふも、いかでかは知らむ。あかつきまで言ひ明かして帰る。また、「この君、いとゆゆしかりけり。さらに、寄りおはせむに、物言はじ。何事をさは言ひ明かすぞ」など言ひ笑ふに、遣戸あけて、女は入り来ぬ。