枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

さかしきもの

 小賢しいもの。今どきの三歳児。幼児の祈祷をしてお腹なんかを揉んでる女。いろんな道具を出してもらって祈祷用のモノを作るんだけど、紙をたくさん重ねて全然切れ味のよくない刀で切る様子は、1枚だって切れそうもないのに、そうすることに使う道具に決まってるからって、自分の口を歪めて無理して切って。隙間の多い道具をいくつか使って掛竹を打ち割ったりなんかしてね、すごく神々しく仕立てあげて、体を揺り動かして祈祷するのがすごく抜け目ないのよ。一方では、「何々の宮、そこの家の若君がめちゃくちゃ大変なことになってるのを一掃するみたいにお治し申し上げたから、ご褒美をたくさんいただきました。あの人、この人といろんな祈祷師をお召しになったけど、効力が無かったもんだから、今でも私をお召しになるんです。ご贔屓いただいてますよ」なんて語ってる顔もみっともないの。
 身分の低い家の女主人。アホな者。でもそれがまた小賢しいことに、ホント聡明な人を教えたりするの。


----------訳者の戯言---------

「さかし」というのは、「賢い」ということです。かしこい? 漢字で「賢し」と書きます。
ここでのニュアンスとしては、頭が良くて抜け目ないというか、「小賢しい」とでも言うのでしょうか。「さかしい」に「小」がつく感じですね。disってる感じ。


「目多かるものどもして」はそもそもよくわからなかったです。

「目」は、文字どおり物を見る目の意味で使うことが多いです。それと、すき間や継ぎ目、網目、穴などのことを指す場合もあります。「目が粗い」とか「細かい」とか「目が詰まってる」とか言いますが、あれです。2カ月ほど前に読んだ「雪は」という段で「瓦の目ごとに入りて」という一節が出てきましたが、瓦の「継ぎ目」のことでした。
他には「会う」とか「見る」とかの意味があります。遭遇する「事態」のことを言ったりもするらしいですね。

最初、たくさん会う者のいる(忙しい)人たちを使ってでも…と訳したのですが、何か違うんですよね。そんないっぱい人を使うような立場の人ではなさそうです。ちょっと自慢気な祈祷師の女性のようですから。
なので道具かと。結局、隙間というか、なんかそういう「目」的なものがたくさんある竹を割る道具なのだと思います。調べましたが具体的にはわからずです。


掛竹(かけたけ)というのは、御幣(ごへい)をかける竹なのだそうです。御幣というのは神道の祭祀で神様に捧げられる2本の紙垂(しで)を竹、または木の幣串(しでぐし)に挟んだもの。もしゃもしゃっと大量に紙(布)が垂れているものもあります。
中部地方、長野とかの山のほうの地方で「五平餅」ってありますけど、あれは「御幣餅」が語源という説が強いらしいですね。形が似ているからですって。なるほど。

この竹垣に竹立てかけたのは竹立てかけたかったから竹立てかけた

早口言葉で、こういうのありますけど、「竹」のところを「掛竹」に変えたらもっと難しいのになーと思いました。それだけです。関係ないんですが。


痴(し)るというのは、愚かなことをする、ボケる、アホなことをする、みたいな意味だそうです。


ということで「さかしきもの」というのは、賢げではあるけれども、そのクレバーさをアピールし過ぎること余りあってイタい方のこと、を揶揄して言ってるのでしょう。むしろ最後に出てくる「痴れたる者」のことなんですね。つまり現代で言うなら「お利口さんな人」という言い方に近いかもしれません。完全にdisってます。
私たちも本当にクレバーな人のことは「お利口さん」とは言わないですものね。


相変わらず清少納言の見下し方は酷いです。前の段に続いて身分の低い人に対しては容赦ないです。


【原文】

 さかしきもの 今様の三歳児(みとせご)。ちごの祈りし、腹などとる女。ものの具ども請ひ出でて、祈り物作る、紙をあまたおし重ねて、いと鈍き刀して切るさまは、一重だに断つべくもあらぬに、さるものの具となりにければ、おのが口をさへ引きゆがめておし切り、目多かるものどもして、かけ竹うち割りなどして、いと神々しうしたてて、うち振るひ祈ることども、いとさかし。かつは、「なにの宮・その殿の若君、いみじうおはせしを、掻い拭(のご)ひたるやうにやめ奉りたりしかば、禄を多く賜りしこと。その人かの人召したりけれど、験(しるし)なかりければ、今に嫗(おんな)をなむ召す。御徳をなむ見る」など語りをる顔もあやし。

 下衆の家の女主(あるじ)。痴れたる者、それしもさかしうて、まことにさかしき人を教へなどすかし。

 

歴史読み 枕草子―清少納言の挑戦状

歴史読み 枕草子―清少納言の挑戦状

 

 

ことばなめげなるもの

 言葉が無礼なものは…。宮咩(みやのめ)の祭文を読む人。舟を漕ぐ者たち。雷鳴の陣の舎人。相撲を取る人。


----------訳者の戯言---------

「なめげなり」は「無礼だ」「失礼だ」ということらしいです。「なめげ」は漢字では「無礼気」と書くそうですが、後から当てた字でしょうか。

さらに具体的に言うと、偉そうな態度とか、感じ悪っって思うあれですよね。あるいは「ぞんざい」とか、乱暴なとか、そういう感じでしょうか。
二階幹事長とかね、麻生太郎とかですかね、私の主観では。森喜朗とかもですか。政治家ばっかりですね。
あと、タメ口の人とかですか。フワちゃんとか。


宮の部(みやのべ)です。宮咩(みやのめ)と言うことが多いようですね。宮咩祭とも。
この宮咩というのは、平安時代以降、不吉を避け、幸福を祈願するために、正月と12月の初午(はつうま)の日に高皇産霊神(たかみむすひのかみ/たかみむすびのみこと/高御魂命)などの6柱の神を祀ったという、そのお祭りのことだそうです。
以前「近うて遠きもの」という段でも出てきました。

で、今回はその祭の祭文(さいもん)を読む人のことをdisってます。
このお祭りは宮中の年中行事ではなく、民間信仰の色合いが強いもののようで、各々の私邸とかでやったみたいです。
祭文というのは、神を祀るときに読む文。本来は祭りの時に神様に対して祈願や祝詞(のりと)として用いられる願文だったそうで、後には芸能化したようですが、平安時代における祭文には陰陽道の色彩の濃いものも多いらしく、祭文読みは下級の陰陽師がやってたのかもしれません。清少納言的に言うと、それほど上位の人ではないわけで、これまたその人たちの言葉遣いが気に入らなかったと。


舟を漕ぐ職業の人たちのこともdisっていますね。ま、言葉遣いが粗野だったのかもしれませんが、ここでも職業差別的な感じはしますね。


雷鳴(かみなり/かんなり)の陣。字のごとく、雷が鳴った時、宮中に陣を立てて警固したらしいです。雷に対して?
雷で警固ってどんだけ雷怖がってるねん、とは思いますが、帝も怖いんですね。科学的根拠を知らないですから。フランクリンが凧揚げ実験をしたのが1752年だそうですからね。
どうも昔の人たちは、雷は神の怒りだと思っていたようです。半分本気なのかどうなのか、定かではありませんが、具体的に何をしたかって言うと、弓の弦を打ち鳴らしたらしいです。弓を鳴らすことで、悪霊、けがれを払う、あるいは物の怪を退散させるという、おまじない的なものだったようですね。

というわけで、具体的には大きな雷が3回鳴ると、近衛の大将とか中・少将が弓矢を持って帝のところに行ったらしいです。清涼殿に行っったとか、紫宸殿に行ったとか、どちらかよくわかりませんがそんな感じらしいですね。
清涼殿は帝のプライベートスペースですし、紫宸殿はオフィシャル中のオフィシャルですから、なんか真逆です。ま、どっちでもいいんですがそういう風にネットでは書かれています。
で、将監(しょうげん)以下のスタッフも蓑笠を着て、紫宸殿に行ったとか、南庭に陣をなしたとか。これもどちらかはっきりしないんですが、しかし雷が鳴ったくらいでそんなに人数集めなくてもとは思いますね。

そして、ここに出てきた舎人たちももちろんやってきます。舎人というのは帝や貴人の身辺警護、雑用を担当したスタッフなんですが、そんなに身分も職位も高くはないです。清少納言が聞いたこの舎人たちの言葉も乱暴、無礼に感じたと言うんですね。


相撲を取る人も失礼な物言いをしたのでしょうか。でも、ごっつぁんです、ぐらいしかいわないでしょう。偏見ですが。
というか、当時はごっつぁんです、とは言わなかったでしょうね。ごっつあんなり。ですか? なわけねーですね。


そういうわけで相変わらず清少納言、身分の低い人、職業の賤しいらしき人たちに厳しいですね。


【原文】

 ことばなめげなるもの 宮の部(べ)の祭文(さいもん)読む人。舟漕ぐ者ども。雷鳴の陣の舎人。相撲(すまひ)。

 

 

 

ないがしろなるもの

 いい加減なもの。女官たちが髪をアップにしてる姿。唐絵に描かれてる革の帯の後ろ。聖(ひじり)の振る舞い。


----------訳者の戯言---------

ないがしろなり。です。「ないがしろ」は漢字で書くと「蔑ろ」で、軽蔑の蔑ですね。今は。

ただ、昔は「無きが代(しろ)」つまり「代用の必要が無い」ということで、これが「人や物事を無いに等しいくらい軽く見ること」を表す言葉として使われたようです。「蔑」は後から当てられた漢字なんですね。

本来は大切にすべき、尊重されるべき人やモノに対していい加減に扱う行為を示す、つまり「ないがしろなるもの」とは「いい加減なもの」。現代のニュアンスで言うと「テキトーなもの」「テキトーにしてる」「投げやりー」「気ぃ遣てへんわ」って感じです。無頓着というか、肯定的なニュアンスでは使ってないですね。どちらかというとdisる感じかと。


女官が髪を上げてるのがなんでダメなのかははっきりとわかりませんが、投げやりな感じなのか、だらしなく見えたのか、というところでしょうか。

唐絵というのは中国の絵で、それに描かれている着物の革帯の後ろっ側がいい加減な感じだったんでしょう。つまんない、ダセーよと彼女は思ったんでしょうね。表は綺麗なのに、裏がこれでは残念よね、と。ただ、こういうのって、たとえば私たちの洋服でも無地でシンプルなものをつまらないと言うか、ステキとするか、みたいなところありますからね。主観かと思います。

聖(ひじり)というのは、修行僧のことだそうです。諸国を行脚している僧侶。僧全般を指す場合もあります。聖って聖人のことですから、敬称だとは思うんですが、その振る舞いがいい加減、テキトーだわ、と感じたわけですね。ま、清少納言はこれまでにもあったように信仰心が薄弱ですし、僧侶をそれほどは尊敬していない風です。たしかに一般社会を超越していて、人目を気にしない、みたいな僧侶もいたのかもしれませんしね。


さて、現代においても「ないがしろにする」というのは、「あっても無いかのように侮る、軽んずる、冷たくあしらう」とかを表現するときに使います。残業して帰って来たお父さんを家族の誰も出迎えてくれず、すでにみんな寝てしまってる、とかですかね。あとは家事を「ないがしろにする」とかですね。家事子育てを放棄してスロット回しに行く主婦、みたいなのを言う時に使うでしょうか。

スルーするとか、邪険に扱うとか、そういう感じのニュアンスが強くなっています。
ですから、使うとしたら「ないがしろにしてはいけない」という風に使う感じです。仕事とか、人間関係とか、物を大切にする気持ちとか、感謝の気持ちとか、なんか道徳の教科書みたいになってきますが。そういうこと言い出すと、そんな人間ではないのに。それはそれで少し気恥ずかしくなります。
この際ですからSDGsとか語りましょうか。いえいえそんなキャラではありません。


というわけで、昔はSDGsとか考えずに生きていたみたいです。清少納言なんか気楽なもんですよ。


【原文】

 ないがしろなるもの 女官どもの髪上げ姿。唐絵の革の帯の後ろ。聖のふるまひ。

 

 

さわがしきもの

 騒がしいものっていうと…。跳ねる火の粉。板葺き屋根の上でカラスが斎(とき)の生飯(さば)を食べるの。十八日に、清水寺に籠り合ってるの。
 暗くなって、まだ火を灯さない頃に、よそから人が来あわせた時。まして遠いところにある地方の国から家の主人が上京してきた時はすごく騒がしいわ。
 近いところで火事になった、っていうの。でも燃え尽きはしなかったわ。


----------訳者の戯言---------

斎(とき)というのは、一般に僧侶の食事のことを言います。葬式とか法事の後で出される食事を「お斎(とき)」と言ったりもしますね。

そもそも小乗仏教の僧侶は正午以前に食事を摂り、それ以後は摂らないとされていました。食事をしない時間、つまり午後を非時(ひじ)と言い、食すべき時、つまり午前を正時と言ったそうです。食べ過ぎないように正しい時間帯に食事をとることが大切、という事ですから、多少極端ながらも理には適っています。
「斎」という言葉には「正しい」とか「慎み」という意味があり、正しく慎み深い僧侶の食事を「斎=正時=とき」という言葉で表したんですね。
後世には、この意味が転化して肉食をしないこと、つまり精進料理を斎(とき)と言ったり、さらには先ほど書いたように仏事の食事を一般に指すようになって、法事の後の会食=お斎(とき)、と意味が変化していったと考えるのが自然です。

「生飯」と書いて「さば」と読みます。中国語の読み方「さんぱん」が由来のようですね。
これは仏教や修験道でみられる食事作法で、餓鬼に施すため、食べる前に自分の飯椀の中からご飯を少し取り分け、それを集めて屋根などに供えて、結果、鳥獣に施すことになるという作法なんです。で、これをカラスが食べてると。

ご存じの方も多いと思いますが、餓鬼というのは「このガキしばきまわすどゴルァ」のガキの語源となったものです。「ガキ使」のガキも同様ですね。元々仏教で六道(りくどう)つまり、天道、人間道、修羅道畜生道、餓鬼道、地獄道、というのがありますが、この餓鬼道は「生前に嫉妬深かったり物惜しみやむさぼる行為をした人の赴(おもむ)く所」とされています。餓鬼の悲惨な状況は種々描写されていて、不浄のところにおり、常に飢えと渇きに苦しむ飢餓状況にあることが知られています。

生飯というのは、自分たちだけで食べるのでなく、他に施しをする心、思いやりの心を持つ為の作法であり、常に餓えに苦しむ世界に堕ちた衆生(餓鬼)に飲食を施して救い、その功徳を先祖供養のために振り向けるというものと考えられます。実はカラスが食べたりするんですが。


18日に清水に…というのは何?かというと、観音菩薩の縁日なんですね。功徳日というか。三十日秘仏というのがそもそもあって、18日は観世音菩薩の日なんだそうです。8日が薬師如来で、15日が阿弥陀仏で、25日が文殊菩薩。28日が大日如来とかそういうのが決まってるらしいですね。で18日は観音さまの日なので、その日が混雑するんでしょう、やはり。清水寺の公式ウェブサイトをみると、今も毎月17~18日は信仰篤い多くの参詣者で境内が賑わう、とのことです。タイムリーな言い方だと、密になる状況ですね。


さて。
来客があるとなぜ騒がしいのかわかりませんが、清少納言周辺はそうだったのでしょう。昔は携帯もLINEもなかったですから、急に来たりするんでしょうか。だとすると迷惑極まりないです。騒ぎたくもなりますよ。
夜逢った男が明け方に帰って、すぐに手紙を寄越したりするんだから、事前に手紙ぐらい書いとけよ!と思うんですけどね。なんか、色恋にはマメなんですよね、平安貴族たちって。
単身赴任とかしてる主人が急に帰ってきたのか、それとも借家のオーナーが突然来たのかわかりませんけど、どっちにしても大騒ぎですよね。サプライズのつもりなんでしょうか? 私、フラッシュモブとかもどうなんかなーと思う派ですし、まじそういうサプライズとかやめてほしいっす。
たぶん、誰かキレてるでしょうね? 違いますか。


そして、近所で火事? たしかに騒がしいです。たぶん近所の人がわいわい言うのでしょう。所謂、野次馬です。

ところで野次馬という言葉ですが、語源は「親父馬(おやじうま)」つまり「年老いた馬」のことらしいです。馬は集団で行動する動物なんですが、体力、権力がなくなった老馬は、若い馬のあとばっかりついて歩くようになって、その様子から、人の後にぞろぞろついてまわる人々のことを指すようになったという説が有力だそうですね。
また、親父馬すなわち老馬が仕事に使えないことから「うるさいだけで何の役にも立たない」人たちのことを「やじ馬」と呼ぶようになったという説もあるようで。野次というのは当て字なんですね。

ということですから、スポーツの観客とかが選手とか審判とかを「野次る」「野次を飛ばす」とか言いますけど、「野次馬」のほうが先だったんですね、私、「野次る馬」→「野次馬」だとばかり思っていましたから意外でした。

火事はあったけど全焼は免れたということなんですね。火事自体は悲惨なことなので、それを騒がしい云々と言うのもどうだかなーとは思いますが。


と、何の話かよくわからなくなりましたが、どっちかと言うと私も騒がしいのは嫌いな方です。
今はお酒をともなう会食などもってのほかですが、大人数でのカラオケとか、アウトドアでバーベキューとかも苦手ですね。静かに一人遊びするのもいいものですよ。


【原文】

 さわがしきもの 走り火。板屋の上にて烏の斎(とき)の生飯(さば)食ふ。十八日に、清水にこもりあひたる。

 暗うなりて、まだ火もともさぬほどに、ほかより人の来あひたる。まいて、遠き所の人の国などより、家の主(あるじ)の上りたる、いとさわがし。

 近きほどに火出で来ぬといふ。されど、燃えはつかざりけり。

 

現代語訳 枕草子 (岩波現代文庫)

現代語訳 枕草子 (岩波現代文庫)

 

 

雲は

 雲は、白いの。紫の。黒いのもいい感じね。風が吹く時の雨雲。
 夜が明ける頃の黒い雲が、だんだん消えてってあたりが白んでいくのもすごくいいの。「朝に去る色」とかっていうのは、漢詩にもなってるようだわね。
 月がすごく明るい表面に薄い雲、って、しみじみとした風情があるの。


----------訳者の戯言---------

白い雲がいいのはまあわかります。

で、紫の雲ですね。私はあんまり見かけたことないですが。と思って調べてみたところ、紫雲というのは、日中の良く晴れた空で見られる紫色の雲のことを言うそうです。やはりめったに見ることができないらしいですね。それだけに紫色の雲はめでたいものとされ、念仏行者の臨終なんかの時に、阿彌陀仏がこの雲に乗って来迎するとも言われたようです。

ただ、朝焼けや夕焼けの時には、紫色の雲が見られることもあるようですね。そういえば写真とかで見たことがあるような気もします。
清少納言がどの紫色の雲のことを言ったのか、詳しいことが書かれていませんから、わからないんですが、清少納言的には紫の雲はいいものらしいです。以前も書きましたが、当時紫は高貴でエクセレントな色でしたから、好きだったのかもしれません。

そして黒い雲。雨雲でしょうか。で、風で動く雨雲。見方によっては面白いと言えば面白いのかもしれません。


明け方の雲のことも書いています。
夜が明けて雲が消えてあたりが白くなっていく、と。で、「朝に去る色」というのが何のことなのか、調べたところ、白居易(白楽天)の詩にそれらしきものがあるとのことで、「白氏文集」の巻第十二に次のような詩が見つかりました。

花非花

花非花 霧非霧
夜半来 天明
来如春夢幾多時
去似朝雲無覓處

書き下すと、

花にして 花に非ず
霧にして 霧に非ず
夜半に 来たりて 天明に 去る
来たること 春夢の如く 幾多の 時ぞ
去るは 朝雲に似て 覓(もと)むる 處(ところ)無し

となります。

いちばん最後の行ですが、もう少し現代語に近くすると、
「去って行く時は 朝雲のようで 覓(もと)めるところがない」という意味です。「覓める」というのは、「求める」の一種?ですが、特に「無いものを手に入れようと探す」という意味になるそうです。つまり、「去って行く時は朝の雲に似て、探しようがないのだよ」という儚(はかな)い様子、心情を表しているのでしょう。


このほか、朝の雲については「朝雲暮雨(ちょううんぼう)」という言葉もあります。所謂故事成語で、四字熟語です。色恋、情交、男女の契り(ちぎり)を言う言葉のようですが、ニュアンスはもう少し深く、男女のもっと濃密な固い契りを表す感じです。

さて、故事はこういうものです。
中国の戦国時代、楚(そ)の王、懐王が昼寝をした時に夢の中で一人の女性と出会い枕を共にしました。別れる時に、彼女がこう言います。「私は巫(ふ)山の陽(みなみ)に住む神女です」「これからは朝には雲となって、夕方には雨となってここに参ります」と告げて消え去ったのだそうですね。
翌朝、神女の言ったとおり、山には雲が美しくかかっていて、懐王は神女を偲んで廟(びょう=霊を祀るところ)を建てたということです。

なかなかのお話ですね。実在かどうかもわからない夢で出会った女性、しかもそれは神様であって、その女性と情を交わし、夢だったことを知りながら、その人(神?)の言ったことを思い出にして雲を見る、というロマンチックにもほどがあるお話です。

ということで、「朝の雲」というのは、このようにちょっと艶のある男女の恋情が伴うもの、と考えられていたのかもしれないですね。


さて、薄い雲のかかった月を薄月(うすづき)と言ったりもします。ほのかに光る月ですね。朧(おぼろ)月と同義とされるかと思いきや、薄月は秋の季語、朧月は春の季語だそうです。俳句はやらないですし、似たようなものだと思うんですけどね。夏井いつきには怒られるかもしれませんが。


そういうわけで、いかしてる雲はこれよ!!という段。ただ、清少納言、どうしても色恋のほうにシフトして行くんですよね。いいんですけどね。


【原文】

 雲は 白き。紫。黒きもをかし。風吹くをりの雨雲。

 明け離るるほどの黒き雲の、やうやう消えて、白うなりゆくも、いとをかし。「朝(あした)にさる色」とかや、書(ふみ)にも作りたなる。

 月のいと明かき面(おもて)に薄き雲、あはれなり。

 

 

星は

 星は、昴(すばる)。彦星。夕づつ。よばい星は少しおもしろいわ。尾さえなかったら、もっといいんだけどね。


----------訳者の戯言---------

すばる。昂です。あの谷村新司の歌った昴。自動車メーカーのスバルを思い起こす人もいらっしゃるでしょうね。
牡牛(おうし)座の中にある星団で肉眼では6個に見えますが、もっとめちゃくちゃ多いです。星団ですから。数百あるらしいですね、星。
欧米ではプレアデス星団と言われています。日本では六連星 (むつらぼし)とも言われます。
ただ、谷村新司の昴って、名曲みたいに言われていますけどなんか意味がよくわかりません。詞そんないいですか? アレンジですかね、なんかこう荘厳な感じっていうか。それはそれでいいんですけど。

で、クルマのスバルのほうはエンブレムが六連星なんですね。以前は富士重工業という社名でしたが、今は株式会社SUBARUです。私はあのドラマ仕立てのちょっといい話的なCMが苦手というかちょっとウザい派なんですが、あのスバルです。
昴というのは元々「統ばる(すばる)」という古い言葉から来ていて、「集まって1つになる」という意味だそうですね。


牽牛(ひこぼし)=彦星。あの七夕のバカップルの彼氏のほうです。わし座のα星、即ちわし座で最も明るい恒星で1等星です。アルタイルと呼ばれています。やはり明るい星なので目立ちますね。ちなみに織姫星と呼ばれているのはこと座のベガです。
和名類聚抄には「比古保之(ひこぼし)」とあるらしいです。別名として「以奴加比保之(いぬかいぼし)」の名前もあり、これは、β星、γ星を両脇に従えているため、犬を引き連れている姿に見立てられたもの、とのことです。


「夕づつ」というのは、夕方、西の空に見える金星。所謂、宵の明星。「夕つづ」とも書いたり読んだりします。今は夕星と書いて「ゆうづつ」「ゆうつづ」と読みます。「ゆうぼし」と読むと×が付けられますので要注意。

で、これは高校の地学ぐらいのレベルの話になりますが、宵の明星というのは、東方最大離角前後にある金星の別名なのです。地球から見て内惑星(水星と金星ですね)が太陽の東側にあるときを東方最大離角にある、と言いまして、金星が太陽の東にあるということは日が沈んだ後ぐらいに太陽を追っかける感じで西の地平線に沈みます。もちろん昼間も太陽を追っかけてるんですが、明るくて見えないので、日が沈んで暗くなってから登場するんですね。

1会合周期は583.9日だそうですから、1年と7カ月余りごと、数週間にわたって、日没後の西の空で輝いて見えるというのが、この宵の明星、夕づつです。
これに対して明けの明星とは、西方最大離角前後にある金星の別称です。同様に1会合周期(583.9日)ごとに数週間にわたって日の出前の東の空に輝いて見えます。


「よばひ星」の「よばふ」は「ずっと呼びかけ続ける」という意味の言葉です。元は「呼ばふ」なんですね。「呼ぶ」の複数形、つまり、名前を呼ぶことを継続的に行うと。ま、当時は男性が女性の元に通うというのが逢瀬のスタイルで、「よばふ」とは「夜、男の人が好きな女の人の元へ人にかくれて何度も会いに行く」という意味だったのでしょう。
で、何度か通うと「結婚」となります。で、「よばふ」を「婚ふ」と書くこともあったりします。

で、その「よばひ星」ですが、流れ星のことなんですね。
流れ星っていうのは恋し過ぎて魂だけがぬけ出して、好きな人のところへ会いに行く姿に例えられていたようです。ま、源氏物語なんかもそうですけど、この時代、生き霊とか結構信じられてましたし、流れ星がそういったものの一種というか、実行動はせずとも魂が行っちゃうという、なかなかの思いの強さです。

ただ、誤解されがちなのは、「よばひ」というと「夜這い」を連想させますが、これはかなり後年、江戸時代以降の当て字のようですね。字面や響きが、かなり淫靡な行為をイメージさせますが、これは誤解かと思われます。当て字ですから。
もちろん今の「夜這い」はこのポピュラーな「夜這い」でいいんですが、平安時代の「よばふ」はそれほどフィジカルではなく、もう少しメンタルというか、恋心のほうのウエイトが高い感じがします。
かといってもちろん、肉体的なことも伴うものでありましたし、それぞれの立場みたいなものもあったりして、忍んで逢いに行くことが多かったのも間違いではありません。秘め事であるのは当時も共通認識としてあったと思われます。

「よばひ星」(流れ星)が尾を引くことを、彼女がなぜ嫌がったかは不明ですが、魂とはいえ、あまりおおっぴらに派手派手しく逢いに来るものではありませんわよ、という意味かと考えられているようですね。


そう言えば、ググってたら、なにわ男子が「夜這星」という曲を最近リリースしてるらしいです。聴いたことはありませんが、結構しょぼい歌詞でした。ファンの方ごめんなさい。


【原文】

 星は すばる。牽牛(ひこぼし)。夕づつ。よばひ星、少しをかし。尾だになからましかば、まいて。

 

 

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月は

 月は、有明の月が東の山ぎわに細い形で出てる時が、すごくしんみりといい感じなの。


----------訳者の戯言---------

有明」というのは有明月。有明の月ですね。以前も書きましたが、夜が明けても残ってる月のことを言います。また、夜が明けても月が残ってる朝、それを「有明」と言ったりもします。

では清少納言の言うこの月は、実際いつ頃のどんな月なのか。
夜明け頃に山ぎわに見えた細い月というのは、所謂「明けの三日月」です。夕方に見える本当の三日月ではなく「旧暦二十七日前後の月」なんですね。
このように「有明月」というのは概ね、旧暦二十六日以降、夜明け(有明)の空に昇るものを言うようです。

が、広い意味で言うと旧暦十六日から朔日(ついたち)までの朝方に見える月の総称であったりもします。まじややっこしいですが、夜が明ける頃の月には違いないですからね。
月の後半の朝、つまり日の出の頃に、空が晴れていれば、西の空だろうが、南のど真ん中だろうが、東の空であろうが、どこかに月は出ているものです。それが有明の月だよと言われればそうかなぁと理解しておきましょう。


月に関して言えば、以前も書いたのですが、十六夜(いざよい)というのが私的にはなかなか好きな言葉です。これ満月の翌日の月なんですが、月の出というものは日を追うごとにおよそ50分ずつ遅くなっていくので、15日に比べると16日目は月が出てくるのを猶予う(いざよう=ためらっている)ようだとして「十六夜(いざよい)」となると。なかなか情趣のある言葉です。
で、それ以外にもいろいろあるんですね、月の名称表現というのは。ということで、少し書いてみます。

たとえば、十六夜の次の日、17日は「立待月(たちまちづき)」です。さらに月の出が遅くなって、「まだかなまだかなー」と立って待つからなのだそうですね。
19日はもっと遅くて、寝ながら待つから「寝待月(ねまちづき)」、20日目は夜も更ける頃なので「更待月(ふけまちづき)」とか言うらしいです。

というわけでして、清少納言的には「明けの三日月」、とくに完全に欠けて無くなり新月になる寸前の細い月、まさに消えかけているかのような儚げな姿の月が、しみじみ感があっていいのよね。と。


花鳥風月、雪月花などというように、日本では、月というのは太陽や星よりも愛でられる存在で、しかも暦のベースにもなっている有用なものでもありました。
それにしては意外とあっさりとしてますね、清少納言

一方かの兼好法師は、かなりの月好きであったようで、「徒然草」にも月について言及した文章がときどき出てきます。
第二十一段では「嫌なことがあっても月を見たら和むよね」と書いていますし、第三十二段では知人と夜明けまで月を見て歩くといったことをしていますしね。第百三十七段では、花は盛りだけ、月は雲がかかってないのだけがいいのかな?いやいや違うでしょ、みたいなことまで言及しています。さらに第二百十二段では「秋の月はこの上なく素晴らしくって、この違いがわからない人っていうのはまったく情けないよね」と言い切っているくらいです。やはり清少納言とは視点が違うのがわかります。

 

【原文】

 月は 有明の東の山際に細くて出づるほど、いとあはれなり。