枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

仏は

 仏はっていうと。如意輪観音。千手観音。いや六観音全部ね。薬師如来。釈迦如来弥勒菩薩地蔵菩薩文殊菩薩不動尊不動明王)。普賢菩薩


----------訳者の戯言---------

如意輪観音ですね。「如意」とは意のままに智慧や財宝、福徳をもたらす如意宝珠という宝の珠のことだそうです。「輪」は煩悩を打ち砕く法輪を指しています。その2つを手に持った観音菩薩ということで、如意輪観音と言うんですね。
観音様は先にも書いたとおり、菩薩の一人です。


千手観音。
別名、千手千眼観自在菩薩(せんじゅせんげんかんじざいぼさつ)などとも言い、生きとし生けるものすべてを漏らさず救う、大いなる慈悲を表現する菩薩です。千の手と手のひらの千の眼によって悩み苦しむ衆生を見つけては手を差し伸べる広大無限な功徳と慈悲から「大悲観音」、または観音の王を意味する「蓮華王」とも言われるそうですね。


観音さまは、観世音菩薩、観音菩薩、観自在菩薩などと呼ばれています。
で、観音さまですが、上にも書いたように、たくさんの種類がいらっしゃるんですね。どゆこと?って思ったら、その都度、目的や対象に応じて変化(へんげ)してるようなのです。
六道というのがありまして、 地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天、畜生、の六つなんですが、この六道にはそれぞれ担当の観音さまがいて、その世界から救ってくれるとい う信仰がありました。観音さまはまあ一人なんですが、先のも書いたとおり変化(へんげ)しまして、それが六観音とか、七観音とか言われるものなのです。
ざっと言うと、地獄界→①聖観音 餓鬼界→②千手千眼観音 修羅界→③十一面観音 天界→④如意輪観音 人界→⑤准胝観音不空羂索観音) 畜生界→⑥馬頭観音 だそうです。先に如意輪観音と千手観音は出ていますね。人界の担当については、天台宗不空羂索観音真言宗准胝観音だそうです。

で、数がどんどん増えて、三十三観音というのもあります。基本は六観音ですが、それを33に増幅させた感じです。こうなると、わけがわからないというか、AKB48とか乃木坂46の世界です。観音菩薩人気が高かったからこうなったんでしょうか。

けど、他の菩薩の立場がないですよね。それでも、菩薩でもまあまあ人気のあるキャラはいます。キャラ!って失礼過ぎますけど、仏様に。後で出てくる弥勒菩薩地蔵菩薩文殊菩薩なんかがそうですね。
今は単体アイドルは育たない時代と言われます。おそらく、歌で売れるのが難しい時代なのでしょう。グループでやらないと、つまりグループの総合力で売るというやり方です。ペイしないんでしょう、今世紀に入って収益構造が変わってしまったのでしょうね。単体はイチかバチかですから。それよりもちょっとかわいい子は女優にする、と。浜辺美波今田美桜、ちょっと前なら広瀬すず有村架純とかでしょうか。女優のほうが、事務所も計算できるのでしょう。松田聖子とか小泉今日子南野陽子のような天才が出てくれば別なんでしょうけどね。
観音さまが乃木坂だとすると、弥勒菩薩、お地蔵さん、文殊菩薩普賢菩薩は、浜辺美波今田美桜広瀬すず有村架純ということになるのでしょう、今なら。何でアイドルにたとえてるねんて話ですが。

菩薩というのは、お釈迦様が修行中で王子だった頃の姿が原形なので、冠、首飾り、イヤリングとかの装飾品を身に付けています、髪型はちゃんと結われてます。


薬師如来はすぐ前の段でも書きましたが、メディカル系の仏様です。病を治す功徳の力は薬師如来が随一と言われていて、人気が高い仏様なんですね。


釈迦仏=釈迦牟尼仏というのは、お釈迦様が仏になったもの=釈迦如来です。「お釈迦さま」と言いますが、実は釈迦族の王子だったガウタマ・シッダールタという人のことなのですね。「お釈迦さま」とか「釈迦牟尼」とかいうのは通称と言うか、ニックネームというか、です。で、しかも忘れがちですが、中国の人ではなく、インドの北のあたりの人だそうですよ。

如来さま」という存在もたくさんいらっしゃいますが、お釈迦様が悟りを開いた後の姿が基本と言われています。なので結構質素な姿。髪型はぽつぽつの渦巻き状の、例のヘアースタイルです。


弥勒菩薩は、仏となることを約束されているため、弥勒仏とか弥勒如来と呼ばれることもあります。未来仏とかとも言われるようですね。釈迦が亡くなられてから56億7千万年後に仏となりこの世に現れるそうです。どんだけ先やねん、という話です。地球ができてから46億年ですからね。その地球の歴史を1年にたとえると人類が生まれたのは、大みそかの夜です。なので、再来年の春ぐらいですよ。短いのか長いのか全然わからない例えですみません。
56億7千万年後にたぶん人類はいないと思いますが、そんなことは関係ありませんね。仏ですから。

仏像としては、右手の指を頬に当てて物思いにふけるような感じの半跏思惟像(はんかしいぞう)が多く作られられています。個人的にはこれ、姿としては美しいと思いますね。


地蔵菩薩は、平たく言うと、「お地蔵さん」ですが、大地が全ての命を育む力を蔵するように、苦悩の人々を、その無限の大慈悲の心で包み込んで、救うのだと。なんか、漢字の当て字というか、こじつけっぽいけど。そんなこと言ってはいけません。
ただ、日本では、道祖神(道にいる神様)というか、その地域の守り神的な役割を担っていて、特に子どもの守り神として信じられてます。
昔は、交通の便とかも良くなかったし、清少納言のような貴族は寺社に参詣もできたけれど、貧しい人々はそれも叶わなかったわけで、地域のお地蔵さま(辻地蔵などとも言います)に祈れば、願いを叶えてもらえたり、病気を治してもらえたり、と信じられたんですね。
よく「〇〇地蔵」とか、ありますものね。童話とかでも。


文殊菩薩といえば、「三人寄れば文殊の知恵」と言われます。そんな頭の良くない人でも三人集まって相談すれば、なんとかいい知恵が浮かぶと。文殊菩薩は知恵をつかさどる菩薩さまなのです。結構、ポピュラーですね。


不動尊というのは、不動明王のことです。密教特有の仏様で、仏様っていうのは、如来、菩薩、明王、というふうにカテゴライズされてますが、その中の「明王」のうちの一人がこの「不動明王」ということになります。明王もたくさんいらっしゃるようですが、そのリーダー格だと思います。実際、私、明王は「不動明王」しか知りませんでした。お笑いにおける明石家さんま的な。いや違いますか。ダウンタウン松本かな。フリーアナウンサー界における有働さんですか。余計にわからなくなりましたね。

不動明王は、密教の根本尊である大日如来の化身であると見なされているそうです。不動明王の字面を見ると、思い起こされるのは、はい、昭和世代の方ならごぞんじの「不動明」、そう、永井豪の名作中の名作「デビルマン」の主人公です。「デビルマン」自体は、仏教ではなくむしろキリスト教的であり、黙示録、創世記、最終戦争といった要素が反映されています。ただ、明らかに不動明の名前だけは不動明王から連想している感じですね。

実際、不動明王の像を見ると、怒りの表情をしていて、仏法の障害となるものに対しては怒りを持って屈服させ、仏道に入った修行者には常に守護するというスタンスの仏様だと理解できます。こういう二面性という点において、「デビルマン」の不動明命名されるに至ったのかもしれません。


やはり、話がそれてしまいましたね。ごめんなさい。

最後は、普賢菩薩です。すぐ前の段でも出てきました。普賢菩薩は、文殊菩薩とともに釈迦如来の両脇に控える脇侍(きょうじ)として祀られることが多い菩薩ということでしたね。この3人の仏像を釈迦三尊像とか言うようです。普(あまね)く賢い者、つまりあまねく現れて、仏の慈悲と理智をあらわして人々を救う賢者っていうことなのですね。あまねく、という言葉は、広く、全体的にという意味なんですが、時間的な広がりも表しているんですね。

普賢というと、どうしても雲仙の普賢岳を連想します。1991年に雲仙普賢岳が噴火して、大きな火砕流が発生しました。42人が亡くなったという大きな災害となりました。
実はおよそ200年前、江戸時代にも普賢岳は噴火しています。さらにさかのぼること数十年らしいんですが、この山に普賢菩薩を祀る祠が建立されたそうです。それが普賢岳命名の由来なのだとか。普賢菩薩も自然災害には抗うことができなかったのでしょうか。


というわけで、いかした仏様、という段です。ビジュアルで言ってるのか、本質的なところで言ってるのかはよくわかりません。

大まかに仏様を分類すると、如来、菩薩、明王、天部、その他となるそうです。

如来は、悟りを開いた後の姿をしています。釈迦如来大日如来阿弥陀如来薬師如来あたりが有名です。

菩薩は、お釈迦さまが修行中で王子だった頃の姿が原形なのだそうです。冠、首飾り、イヤリングなど装飾品を身に付けています。お地蔵さま以外、髪型は高く結い上げています。地蔵菩薩弥勒菩薩文殊菩薩観音菩薩普賢菩薩日光菩薩月光菩薩虚空蔵菩薩などが有名です。

明王は、如来が姿を変えて人々を救うために必死になっている姿、仏法の障害となるものに対しては怒りを持って屈服させる、という体(てい)でやってますので、すごい形相になってます。この段でも出てきましたが、不動明王とか、あと愛染明王あたりがメジャーです。

天部は、ここでは出てきませんでしたが、古代インドの神々が土台となって生まれた仏様です。弁財天、大黒天、毘沙門天、吉祥天、韋駄天、帝釈天などです。昨年の大河で「いだてん」というのがありましたが、あれも仏様なんですね。

で、弁財天、いわゆる弁天さまとか、大黒さまとかで七福神というのがまた別にありますが、ここに出て来た仏教のほかに、ヒンズー教道教神道といったいろいろな宗教の神様で構成されているんですね。こういう信仰って、日本ならではのような気がします。

で、話をもとに戻しますが、仏様。前の段に続いて、清少納言、信仰心薄弱な割にいろいろ書いてます。理由とかも書いてくれたらいいんですが、意図はよくわかりません。


【原文】

 仏は 如意輪。千手、すべて六観音。薬師仏。釈迦仏。弥勒(みろく)。地蔵。文殊不動尊。普賢。

 

枕草子 いとめでたし!

枕草子 いとめでたし!

 

 

経は

 経は。
 法華経は言うまでもないわ。普賢(ふげん)十願。千手経。随求(ずいぐ)経。金剛般若経。薬師経。仁王経の下巻。


----------訳者の戯言---------

法華経はさらなり。と清少納言も書いてるとおり、説明するまでもありません。超メジャーな経典ですね。


普賢十願というのは、普賢菩薩の十種行願=十大願のことを言うのだそうです。さっぱりわかりません。それ、何のこと? そもそも普賢菩薩って?という罰当たりな私ですが、菩薩様のお一人です。お釈迦様は有名なのでみなさんご存じかと思います。そのお釈迦様が仏になったのが釈迦如来なのですが、普賢菩薩は、文殊菩薩とともにその両脇に控える脇侍(きょうじ)として祀られることが多い菩薩ということでした。

華厳経というのがあり、さらにその中に「普賢行願品」 というところがあります。そこで説かれる普賢菩薩の十種の行願のことなんですね。もう少し簡単に言うと、普賢菩薩衆生教化のために立てた10コの誓いのことです。「行願」っていうのは精進する(行う)、つまりガンバる、誓い(願)ってことなんですね。

華厳経に依拠して華厳宗という宗派が生まれたらしいですが、その華厳宗のわが国の大本山があの東大寺だそうです。奈良の大仏のあるあの東大寺ですと。なるほど。


千手経は、千手観音に関する経典で千手陀羅尼経といい、さらに略して千手経と言うらしいですね。千手観音の由来・発願・功徳などを説いた経文で、唱えれば千手観音の救いを得られるものとして尊ばれたそうです。


随求教(ずいぐきょう)は「普遍光明焔鬘清浄熾盛如意宝印心無能勝大明王随求陀羅尼経(ふへんこうみょうえんまんしょうじょうしじょうにょいほういんしんむのうしょうだいみょうおうずいぐだらにきょう)」のことです。
長っ! 九文字目ぐらいでツッコミ入れますよ、私。ていうか覚えれません。
というわけで、昔の人もそうだったんでしょうね、略して「随求陀羅尼経」です。もっと略して「随求教」もしくは最短で「随求」でも通用するようになりました。


金剛般若経(こんごうはんにゃきょう)は、正式名称「金剛般若波羅蜜経」と言うのだそうです。般若経の一種で、比較的短編の経典だそうですね。

般若経の一種、と書きましたが、般若経はたくさんあるらしいです。で、その複数ある般若経の集大成と言われるのが「大般若波羅蜜多経」です。
大般若波羅蜜多経」をまとめたのは、玄奘という中国の僧。「西遊記」のモデルにもなった三蔵法師です。で、ご存じのとおり、般若経の中でも「般若心経(般若波羅蜜多心経)」という、同じく玄奘が訳したお経が、最もポピュラーな般若経。お経全体の中でも超有名なあれです。法事とかお葬式とかでもたいていこれを耳にしますね。

「般若」というのは、そもそも「万物の真実相を直観的に把握する智慧」のことを言います。わかりにくいですが、「全ての事物や道理を明らかに見抜く深い智慧」と言い換えてもいいでしょうか。大乗仏教においては、それは「空(くう)」の理解であるとしています。「空」は仏教全般に通じる基本的な教理である、というわけです。

もっとわかりやすく言うと「からっぽ」ということですね。もう少し良い風に言えば、「何ものにも煩わされず、惑わされず、開放された自由な空間の広がりがあること、その心」ぐらいの感じでしょうか。まあ、もっとちゃんと深い意味があるんでしょうけどね。私はこれぐらいでいっぱいいっぱいです。

でー。
「般若」っていうと、あの鬼のような顔のお面を想像してしまいます。一応私も仏教徒の端くれのはずなんですけどねー。私だけですか?すみません。 
私、「般若」についての誤ったイメージが植え付けられてましたよ。
実はあのお面の般若は、室町時代の奈良の般若寺というお寺にいた僧で面打ち(能面師)の「般若坊」という人が創作したと伝えられているから、という説が主流なんですね。嫉妬や怒りなどをたたえた鬼女の面ってことなんですが、つまり本来の「般若」の意味を由来とはしていませんとのこと。

もちろん、こんな私ですが、般若心経も知ってますし、般若のお面も知ってます。お酒のことを「般若湯」とか言うって話も聞いたことありますよ。般若って言うと何となく仏教のアレかなーぐらいの認識でしかなかったんですが、こうやって調べてみると勉強になりますね。
あまり好きではないんですが、お笑い芸人のはんにゃとか、ラッパーの般若とかいろいろいて、もうわけがわかりません、最近は。もちろん名前なんで自由に付けていいんですけどね。それこそ「空」ですから。細かいことにこだわっちゃだめです。


薬師如来は、日本への仏教伝来の初期から礼拝されている仏尊です。名前からもわかるとおり、メディカルな力を持つ如来ですから、病を治す功徳の力は薬師如来が随一と言われています。そういう仏様なんですね。
で、そんな薬師如来の功徳を説いた経典が薬師経です。なるほど、ありがたい。これ唱えてコロナ退散とかもお願いしたいです。


仁王経(にんのうぎょう)は、「仁王般若波羅蜜経」の略称です。これも般若教の一種でしょうね。仏教における国王のあり方について述べた経典で、般若波羅蜜の法を誦持することによって、国家を守護し繁栄させることができる、と説かれています。古くから護国のための経典として尊重され、この経で鎮護国家を祈願するものでした。「法華経」「金光明経」と合わせて護国三部経の一つに数えられるそうです。
清少納言は特に「下巻」がいいと書いてますが、下巻の内容の詳細がどういうものなのかはよくわかりませんでした。


さて。
お経と言っても、たくさんの経典があります。結局、何がどうういう意味を持つものかとかは、私、よくわかりません。ただ、たしかに仏様の教えは同じなんですが、切り口というか、その教えの伝え方が違うんですね。
今や日本国内にあるお経だけでも8万種類、と言われているほどだそうで。ま、私などわからなくて当然でしょう。

清少納言は、これまで枕草子を読んできた限りでは信仰心が薄いように思っていましたが、いやいや、なかなかお経に詳しいじゃないですか。ちょっと見直しましたよ。


【原文】

 経は 法華経さらなり。普賢(ふげん)十願。千手経。随求(ずいぐ)経。金剛般若。薬師経。仁王経の下巻。

 

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寺は

 寺は…。壺坂寺笠置寺法輪寺霊山寺は釈迦仏のお住いなんだから、しみじみいい感じなの。石山寺粉河寺。志賀寺。


----------訳者の戯言---------

壺坂寺。今は壷阪寺と書くようです。奈良県高市郡高取町壷阪というところにあります。ご本尊は、十一面千手観世大菩薩。
当時はどうかわかりませんが、眼病に霊験あらたかな観音様、目の観音さまとして信仰されているとのことです。


笠置(かさぎ)寺は、日本最古最大の本尊である弥勒大磨崖仏や虚空蔵磨崖仏など、巨岩巨石が数多く点在するお寺だそうです。京都府相楽郡笠置町といいますから、最寄りの笠置駅はJR関西本線の木津から東へ2駅。都から見ると、奈良との県境にも近い山間部という感じですね。

先にも書いたとおり、磨崖仏(まがいぶつ)があるお寺です。磨崖仏(または崖仏)というのは、自然の岩壁や岩石とかに造立された仏像を指します。ですから基本、動かせません。

そもそも、磐座(いわくら)という、古神道における岩に対する信仰があって、これは自然崇拝(精霊崇拝/アニミズム)に起源をもつ信仰対象と言えると思います。元々は神のいる場所、神が鎮座されていたということでしょうか、もちろん祭祀における祭場にもなったし、その岩や石自体に神が宿ったもの、つまりご神体としてお祀りしたのでしょう。

こうして古来からあった磐座信仰に仏教思想がプラスされて、一体となったものが磨崖仏です。折しも末法思想に伴う弥勒信仰の機運も高まったらしく、天皇、貴族たちをはじめとして「笠置詣で」が盛んに行われたらしいですね。

で、末法思想ですが、日本では1052年が末法入りと考えられていました。恵心僧都源信)という偉いお坊さんが「往生要集」を発表したのが985年ですから、まさに清少納言は同時代です。もうすぐ末法、つまり簡単に言うと、仏陀の教えが実行されなくなる時代、その兆しが現れる頃です。世の中が乱れはじめてるぞ、何とかしないと…という気運が高まっていたのだと思います。

いわくら、といえば、京都では「岩倉」ですね。今は京都市左京区の岩倉と呼ばれるエリア。住宅街であり、文教地区でもあります。
かつては貴族の別荘地でもありました。「徒然草」で女房たちが若い男子に「もうホトトギスの鳴き声はお聴きになりました?」って聞いて、どんな答えが返ってくるか? その答え方で男の器量を試す、品定めするというお話がありました。その時、堀河内大臣(堀川具守)が「岩倉にて聞きて候ひしやらん」と答えたのは「悪くないよね」と高評価でした。なんのこっちゃ。ま、内大臣ですから、そもそもがええとこの子ですわね。別荘で聴いたんですかね、それをさらっと言うのが良かったのでしょうか。というのを思い出しました。
岩倉というのはそういう場所なのですね。

で、話はそれまくりですが、この京都の岩倉も、やはり磐座信仰から来ているようです。現在の山住神社にある巨石がご神体となり「石座(いわくら)神社」(もしくは石座大明神)と言われたのが地名の由来だそうですね。
今は、岩倉というと、実相院という寺院が有名なようで。お金持ちが住んでる高級住宅街でもあるそうですよ。笠置寺のことを書いていたのに何故にこうなった?


法輪寺は、京都の嵐山にあります。正式名称は虚空蔵法輪寺元明天皇行基に命じて堂塔を建てられたとかいうお寺です。
実はよく知らなかったのですが、十三詣りというので有名なお寺らしいですね。数え13歳の男女がお参りするらしいです。七五三みたいなものでしょうか。平安時代はどうだったか知りませんが。ご本尊の虚空蔵菩薩というのが、智恵の菩薩ということですから、そうなったんでしょうかね。菩薩の中で13番目に生まれたとされているので13に因んでいるとかだそうです。京都では非常にポピュラーな行事だそうですね。


霊山寺というのは、奈良にもありますが、それとは違うようです。京都の東山のこのあたりが霊山と呼ばれてるのも、このお寺があったからのようですね。元々は最澄伝教大師)が開いた天台宗の別院で、場所柄、霊山寺と呼ばれていたらしく、別名「霊山鷲の尾寺」とも言われていたそうです。本尊は、ここにも書かれているとおり釈迦如来です。ちなみに奈良の霊山寺の本尊は薬師如来です。

現在の霊山寺は、正法寺というお寺に名前を変えています。場所は元々あった京都市東山区清閑寺霊山町というところ。今は草むした人(ひと)気のない境内に寂れた本堂が残っているだけだそうです。二寧坂から細い階段をずんずんずんずん上って行ったところにあるようですね。ちょっとした運動になるくらいの感じです。結構高いところにあって眺望もとてもよく、京都市内を一望できるのだとか。
京都霊山護国神社」や「霊山歴史館」があって、歴史好きな方、特に歴女、幕女とかいう人たちがよく訪れるエリアでもありますから、霊山カフェみたいなの作ったら、意外と流行るかもしれません。


石山寺は、滋賀県大津市にあります。昔から真言宗大本山として知られていました。今も京阪石山寺駅があります。当時は「石山詣で」が、皇族、貴族の間にたいへん流行っていました。

源氏物語にも出てきますね。
光源氏が石山詣での途中、かつて10代の頃、強引に一度だけ契った年上の人妻・空蝉に逢坂の関で再会するという場面が出てきます。その後文を交わす仲にはなるんですね。書き始めるととんでもなく長くなるのでここまでにしますが。

光源氏が辿った旅程もそうなんですが、都から逢坂の関を越えてしばらく行くと「浜は」の段に出てきた「打出の浜」に出ます。ここから船旅で湖岸沿いに南下し、「野は」で出てきた「粟津野」の沖を過ぎて、さらに瀬田川を南に下って石山寺に至る、というのがポピュラーだったようですね。


粉河寺は、和歌山県紀の川市にあります。紀ノ川の北岸にありまして、約3万坪の広い境内があります。東京ドームで2個分。これ、広いんですか? 明治神宮は22万坪(東京ドーム15個分)ですからね。比較対象が悪かったようです。知恩院が7万坪超、清水寺は約4万坪です。そんなに広くないですね粉河寺。やや広。
病気平癒などに霊験がある観音霊場として当時から有名だったらしい。そういうの、平安貴族とかは好きだったのでしょう。本尊の千手観音像は絶対の秘仏だそうです。


志賀寺は、近江の志賀にあったからそう呼ばれていたのでしょうね。「志賀山寺」または「志賀寺」と呼ばれていた、正式名称・崇福寺というお寺です。比叡山の南麓にあります。天智天皇の命により大津宮の北西の山中に建立された、というのが起源だそうですが、今は跡しかありません。
創建時から続いていた天皇による崇敬は、平安時代になってもやはりあったようですね。帝や貴族たちはここを参詣したようです。ただ、平安時代の終わりに、山門(延暦寺)派、寺門(三井寺)派の対立に巻き込まれ衰微してしまいました。

何それー?と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、焼き討ちとかもあって酷かったみたいですよ。元々は仏教思想の違いだったのですが、武力闘争にまでなってきます。政治とかそういうのも絡んでややこしいんですね。で、「徒然草」の「第86段 惟継中納言は」という段にも、その一端が出てきました。焼き討ちにあった三井寺のお坊さんのお話しです。


毎度、話がそれますが、清少納言の頃に流行ってた「今、詣でたいお寺はココ!」的な段です。と言っても、「るるぶ」や「じゃらん」だとちゃんとテキストと写真とマップが載ってるはずなんですが、枕草子は名前だけです。もうちょっと何とかなりませんか? 手抜きじゃないですか?


【原文】

 寺は 壺坂。笠置(かさぎ)。法輪(ほふりん)。霊山(りやうぜん)は釈迦仏の御住処(すみか)なるがあはれなるなり。石山。粉河(こかは)。志賀。

 

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森は

 森は…。うえ木の森。石田(いわた)の森。木枯の森。うたた寝の森。岩瀬の森。大荒木(おおあらき)の森。たれその森。くるべきの森。立聞(たちぎき)の森。

 横竪(よこたて)の森っていうのが、耳に残ってるのが不思議だわ。森なんて言えるものでもなくって、ただ木が一本あるだけなのに、なんで森って名付けたんでしょ?


----------訳者の戯言---------

実は「森は」という段は前にもありました。
清少納言、忘れているようですね。フフフ。まあ、ありそうなことです。私も前に書いた記事のことよく忘れてますしね。人と話しても「それ、前、聞いたよ」みたいなことはよくあるでしょう。

なので、その時書いたものの繰り返し(コピペ)もやりますが、ご容赦ください。


「うへ木の森」は、前の「森は」にも出てきました。ただ、どこのどういう森なのかはわかりません。旧かなの「うへ」ですから、漢字で書くと、「上木」なのでしょうが、全くです。たぶん、名前が「ハイクラスな木」の森なので好ましいと思ったんでしょうね。高い身分大好き!清少納言だけに、ありそうです。


「石田(いわた)の森」は、京都市伏見区石田森西町に鎮座する天穂日命神社(あめのほひのみことじんじゃ)の杜(もり)です。万葉集の歌にも登場したりするらしい。京都地下鉄の東西線に石田(いしだ)という駅がありますが、その辺のようですね。
現在は「いしだ」と言われるこの地域ですが、古代は「いわた」と呼ばれ,大和と近江を結ぶ街道が通っているところでした。

石田小野=岩田の小野 という歌枕も、昔の歌によく見られます。伏見区石田(いしだ)から日野にかけての地をこう呼ぶらしいんですが、小野というのはもう少しJR山科駅寄りになります。小野―石田―日野のトライアングル、これが、山科と宇治の間に位置するエリアとなっています。


「木枯の森」があるのは静岡県静岡市葵区静岡市の大河川である安倍川の支流、藁科川の中州に位置しています。直径はわずか100mという小さな森。森の頂上には八幡神社が祀られています。


「うたたねの森」は漢字で「転寝の森」です。福島県白河市にあります。
江戸時代の書物「白河風土記」(広瀬蒙斎・編)によると、源義家陸奥に下った際、林の下でうたた寝をしたことからこの名がついた、と伝わっています。とのことですが、なわけねー。源義家は1038年の生まれです。ウソはいかんよ、広瀬蒙斎! しかも蒙斎って名前が大層過ぎだしー。


「岩瀬の森」は、前の「森は ver.1」にも「存在自体がよくわかってない」と書きましたが、少しく詳しく書いてみます。
まず、今の奈良県生駒郡斑鳩町龍田付近にあった森という説があります。が、三郷町龍田大社に近いところだとも言われています。どっちやねん! はっきりとはしていません。現在、実物として、コレ!とあるのは三郷町のほうで、JR三郷という駅の近くのようです。が、これまた実は移転されたものだそうで、元々は現在地よりもう少し北東の関屋川沿い、龍田大社に近いところにあったらしいです。

神奈備の 岩瀬の杜の 喚子鳥(よぶこどり) いたくな鳴きそ 吾が恋まさる
神奈備の岩瀬の森の喚子鳥よ、あまりひどく鳴かないで! 私があの人を恋しく思う心が増すばかりだから)

神奈備というのは「神のおはします」ということらしいですね。喚子鳥(よぶこどり)は、カッコウとか、ホトトギスとかのことだそうです。万葉集の中に入っている歌だそうですね。

で、この近くに竜田川というのがあります。前の段でも書きましたが、在原業平が詠んだ「ちはやふる 神代もきかず 龍田川 からくれなゐに 水くくるとは」の龍田川(竜田川)がこの辺りらしいですね。ただ、昔は、このエリアの大和川を龍田川と言ってたなどという説もあります。ま、諸説ありありなのはいつものことなんですが、そういう所です、岩瀬の森&龍田。そんな結論でいいのか?


「大荒木の森」と言うのは、「浮田の森」のことなんですね。
なんだそれ?と思われると思いますが、これも前の「森は(ver.1)」に出てきたのです。私も忘れかけてましたが、何か聞いたことあるよなーと思って、見返したら、ありました。結構、詳しく書いています、我ながらエライものです。
前回は「浮田の森」と紹介されていましたが、今回は「大荒木の森」です。

これも複数の説があります。奈良県五條市今井町荒木山の荒木神社の森とするのが一つ。好意を持つ女性への切ない思いを詠んだ歌が残っています。

かくしてやなおや守らむ大荒木の浮田の杜の標(しめ)にあらなくに
(こうやってやはり彼女を見守り続けていくんだろうか、浮田の杜の注連縄でもないのに)

で、もう一つは、京都市伏見区の淀にある与杼(よど)神社が当時あった辺りの森が「大荒木の森」と呼ばれてたそうで、平安時代以降、ここも「浮田の森」と思われてしまったと。したがって、清少納言がどちらのことを書いてるのかはわかりません。前回のが奈良で今回のが淀なのかもしれませんし、同じものを書いてるのかもしれません。


「たれその森」は、三重県伊賀市の市部というところにあります。伊賀上野と呼ばれているところですね。忍者の里。「たれその森」は忍者とは関係ないですけどね。漢字で「垂園森」ですが、これは後で当てた文字だと思われます。誰かしら?の森、ってことですが、何故そう名付けられたのかまではわかりません。


「くるべきの森」は「来るべき」の「森」なんでしょうね。調べてみましたがよくわかりませんでした。まあ、そういう森があったのでしょうけど…。おもしろいですか、それ?


「立聞(たちぎき)の森」も、前の「森は」に登場していました。どこにあったのかわかりません。
いかにも清少納言が好きそうな名前ですけどね。意味としては「物陰に立って、他人の話をこっそりと聞く」森、「盗み聞きする」森。変っちゃあ変ですが、これもおもしろいのかな??


ネーミングや語感とかで選んで書いてる感じですかね。何か気になる森。最後のほうは文句もつけてます。一本しか木が無いのになんで森なのよ!って。


で、あまりにも清少納言の「森は」がつまらなかったので、私が現代版「森は」を考えてみました。

森は
あつまれどうぶつの森。略して「あつ森」。子どもはもちろんですが、大人もハマります。まずニンテンドースイッチ本体欲しいですね。
ピアノの森一色まことの。一ノ瀬海、天才。NHKでやってたアニメも良かったですね。
ノルウェイの森。by村上春樹ノーベル文学賞とるとる詐欺ですか? いやいやそういうわけではないんですか。
西武の森。打ちすぎやねん。
井森。まだ誰のものでもありません。

もっとつまらなかったですね…。清少納言以下。


【原文】

 森は うへ木の森。石田(いはた)の森。木枯(こがらし)の森。うたた寝の森。岩瀬の森。大荒木(おほあらき)の森。たれその森。くるべきの森。立聞(たちぎき)の森。

 横竪(よこたて)の森といふが耳にとまるこそあやしけれ。森などいふべくもあらず、ただ一木あるを何事につけけむ。

 

新潮日本古典集成〈新装版〉 枕草子 上

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  • 発売日: 2017/09/29
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浦は

 浦は、大の浦。塩釜の浦。こりずまの浦。名高の浦。


----------訳者の戯言---------

「浦」って何ですか?と思って調べたところ、海や湖が陸地に入りこんだ所だとわかりました。つまりシンプルに言うと、「入り江」のことのようです。


大の浦の その長浜に 寄する波 ゆたけき君を 思ふこのころ
(大の浦の長々とした海岸に寄せる波みたいに、大らかな気持ちで、君のことを考えてるこのごろだよ)

「大の浦」。大之浦とも表記されたようです。この歌は聖武天皇の作だそうですね。平城京に都を置いた人です。この地は今の静岡県磐田市ですから、帝が行ってるわけもないんですが、地名は知っていたのかもしれません。歌枕ですからね。「浦」ですから、長い浜もないでしょうし。結構、適当です。大の浦なので、でっかい入り江だと思ったんでしょう。

たまたますぐ前の段でも出てきたのですが「君」と出てきました。天皇自身が相手のことを「君」と詠んでますから、誰か対象がいるはずです。自分のことを指しているのではないことは明白ですね。

こういう風に「大の浦」をイメージしながら、言葉を掛けていって、言いたいことを詠む、という和歌の手法です。ぶっちゃけ言うと、空想の世界でもあるんですが、そういうのも歌枕なんですよね。


塩竃(塩釜)の浦」は、つい先日「島は」にも出てきました。「籬(まがき)の島」というのがあったのが塩釜港ということでした。今もありますが。入り江が港になった場所と言えるでしょうね。「塩釜の 前に浮きたる 浮島の~」という歌もありました。陸奥の国、今の宮城県です。仙台から近いのでしょうか。まあ、良いところのようです。


「こりずまの浦」。
「しょうこりもなく」という意味の「懲りずまに」という副詞があります。語の成り立ちからすると、「こる(懲)」の打消「こりず」の連用形に接尾語「ま」が付き、さらに「に」が付いて連用修飾語になったもの、とされているのですね。どーだ。
で、「ずま」の部分に「須磨」が掛かって「須磨の浦」ですから…ということですね。昔の掛詞ですから許してやってくださいよ。ダジャレじゃん、とか言わないでね。
というわけで、かの「土佐日記」を書いた紀貫之の歌↓です。

風をいたみ くゆる煙の 立ちいでても 猶こりずまの うらぞこひしき
(風が激しいから、くすぶった煙が立ち上るみたいに、もやもやした思いでもどって来たけど、やっぱ懲りずにあなたのことを恋しく思うんだよね)

「人のむすめのもとに忍びつゝ通ひ侍りけるを親聞きつけていといたくいひければかへりてつかはしける」と詞書にあります。「風」は彼女の親のプレッシャーなのでしょう。

というわけで、「こりずまの浦」は、「須磨の浦」との掛詞になる場合が多い。というか、「懲りずに」「しょうこりもなく」的なことを和歌にする時には「こり須磨の浦!」とでも決まっているかのごとく使います、古代人たち。芸無いよね。
「須磨の浦」ってなんか感じいいしー。と思っているのかもしれません。清少納言もそのクチだと思います。都から割と近いですから、行ったことのある人も多いでしょうし、話にも聞いてたんでしょうね。

ただ、地図を見ると、そんなに凹んだ地形ではなく、入り江というほどではないような気がします。けど、昔は須磨の浦と言ったんですね。浜ではなく浦。根拠はよくわかりませんが。


「名高の浦」は、現在の和歌山県海南市にあるそうです。遠浅の海が広がっていたらしいですね。
名高の浦の波(波音?)が高いのと、名高という地名から、「名が高く」立つという意味も含めていろいろ歌が詠まれたようです。

紀伊の海の 名高の浦に 寄する波 音高きかも 逢はぬ子ゆゑに
紀伊国の海の、名高の浦に寄せる波のように、人の噂の声が高く聞こえるんだよなぁ、まだ逢ってもいないコなのに)

と、まだ会ってもない女性との噂が立ってしまったことを嘆いてます。詠んだ人は、そこそこの有名人なんでしょうか。当時もこういう憶測とか根も葉もない噂みたいなのがあったんでしょうね。現代の芸能ジャーナリズム並みです。
こういう歌↓もありました。

紫の 名高の浦の 真砂地(まなごつち) 袖のみ触れて 寝ずかなりなむ
(名高の浦の細かい砂地には、袖が触れるだけで、寝ることもなく終わってしまうのかな)

「紫の」はよく出てくる紫。紫色ですね。これまでにも何度もしつこく書いてますが、高貴な色、特別な色です。そんな、当時の人々にとっては「名高い色」でもあるため「紫の」は「名高」の枕詞になっているんですね。
さらに、真砂(まなご)には同音の愛子(まなご)が掛かっています。
なかなか技巧的でもあるおもしろい歌だと思いました。
「あしひきの 山鳥の尾の しだり尾の~」とか「ちはやふる 神代もきかず~」とか、私こういうの好きで、先の「紀伊の海の 名高の浦に~」もだし、この「紫の~」の歌もそうしたテクニカルな部類に属する歌だと思います。

名高の浦の砂と愛する娘の両方を掛け、その子に対する淡い思いを吐露した歌。言葉を交わすだけでベッドインすることはないだろう関係を勝手に予測しては、ヘコんでいる草食系男子? もしかしたら、家格差とかの問題があるのかもしれないし、片思いだとわかりきっているのかもしれない、いずれにしても切ない歌です。技巧的でありながらも、心情もしっかり描かれています。


というわけで「浦」。ま、歌枕からのピックアップですからね。言葉遊びです。和歌に使ったら、なんか聞いた感じいいよねー、という浦です。
そろそろ飽きてきました「〇〇特集」。けど、ちょっと先をちらちらっと見ると、こういう段がまだまだしばらく続きそうです。ぼちぼちやりたいと思います。


【原文】

 浦は おほの浦。塩竈の浦。こりずまの浦。名高の浦。

 

まんがで読む 枕草子 (学研まんが日本の古典)

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  • 発売日: 2015/03/17
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浜は

 浜は。有度浜。長浜。吹上(ふきあげ)の浜。打出(うちいで)の浜。もろよせの浜。千里(ちさと)の浜は、広いんだろうな、って思われるわ。


----------訳者の戯言---------

「有度浜(うどはま)」は、静岡県静岡市駿河湾に面している海岸だとか。有度山という山の南麓に沿って延びているらしく、ここも歌枕なのだそうです。現在はメジャーな海岸ではないようですね。あまりぱっとしない感じの浜です。


「長浜」は超有名です。滋賀県の長浜ですが、今で言う奥琵琶湖、風光明媚なところでもあり、羽柴秀吉、後の豊臣秀吉がここに築城しました。と思っていたら、長浜という名前になったのは意外と新しく、秀吉が付けた地名とか。え? ここじゃないんですか??

で、調べているとこんな歌がありました。
 
君が代は かぎりもあらじ 長浜の 真砂の数は よみつくすとも
(わが君の御世は限りなく長く続くでしょうね、長浜の砂の数はたとえ読み尽くすことができたとしても)

国歌「君が代」と同じような意味ですね。

国歌では、「君」というのが、天皇のことを指すのではないか、それどーよといった議論になるんですよね。古歌ではもちろん、君=帝の場合が多いのですが、それ以外に「君」を敬意や親愛の対象とすることもあったようです。偉いお坊さんとか、愛する家族とか。で、現在の一般的な解釈としては国の象徴であって、国民統合の象徴である天皇を「君」として、この日本という国が末永く繁栄することを願う、的な解釈となっているようですね。合ってますか? ちょっと観念的過ぎて、私にはよくわからないです。っていうか、ここまで来ると言い訳みたいにしか聞こえないですね。歌の解釈なんか、人それぞれでいいやん、と思ってしまいます、めんどくせーよ。

よく言われるのに、岩が小石になるのであって、小石は岩になりませんよー、みたいのもあるじゃないですか。科学的根拠とか。それ言い出すと、今度は「石灰質角礫岩」とかって、石灰石が雨水で…とか科学的根拠あるしーみたいな反論もあったりして。人と人が力を合わせて…みたいなヒューマンな教育的な方向に話を持って行ったりね。これももう、どうでもいいしーと思います。リリックなんですから、もっとシンプルに、感覚的に捉えていんじゃね?とか思いますよ、ほんと。

で、元の「長浜」のほうです。
9世紀頃、光孝天皇に向けて誰かが詠んだ歌で、伊勢の国の歌だということは書かれているそうですね、何かの文献に。どこまでも果てしなく続くかと思われるほど長い浜です(たぶん)。で、どこの浜やねん!という話ですが、それは具体的にはわかりませんでした。Googleで「伊勢 長浜」と入力して検索したところ、NAVITIMEの「長浜から伊勢市への乗り換え案内」が出てきますからね。長浜はもちろん滋賀の長浜です。新幹線使ったら2時間半くらいで行けます。在来線だと4時間ぐらいですね。金額は倍くらい違いました。全然関係ないですね。それぐらい、伊勢に「長浜」というものは無い、っていうことです。


「吹上の浜」です。

常住(よととも)に 吹上の浜の しほかぜに なびく真砂の くだけてぞ思ふ 
(世を経て、海から吹き上げられてきた、その吹上の浜の潮風になびいて飛ぶ真砂みたいに心がクラッシュするくらいあの人を恋しく思うんだよ)

この歌は藤原定家のです。清少納言よりは後の人ですが、「吹上の浜」は古来よりよく詠まれているようですね。今の和歌山市紀伊水道側の海岸にあった砂浜だそうです。砂丘みたいな白砂の浜だったらしいですね。


「打出(うちいで)の浜」も歌枕です。
滋賀県大津市松本町のあたりの琵琶湖岸だそうです。芦屋市の打出ではないんですね。打出の小槌の打出はこの芦屋のほうなんですが。琵琶湖のほうは当時は景勝地だったのでしょう。今は埋め立てられて、公共の施設とかがあるようです。琵琶湖でも、長浜ではなく、ここなんですね。


「もろよせの浜」です。漢字で「諸寄」と書きます。兵庫県新温泉町諸寄というところで、城崎温泉からさらに西、カニで有名な香住よりもっと西、ほとんど鳥取県に近いところに諸寄海水浴場というのがあります。
諸寄を流れる大栃川の上流は、花崗岩質のため、諸寄の浜はすばらしく白く、雪のようだったとかで「雪の白浜」とも呼ばれたそうです。
画像で見ると、なかなか美しい海岸の景色を呈しています。


「千里(ちさと)の浜」は、和歌山県日高郡みなべ町にある海岸です。長さ1.3kmの美しい砂浜。熊野古道のなかでは、唯一白砂の浜を歩くところでもあります。白砂清松の浜だったようですが、名称としては今は千里(せんり)の浜と呼ばれてるようですね。千里というくらいですから、長いですし、広々とした感じだったんでしょう。まあ、ものの例えだとはわかっていますが、それでも千里は言い過ぎです。昔はどうか知りませんが、たった1.3kmですからね。


というわけで、この段も、いろいろなよさげな浜をピックアップ&カウントダウン?です。
当時の景色を残しているところ、そうでないところ、いろいろあるようですね。私は清少納言の「浜」には入っていませんが、個人的には滋賀県の琵琶湖のところの長浜に行きたいですね。豊臣秀吉の城下町の。竹生島とかいいんじゃないですか。他の浜は、まあ、別にいいです。


【原文】

 浜は うど浜。長浜。吹上(ふきあげ)の浜。打出(うちいで)の浜。もろよせの浜。千里(ちさと)の浜。広う思ひやらる。

 

枕草子 いとめでたし!

枕草子 いとめでたし!

 

 

島は

 島っていうと…。八十島(やそしま)。浮島。たはれ島。絵島。松が浦島。豊浦(とよら)の島。籬(まがき)の島。


----------訳者の戯言---------

ちょっとめんどくさいやつです。時々ありますね、「いかしてる〇〇特集!!」みたいな段。
今回は「いかした島」です。今もあるのかどうかもわからない島。清少納言自身行ったこともないかもしれない島とかですよ。だいたい、名前だけで判断して優劣とかつけてますからね、詠われた和歌の印象とか。
短いのは良いんですけど、調べることが多すぎるので、結果的にものすごーく手間暇がかかります。愚痴ですね、すみません。


十島という島は、今は見当たりません。当時あったのかも調べましたが、よくわからないんです。出羽の国(現在の山形県秋田県の大部分をさす国名)に八十島という歌枕があったっていうんですね。一説には八津島とも言われていますが、それも定かではありません。陸奥の歌枕と書かれた書物もあるようですしね。

ちなみに出羽の国の象潟という海岸沿いの場所で、西行という聞いたことのあるようなお坊さんが詠んだというのが、この歌↓です。

あはれいかに ゆたかに月を ながむらむ 八十島めぐる あまの釣舟

訳としては「ああ!どんなにゆったりと月を眺めているんだろうね、八十島をめぐる海人の釣舟では」ですが、「八十島」を特定の島と考えるより、むしろ、八十島=「たくさんの島」とする解釈のほうがポピュラーな感じですね。

ちなみに西行という人は、平安末期の人で、平清盛とかとだいたい同年代の人だそうです。元々は武士でした。源頼朝とも接点があったらしいですね。枕草子の時代よりは100年以上後ですから、清少納言は全然知らない知らない人です。

わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと 人には告げよ 海人(あま)の釣り舟
(大海原に、たくさんの島々を目指して漕ぎ出して行ったよって、人々には告げてよ、漁師の釣り船よ)

という歌が百人一首にあります。小野篁(おののたかむら)という人の歌です。才能のあった人らしいですが、奇人というか、自由気ままだったらしく、奇行が多くて、遣唐副使にも任じられたらしいですが、大使の藤原常嗣とケンカして、嵯峨上皇の怒りにふれて隠岐島流しとなりました。後で許されて、戻ってきて参議にまでなるんですけどね。
で、その島流しの時に詠んだ歌がこれ↑でした。

別の話なんですが、「八十島祭」という天皇の即位儀礼もあったようです。難波津で行われたらしいですが、今はありません。難波津ですから、今の大阪です。「八十島」がこれに由来するのかとも考えました。
この場合の「八十島」というのは、日本の国土=大八洲を指すとされているようです。八じゃなくて八十になってますが?
細かいこと言うなって?スミマセン。いやいやいやいや10倍やん! 細かないやん! 

大八洲というのは、イコール「日本」のことでもあったというわけですね。「古事記」では、イザナミノミコトが生まれた淡路(島)、伊予(四国)、隠岐、筑紫 (九州) 、壱岐対馬佐渡大倭豊秋津島 (本州)の8つの島から成っていたそうです。北海道や奄美大島、沖縄なんかは含まれてないんですね。

とすると、八十島は、当時の日本全体のことですか。また大きいところいきましたねー。「あなた、どこに住んでるの?」って聞かれて「地球!」って言うぐらいスケールでかいです。

いろいろ調べているうちにとっ散らかってしまいましたが、清少納言が書いてる「八十島」っていったい何? いったいどこ?
彼女的に言うと、答えは「八十島なんて行ったことないけど、歌枕になってて何か感じいいしー」ということなのでしょう。えーかげんにしとけよ。


浮島というのは、ウィキペディアで調べると「池沼で水草などの植物の遺骸が積み重なり泥炭化して、水面に浮いているものをいう」とありました。それなのでしょうか? 固有名詞ではないということですか。と思い、これも調べました。

否、これは、陸奥国にありました。宮城県多賀城市にある小さな山で、平地にそこだけ突然浮き上がってる感じに見えますから、「浮島」となったようです。島ではありません。

陸奥は 世を浮島も ありと云ふを 関こゆるぎの 急がざらなん(小野小町
陸奥の国には、この世を浮き浮きさせる所=浮島があるっていうから、そんなにこゆるぎの関を越えるのを急がないでほしいわ…もう少し私のそばにいて…)

塩釜の 前に浮きたる 浮島の 浮きて思ひの ある世なりけり(山口女王 やまぐちのおおきみ)
(塩釜の浦の前の方に浮ぶ浮島みたいに、浮ついてて不安定な仲の私たちなのですね…)

塩釜というのは宮城県塩竃市にある塩釜港あたり。浮島は、少し内陸に入ったところ、先にも書いたとおり塩竃市に隣接する多賀城市にあります。
不安定な、ふわふわっとした、浮ついたことを連想させるのが浮島なんでしょうかね。山口大王(やまぐちのおおきみ)は大伴家持の恋人の一人とされていた人で、晩年この出羽国にいたらしいです。小野小町は現地にいたことは確認されていないようですし、歌の内容からして都で詠んだ感じがしますね。

浮島の 松の緑を 見渡せば ちとせの春ぞ 霞そめける
(浮島の松の緑を見渡したら、幾多の年月の春を経てきた霞が心に染み入ってきたんだよねー)

清原元輔の歌です。清少納言の父もこの辺りの歌をいくつも残しているんですね。父から聞いていたのか?

というわけで、浮島は本物の島ではありません。やはり清少納言、たぶん行ってないと思います。結局は想像でしかありません。これも言葉の感じでベスト7に入れてる感じですね。信用してはいけません。エッセイストならフィールドワークも大事ですよ。


たはれ島。「風流島」と書いて「たはれ島(たわれ島)」と読むそうですね。この島については比較的わかりやすかったです。
実体は熊本県島原湾にある、これも島というよりも岩礁です。平安時代にこの岩礁が都の貴族に知られていたというのも不思議なんですが、国司とかが熊本へ海路から赴任する時に、有明海から緑川河口を通って行ったらしくて、緑川河口に浮かぶこの「たわれ島」が目印になっていたようなんですね。で、歌枕になったようです。


ゑ島(絵島)というのは、淡路島にあるということがわかりました。岩屋港というところにあるようですが、島というよりも、これも岩です。歌枕で、月の名所らしいですね。何故かはわかりません。月はどこでも見ることができますしね。が、淡路島のここなんですよ。明石海峡大橋から淡路島方面に向かうと、左前方遠くに見えるところです。


「松が浦島」というのは、あの松島のことらしいです。松尾芭蕉が「松島や ああ松島や 松島や」と詠んだと言われてるあの松島です。ダサい句。プレバトの先生に罵倒されるレベル、才能ナシ!!です。ていうか、季語ないし。ま、松尾芭蕉は、この句詠んでないんですけどね。デマというかウソです。「奥の細道」にそんな句はありません。芭蕉ぐらいになるとdisられるんですよ、あることないことで。
さておき、「松が浦島」も歌枕には違いないです。絶景ですからね。

ただ。「松島」が島なのか?というと、違うと思います。「松島」という単独の島はありませんし。松島湾内外の諸島、それと、そもそもその松島湾全体のエリアっていうか、シーンっていうか、それを「松島」っていうんですね。


豊浦(とゆら)の島。無いんですよね、探しても。歌枕だとすれば、それらしいのが、豊浦という所です。豊浦宮(とよらのみや)という、古代、推古女帝が即位した宮殿なのですが、奈良県明日香村にあったところですから、これは島ではないです。ていうか、奈良の明日香って思いっきり内陸部ではないですか。

で、落胆しつついろいろ検索しておりますと、今の山口県下関市に豊浦という地名があることがわかりました。他にも北海道虻田郡新潟県新発田市というところにも豊浦という地名が見られましたが、歴史的には浅く、この下関の豊浦が、最も合致していると推測できます。

相当古いようで、神話の人?っていう仲哀天皇(14代天皇)がこの地に豊浦宮というのを興したらしいと言います。実在したのかどうかは分かりませんけど、西暦190~200年ぐらいの頃らしいです。
下関市の豊浦町。画像とかを見ると、川棚温泉というのがあって、島々を望む穏やかな海、緩やかな山に囲まれるようなすばらしいところです。余談ですが、種田山頭火はここをすごく気に入ってたらしいです。あの山頭火がですよ。

豊浦町の沖合に男島女島、竜宮島、石島の島々があるんですが、これを総称して厚島というらしいです。松島といっしょで、エリア全体を表してるようですね。
つまり、厚島=「豊浦」の「島」というのが私の推察です。


まがきの島。漢字では籬の島です。「竹かんむり」に「離れる」です。こんな字、見たことないですね。意味は、竹や柴などで目を粗く編んだ垣根です。「ませ」「ませがき」とも言われるものです。
今は「籬島」「曲木島」「籬が島」などと呼ばれているそうです。宮城県塩竈市塩釜港内の海岸近くにある小島です。木は生えていますが、小さい岩礁です。


以上、「清少納言が選ぶ☆いかしてる島ベスト7」でした。

もちろん、地名としての歌枕というものは、観念上のものであり、実際の景色を見ていたかどうかは、歌を詠む上でさほど問題ではありません。
しかし、であるとすれば、あえてそれをなぞるだけでなく、私が先にも書いたようにフィールドワークをもって、その本質に言及することこそ、清少納言の著すべき創作であり、稀代のエッセイストと称される彼女の真骨頂だと思うのですが、いかがでしょう。だからこそ、すでに定番化された歌枕をただ書き並べるだけでは、何の問題提起も批評性も感じられず、芸が無いと言わざるをえないのです。

お、なんか真面目な論評となりましたね、我ながら。結局disってますが、たまには批評家っぽくて、こういうのもいいでしょう。今回、これを読んで、特に行きたいなーと思ったのは、下関の豊浦ですね。他のところは、まあ、別にいいです。


【原文】

 島は 八十島(やそしま)。浮島。たはれ島。ゑ島。松が浦島。豊浦(とよら)の島。まがきの島。