枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

好き好きしくてひとり住みする人の

 色好みで独身の男性が、夜はどこに行ってたんでしょ? 夜明け前に帰って来て、そのまま起きてるから、眠そうな感じに見えるんだけど、硯を手元に持ってきて、墨をていねいにすって、何となく筆の進むままテキトーにとかじゃなく、気持ちを込めて手紙を書いてる、リラックスしてる風な姿もいかした感じに思えるわ。
 白い着物を重ね着した上に、山吹や紅なんかの上着を着てるの。白い単衣のすごく縮んじゃったのを見つめながら、書き終えたら、前にいる女房には渡さないで、わざわざ立ち上がって、小舎童子か気心の知れてる随身なんかを近くに呼び寄せて、何か囁きながら手渡しして、出てった後も長いこと外を眺めて、お経なんかのそれなりにいい所どころを、ひっそりと何気に読経してたら、奥の方にお粥、手水なんかを用意してすすめられるもんだから、入って行くんだけど、文机に寄りかかって書物なんかを見てるのよね。面白いのかな?っていうところは、声を大きくして朗詠してるのも、すごく素敵なの。

 手を洗って、直衣だけを着て、経典の六の巻をそらで読むの、本当に尊く聞こえてたんだけど、近い所だったのかな? さっき遣わせた使者が戻ってきて、それっぽいことをちょっと伝えたら、ふと読むのをやめて、返事のほうに気持ちを持って行かれるの。仏罰が下るんじゃないかしらって。でもいい感じなのよね。


----------訳者の戯言---------

好き好きし。
物好きな、という意味でよく使いますね。
風流な~、っていう意味もあります。趣味人とか、センスのいい人のことを言う時に使うこともありました。
そして、好色だ、いかにも浮気っぽい、女好き、という感じを表現する時にも使います。所謂、色好み=プレイボーイを形容する場合にも使うんですね。フィクションで言うと光源氏、実在の人物なら在原業平とかでしょうか。

で、全部当てはめてみたんですが、この段の場合は文脈から考えると、「色好み」。恋愛体質で、多情な男性というのが当てはまるかと思います。渡部ではないですよ。あの人は病的でもあります。依存症に近いかもしれませんし、仮にそうであっても、そうでなかったとしても、結婚すべきではない人ですよね。

いずれにしても、この段の彼は独身ですし、1万円で片づけませんし、LINE消すように言ったりしませんよ。むしろ、彼女の家から朝帰りして、眠くても、今の心境とか昨夜の思い出とかを和歌にして、それを手紙に書いてすぐ使者に持たせて、さっきまでいた彼女の元に送ります。当時の男性っていうのは、こうするのが礼儀っていうか、普通みたいなところもあったんですね。平安男子、さすがです。LINE消させるどころか、真逆ですよね。
そもそも、恋多き男は、結婚したらダメなんですよ。この段の男性は、それもわかってるんでしょうね。渡部、読んでるか? 読んでませんね。大島さんは読んでるかな?

で、彼女のところに遣わされた人。
小舎人童。貴人の雑用係の少年のことだそうです。
もしくは、随身=警護係です。今で言うSPとかボディガードですね、ざっくりと言うと。皇族貴族の外出時に警護のために随従した近衛府の官人ですから、公務員です。ただ、担当は決まっていたようですから、主従関係みたいなのはあったでしょうね。
木村拓哉のドラマ「BG~身辺警護人~」がコロナ明けでようやくスタートしましたけど、前のシリーズで江口洋介がやってたほうですね。警察、つまり公務員のほうがが基本SP=随身です。ですが、近衛府に属さないスタッフを個人が雇うこともあったようで、そうなるとこっちはBG、キムタクのやってる民間の警備会社のボディガード(BG)的なものになります。

金太郎っていますよね。童話というか伝説と言うか、auのCMにも出てくる、あの金太郎なんですけど、そのモデルになった人がいるらしいんですが、下毛野公時(しもつけののきんとき)と言います。平安時代中期の官人で、源頼光の家臣、後、藤原道長随身だった人なのだそうですね。余談でした。

「六の巻」というのは、結局、何の六巻なのかよくわかりませんでした。ググっても六巻以上ある本が多すぎて。そりゃ当たり前ですね。けど、よく読んでみると、読むのやめたら仏罰が下るっていうじゃないですか、で、お経だと思ったんですがいかがでしょうか。
しかしお経と言ってもね、「般若心経」「法華経」「維摩経」等々たくさんの経典があります。結局どれかよくわかりません。仏様の教えは同じなんですが、切り口というか、その教えの伝え方が違うんですね。今や日本国内にあるお経だけでも8万種類、と言われているほどなんだそうですよ。
ただ、ここではたぶん「般若心経」「法華経」「維摩経」「勝鬘経」のどれかではないかと思います、勘で。メジャーっぽいですからね。

「うちけしきばむ」というのも難解な語です。「うち」はよく見かけます、接頭語で、意味を強める感じで使うことが多いですけど、これも文脈から察する必要があります。「ちょっと」のときもあるし、「めちゃくちゃ」のときもあるし、「すっかり」みたいな時もあります。程度とかスピード感に差があるので要注意ですね。
「気色ばむ」は「怒った感じを現す、ムッとする」「意味ありげな態度を見せる」「それっぽい感じを現す」とかです。

恋多き男子で、結婚してない人の話です。「一人住みする人」とありますが、使用人はたくさんいるようですから、純粋な一人暮らしではないんですね。そこそこ高い身分の人なのでしょう。
やはり、例によって女性のところに通うんですが、朝帰って来たら、心を込めて、その余韻をしたためた手紙を送るんですね。まず、そういうのをテキトーにやらないのがいいんでしょう、清少納言的には。で、女性からその返事が来たら、読経そっちのけにして仏罰が下るかもしれないのに、返事のほうに気を奪われるところがまたいかしてる、と。やっぱりこれぐらい女性に気持ちのある男ってステキね、という段です。

まあ、言ってることわかります。方々に女性がいる「色好み男」なんですが、それはOKなんですね。別に一途である必要はないんですか。ジェラシーとかはどうですか。そうですか。むしろ重要なのは、それぞれの女性に心を尽くすことなんですかね。
源氏物語とか、まさにそんな感じですけど、女性の方の嫉妬みたいなものは描かれていたような気もしますし。ただ、この人一筋とか、あなただけ、とかっていうメンタリティは、今に比べると少し希薄だったのかもしれません。


【原文】

 好き好きしくて一人住みする人の、夜はいづくにかありつらむ、暁に帰りて、やがて起きたる、ねぶたげなるけしきなれど、硯取りよせて墨こまやかにおしすりて、ことなしびに筆に任せてなどはあらず、心とどめて書く、まひろげ姿もをかしう見ゆ。

 白き衣どもの上に、山吹、紅などぞ着たる。白き単衣(ひとへ)のいたうしぼみたるを、うちまもりつつ書きはてて、前なる人にも取らせず、わざと立ちて、小舎人童、つきづきしき随身など近う呼び寄せて、ささめき取らせて、往ぬる後も久しうながめて、経などのさるべき所々、忍びやかに口ずさびに読みゐたるに、奥の方に御粥、手水(てうず)などしてそそのかせば、あゆみ入りても、文机(ふづくゑ)におしかかりて書(ふみ)などをぞ見る。おもしろかりける所は高ううち誦じたるも、いとをかし。

 手洗ひて、直衣ばかりうち着て、六の巻そらに読む、まことにたふときほどに、近き所なるべし、ありつる使、うちけしきばめば、ふと読みさして、返りごとに心移すこそ、罪得らむとをかしけれ。

 

枕草子 上 (ちくま学芸文庫)

枕草子 上 (ちくま学芸文庫)

 

 

八月ばかりに

 八月の頃、白い単衣の柔らかい着物に良質な袴をはいて、紫苑色ですごく上品なのを羽織ってるんだけど、胸をひどく患ってるものだから、友達の女房たちが次々にやってきてお見舞いをして、外の方にも若々しい貴公子たちがたくさんやって来て「すごくお辛そうですね。いつもこうしてお苦しみになってるんですか?」なんて、何気に言う人もいたりするの。
 でも、想いを寄せてる人が、本当にかわいそうにって思って嘆いてる様子っていうのは、すごく素敵だわ。とてもきれいな長い髪を結んで、吐きそう…って起き上がった様子もかわいい感じね。

 帝も彼女の病気についてお聞きになり、読経する僧の中から声のいい人を選んでお遣わしになったから、几帳を引き寄せて、その向こうに僧侶を座らせたの。でもそれほどでもない狭さの部屋だから、お見舞いの客がたくさん来て、お経を聞いてる姿なんかも隠しようがないから、周囲に目を配りながら読経してるっていうのは、仏罰を受けるんじゃないかしら?って思えるの。


----------訳者の戯言---------

紫苑(しおん)というのは、キク科シオン科の植物です。薄紫色の菊のような花を咲させます。可憐できれいな花です。その花の色、薄い青紫が「紫苑色」ということですね。
もちろん、染色は紫苑の花を使うわけではないようです。紫系の色は前にも書きましたが、高貴さ、気品、優雅さ、なまめかしさetc.憧れの色として、平安時代の王朝貴族たちにとっても特別な色でした。古代から最高の色だったらしいですね。それは紫色が最も手に入りにくい色だったから、という理由もあるようです。と、紫色については「宮にはじめて参りたるころ⑦ ~ひとところだにあるに~」に詳しく書きましたので再読いただければと思います。

「いとほし」というのは、一般には現代語でいう「かわいい」とされている語ですが、元々は「気の毒」「かわいそう」という意味合いがあるです。弱い者、弱ってる者を見て辛い感情とか、困った、という感じです。同情?が愛情に変わる感じでしょうか。

「うつくし」っていうのはもっと、可憐な様子を表します。庇護したい感じもあるようですね。ただ、人以外、つまりモノとかにも使います。
「らうたし」は、さらにもっと守りたい意識が強い感じで、原則、人に対して使われるようです。幼児とかでしょうか。ただ、「らうたげ」は、虫や花に使われてるのを見たことがあります。

胸を患って苦しんでる一人の女房。いろいろな人がお見舞いに来ますが、社交辞令的に、たいへんですね、かわいそうに、ずっとですか…的なこと言う人たちもいるんですね。ただ、本気で惚れてる彼氏は違いますよ、と。真剣にいたわってる、その雰囲気はわかるんですかね、清少納言でも。

病気を聞きつけた帝は、いい声で読経するお坊さんを遣わせてくれます。病気退散の読経をしろと。科学的根拠はないんですけどね。ですから、いっぱい見舞客がいて、少々よそ見とかしても、どっちでもいいですよ、と私は思います。それで治りはしませんからね。仏様もそれで治るとはお考えではないと思いますよ。むしろ、目的は心の平穏です。
狭い部屋に見舞客多いのは不可抗力で、気が散るのも仕方ないですしね。それほど仏罰もないんじゃないでしょうか。

というわけで、なんか、病気関連の段が続いてますね。
大丈夫ですか、清少納言。と思い、次の段をちらっと見たら、病気ネタではありませんでした。病気の段?はこの3つ連続でとりあえず完了ということでしょうか。


【原文】

 八月ばかりに、白き単衣なよらかなるに、袴よきほどにて、紫苑の衣のいとあてやかなるを引きかけて、胸をいみじう病めば、友達の女房など、数々(かずかず)来つつとぶらひ、外(と)のかたにも若やかなる君達あまた来て、「いといとほしきわざかな。例もかうや悩み給ふ」など、ことなしびにいふもあり。

 心かけたる人はまことにいとほしと思ひ嘆きたるこそをかしけれ。いとうるはしう長き髪を引き結ひて、ものつくとて起きあがりたるけしきもらうたげなり。

 上にもきこしめして、御読経の僧の声よきたまはせたれば、几帳引きよせてすゑたり。ほどもなきせばさなれば、とぶらひ人あまた来て、経聞きなどするも隠れなきに、目をくばりて読みゐたるこそ、罪や得(う)らむとおぼゆれ。

 

枕草子 ストーリーで楽しむ日本の古典

枕草子 ストーリーで楽しむ日本の古典

 

 

十八九ばかりの人の

 18、9歳ぐらいの人で、髪がすごくキレイで背丈くらいあって、裾はすごくふさふさしてて、とてもよく太ってて、めっちゃ色白で、顔がかわいくて、素敵って見える女子が、歯をひどく患って、額の髪も涙でびっしょり泣き濡らし、髪が乱れて顔にかかってるのも気づかずに、顔もすごく赤くして押さえて座ってるのが、とてもチャーミングなの。


----------訳者の戯言---------

髪が背丈ほど、って書かれてます、今回の美女。で、ネットで調べていたら、世界一長い髪の10代女性が日本にいたそうで。ギネスですけど、去年ぐらいまで。というのも、その人は去年髪を切って、医療用かつらをつくるために、と、寄付したらしいですね。これ、「ヘアドネーション」っていうそうです。
というのは余談なんですが、その人の髪の長さが155cmだったと。これで世界一ですからね。この段では、身の丈ぐらいと書いてますから、世界最長レベルです。当時の成人女性の平均身長は140cmぐらいですから、もう少し短いとしても、相当長いですよね。

髪の毛の長さについての科学的根拠については、「昔おぼえて不用なるもの」に詳しく書きました。ご参照ください。

髪が長くて綺麗、というのは「うらやましげなるもの③ ~女児も、男児も~」にありました。
黒髪が長くて、さらさらで、つやつやしているのがいい、ここにも書かれているとおり、毛量が多くボリューミーなことも賞賛の対象になっていますから、美人の条件であったというのは、これまで枕草子を読んだ中でもわかります。

とてもよく太ってる、と書いてます。原文では「いとよう肥えて」ですから、ぽっちゃり、どころではない感じもします。ぽっちゃりな中でも、さらに結構太ってるイメージでしょうか。ま、当時は全般的に栄養状態がよくなかったですから、貴族の子女ぐらいでないと、ぽちゃぽちゃに太れなかったんでしょう。子どもを産むことも大切なことでしたから、そういう意味でも太っていることは魅力だった、ということかもしれません。ただ、背は低い、小柄なほうがよかったみたいです。

色が白いというのもポイントが高いようですね。これは今もかもしれませんが、肌のキメが細かくて色白っていうのが美人の条件だったというのは、わかるような気がします。これも、野外で仕事なんかしないいいお家の子女だからと、当時の階層意識の高さなんかも関係しているかもしれません。
まとめると、色白の低身長のぽっちゃり体型がベスト、という感じかと思います。

しかし、平安時代の美人女性というのは、どんな感じだったのか? これ、難しいんですね。
ここでも「顔愛敬づき」とありまして、しかし「愛嬌づいた顔」がどんな顔なのか、さっぱりわかりませんからね。今だったら、石原さとみ佐々木希の顔とか、ガッキーがいい、北川景子!とか、テレビやネットありますから、わかりますけど。絵ですからね。客観データ皆無ですから、当時と共有できないんですよ。

が、調べてみたところ、おおむね、平安時代には目は切れ長で一重がよかったらしいです、二重でパッチリよりも。鼻とか口は小さめ。鼻筋は通ってるほうがよかったみたいですね。顔は頬っぺたがふっくらとしてて、しもぶくれ、所謂おたふく顔がよかったらしいです。
とはいえ、当時の高貴な女性はおしろいをめちゃくちゃ塗ってましたから、顔の細かなつくりがそれほど重要だったのか?という疑問もありますよね。

男性から恋愛対象として見る場合も、御簾越しに垣間見る程度、夜は今のように電灯が煌煌と灯っているわけではないし、まったく顔を見ないまま結ばれることもあったらしい、ということで、それほど顔がいいということが重要なことだったのか?とさえ思います。

で、思い出されるのは「源氏物語」で出てくる不美人の代表例、末摘花という女性です。座高が高くて、やせ細ってて顔は青白く、そして鼻が大きい、という感じで描かれていますが、たしかに私が上に書いた、美人の条件、「色白の低身長のぽっちゃり体型、顔もふっくら大きく、でも造作は小さめ」とは対極にあると言っていいでしょう。

で、額に髪がかかってて、泣き濡れて、元は色白だったんでしょうけど、赤く上気した顔でいるというのが、良い感じに見えた、チャーミングでしたと。
ぽっちゃり美女が痛みを耐えている姿。心動かされるといえば、そうかもしれませんが、清少納言も女子ながら、なかなかマニアックというか、シュールというか、もしくはサディスティックというか、そういう段でした。


【原文】

 十八九ばかりの人の、髪いとうるはしくて丈ばかりに、裾いとふさやかなる、いとよう肥えて、いみじう色白う、顔愛敬づき、よしと見ゆるが、歯をいみじう病みて、額髪もしとどに泣きぬらし、乱れかかるも知らず、面(おもて)もいと赤くて、おさへてゐたるこそをかしけれ。

 

枕草子 いとめでたし!

枕草子 いとめでたし!

 

 

病は

 病気は、胸の病。物の怪。脚気。それから、ただなんとなく食欲がない気分。


----------訳者の戯言---------

だいたい枕草子で、こういう風に「〇〇は」と書きだした場合は、いい感じのもの、「をかし」的なものを列挙していきます。
ということは、「病」の場合も、そうなの?

胸というと呼吸器系? それとも心臓病でしょうか。あるいは、乳癌とかでしょうか。胸やけがする、というような場合もあります。たしか徳冨蘆花の「不如帰」で主人公の女性が結核になる、というのもあったように思いますが、その儚げなイメージもアリかもしれません。平安時代にそういうメンタリティがあったかどうかはわかりませんが。
まあ、いずれにしても胸の病気なのでしょう。わかったようなわからんような話ですが。

そして、物の怪って何やねん。それ、病気ですか?と思います。
もののけ姫」というのがありましたが、あれも祟り神(荒御霊)とかから力をもらった動物=もののけ、としてるんですよね。もののけ姫自身は人間なんですが。結構複雑な話ではあります。
で、ここで言うのも、まあ「魂」、つまり生霊、死霊などの類が、人に取り憑いて、病気にしたりすることを言ってるようです。
具体的には、どう具合が悪くなっているのかはやはりよくわかりません。原因不明、よくわからない、見たことない病気がたぶんこう言われたのでしょうね。

少し話はそれますが、疫病というのもその一つだったのではないかと思います。
京都は高温多湿でしたし、当時は上下水道も整ってませんから、当然、昔も感染症はたくさんあったそうです。瘧(わらわやみ=マラリア)、裳瘡(天然痘)、咳病(インフルエンザ)、赤痢、麻疹などの流行はよくあったらしいですし。コロナウィルス感染症も当時は咳病の一つだったんでしょう。

今みたいに、手洗いできませんし、消毒液も売ってない、サージカルマスクやフェイスガードもないですから。ソーシャルディスタンスとかの概念もなかったですしね。クラスター対策、PCR検査ももちろんありません。
つまり。マスメディアも、ネットもない世界で、衛生管理も感染症対策もできてない頃ですから、その都度大流行したはずなんです。

で、その対策が、加持・祈祷、大規模なものは御霊会という鎮魂のためのお祭りになっていったらしいですね。都では疫病対策として、八坂神社(感神院)の祇園御霊会(祇園会)というのが行われるようになりました。もちろん、疫病以外でも地震とか火山の噴火とか、天災みたいなものから守っていただくように、鎮めるように祈願します。まさにオカルト、非科学的。

で、今年はその祇園祭山鉾巡行が中止になりました。元々厄災退散を願うものなのに。という意見もあって、たしかにそれはそうなんですが、今は科学的根拠に基づいて行動するべきですから、いいのではないでしょうか。調べてみたら、戦争の時とかもなかったらしいですし。応仁の乱の時はそれどころではなかったと。たしかに言われてみればそうですよね。明治時代にはコレラの流行で中止になったそうですし、最近は1962年に阪急電車の地下工事でも中止になったらしいです。

元に戻ります。
脚の気。これは脚気ですかね。ビタミンB1チアミン)というのが足りなくなると、患う病気と言われています。
ビタミンB1を摂るには玄米や雑穀、豚肉、レバー、豆類などを食べるといいらしく、中でも特に豚肉にはビタミンB1が豊富に含まれているそうです。当時の貴族は獣肉は食べませんでしたから、豚肉やレバーは無理ですね。肉は食べても鳥か魚です。雑穀とか玄米を食べてるとまず脚気にはならないんですが、貴族は白米を主に食べてたらしいですから、結構なったらしいと。つまり、貴族病、ぜいたく病なんですね。だから、清少納言は肯定的なんでしょうか。身分階級差別大好き、階層意識高い系人間ですからね。

そして、なんとなく食欲がない気分。これも病気ですか? 心の病というか、精神的なダメージとかで食欲がないとか。しかし、それだと原因が明白ですしね。
それよりも、まじで、よくわからないけど食欲がないっていうのなら、やっぱかかりつけのドクターに診てもらったほがいいです。おかしいですから、それ。ガンとかかもしれないし、早期に発見したほうがいいです。けど、当時は内視鏡MRIもないですからね。医者と言っても、漢方医。カウンセリングして薬を処方するぐらいです。むしろ、こういうときは、そう、陰陽師とか、僧侶とかが登場します。いいのかそれで。

というわけで結局、「いい感じ」の病気を列挙したのかどうかさえよくわかりません。
先にも書きましたが、「不如帰」など、昔は、肌の白い病弱な深層の令嬢的な女子が素敵、みたいなのあったようですし、堀辰雄の「風立ちぬ」がまさにそうですね。で、それに着想を得たジブリの「風立ちぬ」も。「サナトリウム」という言葉自体もノスタルジックで、はかなげで、哀しいけれど心惹かれるという、そういう側面もあります。
けど、いかしてる病気なんかないっすよ。病気はやはり嫌なものです。


【原文】

 病(やまひ)は 胸。物の怪。脚の気。はては、ただそこはかとなくて物食はれぬ心地。

 

まんがで読む 枕草子 (学研まんが日本の古典)

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  • 発売日: 2015/03/17
  • メディア: 単行本
 

 

かしこきものは

 たいした者は、乳母(めのと)の夫だわよね。帝や親王たちなんかのケースは、当然そういうものだから、申し上げるべきことでもないわ。その次、また次のレベル、受領の家なんかでも、その場所にふさわしい態度で人に接するのを求められてるもんだから、彼らも得意顔になっちゃって、自分自身にすごく信望がある気になっちゃって、妻が養育したお子さまも、まったくまるで自分のモノ!的にしちゃって。女の子ならそれもアリかもだけど、男の子にはぴったり付き添ってお世話をして、ちょっとでもその子のお気持ちに逆らう者は責め立てて、その人の悪口を言って、まじダメダメなんだけど、この夫のやってることに対して、世の中的に率直に意見する人もいないもんだから、つけあがってきて、偉そうな顔つきで指図なんかするの。

 子供が全然小っちゃい頃は、結構みっともないのよね。乳母は子供の母親のそばで寝るから、夫は一人、局で寝るの。だけど他所に行ったら、浮気だ!って騒がれるでしょ。で、妻を無理に局に下がらせて寝てたら、子供の実母から、「早く早く」って呼ばれるから、冬の夜なんかは、がさがさと脱いでた服をひきずり探し出して着て、主の部屋へ上って行くんだけど、夫としてはすごくやりきれないものなのよね。それは身分の高い家でも同じで、もっと面倒なことばかりいろいろあるわ。


----------訳者の戯言---------

かしこきもの。「かしこし」というのは、恐れ多い、すぐれている、たいしたもの。畏(かしこ)まる。つまり、「かしこし」は畏敬(いけい)という肯定的な気持ちを表しているらしいです。

と言うものの、清少納言はあんまり肯定的ではないです、乳母の夫。むしろディスってる感じですよね。
乳母は女性としてはそれなりの名誉な仕事だったと思いますが、夫もそれに協力はしたようで。
特に平安時代から鎌倉時代にかけての乳母(めのと)は、養育係の意味もあって、女性だけではなく夫婦でそれに当たるケースも多かったようですね。ただ、やっぱり、そもそも授乳目的の仕事ですから、夫は付け足しみたいな感じはあったのではないでしょうか。

まあ、それでも、妻やその妻が仕える家、その家の子どもをバックにして、まるで自分が偉くなったかと勘違いして威張る男。たしかに、あまりいいイメージはありません。パワハラしてるし。

その割に仕事的にはあんまり頼りにされてない感あって、自室に下がって夫婦で生活してても、夜、急に呼び出されるのは妻だけ。後に一人残される夫。情けねー。という話です。
「わびし」というのは、情けない、つらい、やりきれない、という感情を表すんですね。

つまりこの段は、「畏敬する=かしこきもの」というのは表向きであって、本音は「わびしきもの」あるいは先日も読みました「したり顔なるもの」と言いたいところではないかと思います。

時代劇の典型で言うと、髪結いの亭主。今のドラマで言うと風俗嬢のヒモ的な。けれど、それはそれぞれの事情や思い、葛藤もあるのでしょう。パワハラモラハラ、DVはもちろんいけませんがね。

この段でも、清少納言のいつもの上から目線はちょっと気になります。受領あたりの家の乳母の夫では、本気で「かしこきもの」とは全然思ってなくて、むしろ揶揄してる、皮肉ってるとしか思えないタイトル。やっぱりな!って感じです、はい。


【原文】

 かしこきものは、乳母の男(をとこ)こそあれ。帝(みかど)、親王(みこ)たちなどは、さるものにておきたてまつりつ。そのつぎつぎ、受領(ずらう)の家などにも、所につけたるおぼえのわづらはしきものにしたれば、したり顔に、わが心地もいとよせありて、このやしなひたる子をも、むげにわがものになして、女はされどあり、男児(をのこご)はつとたちそひて後ろ見、いささかもかの御ことにたがふ者をばつめたて、讒言(ざうげん)し、あしけれど、これが世をば心にまかせていふ人もなければ、ところ得、いみじき面持ちして、こと行ひなどす。

 むげにをさなきほどぞ少し人わろき。親の前に臥(ふ)すれば、一人局(つぼね)に臥したり。さりとてほかへ行けば、こと心ありとてさわがれぬべし。強(し)ひて呼びおろして臥したるに、「まづまづ」と呼ばるれば、冬の夜など、引きさがし引きさがしのぼりぬるがいとわびしきなり。それはよき所も同じこと、今少しわづらはしきことのみこそあれ。

 

 

位こそなほめでたき物はあれ

「位」っていうのは…。やっぱりすばらしいものだよね! 同じ人でも、大夫の君、侍従の君とかって申し上げる時は、結構侮りがちなんだけど、中納言、大納言、大臣とかにおなりになったら、やたらと邪魔するものもなくなって、ご立派にお見えになることと言ったら、この上ないわ。ほどほどの身分の者では、受領なんかもみんなそんな風な感じでしょ。いろいろな国に赴任して、大弍や四位、三位なんかになったら、上達部とかもハイクラスの人材だって扱ってくださるみたいね。

 女性はやっぱり冷遇されるものなの。宮中では、御乳母(おんめのと)は内侍典、三位なんかにまでになると重々しいけど、とは言っても、年を取り過ぎちゃったら、どれほどのことがあるんでしょ。また、多くあることでもないし。
 受領の北の方(奥方)になって任国に下るのを、ほどほどの身分の人にとっての最高の幸せだって思って、褒めたたえてうらやましがるみたいね。普通の人が上達部の奥方になったり、上達部のお嬢様がお妃様におなりになるのは、さらにすばらしいことでしょう。

 だけど、男性はやっぱり若い時に出世するのが、すごくすばらしいことだわね。
 僧侶なんかが、ナントカって肩書を言って歩き回っても、何何?って思うかな?全然思わないわよ! お経を尊く読んで、ルックスが綺麗であったとしてもね、女房には侮られて、外見でちやほや騒がれるっていうのはあるかもだけど、それだけよね。僧都や僧正になったら、仏様がお姿を現わされたみたいに怖れて、うろたえちゃって、恐縮してしまう様子っていうのは、何に似てるかしら? 言い表しようもないわね。
 

----------訳者の戯言---------

大弍(だいに)ですが、大宰府の次官(すけ)のうち、最上位のものをこう言いました。大宰府のトップは大宰帥ですが、その権官大宰権帥が、実質的な大宰府の長官でありました。その大宰権帥大宰府の次官である大宰大弐を同時には任命できない慣習があったそうですから、大弍が実質的なトップというケースもあったようです。従四位下相当ですから、もう少しで上達部ですね。

完全に女性は職位的には冷遇されていますと。平安時代ですから、普通に男尊女卑。男女雇用機会均等法が1986年施行ですから、まあ、それまではこんなものです。最近じゃないですか。ほんまか。

御乳母(おんめのと)。昔は特に貴人の場合は、乳児に母親に代わって乳を与える乳母を召し使ったようですね。 身分の高い人間は子育てのような雑事を自分ですべきではないという考えがあったり、しっかりとした女性に任せたほうが教育上もいいという考えもあって、乳離れした後で母親に代わって子育てを行う人のことも乳母といいました。
ここでは帝(東宮)の乳母です。

北の方(きたのかた)。北方四島とかの北の方のことではありません。よく聞きますけどね「北の方」。良家の奥方のことです。
貴族の一般的な住宅は寝殿造だったんですが、主殿のほかに別棟=対屋を建てました。おおむね北の別棟に奥方が住むことが多かったので、こういう風に言ったようです。

清少納言はご存じのとおり、階層意識のきわめて高い人なもので、今回のテーマは大好物。やはり、名家のおぼっちゃま君たちが若いうちに出世するの、サイコー!と言ってます。けど、これはある程度の家格がないと、実力だけではどうにもなりません。
女性の出世については、ちょっと不満そうではありますね。

逆に僧侶は完全に見下してますね、清少納言。さすが差別主義者。いえ冗談です。
思はむ子を」という段でも、「子どもを僧侶にするなんて…」と書いてますから、「ちょっとー、お坊さん? ん、なんか肩書あってもねーwwだわw 僧都や僧正は別だけど」的な感じです。
兼好法師徒然草の「第一段 いでや、この世に生れては」でお坊さんのことをかなり自嘲、自虐していますしね。昔の人は、僧侶について案外ないがしろです。
で、清少納言、少し前「法師は」では、律師、内供がいい!と書いてましたけど、ここではやはり僧都や僧正押しです。ここまでくると、急に生き仏のレベルなんですね。けど、それってやっぱり肩書に惑わされてません?

整理すると。
中納言、大納言、大臣クラス。女性はあんまり。一般人が上達部の奥方になるか、娘が后妃になるかぐらいでないとね。男は若くして出世すること。僧侶は僧都や僧正のクラスなら生き仏。という感じです、清少納言。さすが。


【原文】

 位こそ なほめでたき物はあれ。同じ人ながら、大夫の君、侍従の君など聞こゆる折は、いとあなづりやすきものを、中納言・大納言・大臣などになり給ひては、むげにせくかたもなく、やむごとなうおぼえ給ふことのこよなさよ。ほどほどにつけては、受領などもみなさこそはあめれ。あまた国に行き、大弍や四位・三位などになりぬれば、上達部などもやむごとながり給ふめり。

 女こそなほわろけれ。内裏(うち)わたりに、御乳母(めのと)は内侍のすけ、三位などになりぬればおもしろけれど、さりとてほどより過ぎ、何ばかりのことかはある。また、多くやはある。受領の北の方にて国へ下るをこそは、よろしき人のさいはひの際と思ひてめでうらやむめれ。ただ人の、上達部の北の方になり、上達部の御むすめ、后にゐ給ふこそは、めでたきことなめれ。

 されど、男はなほ若き身のなり出づるぞいとめでたきかし。法師などのなにがしなど言ひてありくは、何とかは見ゆる。経たふとく読み、みめ清げなるにつけても、女房にあなづられて、なりかかりこそすめれ。僧都・僧正になりぬれば、仏のあらはれ給へるやうに、おぢ惑ひかしこまるさまは、何にか似たる。

 

 

したり顔なるもの

 得意げな顔をした者。
 1月1日に最初にくしゃみをした人。身分の高い人はそういうこともないんだけど。身分の低い者よ。
 蔵人を選任するのに、競争率が高い時、子どもが蔵人になった人の様子。また、除目でその年いちばんの国への赴任が決まった人。お祝いなんかの言葉で、「すごくご立派になられましたね!」なんて言った、その返事に「何をおっしゃいますやら! 全然尋常じゃなくって、(地方に)落ちぶれるんでございますからねー(笑)」とか言うんだけど、すごくしたり顔なの。

 また、言い寄って来る人が多くて、みんなチャレンジして来た中で、選ばれて婿になった者も、私こそ幸せ者!って思ってるでしょうね。

 受領をした人が、参議(宰相)になった場合は、元々名家の貴公子が昇進してなったのよりも得意げで、お高くとまって、ますますドヤ!って思ってるみたいに見えるわ。


----------訳者の戯言---------

元旦にくしゃみをするのは、良いことだったらしいです、当時は。すぐ前の段では、くしゃみは良からぬことだったのにね。タイミングによってはこうなるんですね。昔の人の言うことはよくわからないです。

除目というのは人事発令のイベントで、春(1月)の除目では、諸国の国司など地方官である外官を任命したものです。

受領については、「受領は」を再読いただくとよくおわかりいただけると思います。
「一の国」は「最上の国」ということらしいですが、たぶん税収が多い国なのではないでしょうか。受領からすると、私的にも潤うらしいですから、それは内心「やたね!」って感じでしょう。

モテモテ女子にはみんな求愛しに行ったんですね。かぐや姫状態です。ライバル多し。で、そんな中で一人選ばれるというのは、それはうれしいに決まってますわね。

あと、東大とかに合格した人の親? 国家公務員試験に合格して財務省とかに入った人の親?的な。
それから、元々はそんなエエトコの子でもなかったのに参議という朝廷の要職に就いた人とか。
まあ、それぞれ、努力したり、センスや才能、運もあったのかもしれませんけど、それも実力だと思うんですけどね。
で、結果出ました。ど-だ??という顔したら…

清少納言的にはそういうの嫌いなんです。そもそも身分が低いの嫌いな人ですから。出世とか昇進とかも、名家の出であまり苦労とかしないで、当たり前にスッと行って、真顔でさらっと受け流す、ぐらいがベストなんでしょう。

つまり。
したり顔。得意顔ですね。最近はドヤ顔などとも言う、あれだと思いますが、身分が低くて、欲しかったものを何とかGETしたとしても、あまりそういうのを表情に出してはいけませんよ、と。一種の感情マネージメント手法のヒントだと理解することにしましょう。もちろん、清少納言の意図とは全然違いますが。


【原文】

 したり顔なるもの 正月一日に最初に鼻ひたる人。よろしき人はさしもなし。下﨟よ。きしろふ度の蔵人に子なしたる人のけしき。また、除目にその年の一の国得たる人。よろこびなど言ひて、「いとかしこうなり給へり」などいふいらへに、「何かは。いとこと様に滅びて侍るなれば」などいふも、いとしたり顔なり。

 また、いふ人おほく、いどみたる中に、選りて婿になりたるも、我はと思ひぬべし。受領したる人の宰相になりたるこそ、もとの君達のなりあがりたるよりもしたり顔にけ高う、いみじうは思ひためれ。