枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

宮にはじめて参りたるころ①

 中宮(定子)さまにお仕えをはじめた頃、恥ずかしいこと数知れずで、涙も落ちてしまいそうだから、毎晩参上して、三尺(約90cm)の御几帳の後ろに控えてたら、定子さまが絵なんかを取り出しお見せ下さったったんだけど、手も差し出せないくらい、たまらなく辛かったわ。「これは、こういうものなの。ああなってるの。どの場面かしら? あれかしら!?」とかおっしゃるの。高坏に取ってある灯火があるから、髪の毛流れがかえって昼間よりはっきり見えて恥ずかしいんだけど、そこはぐっとこらえて絵を見たりしてたのね。すごく寒い時だから、差し出されてちらっと見える手が、とても艶やかな薄紅梅色なのは、この上なくすばらしい、って、こういう世界を知らない田舎者のメンタリティとしては、こんな素敵な方がこの世に存在なさったんだ!って驚くような気持ちで、お見つめ申し上げてしまったの。


----------訳者の戯言---------

「几帳」というのは、移動式の布製の衝立(ついたて)です。当時の間仕切り、可動式のパーテーションですね。
細かなところまできっちりしている人を「几帳面な人」と言ったりしますが、この几帳から来てるそう。元々、几帳の柱が細部まで丁寧に仕上げてある、ということからこう言ったそうですね。

一尺≒30.30303030303…cmなので、三尺は90cmぐらいです。三尺の几帳は、室内用の几帳で、高さ三尺×幅六尺だったらしいですね。

御殿油(おんとなぶら)は大殿油(おおとなぶら/おおとのあぶら)とも言います。これまでには「大殿油」で、枕草子の中には何回か出てきました。宮中や貴族の邸宅で使われた油の灯し火のことです。油そのもののことではなく、灯火を指してこう表現したらしいです。

清少納言が定子の元に出仕してすぐの話のようです。
出仕したのは993年、清少納言27歳の時。一条天皇中宮であった定子はその時17歳。27歳のオトナ女子が、17歳のお妃様にたじろいでいます。高貴すぎるし、見目麗しすぎて、委縮している感じでしょうか。
定子は13歳くらいで3歳年下の一条天皇に入内してますから、相当な早婚。教養もあり、しかも性格も温和だった人です。天皇に嫁ぐこと自体父の権力に直結しますから、政争に利用される存在ではありましたが、一条天皇とは仲が良く、帝は定子にぞっこんであったようです。3人目の子どもをお産みになった直後、後産が遅れて亡くなったようです。24歳という若さだったそうですね。

後産(あとざん)とは、胎児を娩出(べんしゅつ)した後、胎盤、卵膜、臍帯などが体外に排出されることを言いますが、これがスムーズに排出されないと、胎盤遺残となり、出血多量など、母体に影響を及ぼします。現代医療ではマッサージをして自然排出を促しますが、場合によっては開腹手術も行われるらしいです。当時なら、なおさら生死にかかわる一大事だったのでしょう。
後産については「心もとなきもの③」にも、もう少し詳しく書きましたので、ご参照ください。

10コも年下の定子さまの素敵さに見惚れる清少納言
②に続きます。


【原文】

 宮にはじめて参りたるころ、もののはづかしきことの数知らず、涙も落ちぬべければ、夜々参りて、三尺の御几帳の後ろに候ふに、絵など取り出でて見せさせ給ふを、手にてもえさし出づまじう、わりなし。「これは、とあり、かかり。それか、かれか」などのたまはす。高坏に参らせたる御殿油なれば、髪の筋なども、なかなか昼よりも顕証に見えてまばゆけれど、念じて見などす。いとつめたきころなれば、さし出でさせ給へる御手のはつかに見ゆるが、いみじう匂ひたる薄紅梅なるは、限りなくめでたしと、見知らぬ里人心地には、かかる人こそは世におはしましけれと、おどろかるるまでぞ、まもり参らする。

 

検:宮に初めて参りたるころ

 

まんがで読む 枕草子 (学研まんが日本の古典)

まんがで読む 枕草子 (学研まんが日本の古典)

  • 発売日: 2015/03/17
  • メディア: 単行本
 

 

御形の宣旨の

 御形の宣旨(みあれのせんじ)が、帝に、五寸(約15cm)ほどの殿上童のすごくかわいい人形を作って、みずら(角髪)を結って、着物なんかもオシャレにして、中に名前を書いて差し上げたんだけど、「ともあきらの大君」って書いてあったの、すごく面白がられたそうなのよね。


----------訳者の戯言---------

御形(みあれ)というのは、御生とも書きます。御生神事(みあれのしんじ)のことだそうです。同じ神事なんですが、今は「御生神事」と書くほうが多いようですね。
現在はこの「御生神事」という神事、「御蔭祭(みかげまつり)」と言うらしいです。下鴨神社に「御蔭神社」という境外摂社があって、そこのお祭りなのだとか。葵祭という京都人の大好きなお祭りがありますが、これは、その前の儀式として、比叡山の麓の御蔭山で新たにお生まれになった神様の荒御魂(あらみたま)を、「下鴨神社」へとお迎えする重要な神事なのだそうです。

摂社っていうのは、ご存じの方も多いと思いますが、比較的大きな神社の内外にある支店みたいな神社です。縁の深い神様を本店の周りに祀ったわけですね。
とはいえ、googleマップで調べたら、結構遠いです。下鴨神社の最寄駅は「出町柳」ですが、ここから御蔭神社の最寄駅、叡山電車八瀬比叡山口駅」まではそれぞれを含めて7つの駅があります。電車だと13分ほどらしいですね。距離にすると5.6kmほどありますから、線路を歩いたとして1時間あまり。おそらく道路を歩けば、御蔭神社から下鴨神社まではゆっくり歩いて約2時間といったところではないかと思われます。

ところで、下鴨神社というのは、正式には「賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)」と言います。ちなみに上賀茂神社は「賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)」です。上賀茂神社に祀られる祭神は「賀茂別雷神賀茂別雷命)」なんですが、その神様の母と母の父(つまり祖父)にあたる神様が下鴨神社賀茂御祖神社)に祀られています。なので、本名はこんな名前なんですね、なるほど。

先に書いた、その御蔭山で生まれた御魂っていうのは、この賀茂別雷神っていう上賀茂神社のほうの神様の御魂だそうです。そもそも日本の古い信仰では、神様は神社に常駐しているわけではなくて、自然界にいらっしゃると。で、お祭りの度に人里を訪れて下さったんだとか。まあ、そういうことらしいですね。

上賀茂神社下鴨神社は元々は賀茂神社という一つの神社だったそうで、それぞれ上社、下社という存在だったらしいです。結構離れてますが。ま、よくわかりませんが昔は野原だったんでしょうしね。そんなもんでしょう。
各々家族というか兄弟というか、そういう存在ですので、対になって神事も行われるようです。上賀茂神社でも字は違いますが「御阿礼(みあれ)神事」が同時期に行われるそうですね。

しかし葵祭、今年は新型コロナの影響で、残念ながら例の行列はなくなりました。もちろん神事は行われたようです。私はあの行列がおもしろいものだとは思えませんが、昔の娯楽としてはダントツで、一大イベントだったそうです。今で言うなら、テーマパークのパレード的なものなのでしょう。

当時は、都で「祭」といえば、賀茂祭葵祭)でした。今、日本の三大祭の一つといわれている祇園祭は、祭のランクとしては下の方だったんですね。山鉾巡行はもっと後の時代にできたものですし、どっちかというと祇園祭は町人のものだったようですしね。それに比べると、賀茂祭は勅祭、帝(天皇家)が取り仕切る国家的イベントだったわけですから、格は違います。

祭のことだけで、こんなに書いてしまいましたが、祭の話ではありません。

御形の宣旨(みあれのせんじ)です。
宣旨(せんじ)は、律令期以降、天皇太政官の命令を伝達する文書形式です。当初は宣旨が下される際、その口宣を蔵人に伝える女官(内侍)のことを指していたらしいですが、のちには宣旨の宣下に関係なく、こう呼ばれるようにもなったらしいです。職名が通称になった、と。ハリウッドザコシショウみたいなもんでしょうか。違いますね。

そういうわけで、「御形の宣旨」は、ある女官で、歌人でもあった人の名前です。
ただ、この人は花山(かざん)天皇が即位前、親王であった時に仕え、御生神事で宣旨を務めた人らしいですから、ザコシショウではありません。

つまり、ここで出てきた帝というのは、花山天皇だということです。花山天皇が子ども(師貞親王)だったころ、御形の宣旨がこの親王に仕えていたらしいんですね。
花山天皇は変わった人というか、ヤンチャというか、そういう帝だったらしいです。私驚いたのは、即位の日に馬の内侍という美人女官を引っ張り込んでレイプしたことですよ。恐るべし。そのほかにもいろいろ逸話のある人です。ちょっと困った帝だったようではありますね。

殿上童(てんじょうわらわ)というのは、公卿の子どもで、宮中の作法を見習うために、元服前に殿上に上ることを許されて出仕する少年のことだそうです。

「みずら」というのは、漢字で「角髪」と書きます。結うとありますから髪型なんですが、よく古代の神様とかが結ってた感じの、あの髪型です。センター分けにして、顔の両側、耳のところに、括った髪を長細い耳みたいにしてセットしたやつですね。そんないかした人形をつくりましたと。

「ともあきらの大君」と出てきました。誰?と思い調べましたが、そんな人はおらず。で、他の方の訳を拝見したところ、兼明親王(かねあきらしんのう)のことらしいです。やっぱり誰それ?って感じです。
兼明親王についてはわかりました。ウィキペディアにも載ってます。醍醐天皇の第11皇子だそうですね。朱雀天皇村上天皇源高明の異母兄弟にあたる人らしいです。一時期、臣籍降下して源兼明(みなもとのかねあきら)と名乗ったそうですが、晩年になって皇籍に復帰したそうです。なので、60歳は過ぎてるおじいちゃんだけど、「兼明親王」なんですね。

ただ、この皇籍復帰というのは、別に名誉なことでもなく、当時、太政大臣に次ぐ朝廷の要職・左大臣だった源兼明が、藤原氏の家内での政争に巻き込まれた形でゴリ押しで「復帰させられた」というのが実情のようですね。この人自身は博学多才な人だったらしいです。

しかしそもそも、「ともあきらの大君(おおきみ)」っていうのが、何で兼明親王のことなのかがわかりません。みんな、そう書いてますが、根拠を教えていただきたいです、モヤモヤはしますね。
そして、仮に兼明親王だとして、それをなぜ「ともあきらの大君」に変えたのかもわかりません。ダブルで謎。人形だからなんか適当に仮名にしたのかもしれませんけど。「〇〇あきら」がいっしょだから?
「アベゴンゾウくん」とか「ガースー」とかの感じでしょうか。そういえば、最近陰の薄くなった菅官房長官、どうしてるんでしょうか。あ、ガキ使のほうではありませんよ。

というわけで、花山天皇が子どもの頃、御形の宣旨がかわいい人形をつくって差し上げたんですね。で、名前を入れたんですが、それが「ともあきらの大君」でしたと。このことを、子どもの花山天皇(師貞親王)が、おもしれーと思ったらしいです。
しかし先にも書いたように、何がおもしろいのか、はっきりとはわかりません。子どもですから。下ネタとか変顔とかでめちゃくちゃ笑いますからね。HIKAKINとかでも。

私の想像でしかないんですが、カワイイ子どもの人形に、あえて「おじいちゃん親王」っぽい名前をつけてウケ狙いの御形の宣旨。名前は「かねあきらの大君」の一部をもじって「ともあきらの大君」にしたら、子どもの花山天皇(師貞親王)が結構ウケてくれました。と。

ま、いろいろ考えましたが、まとまりはありません。正解についてもしご存じの方がいらっしゃいましたら、どうかご教授よろしくお願いします。

清少納言的には、ぜひこれ書いておこう、という話のようですね。前の段で、村上天皇の時代の逸話を紹介した彼女、またちょっと昔の話を持ってきました。流れとしては、機知に富んだ応対をしたかつての女官をリスペクト!シリーズ第二弾のような気がしましたが。


【原文】

 御形(みあれ)の宣旨(せじ)の、上に、五寸ばかりなる殿上童のいとをかしげなるを作りて、みづら結ひ、装束などうるはしくして、なかに名書きて、奉らせ給ひけるを、「ともあきらの大君」と書いたりけるを、いみじうこそ興ぜさせ給ひけれ。

 

 

村上の前帝の御時に

 前の帝、村上天皇の御代に、雪がたくさん降ったのを器にお盛りになって、梅の花を挿して、月がすごく明るかったんだけど、「これをテーマに歌を詠んでみて。どんな風に表現するかな?」って、兵衛の蔵人にお題を下されたんだけど、「雪月花の時」って申し上げたら、すごくお褒めになられたの。「歌なんかを詠むっていうのは、ごくごく当たり前のことだけど。こんな時にぴったりなことって、なかなか言えないものなんだよね」って、おっしゃったって。

 で、同じ人(兵衛の蔵人)をお供にして、殿上の間に人々が参上してなかった時、うろうろ歩き回られてたら、炭櫃(すびつ)から煙が立ち上ってたもんだから、「あれは何なのか見てきて」って仰せつかったので、見て戻ってきて、

わたつ海のおきにこがるる物見れば あまの釣りしてかへるなりけり

って申し上げたのは、いかしてたわ! 蛙が飛び込んで焼けてたんだから!


----------訳者の戯言---------

兵衛の蔵人。枕草子をお読みの方の中にはおわかりの方も多いと思いますが、兵衛府に蔵人はいません。で、何なんだろう?と思って調べてみたところ、これは女蔵人(にょくろうど)の名前だとわかりました。兵衛サンっていう女蔵人?ですね。
女蔵人というのは、宮中に奉仕した女子スタッフで、内侍や命婦の下で雑用を務めたそうです。およそ六位に相当し、年労によって五位に叙せられる場合もあったのだそうですから、ま、男性の蔵人と同様のポジションと考えていいでしょう。

ここでは、帝がこれで歌を詠めって、プレバトで夏井さんが俳句のお題を出してる感じですか。

雪月花。日本で古くから言われてる風流なものベスト3です。
すぐ前の段で、雪と月が出てきましたが、それに花がプラスされてますね。流れとしてはカンペキです。
歌を詠むよりも、ピタッと端的な言葉で言ったのがよかったんでしょうか、兵衛の蔵人。

原文で「たたずませたまひける」と出てきました。
「たたずむ」という言葉はなかなかやっかいな語です。私たち、普通にイメージするのは、「しばらくその場で立ちとどまっている」感じです。ぽつんと一人で、というイメージがありますね。しょんぼりとしたり、唖然としてたり。建物とか、物とかを擬人化して使う場合もありますね。
一方、行きつもどりつする。徘徊(はいかい)する。うろつく。というような意味もあります。

つまり。
止まっている状態にも使うし、うろうろ動き回る状態も表すという、ややこしいことになります。しかも、古語においては、①うろうろする、②立ち止まっている の用法の頻度が逆転していて、「うろつく」ほうの意味で使うことのほうが多かったようですから。状況を見て解釈しなければいけません。本当にやっかいな語ですね。ここでは「うろうろする」の方です。

炭櫃(すびつ)というのは、囲炉裏、角火鉢のことだそうですね。そして、その赤く熾(おこ)った炭火を熾(おき/燠)と言うそうです。

わたつ海の沖にこがるる物見れば あまの釣してかへるなりけり
という歌は、藤原輔相(ふじわらのすけみ)という歌人の作だそうです。

わたつ海。
そもそも「わたつみ(わだつみ)」というのは、古事記とか日本書紀では「海神」「綿津見」などと書いて海を支配する神様のことだったそうですね。私が目や耳にしたことがあるのは「きけわだつみのこえ」という書名ですが、これは第二次世界大戦で亡くなった学徒兵の遺言を集めた本です。もちろん私はタイトルしか知りませんが。
で、その神様がいるところ、つまり「海」自体のことも「わたつみ」と言うようになったそうです。「わたつみ」の「み」は元々「神(み)」のことなんですが、誤って「渡津海」「わたつ海」とかも書かれたらしく、わたつ海(わたつうみ)もOKとなったようですね。

で、清少納言が何を言いたいかというと、

わたつ海のおきにこがるる物見れば あまの釣りしてかへるなりけり(海の沖で漕いでる物を何かと見たら、海士(あま)が釣りをして帰るとこだったよ→海の『燠(おき)』で『焦げる』物を何かと見たら、海士が釣りをして『蛙』とこだったよ)

っていう、アドリブダジャレ和歌解釈。

とは言え、兵衛の蔵人、これはなかなかスゴ技ですよ。ダジャレ部分が×3コですから、それ引っ張り出してくるワザ、ハンパなし。プロの仕事と言ってもいいかもしれません。もしや??自作自演か?っていうくらいのレベルです。共犯者の存在も疑われます。だとしたら、蛙もかわいそうですね。

余談ですが、「蛙」も「帰る」も歴史的かな遣いでは「かへる」です。柳家かゑるという噺家さんがいますし、「かゑる」というバンド名とかお店とか、見たような気がします。それを言うなら、お笑いの「よゐこ」も歴史的かな遣い的には違います。よい子は「よいこ」としか書けません。
しかし。
それはいいんです。固有名詞ですから、なんらルールに縛られることはない、というのが私の持論です。それならそんな細かいこと言うな、と、かえって叱られそうですね、すみません。

本題です。
いずれにせよ、今回ばかりはさすがの清少納言も脱帽。というか、昔の人のことなので、張り合っても仕方ないですし。こういうの、帝とか定子さまの前で私もやりたいよなー、という気持ちでしょうね。清少納言のあこがれが表れてる段です。


【原文】

 村上の前帝(せんだい)の御時に、雪のいみじう降りたりけるを、楊器(やうき)に盛らせ給ひて、梅の花を挿して、月のいと明かきに、「これに歌よめ。いかが言ふべき」と、兵衛の蔵人に賜はせたりければ、「雪月花の時」と奏したりけるこそ、いみじうめでさせ給ひけれ。「歌などよむは世の常なり。かくをりにあひたることなむ言ひがたき」とぞ、仰せられける。

 同じ人を御供にて、殿上に人候はざりけるほど、たたずませ給ひけるに、炭櫃に煙の立ちければ、「かれは何ぞと見よ」と仰せられければ、見て帰り参りて、

  わたつ海のおきにこがるる物見れば、あまの釣りしてかへるなりけり

と奏しけるこそをかしけれ。蛙(かへる)の飛び入りて焼くるなりけり。

 

 

雪のいと高うはあらで

 雪がそんなに高くはなくて、薄っすらと降ってるのは、すごく趣があっていいの。

 また、雪がすごく高く降り積もった夕暮れから、部屋の端近くで、気の合う人2、3人ほどが火桶を真ん中に置いておしゃべりなんかしてたら、暗くなったんだけど、こっち側には灯りをともさないのに、あたり一面の雪の光ですっかり白くなって見えてる時、火箸で灰を何てことなくかき回して、しんみりすることも、すてきなことも、言い合ったりするのは、いい感じよね。

 宵も過ぎた?って思う頃に、靴の音が近くに聞こえたから、変だなって思って外を見たら、時々、こういう時に不意にやって来る人だったの。「今日の雪で、どうしてるかなってご心配申し上げながらも、つまんないことでトラブって、そこで一日過ごしちゃったんですよ」なんて言うのよ。「今日来(こ)む」とかっていう歌の意味で言ってるんでしょうね。昼間にあったことなんかから始まって、色んなことをお話しするの。円座(わらふだ)だけは差し出したんだけど、片方の足は下に下ろしたままで、鐘の音なんかが聞こえる頃まで、部屋の中の女房も外にいる男性にとっても、こういうおしゃべりは、飽きることがないって思えるのよね。

 明け方になって帰る時に、「雪、某(なに)の山に満てり」って詠ったのは、すごく素敵なことだったわ。「女子だけの会だったら、こんなに座ってオールナイトでおしゃべりなんかできないけど、いつもの女子会よりおもしろいわ、で、風流男子のいかしてる様子ったら」とかって後でみんなで話し合ったの。


----------訳者の戯言---------

宵(よい)という言葉はよく使いますが、だいたい何時ころでしょうか?
今は時計の18時~21時くらいと言われてますが、本来の宵は日が暮れてから間もない時間帯、1時間くらいという感じです。夜のはじまった頃、とも言えますね。意外とそれほど遅くない時間帯なのです。
宵闇という言葉がありますが、これも深い夜の真っ暗闇ではなく、「宵」の暗さを言うんですね。ただ、秋から冬の月の出が遅い時期の、二十日とか二十何日とかの宵は、日没が早くてしかも月が出てくるのが遅いですから、暗く感じたでしょう。現代は街灯やお店の看板、照明、住宅の灯りもありますから、全然感じませんが。

今は、夜の9時とか10時でも「まだまだ宵のうち」とか言いますね。元々の意味とは違うんですけど、まだまだ飲みたいおじさんや、まだまだ遊びたい女子たちはそう言います。いや、平成生まれの人はもう「宵」とか言わないよね、ほとんど。おじさん、おばさん語です。

今は新型コロナで、店も早く閉まりますから、そんなことそもそもできないですしね。
しかしま、いずれにしろ「まだ早い夜」と言いたい気分はわかります。

「今日来む」は、平兼盛という人の詠んだ和歌から来ているようですね。

山里は 雪降り積りて 道もなし 今日来む人を あはれとは見む
(山里は雪が降り積もって道も無くなってしまったよ。今日、もし私のところに来る人がいたら、いとおしく思うだろうね。大歓迎ですよ)

というわけで、「こんな大雪だけど、どうしてるか心配だったんだよ、昼間は忙しくて来れなくてね、ごめんごめん」と来た人を、歓迎してる感じです、清少納言

円座(わらふだ)って何やねん。と思って、「円座」をYahoo!で検索したら、出ました。トップにはYahooショッピング、さすが孫正義。円座クッションの人気商品です。低反発のが今人気だそうですよ。妊婦さんの産後に、もちろん痔疾のある方とかにも、そのほか姿勢矯正、腰痛にいろいろメリットがあるようです。

違いますね。
「円座 わらふだ」で再度検索です。
この段で出てきた「円座」というのは、「藁蓋」とも書き、わろうだ(わらふだ)と読むらしいです。元々は、藁(わら)、藺 (い) 、蒲 (がま) 、菅 (すげ) などを縄にない、渦巻き状に編んで作った丸い敷物なので、こう言ったようです。当時の座布団みたいなものなんでしょう。

「雪某(なに)の山に満てり」って何?ですよね。
また調べました。

暁入梁王之苑 雪満群山 夜登庾公之楼 月明千里

どうも晩唐の詩人、謝観という人が作った「白賦」という詩の一部のようです。
訓読すると、「暁(あかつき)梁王(りょうおう)の苑に入れば 雪群山に満てり 夜庾公(ゆうこう)の楼に登れば 月千里に明らかなり」となります。まあ、読み方とか、どうでもいいと言えばいいです。ややっこしいこと言うな、って感じですよね。すみませんすっとばしてください。
で、意味は、(暁に梁王の苑に入ってみれば、雪が山々に降って満ちて真白になってます。夜に庾公の楼に登ったら、月の光が千里も先までも明るく照らしてます~)という感じです。これもまあ、どうでもいいっちゃあ、どうでもいいですね。

正確には「雪、群山に満てり」っていうべきところを「雪、ナントカの山に満てり」と、テキトーに聞いてる清少納言。まあ、いいでしょう。それぐらい適当でいいんです、人間。

ともかく、さすが風流男子。
雪の夜にオールで語り明かして、帰り際にこういう漢詩を何気に朗詠して去っていくの、なかなかの男前っぷりです。
前々段の笛を吹きながら帰って行くナルな彼よりは、かっこはいいですね。笑えるのは、圧倒的に笛吹き男のほうですが。
みなさんは、どちらがいいですか?

答え。どっちもいらん。


【原文】

 雪のいと高うはあらで、うすらかに降りたるなどは、いとこそをかしけれ。

 また、雪のいと高う降り積もりたる夕暮れより、端近う、同じ心なる人二三人ばかり、火桶を中に据ゑて物語などするほどに、暗うなりぬれどこなたには火もともさぬに、おほかたの雪の光いと白う見えたるに、火箸して灰など掻きすさみて、あはれなるもをかしきも言ひ合はせたるこそをかしけれ。

 宵もや過ぎぬらむと思ふほどに、沓の音近う聞こゆれば、あやしと見出だしたるに、時々かやうのをりに、おぼえなく見ゆる人なりけり。「今日の雪を、いかにと思ひやり聞こえながら、なでふことにさはりて、その所に暮らしつる」など言ふ。「今日来む」などやうのすぢをぞ言ふらむかし。昼ありつることどもなどうち始めて、よろづの事を言ふ。円座(わらふだ)ばかりさし出でたれど、片つ方の足は下ながらあるに、鐘の音なども聞こゆるまで、内にも外(と)にも、この言ふことは飽かずぞおぼゆる。

 明けぐれのほどに帰るとて、「雪某(なに)の山に満てり」と誦じたるは、いとをかしきものなり。「女の限りしては、さもえ居明かさざらましを、ただなるよりはをかしう、すきたるありさま」など言ひ合はせたり。

 

枕草子 上 (ちくま学芸文庫)

枕草子 上 (ちくま学芸文庫)

 

 

ある所に、なにの君とかや

 「あるところ…ナントカの君とか言った女性のところに、良家の貴公子っていうほどではないけど、当時すごい風流人で抜群にセンスのいい人が、9月頃に訪れて、有明の月がすごく霧が立ち込めてて綺麗だったもんだから、彼が『今宵の名残りを、思い出してくれますように』って言葉を尽くして家を出てったのを、もう帰っちゃったかのなぁ?って、その女性が遠く見送ってる姿といったら、何とも言えないくらい、しっとり美しいの。彼が帰るフリをして引き返して、立蔀(たてじとみ)の間に身をひそめて立ち、やっぱり帰りたくない感じで、もう一回気持ちを伝えておこうって思ってたら、女は『有明の月のありつつも』って、ひっそりした声で言って覗いた、その髪が、頭の動きについてこないで、五寸(約15cm)ほどずれ落ちちゃって。頭が灯火を近くにつきつけたみたいになったんだけど、そこが月の光でいっそう輝いたもんだから、びっくりしちゃって、そそくさと帰ってきたのです」って話をしてくれたの、聞いたのよね。


----------訳者の戯言---------

旧暦9月というのは、今の暦で言えば10月か11月です。秋も深まる頃でしょうか。

立蔀(たてじとみ)というのは、「縦横に組んだ格子の裏に板を張り衝立(ついたて)のように作って屋外に置いて目隠しや風よけとしたもの」と、コトバンクに書いてありました。透けてないパーテーション的なものです。

当時、デートの帰りには、男はお別れを躊躇するっていうか、まだ離れたくない気持ちを態度で表すことが、いかしてると思ってたんでしょう、清少納言的には。気持ちはあるけど、そこはぐっとこらえて潔く去っていく男性、というのもなかなかのものだと思うんですが。

で、有明の月です。有明の月かどうかにかかわらず、昔は月を愛でることがポピュラーでした。今のようにテレビもスマホもパソコンもありませんから、日常的な娯楽の一つは、そういう四季折々の風景を楽しむことだったんですね。もちろん、音楽や和歌、本を読むこともそうなんですが、自然の風景を観賞するという行為の中では、「月を見ること」は風情のあるコンテンツの筆頭だったと言えるでしょう。

有明の月のありつつも」は、柿本人麻呂(660~724)の和歌から来ているようです。作者不詳の相聞歌でもあるようです。どっちだ。

長月の有明の月のありつつも 君し来まさばわれ恋ひめやも
(9月の有明の月が出るように、ずっとあなたが私のところに来て、居てくださるのなら、私はこんなに恋焦がれたりすることもないでしょうに)

前段でも書きましたが、「有明の月」とは、太陽が昇る時間になっても西の空に居続ける月のことを言います。そんな月のようにあなたがずっといてくれるなら…という恋心を詠んだんですね。9月、秋の夜長といいますが、夜が明けて空が明るくなってもまだ出ている有明の月を見て、そういう気持ちになったというのが、このシチュエーションです。

名残惜しくて、もう一言、何か言って帰ろうと戻ってみたら、彼女がこの歌の一節「有明の月のありつつも」と呟いてたと。

ですが、一転、このナントカの君という女性、鬘(かつら)だったということですか。当時の貴族女子はロングヘアでしたから、ウィッグだったんでしょうけど、男からすると、「え、ヅラだったん?」って感じで、しかも月が明るくその頭頂部が際立ったので、興ざめしたんでしょうか。

最後、「とこそ語りしか。」ってありますから、これ、誰かが言ったこの話を聞いたんですね。当事者ではなく、聞いた話を「また聞き」した体(てい)で書いてます。しかも「らしいよw」「ってことだよww」みたいなオモシロ話として書いてしまってます。ポリコレ的にどうよ。

しかし、こうして身体的欠点を嗤うようなことは、最低レベルに下品なことですよ、清少納言さま。
まさか後の世で、私ごとき庶民に下品と言われるとは、思ってもいないでしょうけどね。


【原文】

「ある所になにの君とかや言ひける人(=女)のもとに、君達にはあらねど、その頃いたう好いたる者に言はれ、心ばせなどある人の、九月ばかりに行きて、有明のいみじう霧り満ちておもしろきに、『名残思ひ出でられむ』と言葉をつくして出づるに、今は往ぬらむと遠く見送るほど、えも言はず艶(えん)なり。出づる方を見せてたちかへり、立蔀(たてじとみ)の間(あひだ)に陰(かげ)にそひて立ちて、なほ行きやらぬさまに今一度(ひとたび)言ひ知らせむと思ふに、『有明の月のありつつも』と、忍びやかにうち言ひてさしのぞきたる、髪の頭にもより来ず、五寸ばかり下がりて、火をさしともしたるやうなりけるに、月の光もよほされて、おどろかるる心地のしければ、やをら出でにけり」とこそ語りしか。

 

 

宮仕人の里なども③ ~夜中、暁ともなく~

 夜中も明け方も関係なく、門もそれほどは気にしないでいて、どこどこの宮様、宮中や、その他の身分の高い方々に仕えてる女房たちも集まってきて、格子窓なんかも上げて、冬の夜、座って夜明かしして、彼氏が家を出た後をながめている様子っていい感じがするわね。有明の月が出てる朝なんかだと、さらにとてもすばらしいわ。笛なんか吹きながら帰って行った後は、すぐには寝付けなくて、人の噂話とか言い合って、歌など語ったり聞いたりしつつ、寝てしまうのが、気持ちいいの。


----------訳者の戯言---------

暁(あかつき)というのは、明るくなる前、未明です。あの、「春はあけぼの」で有名な「あけぼの」よりはまだ少し前ですね。まだ暗くて深夜に近い時間帯です。

有明の月というのは、聞いたことがありますね。「有明」と略しても、夜が明けても残ってる月のことを表します。またそういう朝のことを「有明」とも言うようですね。

①②から一転して、いい感じの男子お出迎えとお帰りの様子でしょうか。しかし、イマジネーションがぶっ飛んでますね。そんないっぱい女房とかいろいろなところから集まるはずないし。ディズニーアニメのお姫さまとかの感じですか。でも清少納言、馬鹿じゃないの?とか言ってはいけません。イメージ、イメージ。理想像ですから。

で、笑ったのが、この彼氏、笛吹きながら去っていくんですと。そんなん笑いますわ。私、吹きましたよ。千鳥の「寿司屋」の漫才見た時ぐらい吹きました。
もし私がここに集まった女房の一人だったら、陰でめっちゃウけるでしょうね。笛吹きながら帰るって、頭おかしいでしょ、どんだけナルシストなんですか、冷めますわ。清少納言も、こんなの好きってちょっと頭おかしいです。

言い過ぎました。
当時は割と普通にやってたんでしょう。
そして、清少納言は、夢見る乙女でもあるのです、少し薹(とう)が立ってますが。
そういえば、この「薹」という漢字も書くことはまずないですね。PCなので書けますけど、手書きは無理です。PCでも変換キー50回ぐらい押さないと出てきませんしね。私の端末では今は1回か2回で出るようになりましたが。覚えるんですね、偉いもんです、文明の進化、文明の利器。

というわけで、彼女の思い描く素敵なお客様の来訪とお見送り、そして幸せに眠りにつく、というお話でした。
やっぱ笑いますけど。


【原文】

 夜中、暁ともなく、門もいと心かしこうももてなさず、なにの宮、内裏わたり、殿ばらなる人々も出であひなどして、格子などもあげながら冬の夜を居明かして、人の出でぬる後も見出だしたるこそをかしけれ。有明などは、ましていとめでたし。笛など吹きて出でぬる名残は、急ぎても寝られず、人のうへども言ひあはせて歌など語り聞くままに、寝入りぬるこそをかしけれ。

 

 

宮仕人の里なども② ~この人の供なる者どもは~

 この客人のお供のスタッフたちは嘆く風でもなくってね、このお客さんもう帰るのかなー、って、何回も何回も絶え間なく覗きに来て様子を伺ってる者たちを、笑ってるみたいなの。彼のお供たちが(この家の者たちの)口真似をしてるのなんか聞かれたりしたら、ましてどれだけ厳しく非難されちゃうかしら?
 それほどハッキリと表立っては言わなくても、想う気持ちのない人がどうして来るっていうの? その気のない人は来ないでしょ! でも、実直な男子は、「夜も更けました。門も危ないみたいだしね」なんて笑って帰って行くケースもあるの。ほんとに想う気持ちが特に強い男子は「早くっ!」なんて、何度も何度も追いやられるんだけど、それでも居座って夜を明かすもんだから、何回も(使用人たちが)見回りに来て、でも夜が明けてしまいそうな感じだから、レア過ぎだろ!こんな奴いねーよ!って思って、「ひどいよねぇ、門を今夜はだらしなく開けっぱなしにしてー」って聞こえるように言って、苦々しく明け方に門を閉めるなんていうの、どんだけ憎ったらしいかしら! 親が同居してたら、やっぱそういうことになるのよねー。ましてや、実の親じゃない場合は、どう思ってるんだろ?って遠慮しちゃうわよ。兄の家なんかでも、気づまりな間柄だったら遠慮もするでしょうしね。


----------訳者の戯言---------

原文に「今宵らいさうとあけひろげて」とあります。「らいさう」というのは、漢字で「懶散(らいさう)」と書くらしいですね。だらけてる、だらだらしている、たるんでる、というような意味だそうです。こんな熟語、一生使いませんけどね。

これまでにも「囂し(かしがまし)」(=やかましい、うるさい)という漢字とか、「盥(たらい)」っていう字とか、「闈(みかど)」(=宮中の門の鍵)とか、見たことのない、一生書くこともないような漢字がちょいちょい出てきましたけど、またかよ。かんべんしてくれよー。という感じです。

この段、原文を読んでいただくとわかるかと思いますが、ものすごく訳しにくいです。
どう解釈したらいいのか、主語が明確に示されてていない箇所も多いですし、誰がどう思って、何言ってるんですか?みたいな感じですよね。ふわーっとしてます。私だけですか。
これ、人によって解釈違ってきそうですね、まじで。間違っているかもしれないので、先に言い訳しておきます。

そんな時は清少納言の気持ちになって読みましょう。
せっかく、めっちゃグイグイ来てる男子(とその人のお供)を、家の者とか使用人とかが、迷惑がって、早く帰らせろー、門閉めろー、みたいな感じになってるの、親と同居してたら、憎たらしいけど、まあ仕方ないか。けど、実の親の家じゃなかったり(親戚とか知り合い?)、兄の家だったりしたら、遠慮もするし、気も遣いますわー。ということでしょうか。

わかったようなわからないようなまま、③に続きます。


【原文】

 この人の供なる者どもはわびぬにやあらむ、この客(かく)今や出づると絶えずさしのぞきて、けしき見る者どもを笑ふべかめり。まねうちするを聞かば、ましていかにきびしく言ひとがめむ。いと色に出でて言はぬも、思ふ心なき人は、必ず来などやはする。されど、すくよかなるは、「夜ふけぬ。御門あやふかなり」など笑ひて出でぬるもあり。まことに心ざしことなる人は「はや」などあまたたび遣(や)らはるれど、なほ居明かせば、たびたび見ありくに、明けぬべきけしきを、いとめづらかに思ひて、「いみじう、御門を今宵らいさうとあけひろげて」と聞こえごちて、あぢきなく暁にぞさすなるは、いかがはにくきを。親添ひぬるは、なほさぞある。まいて、まことのならぬは、いかに思ふらむとさへつつまし。兄人(せうと)の家なども、けにくきはさぞあらむ。