枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、「わかりやすい」「初心者向け」となっているとは思いますがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

職の御曹司におはします頃、西の廂にて⑥ ~「これいつまでありなむ」と~

 「この雪の山、いつまで残ってるでしょうね」って、定子さまが女房たちにおっしゃったところ、「十日はあるでしょう」「十日過ぎても残ってるでしょう」とかって、だいたいその辺の時期を全員が申し上げたのね。で、私にも「どう?」ってお尋ねになるもんだから、「一月十日過ぎまでは残ってるんじゃないでしょうか」って申し上げたら、定子様、いくらなんでもそれはないわね、って思ってらっしゃったみたい。女房たちはみんな、年内、大みそかまでも残ってはないでしょう、ってばっか申し上げて譲らないから、あんまり大きくはずしたタイミングをお答えしてよかったのかなー、到底ありえないんじゃないかしらん、一月一日とかって言うべきだったかな?って内心では思ったんだけど、そこまで残んなくても、ま、いいや! 一回言っちゃったことだし、って、意地になって反抗しちゃったのよね。

 二十日頃に雨が降ったけど、消えるような感じもなくって。少し低くなっていくの。「白山の観音さま、どうかこの雪山を消えさせないでください」って、私、祈ったんだけど、イカれてるよね。


----------訳者の戯言---------

原文の「えしもや」ですが、副詞「えしも」+係助詞「や」から来ているようです。動詞「あら」+助動詞「じ」=「あらじ」が省略されているのでしょう、意味は「とうてい~~(ありえないんじゃないか)」という感じでしょうか。

「ものぐるほし」とありますが、「徒然草」の序段に「怪しうこそ物狂ほしけれ」と出てきました。
「頭おかしい」「イカレてる」「ばかげてる」といった感じです。

今度は作った雪山が「いつまで残るか」という予想合戦ですか。話の趣旨がコロコロ変わります。


【原文】

 「これいつまでありなむ」と、人々にのたまはするに、「十日はありなむ」「十余日はありなむ」など、ただこの頃のほどを、ある限り申すに、「いかに」と問はせ給へば、「正月の十余日までは侍りなむ」と申すを、御前にもえさはあらじとおぼしめしたり。女房はすべて年のうち、つごもりまでもえあらじとのみ申すに、あまり遠くも申しつるかな、げにえしもやあらざらむ。一日などぞいふべかりけると下(した)には思へど、さはれ、さまでなくとも言ひそめてむことはとて、かたうあらがひつ。

 二十日(はつか)のほどに雨降れど、消ゆべきやうもなし。少したけぞ劣りもて行く。「白山(しらやま)の観音これ消えさせ給ふな」[こ]と祈るも、ものぐるほし。

 

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これで読破! 枕草子 上

これで読破! 枕草子 上

 

 

職の御曹司におはします頃、西の廂にて⑤ ~さて、師走の十余日のほどに~

 そして、十二月も十日余り過ぎたころ、雪がすごく降ったからって、女官なんかが、縁側にすごくたくさんの雪を集めて置いたのを「どうせだったら、庭にほんとの雪山を作らせましょう」って、侍を呼んで「(中宮さまからの)お達しですから」って言ったら、集まって作りはじめたの。主殿寮の官人で、お掃除に来ていた者たちもみんな寄ってきて、すごく高い雪山ができ上ったのね。中宮職の役人なんかも集まってきて、なんやかや言いながら面白がってるのよ。3、4人しかいなかった主殿寮のスタッフたちも20人ほどにまでなったんだから! 家に帰ってる侍も召集するために人を遣わすほどでね。「今日、この山を作るのに参加した人には3日の休暇を出しますよ。逆に来なかった人は3日分の休日返上ね」なんてお達しが出たもんだから、これを聞いて慌てて来た人もいたりして。でも家の遠い人には知らせられなかったけれど。

 作り終わったので、中宮職の役人を呼んで、下賜品として絹二巻セットを縁に投げ出したのを、一つずつ取って拝みながら腰に差して、みんな退出していったのね。袍(うへのきぬ=上着)なんかを着てた者は、狩衣に着替えたまんまで帰ってったわ。


----------訳者の戯言---------

「侍(さぶらひ)」というのは、そもそも有力貴族や諸大夫に仕える、通常は位階六位どまりの下級技能官人層を意味した言葉だそうです。
お察しの通りですが、「さぶらひ」、つまり元々は「侍ふ(さぶらふ)」という動詞から来ています。

まあ次第に、中でも武芸を仕事内容とする技能官人である「武士」を指すことが多くなったようですね。で、所謂「侍」=「サムライ」になっていきます。「ラストサムライ」のサムライ。トム・クルーズですね。いや、渡辺謙ですね。
で、現代、スポーツとかで言われるところの「サムライジャパン」とか「サムライブルー」とかにつながっていると。

前にも出てきたと思いますが、袍(うへのきぬ)は今でいう上着、スタイルはテーラードジャケットですね。狩衣はカジュアルスタイルです。

女法師やら、尼さんやらのお話かと思いきや、庭に雪山を作る話。で、その程度のことに参加したくらいで3日も有給休暇もらえるって! 逆に来なかった人は休みがなくなるって。なかなかのブラック組織です。中宮ほどの方が言ったら、なんでもあり的な。

ますます今後の展開がわからなくなってきましたが。⑥に続きます。


【原文】

 さて、師走の十余日のほどに雪いみじう降りたるを、女官どもなどして縁にいとおほく置くを、「同じくは、庭にまことの山を作らせ侍らむ」とて侍召して、「仰せごとにて」<と>いへば、集まりて作る。主殿寮の官人の御きよめに参りたるなどもみな寄りて、いと高う作りなす。宮司なども参り集まりて、言加へ興ず。三四人参りつる主殿寮の者ども二十人ばかりになりにけり。里なる侍召しに遣はしなどす。「今日この山作る人には日三日賜ぶべし。また、参らざらむ者は、また同じ数とどめむ」などいへば、聞きつけたるはまどひ参るもあり。里遠きはえ告げやらず。

 作りはてつれば、宮司召して衣二結ひ取らせて縁に投げ出だしたるを、一つ取りに取りて、拝みつつ、腰にさしてみなまかでぬ。袍など着たるは、さて狩衣にてぞある。

 

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職の御曹司におはします頃、西の廂にて④ ~その後、また、尼なる乞食~

 その後、また尼さんスタイルの物乞いの、すごく品があってきれいな人が現れたから、呼び寄せてお話を聞いてたら、とっても恥ずかしそうにしたもんだから、かわいそうでね、例の衣を一着持たせたんだけど、伏し拝んだのはまあいいとして、泣いて喜んで帰っていくのを、ちょうど「常陸の介」が来てて見てたのよ。その後、長く姿が見えなかったんだけど、誰が彼女のことを思い出すかしら。思い出さないわよね。


----------訳者の戯言---------

かたゐ(=乞丐or乞児)というのは乞食のことだそうです。

というわけで、今度は別の物乞いの尼さんが登場。下品な「常陸の介」とは対照的に上品できれい、とのこと。

常陸の介」ときたら、本段冒頭で派手に登場しておきながら、姿を現さなくなり、忘れられるという、まさかの展開。この先どうなる?
⑤に続きます。


【原文】

 その後、また、尼なる乞食(かたゐ)のいとあてやかなる出で来たるを、また呼び出でてものなど問ふに、これはいとはづかしげに思ひてあはれなれば、例の衣一つたまはせたるを、ふし拝むはされどよし、さてうち泣きよろこびて往ぬるを、はやこの常陸の介は来あひて見てけり。その後久しう見えねど、誰かは思ひ出でむ。

 

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枕草子 ─まんがで読破─

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職の御曹司におはします頃、西の廂にて③ ~後、ならひたる~

 その後、学習したのか、彼女、いつもわざわざ目につくように、うろうろするようになったの。で、まんまなんだけど、「常陸の介」ってニックネームをつけたのよ。服も白いのに替えてなくって、前とおんなじで汚れてたもんだから、あれはいったいどこにやったんだろ、とかって、ヤな感じはしてたのね。

 右近(左近?)の内侍が参上してきた時、定子さまが「こうこうこういう者を、おしゃべりしたりなんかして親しくなって、ここのお抱えにしてるようなのね。上手いこと言って、いつも来てるのよ」って、小兵衛っていう女房にまねをさせて、お聞かせになったものだから、「その人、何とかしてお見せいただきたいですわ。こちらのお馴染みさんみたいだから、絶対横取りしたりはしませんから」なんて言って、笑うの。


----------訳者の戯言---------

「右近(左近?)の内侍」というのは、一条天皇に仕えてる女房の一人だそうです。

かの女法師、どうやら多少の嫌悪感は持たれつつも、定子サロンの専属となった模様。何だか面白げなので、右近(左近?)の内侍も興味津々です。
④に続きます。


【原文】

 後、ならひたる<にや>あらむ、常に見えしらがひあり<く>[て]。やがて常陸の介とつけたり。衣も白めず、同じすすけにてあれば、いづち遣りてけむなどにくむ。

 <右>[左]近の内侍(ないし)の参りたるに、「かかるものをなむ語らひつけておきためる。すかして、常に来ること」とて、ありしやうなど、小兵衛といふ人にまねばせて聞かせさせ給へば、「かれいかで見侍らむ。必ず見せさせ給へ。御得意ななり。さらによも語らひとらじ」など笑ふ。

 

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新潮日本古典集成〈新装版〉 枕草子 上

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職の御曹司におはします頃、西の廂にて② ~若き人々出で来て~

 若い女房たちが出てきて、「ご主人はいるの?」「お子さんはいるの?」「どこに住んでるの?」とか、口々に聞いたんだけど、面白いことや冗談なんかを言うもんだから、さらに「歌は歌います? 舞なんか舞ったりするかしら?」って。尋ね終わらないうちに、

「夜は誰とか寝む 常陸の介と寝む 寝たる肌よし~(夜は誰と寝ようかしら? 常陸の介と寝ようかしら? 寝てる肌がいいのよ~♪)」

って。で、その後半の歌のパターンはすごく多くて長いのね。それから、

「男山の峰のもみぢ葉 さぞ名は立つや さぞ名は立つや~(男山の峰のモミジの葉は まじ評判がいいよ 評判いいよね~♪)」

って、頭をぐるぐる回すの。すごく憎ったらしくて。若い女房たちは、たしかに笑えるんだけどムカついてもきて、「もう帰って、帰って!」って言うもんだから、私は「それはかわいそう。何かあげましょうよ」って言ったの。それを定子さまがお聞きになって、「どうしてあんな恥ずかしい歌を歌わせたの? 聞いてられなくって、耳を塞いでたわ。その服を一枚あげて、もう早く帰らせて」っておっしゃったから、「これ、あなたに下さったわよ。服が汚れてるから、この白いのを着て!」って投げ渡したら、伏して拝んで、肩に掛けて舞ってるじゃないの! 本当に腹立てて、みんな部屋の中に入っちゃったのよね。


----------訳者の戯言---------

「男山の峰のもみぢ葉、さぞ名は立つ」というのは、当時の俗謡=通俗的な歌、つまりポピュラーソングの一つですね。この「もみぢ葉」「名は立つ」がどういう意味なのかが気になります。いわゆる「モテモテ」みたいな意味ではないかと思うのですが、良い訳がなかなか見つかりません。上の訳とは別バージョンで、

男山の峰のもみじの葉やないけど、めっちゃモテモテ!めっちゃモテモテ!

というのも候補として考えてみました。が、これを歌った人の真意、聴いた人の真意というのがわかりませんしね。まあ、そんな感じです。

「男山」っていうのは京都の八幡市のほうにある山ですね。今ももちろんあります。石清水八幡宮のあるところです。

原文で出てくる「まろばし」は「まろばす」の連用形です。漢字では「転ばす」と書くそうです。頭を「グルグル回し」て、踊ったんでしょう。

ま、歌の内容とか語感とかもなんか下品ですし、下ネタなのかどうかよくわからないんですけど、その一連の様子がトータルに変だったような気もします。踊りとかもね。で、大げさな感じがかえって顰蹙買うみたいな。
素人でも芸人でも、受けようとして必要以上にやる人いますね。で、ちょっとウケたら、エスカレートして、結局は「おもんない奴」として終了のパターンですね。

さて、まだまだ先は長いのでどうなるのかわかりませんが、今のところこんな感じです。③に続きます。


【原文】

 若き人々出で来て、「男やある」「子やある」「いづくにか住む」など口々問ふに、をかし<き>言(こと)、そへ言などをすれば、「歌はうたふや。舞などはするか」と問ひもはてぬに、「夜は誰とか寝む。常陸の介と寝む。寝たる肌よし」これが末、いとおほかり。また、「男山の峰のもみぢ葉、さぞ名は立つや、さぞ名は立つや」<と>頭をまろばし振る。いみじうにくければ、笑ひにくみて、「往ね、往ね」といふに、「いとほし。これに何取らせむ」といふを聞かせ給ひて、「いみじうかたはらいたきことはせさせつるぞ。え聞かで、耳をふたぎてぞありつる。その衣一つ取らせてとく遣りてよ」と仰せらるれば、「これ、たまはするぞ。衣すすけためり。白くて着よ」とて、投げ取らせたれば、ふし拝みて、肩にうち置きては舞<ふ>[た]ものか。まことににくくて、みな入りにし。

 

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マンガで楽しむ古典 枕草子

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職の御曹司におはします頃、西の廂にて①

 職の御曹司に定子さまがいらっしゃった頃、西の廂の間で不断(ふだん)の読経があって、仏様の絵なんかをかけてお坊さんたちが集まってるんだけど、それはまあいつものことなの。

 それがはじまって二日ほどたってから、縁側のところで卑しい者の感じの声で、「やっぱりあの仏様のお供えのお下がりをお分けくださいな」って言うから、「何でやねん! もうかよ!」ってお坊さんたちは言ったんだけど、私が、何てこと言うんだ、って出てって見たら、ちょっと年取った女法師がすごく汚ならしい着物を着て、猿みたいな感じで言ってるのよ。「あの人は何言ってんの?」って私が聞いたら、その女法師が声を取り繕って、「私も仏様の弟子でございますから、御仏のお供えのお下がりをいただきたいと申してるんですが、このお坊さまたちは出し惜しみなさるのです」って言うのね。その声は華やかで、優雅なの。このような者はしょんぼりしてたほうが哀れな感じがするんだけど、ヤケに華やかな感じだなって思って、「他の物は食べないで、仏様のお下がりだけを食べてるんですね。すごく尊いことですね」なんて返すこちらの様子を知ってか、「どうして他の物を食べない、なんてことあります? それがないからこそ、いただこうとしてるんじゃないですか」って言うのよね。で、果物やのし餅なんかを、容れ物に入れてあげたら、やたらと仲良くしてきて、色んなことを話すようになったの。


----------訳者の戯言---------

「職の御曹司におはします頃」と言えば、前にも「職の御曹司におはします頃、木立など」という段がありました。それと同時期のできごとなのでしょう。

前にも書いたことの繰り返しですが、「長徳の変」のあおりを受け後遺症的に謹慎状態だった定子が、その謹慎期間が明けた直後、「職の御曹司」に長期滞在していた時期があって、その時のことのようです。

えー、謎の女法師登場です。さてどんな人なのでしょうか。

ただ、この段、めちゃくちゃ長いです。読むのに1カ月くらいかかりそうな長さです。もちろん私の実力だと、なんですが。とはいえ、ま、頑張りたいと思います。


【原文】

 職の御曹司におはします頃、西の廂にて不断の御読経あるに、仏などかけ奉り、僧どものゐたるこそさらなる<こと>なれ。

 二日ばかりありて、縁のもとにあやしき者の声にて、「なほかの御仏供(ぶく)<の>おろし侍りなむ」といへば、「いかでか、まだきには」といふなるを、何のいふにかあらむとて、立ち出でて見るに、なま老いたる女法師の、いみじうすすけたる衣を着て、猿様にていふなりけり。「かれは、何事いふぞ」といへば、声引きつくろひて、「仏の御弟子に候へば、御仏供のおろし賜べむと申すを、この御坊たちの惜しみ給ふ」といふ。はなやぎ、みやびかなり。かかる者は、うちうんじたるこそあはれなれ、うたても、はなやぎたるかなとて、「こと物は食はで、ただ仏の御おろしをのみ食ふか。いとたふときこと」などいふけしきを見て、「などかこと物も食べざらむ。それが候はねばこそ取り申せ」といふ。菓子、ひろき餅などを物に入れて取らせた[ら]るに、むげに仲よくなりて、よろづの事語る。

 

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さて、その左衛門の陣などに

 さて、左衛門の陣とかに行ったりなんかした後、里の実家に帰ってしばらくして「早く宮中に参内しなさい」なんて書かれた手紙が来て、その端っこに「左衛門の陣に出掛けてったあなたの後ろ姿がいつも思い出されるわ。でも何であんなに平然と古臭い恰好をしてたのかしら。めちゃいかしてるって思ってたの?」なんて書かれてたから、その返事には、「恐縮します」って書いて、私信のdisられてる部分へのレスには、「何でイケてないなんて思わなきゃいけないんです? 定子さまは『中なる乙女』みたいにご覧になってたって思ってましたけど?」って書いて送ったのね、そうしたら、返事が来て。「とっても贔屓にしてる藤原仲忠の不名誉になることをどうして言ってきたのよ。すぐ今夜のうちに、すべてのことをやめて参上しなさい。じゃないとすごく嫌いになっちゃうわ」って書かれてたものだから、「好ましくない、っていうだけでも大変なコト! ましてや『すごく嫌い』って文字が書かれてるわけだから、命も身もそのまま捨て去って行くしかないでしょ!」って宮中に参上したの。


----------訳者の戯言---------

左衛門の陣=建春門(けんしゅんもん)というのは、平安宮内裏外郭七門の一つで、東面の門。左衛門府の役人の詰め所があったので「左衛門の陣」と言われたのだそうです。

しかしそもそもなんですが、「あの、左衛門の陣とかに行った後」とあり、それで書き手読み手双方に「あーあの時ねー」っていう共通認識があたかもあるような書き方ですね。
ですが、これまでに出てきた段を調べても、「左衛門の陣 清少納言」と入れてGoogle先生に伺っても、ちょっとわからなかったです。そのへんの事情、というか、タイミングというか、もしご存じの方がいらっしゃいましたら、お教えいただけるとうれしいです。

「あの、左衛門の陣とかに行った後」とあるのは「職の御曹司におはします頃、木立など」の段で、「じゃあ、左衛門の陣(建春門)に行ってみましょう」って行ったらみんなついてきて…というあの逸話のようです。(ゆきお55様にご指摘いただきました)

ちょうど中宮定子が「職の御曹司(しきのみぞうし)」に滞在していた頃の話ですね。私、うっかり忘れていました。この辺の状況というのは、枕草子においては結構重要な要素であるにもかかわらずですね。というのも、政治的に定子の実家が権力闘争に敗れ、藤原道長の時代になり、中宮定子の立場が微妙になって、道長の娘・彰子優位へと変わろうかという時期で。清少納言はその辺の政治的なことはここまで一切書いてはいないんですが、そういう空気感はあります。今回、この段で実家に帰っていたのも、そのような背景があるのかもしれません。案外、清少納言という人はセンシティブな部分もあったようですからね。

「中なる乙女」というのは、少し前の段「かへる年の二月廿余日⑤」にも登場した「うつほ物語(宇津保物語)」で「藤原仲忠」が詠んだ歌のようですね。
「朝ぼらけ ほのかに見れば 飽かぬかな 中なる乙女 しばしとめなむ」(朝ぼらけの霞の中、ほのかに見えたのは、見飽きることがない乙女。もうちょっとの間見ていたいんだけどなぁ)というもの。
こんな感じに、中宮定子さまに、あたし見られてたはずだと清少納言は思いこんでた、ということなんですね。

なのに。
古臭せー、ダッセー、いけてねー、みたいなことを手紙に書いてこられた清少納言。当然ムッとしますわね。で、まあ、着こなしについてはここではあまり言及せず。宇津保物語のほうに話題が行きます。この辺、文学乙女の清少納言らしい。いつものように文学的に返したわけですね。というか男性のファッションチェックは細かい割に、自分のファッションチェックはあまりせず。どうして。

面伏せなること=顔をつぶすようなこと、ぐらいの意味でしょう。「不名誉」というか。
もっと言うと、「あなた、自分を天女、って? それ、あんたみたいなオバサンが、あんなBBAな服着て、なんぼなんでも、言い過ぎでしょ。仲忠の天女といっしょにすんなよ」とからかう定子さま。いや、こんな下品な言葉遣いはしませんが。定子側からすれば、そんなワケのわかんないこと言ってないで、とにかく早くこっちに帰ってきなさいよ、ということなのでしょうね。

が、実際には、私たちってこんなこと言い合えるくらいの間柄なのよと仲良しアピールする清少納言
定子も清少納言を近くにおいておきたいんでしょうし、清少納言も定子さまに嫌われるのはどうしても嫌なようで。ま、何だかんだ言ってこの二人、相思相愛という顛末。めでたしめでたし。


【原文】

 さて、その左衛門の陣などに行きて後、里に出でてしばしあるほどに、「とくまゐりね」などある仰せごとの端に、「左衛門の陣へいきし後ろ(=姿)なむ、常に思しめし出でらるる。いかでか、さつれなくうちふりてありしならむ。いみじうめでたからむとこそ思ひたりしか」など仰せられたる御返しに、かしこまりのよし申して、私(わたくし)には、「いかでかはめでたしと思ひ侍らざらむ。御前にも、『なかなるをとめ』とは御覧じおはしましけむとなむ思ひ給へし」と聞こえさせたれば、たちかへり、「いみじく思へるなる仲忠がお<も>[り]てぶせなる事は、いかで啓したるぞ。ただ今宵のうちによろづの事を捨ててまゐれ。さらずは、いみじうにくませ給はむ」となむ仰せごとあれば、「よろしからむにてだにゆゆし。まいて『いみじう』とある文字には、命も身もさながら捨ててなむ」とて参りにき。


検:さてその左衛門の陣などに

 

これで読破! 枕草子 上

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