枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

かへる年の二月廿余日③ ~御前の梅は~

 梅壺の前庭の梅は、西のは白く東のは紅梅で、少し散りかかってるけど、まだいい風情で。うららかな日差しがのどかで、人に見せたくなるほどなのよね。
 御簾の内側が、もっと若々しい女房なんかが、髪がうるわしくこぼれかかって……なんて物語で語られるような姿で受け答えしてるんだったら、もうちょっとは面白くって見どころもあるんでしょうけど、盛りはとっくに過ぎて古びてしまってる私みたいなのが、髪なんかも自分の髪じゃなくなってる(エクステ??)せいだからかなぁ、ところどころ乱れて絡まって、みんな、いつものみたいに華やかな色の服とは違う(喪服を着てる)時期で、色があるかないかぐらいの薄いグレーの上着に、色合いがはっきりしない着物ばっかりいっぱい重ね着してるんだけど、全然見映えもよくなくって、定子さまもお見えにならないから、裳も付けてないし、袿姿でいたのが、せっかくの雰囲気ぶち壊しで残念なことだったわ。


----------訳者の戯言---------

薄鈍=薄い鈍色、です。鈍色というのはグレーですね。リンク参照ください。

裳(も)というのは、「表着の上で腰に巻いて、後ろに裾を長く引くもの」だそうです。礼装でそういうのがあったらしい。

袿(うちぎ/うちき)というのは、以前、「今内裏の東をば」という段で出てきました。主に女性が着る長い上着で、男性が中着として着用する場合もあるらしいやつです。
私が見た感じ別にラフすぎるようには思えないですが、当時の日常着、普段着という位置づけの装いなのだそうですね。

原文で「おほかた色ことなる頃なれば」(みんな、いつものみたいに華やかな色の服とは違う時期で)とありますが、この時期は前の関白、つまり藤原道隆中宮定子の父が亡くなって1年たっていない頃のようで、つまり喪中であるため、近しい者は派手な着物は避け地味な色を着ていたようです。

というわけで、美男子の頭の中将・藤原斉信に対して、私(清少納言)のほうは、どんなかと言えば、若いコだったらいいんだろうけど、こんなオバサンだし、着てるものも喪中だから地味だし普段着だし、と、清少納言、柄にもなくコンプレックス感じまくり、自嘲気味。藤原行成の時もそうでしたが、颯爽としたエリート美男子の前では、乙女になりがちなのかもしれません。


【原文】

 御前の梅は西は白く東は紅梅にて、少し落ちがたになりたれどなほをかしきに、うらうらと日のけしきのどかにて、人に見せまほし。御簾の内にまいて若やかなる女房などの、髪うるはしくこぼれかかりてなど言ひためるやうにて、もののいらへなどしたらむは、今少しをかしう見所ありぬべきに、いとさだ過ぎふるぶるしき人の、髪などもわがにはあらねばにや、所々わななきちりぼひて、おほかた色ことなる頃なれば、あるかなきかなる薄鈍(うすにび)、あはひも見えぬ<うす>[きは]衣などばかり[など]あまたあれど、つゆの映えも見えぬに、おはしまさねば、裳も着ず、袿(うちき)姿にてゐたるこそ、物ぞこなひにて口惜しけれ。

 

枕草子 (新 日本古典文学大系)

枕草子 (新 日本古典文学大系)

 

 

かへる年の二月廿余日② ~久しう寝起きて下りたれば~

 いっぱい寝て、起きて自分の部屋に戻ったら、「昨日の晩、どなたかがすごく戸を叩かれたから、やっとのことで起き上がって応対したところ、『上に行っていらっしゃるのですか、だったら、かくかくしかじか申し上げてくれないかな』ってことだったんですけど、まさかこんな時刻に起きられるなんてないだろうって、私、寝てしまったのです」って言うのね。
 心無い対応をしたもんだわねぇ、って聞いてたら、主殿司が来て、「頭の中将がおっしゃってました、『今まさに、退出するんだけれども、お話ししたいことがあるんですよ』って」と言うもんだから、「しなきゃいけないことがあるから、御前に上がります。そこで会いましょう」って言って、使いの主殿司を帰したの。

 自分の局だと彼が戸を引き開けて来るんじゃないかって、ドキドキして困っちゃうから、梅壺の東側の半蔀を上げて、「こちらへどうぞ」って言ったら、麗しい様子で歩いてこられたのよね。

 桜襲の綾の直衣がとっても華やかで、裏の艶なんか、言いようがないほど清らかで、葡萄染(えびぞめ)のとても濃い指貫には藤の花の折枝の模様をおおげさなくらい織り散らして、下の衣の紅の色や打目なんかは輝くように見えるの。で、白や薄色のシャツを何枚も重ね着してて。狭い縁に、片足は縁から下におろして、少し簾の近くに寄って座っていらっしゃる姿は、ほんと、絵に描いたり、物語で素晴らしいこと、って言ってるのは、こういうことなんだな、っていうように見えたものだわ。


----------訳者の戯言---------

「主殿司」は宮中の雑務担当職員です。すぐ前の段にも出てきていました。

半蔀(はじとみ)というのは、寝殿の開口部、窓のようなものです。上半分を外側へ吊り上げるようにし、下半分をはめ込みとした蔀戸(しとみど)ということです。では、蔀戸とは何ぞや? はい、「板の両面に格子を組んだ戸」です。「吊り上げる式の戸全般」をこう言ったんですね。ま、重かったらしいですから、半蔀として上半分吊り上げるくらいでちょうどいいのでしょう。ほんまかいな。

「桜の綾の直衣」と出てきます。これは桜襲(さくらがさね)の綾の直衣のことであり、実は「三月三日は」の段でも「桜直衣」というのが出てきました。表地は白で、裏地が二藍(藍+紅、つまり紫系の色に染めた生地)の直衣なのですが、この段のは「綾」とありますから、綾織で文様を織り出してるのではないでしょうか。
 この色の直衣は、これまでにもよく登場しています。清少納言が個人的に「おっしゃれー」と思っていたのか、それとも世間一般にオシャレアイテムだったのかはよくわかりませんが、だいたいいい男がこれを着ている感じですね。

「葡萄染(えびぞめ)」というのは、赤みがかった紫色です。「過ぎにし方恋しきもの」の段に詳しく書いていますので、よろしければご参照ください。

原文に「おどろおどろしく」という語が出てきますが、これは古語では「おおげさに」という意味の語です。もしくは「ものすごい」くらいの感じでしょうか。「いかにも恐ろしい」「気味が悪い」という意味もあったようですが、今に至ってはこっちのほうだけが残ったようですね。「おどろおどろしい」。夢野久作横溝正史の小説の雰囲気を表現する時に使う感じですね。

打目というのは、絹を砧で打ったときに生じる光沢の模様のことだそうです。

「薄色」はやや赤みのある非常に薄い薄紫。「七月ばかりいみじう暑ければ」に出てきましたのでご参照ください。

ちょっと私、前段では、後に道長派に転じた彼のことを、清少納言が快く思ってないんじゃないかと誤解していたかもしれません。この段は、前段で仲直りしてから、1年くらい後の話ですが、清少納言、頭の中将(藤原斉信)をかなり高評価しています。男前だったのか。目がハートになりそうな感じでさえあります。
果たして、この後どういう展開になるのか。
③に続きます。


【原文】

 久しう寝起きて下りたれば、「昨夜(よべ)いみじう人の叩かせ給ひし、からうじて起きて侍りしかば、『上にか、さらば、かくなむと聞こえよ』と侍りしかども、よも起きさせ給はじとて臥し侍りにき」と語る。心もなのことやと聞くほどに、主殿司来て、「頭の殿の聞こえさせ給ふ、『ただ今まかづるを、聞こゆべきことなむある』」といへば、「見るべきことありて、上へなむのぼり侍る。そこにて」と言ひてやりつ。

 局は引きもやあけ給はむと心ときめき、わづらはしければ、梅壺の東面、半蔀あげて、「ここに」といへば、めでたくてぞあゆみ出で給へる。

 桜の綾の直衣のいみじうはなばなと、裏のつやなどえも言はず清らなるに、葡萄染のいと濃き指貫、藤の折枝おどろおどろしく織り乱りて、紅の色、打目など輝くばかりぞ見ゆる。白き、薄色など、下にあまたかさなりたり。せばき縁に片つかたは下ながら少し簾のもと近う寄りゐ給へるぞ、まことに絵にかき、物語のめでたきことに言ひたる、これにこそはとぞ見えたる。

 

すらすら読める枕草子

すらすら読める枕草子

 

 

かへる年の二月廿余日①

 翌年の二月二十日を過ぎた時、定子さまが職の御曹司にお出かけになるお供をせずに、私が梅壺に残っていた次の日、頭の中将(藤原斉信)からお手紙が来て、「昨日の夜、鞍馬寺に参詣しに来たのだけど、今夜は方角が悪いので、方違えするつもりです。夜明け前には宮中に帰る予定です。必ず言っておかなければいけないことがあるので、あまり大きな音で戸を叩かなくてもいいようにして、待っててください」とおっしゃってたんだけど、「どうして局に一人でいるのです? こちらに来て寝なさい」って御匣殿(みくしげどの)がお呼びになったから、参上したの。


----------訳者の戯言---------

「宮の職」というのは職の御曹司のことだそうです。前にも出てきましたが、「職の御曹司=職曹司」というのは、皇后に関する事務全般をやっていた中務省に属する役所「中宮職」の庁舎です。

梅壺というのは、天皇の后妃が暮らす建物のうちの一つだそうです。

方違え(かたたがえ)というのは、目的地の方角の縁起が良くない時に、前の夜に別方角に行って一泊してから目的地へ向かう行き方したらしいです。それのことです。

御匣殿(みくしげどの)というのは、中宮定子の妹君だそうです。

「翌年の~」という出だしで、しかも「頭の中将」が出てきましたから、前の段の続編なのでしょう。藤原斉信、なんかちょっかい出してくるのでしょうか。
②に続きます。


【原文】

 かへる年の二月廿余日、宮の職へ出でさせ給ひし御供に参らで、梅壺に残りゐたりしまたの日、頭の中将の御消息とて、「昨日の夜、鞍馬に詣でたりしに、今宵、方のふたがりければ、方違へになむ行く。まだ明けざらむに帰りぬべし。必ずいふべきことあり。いたう叩かせで待て」とのたまへりしかど、「局に一人はなどてあるぞ。ここに寝よ」と、御匣殿の召したれば、参りぬ。

検:かへる年の二月廿日よ日

 

あなたを変える枕草子

あなたを変える枕草子

 

 

頭の中将の、すずろなるそら言を聞きて⑤ ~物語などしてゐたるほどに~

 そうして、おしゃべりなんかしていたら、「ちょっと」って中宮さまに呼ばれたから、御前に参上したところ、ちょうどこの件をお話しなさってるところだったの。「帝がこちらにおいでになって、お話して聞かせてくださったの。男の人たちはみんなあの返歌を扇に書き付けて、持ってるんですってよ」なんておっしゃるけれど、ほんと呆れてしまっちゃうコトで、いったい何が私にあんなことを思いつかせたのかと思って。

 でもその後、頭の中将も袖で顔を隠すようなことはやめちゃって、私に対する接し方も思い直したようでしたわ。


----------訳者の戯言---------

例によって、自慢話披露の段です。

③でも少し書きましたが、たしかにこれ、「白氏文集」と「大納言公任集」の内容を「そら」で言えるくらい熟知してないと清少納言のこの「返し」はできないんですね。機転も利いています。さすが。

で、当然のことながら、④では方々から絶賛、感心され、元夫なんかは自分の名誉のごとく喜んでいて、その様子がまた彼女のプライドを満たしてくれるという多重構造の自画自賛

ま、そもそも頭の中将(藤原斉信)からあらぬ理由で、そしりを受けていたわけで、それを覆すほどのリプライを返すことができ、結果、斉信も改心したという、めでたしめでたしのお話ということで、単なる自慢話ではなく、清少納言に同情できるというのが、この段の肝です。

藤原斉信が定子サロンに出入りしていた頃、ということはまだ長徳の変が起こる前。以前登場した藤原行成、ずいぶんなおしゃべり源中将(=源宣方)、それに元夫で今は兄妹のような仲の橘則光、といった面々との華やかな関わり合い。後年、中宮彰子を擁して政治的に藤原道長が強大な権力を持ち、これとは逆にパワーダウンしていった中関白家、その没落前の光景の一つなのでしょう。
後に道長の側近として重用されるに至る藤原斉信に一泡吹かせた形になっているのは、そもそも意図したものなのかもしれない、と私は思います。

しかし長いです。この段、GW明けから読み始めて今までかかりました。いろいろ用事もあったものの、時間かかりましたねー。結構、疲れました。この後も長い段がかなりあります。私、読み続けられるのでしょうか??


【原文】

 物語などしてゐたるほどに、「まづ」と召したれば、参りたるに、このことおほせられむとなりけり。「上わらはせ給ひて、語り聞こえさせ給ひて、をのこどもみな扇に書きつけてなむ持たる」など仰せらるるにこそ、あさましう、何の言はせけるにかとおぼえしか。

 さて後ぞ、袖の几帳など取り捨てて、思ひなほり給ふめりし。


検:頭の中将のすずろなるそら言を聞きて

 

 

頭の中将の、すずろなるそら言を聞きて④ ~みな寝て、つとめて~

 みんな寝てしまって、翌日は早朝から局に下がってたんだけど、中将の源宣方の声で「ここに『草の庵』はいます?」って、大げさに言ってきたもんだから、「変なのー。なんでそんなみすぼらしげな者がいるっていうの? いないわよ。『玉の台(うてな)』って言ってお探しなのなら、お答えもできるでしょうけどね」って、言ったの。

「ああよかった。下の局にいたんですね。上の御局を尋ねようとするところでしたよ」

って、昨夜のいきさつを、

「頭中将の宿直所(とのいどころ)に、少し気の利いてる人はみんな、六位の者までもが集まってですね、いろんな人の噂話を昔から今に至るまで、おしゃべりしてて、そのついでに頭中将がこう語ったんですよ。『彼女とはすっかり絶交しちゃったんだけどね、やっぱそのままにしておくなんてできないし。もしかして何か言ってくるんじゃないかって待ってたんだけど、彼女ときたら全然何とも思ってない、つれない感じで、それもすごく憎ったらしくてさ、今夜こそこのままじゃイケナイのか、それともこれでOKか、はっきりと決着をつけちゃおう』って。で、みんなで相談して書いた文を持たせて遣わしたんだけど、『《今すぐには見ない》って部屋に戻って行っちゃいました』ってメッセンジャー役の主殿司が言って来たもんだから、また追い返してね、『とにかく手を掴んで身動きできないようにしてでも、有無を言わさず返事をもらってくるか、GETできないんだったら、持ってった手紙自体返してもらって来てよ』って戒めて、あんなに降ってる雨のさ中に行かせたら、すごく早く帰ってきたんですね。で、『これです』って、差し出したのが、さっきのあの手紙だったから、返事が来たんだと思って、見た瞬間すぐに叫び声を上げて、『わからんねー。どゆこと?』って、みんな寄って来て見たら、『(藤原公任の下の句をそのまんま持ってくるなんて)なんてすごい盗人なんだろ。やっぱこのまま絶交したままにはできないなぁ』って、手紙を見て大騒ぎして、『これの上の句を付けて送ろう、源中将何かつくってよ』なんて、夜更けまで、上の句を付けるのに悩んで、結局付けられずに終わったことは、『今後ずっと語り継がれるエピソードだろうよね』とかって、みんなで決定したわけなんですよ」

なんて、こっちがとっても恥ずかしくなるくらいまで語って、

「今、あなたの名前を『草の庵』って付けました!」

と言って、急いでお立ちになったから、

「そんなめちゃくちゃ印象悪い名前が後世に残っちゃうのはやだわね」

って言ってたら、今度は(元夫の)修理の亮、橘則光がやってきて、

「すごく喜ばしいことを申し上げようって、中宮の御局のほうに居るんじゃないかって、参上したところなんだよね」

だって。

「どうしたのよ。人事異動があるって話も聞かないんだけど、何におなりになったの?」

って質問したら、

「いやいや、ほんとにすごくうれしいことが昨日の夜にあってね、早く知らせたくて夜が明けるのが待ち遠しいくらいだったんだ。こんな誇らしい気持ちになることって今まで無かったよ」

と、最初っから事の次第を、中将がお話しになったのと同じことを言って、

「『ただ、この返事の内容次第では、今後の付き合いはやめてしまうしかないね。一切そんな者がいたってことさえ考えないようにしよう』って頭中将がおっしゃったから、みんなである限りの知恵を絞って、お送りになったんだけど、使いのメッセンジャーがただ手ぶらで帰ってきたのは、かえって良かった、ホッとしたんだよ。で、その後で返事を持って帰ってきた時は、どうしたもんだろう、ってドキドキしちゃってね、ほんとにダメダメな内容だったら、兄貴分の自分にとっても体裁が悪いことになるんじゃ、って思ってたんだけど、そんなじゃなくって、そこにいた人たちみんなが褒めたたえて、『お兄さん、こっちに来て。これ聞いてよ』っておっしゃったもんだから、内心はめちゃくちゃうれしかったんだけどね、『そういう和歌の方面には、そんなにお付き合いできないほうですから』って申したら、『意見を言えとか、聞いて理解しろっていうんじゃないんだ。ただ、彼女本人に話してやれってことで、聞かせるんだよ』っておっしゃるの、それはちょっと兄貴分としては、情けない言われようだったけど、みんなが上の句を付けようとトライしても、『どうにも付けようがないねぇ。実際問題、この手紙に返歌するべきなのかな?』なんて相談しあって、『全然だめじゃん、とか言われたら、逆に悔しいからね』って夜中まで話し合ってたよ。これは、私にとっても、あなたにも、すごくHAPPYなことじゃないですか! それに比べたら、人事異動で少々の官位をもらったとしても、そんなの何とも思わないくらいのことだよ」

って言うから、ほんと、大勢の人たちでそういうことを画策してたとは知らないで…忌々しい思いをするところだったんじゃないのかナって、そう考えたら、胸がつぶれるような気持ちになったの。こうやって「妹」「兄」っていう関係は帝までみんな周知のことで、殿上の間でも彼は官名で呼ばれないで「兄人(しょうと)」って呼ばれてたのよね。


----------訳者の戯言---------

④の冒頭部分の下り。
「掘立小屋ちゃん、いますかぁ?」「いやいやいやいや、セレブリティレジデンス姫っていう人だったら、たぶんいるんじゃないかしらねー」ぐらいのくだらん会話です。
センスが古臭いんですね。当たり前ですか、平安時代ですもんね。

修理の亮(すりのすけ/しゅりのすけ)則光というのは橘則光のことだそうです。修理というのは正確に言うと「修理職(すりしき/しゅりしき)」で、平安時代に設置された令外官です。主に内裏の修理造営を司る部署でした。亮(すけ)は次官。ここで登場した橘則光は、清少納言の元夫。後半に書かれていますが、離婚した後も兄妹のような友好的な関係だったらしく、周囲もそれを認めていたようです。

原文にある「司召」というのは人事異動のことだそうです。

こかけをしふみし=こ影をし踏みしというのは、意味が判明してないそうです。文脈から推察して「今後は関わらないようにしよう」的な訳になりました。

しかし、出てきた男の人たち、喋りすぎでしょう。みんな意外と饒舌、おしゃべり男です。いずれも悪い人ではなさそうですけどね。

概ね逸話の内容がわかりました。
あと少し。⑤に続きます。


【原文】

 みな寝て、つとめていととく局に下りたれば、源中将の声にて、「ここに草の庵やある」と、おどろおどろしくいへば、「あやし。などてか、人げなきものはあらむ。『玉の台(うてな)』と求め給はましかば、いらへてまし」といふ。

 「あな、うれし。下<に>[と]ありけるよ。上にてたづねむとしつるを」とて、昨夜(よべ)ありしやう、頭の中将の宿直所に、少し人々しき限り六位まで集まりて、よろづの人の上、昔今と語り出でて言ひしついでに、「『なほこの者、むげに絶えはてて後こそ、さすがにえあらね。もし言ひ出づることもやと待てど、いささか何とも思ひたらず、つれなきもいとねたきを、今宵あしともよしとも定めきりてやみなむかし』とて、みな言ひあはせたりしことを、
『「ただ今は見るまじ」とて入りぬ』と、主殿司が言ひしかば、また追ひ返して、『ただ、手を捉へて、東西せさせず乞ひ取りて、持て来ずは、文を返し取れ』といましめて、さばかり降る雨のさかりに遣りたるに、いととく帰り来、『これ』とて、さし出でたるが、ありつる文なれば、返してけるかとてうち見たるに、あはせてをめけば、『あやし。いかなることぞ』と、みな寄りて見るに、『いみじき盗人を。なほえこそ思ひ捨つまじけれ』とて見騒ぎて、『これが本つけてやらむ。源中将つけよ』など、夜ふくるまでつけわづらひてやみにしことは、『行く先も、かたり伝ふべきことなり』などなむ、みな定めし」など、いみじうかたはらいたきまで言ひ聞かせて、「今は御名をば『草の庵』となむつけたる」とて、急ぎ立ち給ひぬれば、「いとわろき名の、末の世まであらむこそ、口惜しかなれ」といふほどに、修理(すり)の亮(すけ)則光(のりみつ)「いみじきよろこび申しになむ、上にやとて参りたりつる」といへば、「なんぞ。司召(つかさめし)なども聞こえぬを、何になり給へるぞ」と問へば、「いな、まことにいみじう嬉しきことの、昨夜(よべ)侍りしを、心もとなく思ひ明かしてなむ。かばかり面目(めいぼく)あることなかりき」とて、はじめありけることども、中将の語り給ひつる同じことを言ひて、「『ただ、この返りごとにしたがひて、こ影をし踏みし(?)、すべて、さる者ありきとだに思はじ』と頭の中将のたまへば、ある限りかうようして遣り給ひしに、ただに来たりしは、なかなかよかりき。持て来たりし度(たび)はいかならむと胸つぶれて、まことにわるからむは、兄人(せうと)のためにもわるかるべしと思ひしに、なのめにだにあらず、そこらの人のほめ感じて、『兄人(せうと)こち来。これ聞け』とのたまひしかば、下心地(したごこち)はいとうれしけれど、『さやうの方に、さらにえ候ふまじき身になむ』と申ししかば、『言(こと)加へよ、聞き知れとにはあらず。ただ、人に語れとて聞かするぞ』とのたまひしになむ、少し口惜しき兄人<の>おぼえに侍りしかども、本(もと)付け試みるに、『いふべきやうなし。ことにまたこれが返しをやすべき』など言ひあはせ、『わるしと言はれては、なかなかねたかるべし』とて、夜中までおはせし。これは、身のため人のためにも、いみじきよろこびに侍らずや。司召に少々の司得て侍らむは何ともおぼゆまじくなむ」といへば、げにあまたしてさることあらむとも知らで、ねたうもあるべかりけるかなと、これ<に>[ら]なむ、胸つぶれておぼえ<し>[り]。このいもうと、兄人といふことは、上までみな知ろしめし、殿上にも、司の名をば言<は>[か]で、兄人とぞつけられたる。


検:頭の中将のすずろなるそら言を聞きて

 

現代語訳 枕草子 (岩波現代文庫)

現代語訳 枕草子 (岩波現代文庫)

 

 

頭の中将の、すずろなるそら言を聞きて③ ~蘭省花時錦帳下と書きて~

蘭省花時錦帳下 

って書いて、「これに続く後の句はどうでしょうか?」と書いてあるんだけど、どうやって返事すべきなんでしょ。中宮さまがいらっしゃったらお見せして相談もするんだけど、これ、いかにも知った風な顔で、下手な漢字を書いたりしても、かなり見苦しいだろうよねーなんて思いめぐらせてる間にも、返事を催促してくるのよね。なもんだから、ただその紙の端っこに、火鉢に消し炭があったのを使って、「草の庵をたれかたづねむ」って書いて使者に渡したんだけど、それっきり返事は来ないの。


----------訳者の戯言---------

「蘭省花時錦帳下」という一節は、「白氏文集」の中にある「蘭省花時錦帳下、廬山雨夜草庵中」から抜粋されているようです。白氏というのはあの白楽天白居易)ですね。
意味は、「あなたたちは花の盛りの季節、錦のとばりの下で華々しく過ごしてるけど、私は廬山という山の中、雨の夜を粗末な庵で寂しく過ごしているのだ」という感じのようです。

で、この漢詩の前半部分の続きを問われた清少納言。そのまんま続きを書いて返したんじゃ芸が無い、と、「草の庵をたれかたづねむ」と和歌の下の句(七七)で応えます。で、実はこの「草の庵をたれかたづねむ」というのにも出典があるようで、当時の公卿の一人で和歌の名人でもあった藤原公任の「大納言公任集」に書かれている「いかなるをりにか『草のいほりをたれかたづねむ』とのたまひければ、いる人たかただ『九重の花の宮こをおきながら』」からのものなのだそうですね。

内容はこうです。
大納言であった藤原公任が、いつの時だかに「草のいほりをたれかたづねむ(粗末な庵を訪ねる者なんか居るのかな? いないよね)」と下の句をおっしゃったので、藤原挙直(たかただ)という人が「九重の花の宮こをおきながら(花の都である宮中をさしおいてね)」と上の句を返した、と。
だとしたら、藤原挙直のほうがセンスある、ということになるんですか? どうなんですか?

否、そもそも白楽天漢詩を知った上で、これを和歌にアレンジしようと試みつつ、ちょっとした問答形式のお遊びにしてしまう、という藤原公任もなかなかのセンスと見るべきかもしれません。

いずれにしても、二重三重に博学の方やら、名歌人やらがバックグラウンドにいて(実際文章には出てきてない隠れキャラも含め)、なんかクイズ&アドリブ合戦みたいになってます。今で言うと、ラッパーがやってるMCバトルみたいなもんですか。違いますか。

というわけで、この段、まだまだ先が長いようです。④へ続きます。


【原文】

蘭省花時錦帳下 

と書きて、「末はいかに、末はいかに」とあるを、いかにかはすべからむ、御前おはしまさば、御覧ぜさすべきを、これが末を知り顔にたどたどしき真名書きたらむもいと見苦しと思ひまはすほどもなく責めまどはせば、ただその奥に炭櫃に消え炭のあるして、

草の庵をたれかたづねむ

と書きつけて取らせつれど、また返りごとも言はず。


検:頭の中将のすずろなるそら言を聞きて

 

こころきらきら枕草子 ~笑って恋して清少納言

こころきらきら枕草子 ~笑って恋して清少納言

 

 

頭の中将の、すずろなるそら言を聞きて② ~長押の下に~

 女房たちはみんな長押の下で、灯を近くに取り寄せて、「扁つき」の遊びをしているのよ。「まあ、うれしい。早くおいでなさい」なんて、私を見つけて言うんだけど、私はガッカリな気分になって、何で参上しちゃったんだろうって思ったの。炭櫃(火鉢)のそばに座ってたら、そこにまたまたたくさんの人が来てね、おしゃべりしてたら、「『誰それ』(あたし?)が参上してます?」って、とっても明るくきわだった声で言うのよ。「おかしいわね。いつの間に(私がここにいるのがわかったのかな)? 何か用事でもあるのかしらね?」って、使いの者に訊ねさせたら、(使いの)主殿司だったのよ。「ただ私のほうで、人づてじゃなく申し上げたいことがあって」って言うもんだから、出てったら、「これは頭中将殿からさし上げられたものです。ご返事を早くお願いします」って言うのよね。

 すごく嫌っていらっしゃるのに、どんな手紙なのよって思ったんだけど、「今すぐに急いで見るほどのものでもないから、お帰りください。用件はわかりましたので」って、懐にしまって。それでもやっぱり、女房たちのおしゃべりを聞いてたら、すぐに引き返して来て、「『だったら、さっきの手紙を返してもらって来て』とおっしゃってるんですよ。なので、早く、早くお返事を!」って言うのが、どうも怪しくって。伊勢の物語みたいじゃんって思って、見たら、青い薄手の紙に、すごくキレイに書いていらっしゃるのよ。でも、ドキドキするようなものではなかったわ。


----------訳者の戯言---------

「扁をつく」というのは「扁つき」といって文字の扁(へん)に旁(つくり)を付ける遊びなのだそうです。が、実は正確なことはわかってないらしいです。

「主殿司」は宮中の雑務担当職員でしたね。

「伊勢の物語」の部分は「魚の物語」「いをの物語」「かいをの物語」などの説があるようです。

まだまだこの段、先が長そうです。③に続きます。


【原文】

 長押の下に火近く取り寄せて、<さしつどひて>扁をぞつく。「あな、うれし。とくおはせよ」など見つけていへど、すさまじき心地して、何しにのぼりつらむとおぼゆ。炭櫃<の>もとにゐたれば、そこにまたあまたゐて、物などいふに、「なにがし候ふ」といと花やかにいふ。「あやし。いつの間に、何事のあるぞ」と問はすれば、主殿司なりけり。「ただここもとに、人づてならで申すべきことなむ」といへば、さし出でていふに、「これ、頭の殿の奉らせ給ふ。御返事とく」といふ。

 いみじくにくみ給ふに、いかなる文ならむと思へど、「ただ今急ぎ見るべきにもあらねば、往ね。今きこえむ」とて、懐に引き入れて、なほなほ人の物いふ聞きなどするに、すなはち帰り来て、「『さらば、そのありつる御文をたまはりて来』となむ仰せらるる。とくとく」といふが、<あやしう、>い<せ>[を]の物語なりやとて見れば、青き薄様にいと清げに書き給へり。心ときめきしつるさまにもあらざりけり。


検:頭の中将のすずろなるそら言を聞きて

 

マンガでさきどり枕草子 (教科書にでてくる古典)

マンガでさきどり枕草子 (教科書にでてくる古典)