枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

まいて、臨時の祭の調楽などは

 まして、賀茂の臨時祭の調楽(リハーサル)の頃なんかには、すごくいい感じなのね。主殿寮(とのもり/とものりょう)の役人が長い松明(たいまつ)を高く灯して、首をすくめて歩いて行くと、先が何かにつっかえそうになって。ステキなパフォーマンスで、笛を吹いて、いつもよりさらに際立ってる風の若君たちが正装して立ち止まって何かお話ししてたら、お供の警護係たちが小さく短めに主の若君たちの先払いの声を出すんだけど、それが音楽に交じって、いつもとは違っていい感じに聞こえるの。

 相変わらず戸を開けたまま帰ってくるのを待ってたら、若君たちの声で「荒田に生ふるとみ草の花」って歌うのが、今回は前より面白く感じられてね。なのに、どんだけマジメなんだろう、無愛想に歩いてくコもいて、笑っちゃうんだけど、「ちょっと待って!『どうしてこの夜(世)を捨てて、急いで行っちゃうの?』とか言うじゃないの」なんて、誰かが言ったら、気分でも悪いのかなぁ、倒れるんじゃないかっていうくらいでね、「誰かが追いかけて捕まえようとしてるんじゃないのかナ」って思うほど、慌てて出てっちゃうコもいるようなのね。


----------訳者の戯言---------

いきなり出だし「まいて、」とか書いてますから、何かなーと思ったら、前の段の続きのようです。
お祭りの舞楽のリハをやってたようですね。
「遊び」というのは、ここでは、管弦や舞などをして楽しむこと、の意味と考えられます。

主殿寮(とのもり/とものりょう)は「主殿司こそ」という段で少し書きました。宮中の雑務全般を司った役所です。

原文に出てくる「料に追ひたる」ですが、ここでの「料」は、目的、理由、~のため、といった感じでしょうか。

君達が「荒田に生ふるとみ草の花」と謡ってる様子がイケてるわ~ということですね。「荒田」という古謡、風俗歌(風俗/ふぞく)だそうです。

荒田に生ふる 富草の花 手に摘みれて 宮へまゐらむ なかつたえ
とか、
荒田に生ふる富草の花 手に摘みれてや 宮へ参らむや 参らむや
と謡われたらしいですね。「荒れた田に生える稲の花を手で摘んで宮に参ろう!」という歌詞ですね。なかなかポジティブないい歌詞です。なわけないですね。富草というのは「稲」の古名だそうです。「なかつたえ」というのがイマイチ何かよくわかりませんが。

今で言うと学園祭の準備してる時、的な感じでしょうか。高校にしても、大学にせよ、オケ部や吹奏楽部がパート練習をしたり、演劇部がリハをしたり、どこかのグループは何か大きな絵を描いていたり、造形物を作っていたり、中には関係なく体育会のコたちは学内でトレーニングしていたりもするのですが、そんなことをひっくるめて、いつもと違う独特な雰囲気の中、テンション上がり気味の人びとetc.
そういうシーンを描きたかったのかなぁ、とは思いますが、私はそれほどうまく描けてるとは感じませんでした。私が勝手にハードル上げているのかもしれません。すみません。


【原文】

 まいて、臨時の祭の調楽などは、いみじうをかし。主殿寮の官人、長き松を高くともして、頸は引き入れて行けば、先はさしつけつばかりなる<に>[と]、をかしう遊び、笛吹き立てて、心ことに思ひたるに、君達日の装束して立ちどまり、物言ひなどするに、供の随身どもの前駆を忍びやかに短かう、おのが君達の料に追ひたるも、遊びにまじりて常に似ずをかしう聞こゆ。

 なほ明けながら帰るを待つに、君達の声にて、「荒田に生ふるとみ草の花」とうたひたる、このたびは今少しをかしきに、いかなるまめ人にかあらむ、すくずくしうさしあゆみて往ぬるもあれば、笑ふを、「しばしや。『など、さ夜を捨てて急ぎ給ふ』とあり」などいへば、心地などやあしからむ、倒れぬばかり、もし人などや追ひて捕らふると見ゆるまで、まどひ出づるもあめり。


検:まいて臨時の祭の調楽などは

 

内裏の局、細殿いみじうをかし

 宮中の女子スタッフの部屋、局の中では特に「細殿」がとってもすばらしいの。上の蔀を上げてあるので、風がいっぱい吹き込んできて、夏でもすごく涼しいのよね。冬は雪や霰(あられ)なんかが風といっしょに降り込んでくるのもとってもいい感じ。狭くって、子どもなんかがやって来てる時には、都合は悪いんだけど、屏風の中にそっと座らせておけば、他の局みたいに大声で笑うことなんてできないから、とってもいいのよね。

 お昼なんかは、油断しないで気遣いしておく必要はあるの。夜は(男の人が来るかもしれなくて??)なおさら気を抜けなくて、それはそれでとってもテンションが上がるわね。靴の音は一晩中聴こえるんだけど、その足音が立ち止まって、指一本だけで戸を叩くと、「あの人だナ」って、すぐわかるのがいいのよ。
 ずっと長いこと叩いてて、反応もなかったら、寝てしまったんじゃないかなって思うんだろうけど、それもムカつくから、ちょっと身体を動かして衣擦れの気配をさせたら、「あ、起きてるんだな」って思うんじゃないかしら。冬は火桶にそっと立てるお箸の音だって控えめにしてるくらい、って、彼氏もわかってるんだけど、ドンドン叩いて。声に出しても言うんだけどね、物陰から滑り寄って、その声を聞く時もあるの。

 また、大勢の声で詩を朗読したり、歌を歌ったりする時には、戸は叩かなくても先に開けるから、ここに来ようって思ってなかった人も立ち止まっちゃう。
 入って座る場所もなくって立ったまま夜を明かすっていうのも、それはそれでおもしろそうなんだけど、几帳の帷子はすごく鮮やかで、その裾の端が重なって見えててね。直衣の背中がほころんで開いちゃってる若君たちや、六位の蔵人は青色の衣を着て、我が物顔で遣戸のところに身を寄せて立つなんてこともできなくって、塀の方に背中をつけて、袖を合わせて立ってるのも、これまたチャーミングなのよ。

 それから、ボトムスの指貫はすごく濃い色、上着の直衣は鮮やかな色で、いろんな衣を下からちらつかせてるお洒落な男子が、簾を押し入れて、体半分、中に入っている様子は、外から見たらすごくいかしてるんだけど、彼がきれいな硯を引き寄せて手紙を書き、もしくは鏡を借りてセルフチェックしてる様子だって、全部いい感じなの。

 三尺(1m弱)の几帳を立ててるんだけど、横木と布の間に少しだけ隙間があって、外で立っている人と室内にいる人が話す時に、ちょうどこの隙間が二人の顔のところにちょうどにぴったりなのもいいわ。身長が高かったり、低かったりする人なんかだと、どうなのかしら。でも、普通サイズの人はそうやってぴったり合うみたいなのよね。


----------訳者の戯言---------

細殿に人あまたゐて」という段でも書きましたが、殿舎の廂の間で、細長いものを細殿(ほそどの)と言ったようです。仕切りをして、女房などの居室(局)として使用したらしいとのこと。

蔀(しとみ)というのは、開口部の一種なんですが、格子を取り付けた板戸の上部を蝶番(ちょうつがい)で繋いで開けたり閉めたりしたものです。たいてい下半分が固定になってて、開けたいときには上半分を外に垂直に引っ張り上げて留めたりしてたようですね。

「寝入りたりとや思ふらむとねたくて」と原文にあります。「ねたくて」はもちろん「寝たくて」ではなく「妬くて」です。「妬し」で「癪に障る」とか、「忌々しい」とかの感じでしょうか。

つま(褄)というのは、端(つま)とも書きます。物の端っこの部分を言うそうです。

殿上人というのは、六位蔵人まででした。殿上人、六位蔵人については、「説経の講師は①」の「訳者の戯言」の中ほどに詳しく書いていますので、よろしければご参照ください。
蔵人は青色の服を着てたらしいです。で、別名「青色」とも呼んだらしいですね、蔵人のことを。「四月 祭の頃」の段では、蔵人を目指してる人が、この日ばかりはと蔵人の青色の服を真似て着たとありましたね。
で、「四月 祭の頃」でも書いたんですが、この「青色」って実はブルー系じゃないらしい。「麹塵(きくじん/きじん)」と言われる色で、カーキというか、薄い濁った緑、という感じです。「淵は」という段でも書きましたが、当時は「青」というと白と黒の間の広い範囲の色で、主としては青・緑・藍をさしていたらしいですね。

おしゃれというのは、やはり世を問わず、カラーコーディネート力が重要要素なのだということですね。濃淡、そして清色と濁色を上手く合わせて、さらに複数のレイヤードという上級コーデ。立ち居振る舞いもスマートという、いかした男子がいたのでしょう。

この段は、清少納言たちが暮らしている「局」のあった「細殿」の様子をいろいろと紹介しています。

男の人が訪ねてくる時の描写は、自分ちに来た時のことなのか、それともご近所の他の女房のところに来た時に聞こえた音や声なのか、いまひとつ主語がはっきりしないのでわかりにくいですね。
私は清少納言自身の体験談が主なのだと思いますが、途中でふと我に返り「かげながらすべりよりて聞く時もあり」とだけ付け加えて、他人事のように表現したのだと勝手に解釈しています。ま、いろいろなケースがあって、それをアレンジしたんでしょうけど。

で、そりゃあ今の感覚で言っちゃいけないのはわかるんですが、お屋敷ならいざしらず、細殿を間仕切りで仕切った、寮みたいなところに住んでる女性のところに男性が通って睦事をするというのもどうかと思います。色んな音とか声とかダダ漏れでしょう。君たちはいいのかそれで。防音性能はレオパレス以下だと思う。


【原文】

 内裏の局、細殿いみじうをかし。上の蔀あげたれば、風いみじう吹き入りて、夏もいみじう涼し。冬は雪、霰などの風にたぐひて降り入りたるも、いとをかし。せばくて、童べなどののぼりぬるぞあしけれども、屏風のうちに隠しすゑたれば、こと所の局のやうに、声高くえ笑ひなどもせで、いとよし。

 昼なども、たゆまず心づかひせらる。夜はまいてうちとくべきやうもなきが、いとをかしきなり。沓の音、夜一夜聞こゆるが、とどまりて、ただおよび一つして叩くが、その人なりと、ふと聞こゆるこそをかしけれ。

 いと久しう叩くに音もせねば、寝入りたりとや思ふらむとねたくて、少しうちみじろぐ衣のけはひ、さななりと思ふらむかし。冬は火桶にやをら立つる箸の音も、忍びたりと聞こゆるを、いとど叩きはらへば、声にてもいふに、かげながらすべりよりて聞く時もあり。

 また、あまたの声して詩誦じ、歌などうたふには、叩かねど、まづあけたれば、ここへとしも思はざりける人も立ちどまりぬ。

 入るべきやうもなくて立ち明かすもなほをかしげなるに、几帳の帷子いとあざやかに、裾のつまうちかさなりて見えたるに、直衣の後ろにほころび絶え透きたる君達、六位の蔵人の青色など着て、うけばりて遣戸のもとなどにそばよせてはえ立たで、塀のかたに後ろおして、袖うちあはせて立ちたるこそをかしけれ。

 また、指貫いと濃う、直衣あざやかにて、色々の衣どもこぼし出でたる人の、簾をおし入れて、なから入りたるやうなるも、外より見るはいとをかしからむを、清げなる硯引き寄せて文書き、もしは鏡乞ひて見なほしなどしたるは、すべてをかし。

 三尺の几帳を立てたるに、帽額の下ただ少しぞある、外の立てる人と内にゐたる人と物いふが、顔のもとにいとよくあたりたるこそをかしけれ。たけの高く、短かからむ人などや、いかがあらむ。なほ世の常の人はさのみあらむ。

 

枕草子 ─まんがで読破─

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ありがたきもの

 めったにないものっていうと…。
 舅にほめられる婿。それと、姑に好意をもってもらえるお嫁さん。毛がよく抜ける銀製の毛抜き。主人のことを悪く言わない従者。

 それから、全然欠点の無い人も。ルックスも気持ちもとってもきれいで、世間とのかかわりを続けてても、少しも悪いトコの出ない人ね。同じところに住む人が、お互いに恥ずかしがり合って、少しのスキも見せないよう気配りしようと思ってても、最後までボロを出さずにおくのは難しいコトですもの。

 物語や歌集なんかを書き写す時、本に墨を落とさないこともね。貴重な書物なんか、すごく慎重に書くんだけど、必ずと言っていいくらい汚しちゃうみたいなんだから。

 男女間のことは今さら言うまでもないけれど、女同士でも、ずっと仲良くしようね、って約束しあってても、最後まで仲良くし続けられる二人ってなかなかいないものなのよ。


----------訳者の戯言---------

銀製の毛抜きとかいうと、結構な高級品かと思ってしまいますが、当時は普通に銀製品だったのでしょうか。毛抜き自体はかなり古くからあったようですが、現存しているものは13世紀~14世紀のもので、やはり銀らしいです。10世紀当時、すぐれモノは少なかったという事でしょうか。ま、ティファニーにだって銀製の分度器とか栓抜きとかありますからね。実際使うのかそれ、と思いましたが。いえ、ティファニーのがダメという意味ではないですよもちろん。

つゆの癖なき。ここで出てきた「癖」は、「欠点」というニュアンスが強いようです。
「クセがすごい」(強い、ではなく、すごい)といえば千鳥のノブですが、ノブの言う「クセ」とはちょっと違う感じですね。千鳥ノブに「クセがすごい」は言われたいですけどね。そんなことないですか?

ありがたき=存在しにくい=めったにない、ということは、ごくごく稀にある貴重なもの、なわけで、これが現代の「ありがたい」「ありがとう」に通じているのは、ご存じのとおりです。

けど、まあ、現実はなかなか難しいよね、理想どおりにはいかないよね、って話です。どのネタもかなりネガティブな書き方です。
何せこの人、「クセがすごい」ですからね。


【原文】

 ありがたきもの 舅にほめらるる婿。また、姑に思はるる嫁の君。毛のよく抜くる銀(しろがね)の毛抜き。主そしらぬ従者。

 つゆの癖なき。形・心・ありさますぐれ、世に経るほど、いささかのきずなき。同じ所に住む人の、かたみに恥ぢかはし、いささかの隙なく用意したりと思ふが、つひに見えぬこそ難けれ。

 物語・集など書き写すに、本に墨つけぬ。よき草子などは、いみじう心して書けど、必ずこそきたなげになるめれ。

 男・女をば言はじ、女とぢも契り深くて語らふ人の末まで仲よき人難し。

 

まんがで読む古典 1 枕草子 (ホーム社漫画文庫)

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懸想人にて来たるは

 恋人として来るのは言うまでもなく、単におしゃべりをするだけの人でも、また、そんなでもなく、ただたまたま来ただけの人であっても、簾の中に他の女子たちもいっぱいいておしゃべりしてるところに入ってきて、座って、すぐには帰りそうもないとき、お供の男の子なんかが、「どうなってるんだろ?」って、覗き込んで様子を見て、「斧の柄もボロボロになって無くなっちゃうぐらい(時間かかるん)じゃね?」なんて、めっちゃ面倒臭そうに言って、大あくびをしてね、バレないと思って言ったつもりなんだろうけど、「あぁ、つれぇなー。煩悩苦悩だわ。『夜』が『夜中』になっちゃうじゃんよー」って言うの、ホントめちゃくちゃ憎ったらしいわね。で、そんなこと言う本人のことは、別に何とも思わないんだけど、中に入って座ってる主人のほうを、今までステキだなって、見たり、聞いたりしてた気持ちが無くなっちゃうような気がするの。

 また、それとはっきり言葉を口には出さないで、「あーあぁ」ってカン高くうめき声を上げるのも、「下行く水の」っていう気持ちなんかなー、ってお気の毒orz
 衝立や垣根のところで、「雨降るんだろうかなぁ」なんて、聞えよがしに言うのもすっごく気分悪いわね。

 でも、すごく身分の高い人のお供なんかはそんなことはなくて。名家の若君たちなんかのお供の人はいいの。でもそれより下の場合はみんな、あんな風に、問題アリなのよ。大勢いるスタッフの中からは、従者マインドをしっかり見極めて、連れて行きたいものだわね。


----------訳者の戯言---------

「下行く水の」というのは、「古今和歌六帖」という歌集にある次の和歌からとっています。

心には下行く水のわきかへり 言はで思ふぞ言ふにまされる
(私の心の中には、表面からは見えない地下水がわき返ってて、口に出さないけど、あなたのことを思ってるの。その思いは口に出して言うよりずっと優っているんですよ)

なかなか優美な、奥ゆかしい雰囲気の歌ですが、今回はあえてこれを出してきたわけですね。

「透垣(すいがい)」というのは、板または竹で、間を透かして作った垣根のこと、だそうです。

本題はスタッフ教育の問題でしょうか。
ビジネスシーンに例えるとスタッフの教育がうまくできていないマネージャー、あるいは経営者への苦言と提言のようなものとも取れます。

突き詰めると、こういう問題は、主従間、あるいは上司部下の間であれ同僚であれ、信頼関係が構築できているかどうかという点に帰結します。
が、その一方で、そうした信頼関係構築のベースには、ワークスタイルや賃金、もちろんコンプライアンス教育等も含め、結局は各々の資質だけでなく雇用環境、労働環境が重要な要素となることがわかります。ですから、清少納言がそのへんのことを心得て、「いとよき人の御供人などはさもなし」と、高貴な家=一流組織たる環境にいるスタッフはしっかりしてる、と述べているのだとしたら、ゼネラリストとしてかなり秀逸だと言えるでしょう。

くら寿司セブンイレブンすき家ビッグエコーetc.最近のSNS炎上についても、バイトテロとかバカッターなどというワードが先行してしまいがちですが、「最低賃金に近い時給で雇用していること」のリスクを踏まえた上でのマネージメントを含め、より良い労働環境をアグレッシブに構築すべきところにきているのは間違いありません。とまでは、清少納言も思ってはいないでしょうけどね。

ま、この問題、もっと考えると、AIやらロボットやら外国人労働者やら産業構造の変化やら、とてつもないことになるので、これ以上、ここでは考えないことにしましょう。難しいことは、政治家や学者に任せて、私などは平安時代のことで、あれやこれや言ってる方が幸せなのかもしれません。


【原文】

 懸想人にて来たるはいふべきにもあらず、ただうち語らふも、またさしもあらねど、おのづから来などもする人の、簾(す)の内に人々あまたありて物などいふに、ゐ入りてとみも帰りげもなきを、供なる男童(をのこわらは)など、とかくさしのぞき、けしき見るに、「斧の柄も朽ちぬべきなめり」と、いとむつかしかめれば、長やかにうちあくびて、ひそかに思ひていふらめど、「あな、わびし。煩悩苦悩かな。夜は夜中になりぬらむかし」と言ひたる、いみじう心づきなし。かのいふ者は、ともかくもおぼえず、このゐたる人こそ、をかしと見え聞こえつることも失するやうにおぼゆれ。

 また、さいと色に出でてはえ言はず、「あな」と高やかにうち言ひ、うめきたるも、「下行く水の」といとほし。

 立蔀、透垣などのもとにて、「雨降りぬべし」など聞こえごつも、いとにくし。いとよき人の御供人などはさもなし。君達などのほどはよろし。それより下れる際はみなさやうにぞある。あまたあらむ中にも、心ばへ見てぞ率てありかまほしき。

 

枕草子 ─まんがで読破─

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しのびたる所にありては

 人目を忍ぶところでは、夏がいちばんいい感じ。とっても短い夜が明けていくんだから、結局一睡もしないでね。そのままどの部屋も全部開けっ放しにして過ごしてたから、一面涼しく見渡せるのよ。それでもやっぱり、もうちょっとお話ししたいことがあって、おしゃべりを続けてたら、座ってる上を烏(からす)が大きな声で鳴いて飛んでくのが、二人のことを全部見られてしまったみたいな気がして、うれしはずかし、何ともステキな気分になるの。

 また、とっても寒い冬の夜、夜具に埋もれて寝たまま聴いてたら、鐘の音が何かの「物の底」で聴くみたいに聴こえるのは、すごくいい感じなの。鶏の声もはじめは羽の中で口ごもったように鳴くから、とっても奥深く遠かったのが、夜が明けてきたら近くに聴こえようになるっていうのも、すごく素敵なのよね。


----------訳者の戯言---------

前半部分は、所謂「逢引き」の場所での夏のある夜の事。体験談なのでしょう、なかなかリアルです。
前半最後の部分の「をかしけれ」というのは、素敵、素晴らしい、面白い、趣がある、などとはまた異なって、「気恥ずかしいけどうれしいようないい気分」だと考えられます。複雑な感情ですね。
たしかドリカムの初期に「うれしはずかし朝帰り」というのがありましたが、たぶんそんな感じなのでしょう。

後半は一転して冬です。主に聴覚で捉え、主知的に「をかし」と表現するという手法で、これは私は嫌いではありません。


【原文】

 忍びたる所にありては夏こそをかしけれ。いみじく短かき夜の明けぬるに、つゆ寝ずなりぬ。やがてよろづの所あけながらあれば、凉しく見えわたされたる。なほ今少しいふべきことのあれば、かたみにいらへなどするほどに、ただゐたる上より、烏の高く鳴きていくこそ、顕証なる心地してをかしけれ。

 また、冬の夜いみじう寒きに、うづもれ臥して聞くに、鐘の音のただ物の底なるやうに聞こゆる、いとをかし。鳥の声もはじめは羽のうちに鳴くが、口を籠めながら鳴けば、いみじう物深く遠きが、明くるままに近く聞こゆるもをかし。


検:忍びたる所にありては

 

新潮日本古典集成〈新装版〉 枕草子 上

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夜烏どものゐて

 夜烏たちが木にとまってて、夜中頃に寝ぼけて騒いでるの。木から落ちそうになって慌てて、枝づたいに歩いて、寝起きの声で鳴くのは、昼間の様子とは違ってて面白いわね。


----------訳者の戯言---------

私だけの感想に違いないんですが、これはイーハトーブの風景、だと思いました。
まさか、枕草子を読んで宮沢賢治を思い出すとは意外でしたね。

全然関係ありませんが、私、明治(~昭和)時代の作家の中では、宮沢賢治をかなり好きでして、クリエイターとして稀有な天才の一人だとも思っています。
また「慾ハナク決シテ瞋ラズ」や「ホメラレモセズクニモサレズ」を理想とした迷いのない清廉な在りように柄にもなく共感したり、意外にも心を洗われたりしているのでございます。生き方に迷ったら「雨ニモマケズ」を読むのですよ。なーんてね。


【原文】

 夜烏(よがらす)どものゐて夜中ばかりにいね騒ぐ。落ちまどひ、木づたひて寝起きたる声に鳴きたるこそ、昼の目にたがひてをかしけれ。

 

 

雨ニモマケズ (ポプラポケット文庫 (351-5))

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たとしへなきもの

 比べようのないもの。夏と冬。夜と昼。雨が降る日と晴れてる日と。人が笑うのと腹立つのと。老人と若者。白いのと黒いのと。
 好意を持ってる人と憎ったらしい人と。同じ人でも、自分に愛情がある時と心変わりした時とでは、ホント別人だって思うわ。
 火と水。太ってる人、痩せてる人。髪が長い人と短い人と。


----------訳者の戯言---------

手抜きじゃないのか。疲れてるのか。大丈夫か。
怒らないから言い訳があるなら言ってみなさい。


【原文】

 たとしへなきもの 夏と冬と。夜と昼と。雨降る日と照る日と。人の笑ふと腹立つと。老いたると若きと。白きと黒きと。思ふ人とにくむ人と。同じ人ながらも、心ざしあるをりと変はりたるをりは、まことにこと人とぞおぼゆる。

 火と水と。肥えたる人、痩せたる人。髪長き人と短き人と。